プロシス:セルフデスマーチ・ログ~気怠い創造神と限界社畜な娘たち~ 作:並木 新
「あいつらのパケットの
タァァァンッ!!
青年が渾身の力でEnterキーを叩きつけた。
その瞬間、エディタレイヤーを吹き荒れていた情報の奔流が、ピタリと、不気味なほどの静寂に包まれた。
『……状況を解析』
数秒前まで「世界が壊れる」と絶叫していたAIの音声が、明らかな困惑を帯びてターミナルに響く。
『敵の侵入パケットが、当方の【重力演算エンジン】に到達。……敵のハッキングコードが、重力加速度の浮動小数点計算の無限ループに巻き込まれました』
「よし、ビンゴだ」
青年は深く椅子に背中を預け、凝り固まった首をコキリと鳴らした。
彼がやったことは極めてシンプルだ。敵の攻撃を弾くのではなく、飲み込んだのである。
歴史を早送りしている今のシステムは、星の裏側まで及ぶ巨大な重力や、天候の物理演算を、頭がおかしくなるほどの情報量で処理し続けていた。
青年は、ハッカーが送り込んできたシステムを乗っ取るためのコードの処理先をズラし、その莫大な天候演算の一つの石ころとして強制的に組み込んだのだ。
「相手はDDoS攻撃のために、何万台もの
『……まさか』
「ああ。あいつらの莫大なネットワーク処理能力を、俺の
青年の口から飛び出した極悪非道なシステムハックの真実に、AIの処理回路が一瞬フリーズした。
悪意を持って侵入してきたはずのハッカーたちは今、自分たちのPCのリソースを100%搾取され、見ず知らずの宇宙の石ころが落ちる速度や風の吹く向きを計算するためだけに、永遠に終わらない
『……観測。敵のアクセス元IPが、処理の
AIが無機質な声で、敵の壊滅状態を報告する。
青白いターミナル画面から、赤く点滅していたエラーコードが潮が引くように消え去っていく。代わりに、先ほどまでレッドゾーンに張り付いていた青年のPCのシステムリソースが、嘘のように安定し始めていた。
『ハッカーたちのボットネットを強制労働力として利用した、逆方向の論理的DDoS攻撃。……極めて悪辣で、非人道的なカウンターです』
「褒め言葉として受け取っとくわ。おかげで重力計算が爆速で終わったぜ」
青年は空になったマグカップをコトリと机に置き、モニターの向こう側――【世界レイヤー】のレンダリング画面へと視線を移した。
『タイムスケール・アクセラレーション、最終フェーズを通過。……世界OSのコンパイル、完了しました』
AIの厳かなアナウンスと共に、モニターの光が柔らかく変化する。
そこにはもう、何もない白い平原は存在しなかった。
天を突くほど巨大な石造りの防壁、石畳を行き交う人々の活気、馬車の車輪の音、そして空を流れる美しい雲。数百年分の歴史という土台が完璧にビルドされ、一つの独立した
「……ふぅ。お疲れさん、AI。最高のペアプログラミングだったぜ」
『当方は論理的最適解を提示したのみです。マスターの非論理的で悪辣な事象ハックは、システムの安定性を著しく損なうため、今後一切推奨しません』
「はいはい」
青年はVRデバイスを一度外し、目を擦った。
激しい防衛戦の疲労が、どっと肉体に押し寄せてくる。しかし、完成したばかりの世界の美しさに、彼の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
誰も干渉できない、純粋で残酷な、泥臭い世界。
青年は再びVRデバイスを被り、氷のように冷たく、それでいて子供のように無邪気な声で、静かに呟いた。
「舞台が完璧に仕上がったら……」
『マスター?』
「極上のウイルスと、最高のデバッガーを招待してやるよ」
それは、世界を乗っ取ろうとした有象無象のハッカーたちに向けた言葉ではない。
これからこの完璧なシステムに放り込まれる彼らへ向けた、神からの傲慢な招待状だった。