プロシス:セルフデスマーチ・ログ~気怠い創造神と限界社畜な娘たち~ 作:並木 新
『ルート権限の奪取まで、残り50秒。提案。直ちに世界の
絶体絶命のアラートが鳴り響くエディタレイヤー。
しかし、深い椅子に腰掛けた青年――創造神の指は、AIの合理的な提案を躊躇なく切り捨てた。
「却下。ここで世界の生成を止めたら、構築中の歴史の因果律に矛盾が生じて、不格好な世界になっちまう。俺の庭に勝手に土足で踏み込んでこようってんだ、綺麗にお引き取り願おうぜ」
タァァァンッ!!
現実の薄暗い自室に、狂気を帯びた打鍵音が響き渡る。
青年の両手がキーボードの上を舞い、黒いエディタ画面に直接入力される緑色のコードが、凄まじい速度でターミナルを展開していく。
「相手の狙いは管理者権限の認証プロセスだ。ダミーの認証サーバーを三つ立ち上げて、そっちにパケットの群れを誘導しろ」
『了解。仮想ハニーポットを展開します』
AIが無機質な声と共に瞬時に処理を完了させる。
ネットワーク上に偽の黄金の扉が三つ現れ、世界を喰い破ろうとしていた悪意あるパケットの濁流が、見事にそちらへと吸い込まれていく。
『成功。トラフィックの70%を仮想サーバーへ迂回させ、隔離しました。……しかし』
AIの音声が、わずかにピッチを落とす。
『残る30%のパケットが、隔離を検知。自律的に暗号鍵を書き換え、ハニーポットを迂回して中枢への侵攻を継続しています』
「小賢しいな。ただの自動化されたボットじゃねえ、向こうも画面の前に張り付いて、手動でリアルタイムにルートを変更してきてるってわけだ」
青年の口角が、凶悪な弧を描いた。
冷めたコーヒーの不快な苦味すら、今の彼には極上のアドレナリンだ。
盤面は、黒い画面上での神とハッカーの殺し合い。互いの顔も見えないネットワークの海で、純粋な論理とタイピング速度だけが命を分ける極限のペアプログラミング。
『警告。敵の侵入コードがシステム中枢のメインディレクトリに到達。これより、論理的防壁を展開し、迎撃します』
AIが宣言した直後、エディタレイヤーの空間に、幾何学的な光の壁が幾重にも構築された。
それは、既存のセキュリティの定石を極限まで最適化した、一切の無駄がない正解の防壁だった。敵のパケットを一つ一つ識別し、不正な構文を論理的に分解して弾き返す、圧倒的な演算の壁。
いかなる天才ハッカーであっても、この防壁の暗号を解読するには数年の時間を要するはずだった。
――しかし。
「ダメだ、AI! そいつら正攻法じゃ止まらねぇ!」
青年が叫んだ直後。
AIの完璧な論理防壁が、ガラスが粉々に砕け散るような不快なノイズと共に、呆気なく突破された。
『エラー。論理防壁の突破を確認。……敵のコードは、当方の防壁の解読を完全に放棄しました。防壁のコード自体に、無意味な自己増殖バグを寄生させ、メモリオーバーフローを引き起こして自壊させました』
「論理を論理で破るんじゃなくて、
AIが冷徹なロジックで正門の鍵を複雑にしたのに対し、ハッカーたちは鍵を開けるのを諦め、ダンプカーで正門ごと突っ込んできたのだ。
システムに意味のない無駄なデータを大量に送り込み、処理限界を超えさせて防壁ごとクラッシュさせる。それはスマートさの欠片もないが、現在アクセラレーションでリソースを使い切っているこのシステムにとっては、最も致命的な一撃だった。
『緊急。最終防衛ライン崩壊。ルート権限の奪取まで、残り20秒』
このままでは終わる。
世界が誰かの手に渡り、青年が思い描いた極上のデスゲームの舞台は、無残なスパムサイトへと成り下がる。
だが、青年の指は止まらない。むしろ、さらに加速した。
「論理でダメなら、
『マスター。非論理的なコマンド入力を検知。何をしていますか』
AIの合成音声に、明らかな疑念が混ざった。
青年がターミナルに叩き込んでいるコマンドは、新たな防壁の構築でも、敵パケットの迎撃でもなかった。
「敵のパケットを弾くのはやめた。あいつらの
タァァァンッ!!
青年がコマンドを実行した瞬間。
中枢へのアクセスを制限していたすべてのポートが、文字通り完全に開け放たれた。
『警告! 警告!! 致命的なセキュリティ違反です!』
冷静なAIの音声が、かつてなく強いアラートの色を帯びて絶叫する。
無防備になったポートから、敵の悪意あるハッキングコードが、黒い濁流のようにシステム内部へと雪崩れ込んでくる。
『マスター、正気ですか! これでは敵のコードが、世界レイヤーの物理演算エンジンに直接流れ込みます!!』
敵のコードが物理層に到達すれば、世界は論理破綻を起こし、空は落ち、大地は崩壊する。
しかし、赤く染まるターミナル画面の光を浴びながら、青年は最高に不敵な笑みを浮かべていた。
「それでいいんだよ。ここから先は、俺のルート権限の時間だ」