僕の母親は、精神を病んでいた。
極東の片田舎。僕たちが暮らしていたのは、太陽の光すらまともに差し込まない、じめじめとした朽ちかけの山小屋だった。
外界との接触を完全に断たれたその数メートル四方の狭小な空間こそが、僕にとっての『世界』のすべてであり、同時に決して逃げ出すことの許されない『牢獄』でもあった。
そして、その暗い牢獄を支配する絶対的な看守であり、唯一の君主こそが、僕の母だった。
かつて時計塔でその名を轟かせたという『雷帝の魔女』。
魔術協会における至高の血統、バルトメロイ当主の第二夫人であった母は、僕という忌み子を身籠ったことでその輝かしい地位を追われ、この極東の地にまで逃げ延びてきたらしい。
既に次期当主であるバルトメロイ・ローレライがいる以上、子どもはいらなかったんだ。
美しかったはずの母の面影は今やひどく痩せこけ、その虚ろな瞳には常に、狂気という名のどす黒い炎が不気味に揺らめいていた。
『あなたが、バルトメロイの次期当主なのよ......!』
つい先ほどまで死んだ魚のような濁った目で壁のシミを見つめていたかと思えば、母は突如として甲高い声で笑い出し、僕の華奢な肩を鋭い爪が食い込むほど鷲掴みにして、ひどく上機嫌に語りかけてくる。
母の狂った瞳に映っているのは目の前にいる息子の姿ではなく、僕を介して見ている『バルトメロイ』という手の届かない幻想の玉座だけだ。
だが、そんな狂乱の喜劇も長くは続かない。数分もしないうちに、母の態度は劇的に反転する。
『あなたが!あなたが生まれるのが遅いから!私は捨てられた!』
ヒステリックな叫び声と共に凄まじい平手打ちが僕の頬を打ち据え、幼く小さな体は容易く冷たい木の床へと転がされる。
理不尽な怒りと、底なしの憎悪。母の心境の変化には何の脈絡も理由もなく、ただその瞬間に沸き上がった激情に任せて激しい暴力を振るう。
僕の存在そのものが、母の輝かしい過去を奪った元凶であり、憎むべき罪の象徴であるかのように。
『弱者の命に価値はない』
それは、母が僕の骨髄にまで叩き込んだ唯一にして絶対的な教義だった。弱者は強者に無残に蹂躙されるためだけに存在する。
だからこそ、お前は至高の魔術師に、他者を平然と踏みにじる絶対的な強者にならなければならないのだと。
『自分を捨てたバルトメロイに復讐を』
夜な夜な母は、何かに取り憑かれたように呪詛の言葉を呟きながら、自らの白い肌を血が滲むまで激しく掻き毟っていた。
爪の間から赤い血が滴り落ちても痛みを感じる様子はなく、母は狂ったように笑いながら、暗闇の中で呪いの言葉を紡ぎ続けていた。
『自分から出ていったから追い出されたわけじゃない。バルトメロイの家宝の1つをその時に盗んだ』
それは母の魂にすがりつくように残された、最後の惨めなプライドだったのかもしれない。
ただ一方的に追い出されただけの無力な敗北者ではない。自らの意志で一矢報い、由緒ある家宝を奪い去ったのだという、自己を正当化するためのひどく歪んだ虚栄心。
『血の繋がった息子とは思えないくらい顔を見ると腹が立つ』
その言葉の鋭利な刃は、どのような物理的な暴力よりも深く、幼い僕の心を何度も、何度も無残に切り裂いた。
母親に愛されたい、優しく抱きしめられたいなどという人間として当たり前の贅沢な感情は、とうの昔に完全に擦り切れて消え去っていた。
それでも僕は心のどこかで、ただ一人の人間として、血を分けた息子の『ラミエル』として僕を見てほしかったのだ。
そんな聞くに堪えない暴言の数々と、文字通り命を削るような虐待的な魔術指導を、僕は母から延々と受けてきた。
『雷帝の魔女』と呼ばれた母の雷魔術は、容赦なく僕の肉体を内側から破壊し続けた。青白い雷光が山小屋の狭い空間で弾ける度、焦げた肉の匂いが充満する。
未熟な僕に、一切の手加減なく雷を無理やり流し込むという、指導と呼ぶにはあまりにも常軌を逸した地獄の修練。
内側から肉体が爆ぜるような感覚に襲われ、皮膚が弾け飛び、毛細血管が次々と焼き切れるような絶え間ない激痛が全身を駆け巡る。
僕は毎晩のように血の泡を吹いて痙攣し、意識の底へと沈んでいった。だが、死の淵を彷徨う僕を、母は強引に引き戻す。
『死ぬことは許さない。お前はバルトメロイを討つための私の刃なのだから』
生かすための慈愛の治癒ではなく、再び壊すための無機質な修理。壊しては直し、直しては壊す。
人間としての感情や、痛みに対する恐怖すらも完全に麻痺していく中で、20年というあまりにも長い時間、僕は山小屋の外に出ることも、四季の移ろいや風の匂いを知ることも許されなかった。
僕はただ、母の怨念という炉にくべられる薪として、バルトメロイを殺すための兵器として育てられてきた。その自覚がある。
......そして今、その長きにわたる残酷な地獄は、終わりを迎えようとしていた。
「──ハッハハハッ!どんな気分ですか、お母様!実の息子に心臓を抉られる気分は!!」
僕の右手は、肘のあたりまで生温かい鮮血で真っ赤に染まっていた。
足元で無様に痙攣しているのは、かつて僕の生殺与奪のすべてを握っていた絶対的な支配者。
肋骨が嫌な音を立てて砕ける感触と、肉を掻き分ける生々しい音が静寂の空間に響き渡った。
ドクン、ドクンと、僕の血塗られた掌の中で、母の心臓が脈打っているのがわかる。
僕はずっと、この瞬間を待っていたのだ。
泥水を啜り、人間としての尊厳を徹底的に踏みにじられながらも、決して自ら死を選ぶことはなかった。
僕は今まで牙を研いで待っていた。かつて雷帝の魔女とまで呼ばれた母を完全に上回るその時を。
この20年の間、ただひたすらに、息を殺して暗闇の中で憎悪の牙を研ぎ続けてきた。
「......ラミ、エル」
胸に大きな風穴を開けられ、口から大量の血の塊を吐き出しながら、母が風前の灯火のような弱々しい声で僕の名を呼んだ。
その声に、かつての圧倒的な威厳は微塵もない。ただ死という絶対的な恐怖を前にして怯える、哀れな一人の女がそこに横たわっていた。
「お母様は色々言ってましたが、追い出される前にこの『ミョルニル』を盗んだものの、怖くなって極東の片田舎に隠れていただけですよね」
僕は、部屋の最奥、何重もの結界によって厳重に封印された祭壇に鎮座する、禍々しい魔力を放つ武具に冷ややかな視線を向けた。
神代の雷霆を宿すとされ、バルトメロイ一族の中でも限られた者しかその名を口にすることすら許されないという至高の秘宝、神槌『ミョルニル』。
鈍く光る黒鋼の塊は、ただそこにあるだけで空間が歪むほどの異常な質量と重圧を放っている。
母が幼い僕に語り聞かせていた武勇伝など、すべては己の惨めな現実から目を背け、虚栄心を満たすための嘘に過ぎなかった。
時計塔の精鋭たちの執拗な追跡に怯え、この光すら届かぬ極東の鬱蒼とした森の奥深くに引きこもり、息を殺して震えていただけの卑怯者。
まあだが、母がこれほどまでに精神を病み、狂気に呑まれたのは、何もバルトメロイから追放されたことだけが理由じゃない。
ミョルニル程の規格外の神代の武器になれば、当然ながら自らの意志で使い手を選ぶ。
資格のない凡夫がみだりに触れれば、その強大すぎる神秘に魂を削られ、やがて精神の根幹から容赦なく蝕まれていく。
だからこそ、正気なうちに結界の中に封じたのだろう。
「ああっ、可哀想なお母様。実の息子に殺されるなんて。言い残したことはありますか?最期ですし、聞いて差し上げますよ」
僕はゆっくりとしゃがみ込み、血の気を失いまるで蝋人形のように白くなった母の顔を間近で覗き込んだ。
母は、もはやどんな奇跡が起きようとも助かる見込みはない。残された時間は、あと数秒といったところだろう。
これまで僕に浴びせてきた呪いの言葉を今さら取り消して謝罪するのか。それとも、命乞いをして血反吐を吐きながら見苦しく足掻くのか。
僕はひどく冷酷な笑みを口元に浮かべながら、母の最後の言葉を静かに待った。
「......バルトメロイ、に......復讐......を」
しかし、ひゅうひゅうと鳴る破れた気管の奥から絞り出されたのは、やはりその言葉だった。
ハッ。下らない。
あまりにも下らなくて、心の底から吐き気すら込み上げてくる。
「息絶えるその時まで、あなたの瞳に──僕は映らないんですね」
最期の命が尽きるその瞬間に至るまで、母は決して僕を見ようとはしなかった。
母の濁りきった瞳に映っていたのは、僕の背後に見える幻影。母の人生を狂わせ、そして人生のすべてであったバルトメロイという亡霊だけだった。
愛されることもなく、憎まれる対象ですら僕はなかった。僕はただ、母の底知れぬ怨念を乗せるための、都合の良い透明な器でしかなかった。
ゆっくりと、母の瞳から光が完全に失われていく。
僕を見つめることのなかったその瞳が、ガラス玉のように無機質なものへと変わる。
僕の右手に握りしめられていた心臓の鼓動が、最後の微かな痙攣を経て、完全に停止した。
どさりと重々しい音を立てて床に崩れ落ちた母の骸を見下ろしながら、僕は大きく、深く息を吐き出した。
埃っぽく冷たい山小屋の空気が、むせ返るような鉄と血の匂いを孕んで僕の肺の奥底までを満たしていく。
バルトメロイへの復讐、ね。
まともに愛情を注がれたことなど一度もなく、ただ思い出すだけで吐き気がするような、血と苦痛にまみれた地獄の20年だった。
だが、事実として母は僕に魔術のすべてを叩き込み、僕という存在をここまで育て上げてくれた。
「......いいですよ、お母様」
僕は静かに立ち上がり、頬に飛び散った母の生血を指で拭い、そっと舐め取った。
酷く錆びついた鉄の味が、口内に生々しく広がる。
「あなたの望み通り、バルトメロイは僕が滅ぼして差し上げます。でもそれは、あなたの哀れで惨めな復讐を果たすためじゃない。僕が、僕自身の存在をこの世界に深く刻み込むためです」
祭壇に置かれたミョルニルが、主の死を悼むかのように、あるいは新たな主の誕生を祝福するかのように、微かに青白い雷光を帯びた。
「ハッ、どうせ今のまま受け取れば僕も、いつか母の二の舞になる。だからこそ──対策は考えていた」
僕の魔術属性は『無属性』。
『物理的にはありえないが、物質化するもの』。
それが無属性の定義だ。歴代の時計塔の魔術師たちですら、この難解な属性を真に活用できた者はいない。
そして、母から遺伝と共に受け継いだ魔術特性は『雷』。この魔術特性でなければ、僕はとうに死んでいたと思う。
「要するに、僕の体をミョルニルに耐え切れる身体に──適用させればいい」
ただの魔術師の肉体で神代の遺物に触れれば、魂ごと削り取られて、いずれ発狂するだけだ。ならば、どうするか。
眼前に鎮座するミョルニルからは、封印の結界越しですら、常軌を逸した神代の魔力が漏れ出している。
「──来いよ」
僕はその莫大なリソースを無理やり自らの回路へと接続し、自身の内へと逆流させた。
内側から焼き切れるような激痛。だが、20年間味わい続けた地獄に比べれば、こんなものは大したことない。
僕は莫大な神代の魔力を燃料として『無属性』の魔術を起動する。DNAを書き換えるような生半可な肉体改造ではない。
『ミョルニルを完璧に制御し、自在に振るう雷神トールの腕』
現代においては絶対にありえないその『架空の概念』そのものを、僕の腕に上書きし、強制的に物質化(定着)させる。
文字通りの神業。
一歩でも術式の構築を間違えれば、腕どころか僕という存在そのものが空間から完全に消滅するであろう、命懸けの挑戦。
「──僕は、賭けに勝った」
概念の定着を終え、禍々しいほどの雷気を纏った新たな右腕で、僕は迷うことなくその神槌の柄に手を伸ばし、力強く握りしめる。
ビリビリと肌を刺すような魔力が、僕の魔術回路を通じて全身の隅々にまで強烈に駆け巡った。
圧倒的な万能感が溢れてくる。
「さあ、外に出ようか」
僕は、20年間一度も開かれることのなかった、忌まわしい山小屋の重い木の扉を力任せに蹴り破った。
錆びた扉が悲鳴を上げて吹き飛び、外の世界から眩しいほどの冷たい月光が、血塗られた僕の足元を白く照らし出している。
夜風が静かに森の木々を揺らす音が、初めて僕の鼓膜を震わせた。
ここから始まるのは、哀れな母への手向けなどではない。
僕という血濡れた天才の誕生を、この世界に知らしめよう。
まばゆい照明が照らし出し、分刻みのスケジュールで動くテレビ局のスタジオ。
そこが、突如として乱入したたった1人の不審者によって完全に凍りついた。
全国ネットの生放送中。カメラのレンズが赤く光り、何百万という視聴者の目が注がれるその空間に、まるで散歩でもしているかのように、1人の青年がふらりと足を踏み入れたのだ。
『へーっ、これが生放送ってやつなんだね』
青年の口から漏れたのは、子どものような、無邪気で場違いな感嘆だった。
20年もの間、山小屋という牢獄に幽閉され続けてきた彼にとってこの場所は、ひどく新鮮な世界に映ったのだろう。
『ラミエル・バルトメロイが告げる。バルトメロイ家は、可及的速やかにこの場に来るように』
彼はメインカメラの真正面に立つと、ゆっくりと唇を歪めた。
一般の視聴者には、新手のテロリストか、あるいは不審者の意味不明な戯言にしか聞こえないだろう。
しかし、彼にとってはそれこそが1番の目的だった。自分から行くのではなく、相手から来させるための方法。それがこれだ。
よく分からないことを話し始めた青年を危険視し、放送事故を察知したフロアディレクターの怒号が飛び交う。
即座に屈強な数人の警備員が駆け寄り、青年の両腕を乱暴に掴んで引き剥がそうとした瞬間──凄惨な事件が起きた。
『僕に触らない方がいい。死にたくないのなら』
青年の警告は、魔術の存在を知らない愚かな一般人には届かなかった。彼らの分厚い手が青年の肩に触れた、まさにその直後。
鼓膜を破るような轟音と共に、青白い閃光がスタジオの空間を乱暴に包み込んだ。
悲鳴すら上げる暇はなかった。
数人の警備員は、一瞬にして丸焦げの炭化した肉塊となって床に崩れ落ちる。
焦げた肉の鼻をつく悪臭が、密閉されたスタジオに瞬く間に充満していく。明らかな放送事故。
あまりにも非現実的で残酷な光景を前にスタジオはパニックに陥り、テレビのスピーカーからはスタッフたちの恐怖に引き攣った悲鳴が全国へと垂れ流された。
『静かに。騒ぐなら殺す』
だが、その恐慌状態も青年の言葉でおさまる。
たった一言。それだけで、スタジオ内のすべての悲鳴が嘘のように静まり返った。
死という絶対的な恐怖が、彼らの喉を力ずくで塞いだのだ。
誰もが青ざめた顔で震え、床に転がる黒焦げの死体と、意味不明な力を持つ青年の姿を絶望的な目で見つめている。
『僕は君たちが来るまで、しばらくここで生活をする。僕の口は軽い──君たちのことを全て話す前に、来ることを推奨するよ』
青年は再びカメラへと向き直り、ひどく楽しげに笑いかけた。
魔術の世界の秘匿を破るという、魔術師にとっての最大の禁忌。
それを平然と人質に取るという卑劣極まりない脅迫。厳密に言えば、既に破っているのだが。
『ん?......ああ、君たち。そうそう、君たちだよ。カメラの近くで紙を持ってる君たち。色々な種類の食事を用意してもらえるかな』
彼の視線が、カンペを握りしめたまま硬直しているスタッフたちへと向けられる。
血生臭い惨劇の中心にいながら、彼の態度はどこまでも日常的で、まるで高級レストランでウェイターを呼ぶかのような気品すら漂っていた。
『もし、逃げ出したら──殺す。でも、安心していい。基本的に君たちに危害を加える気はないから』
彼らは完全に理解した。この青年にとって、自分たちの命など道端の石ころほどの価値もないのだと。
逆らえば死。逃げても死。彼らに与えられたのは、この狂気の人質劇に大人しく付き合うという絶望的な選択肢だけだ。
『繰り返す。バルトメロイ家は可及的速やかにこの場に来るように』
青年──ラミエル・バルトメロイは、カメラのレンズ越しに、ひどく冷たく微笑んだ。
「愚かだなぁ」
呆れを含んだその呟きは、ひどく静まり返った空間に空しく吸い込まれていった。
ほんの15秒前まで、この場所には怒号が飛び交っていたのだ。重武装に身を包んだ警察の特殊部隊が、分厚い防音扉を爆薬で吹き飛ばし、閃光弾とともに雪崩れ込んでくる。
それは、彼らにとって計算し尽くされた完璧な突撃作戦だったのだろう。完璧な奇襲であり、瞬時に標的を制圧できるという絶対的な自信に満ちた足音だった。
しかし、そのすべては瞬きを1回するほどの短い時間で幕を下ろした。
結果として今この場に残されているのは、圧倒的な『死』がもたらす静寂だけである。
空気を切り裂くような青白い閃光─ラミエルが放った雷魔術は、警察官たちが引き金にかけた指に力を込めるよりも早く、彼らの身体を容赦なく貫き、内部から一瞬にして焼き尽くした。
最新鋭の防弾ベストも、頭部を守る分厚いヘルメットも、強大な雷撃の持つ圧倒的なエネルギーの前では薄紙ほどの意味すら持たなかった。
最前列で盾を構え、仲間を守ろうとした隊員の勇敢さは、ただ盾ごと自身の肉体を融解させるという無惨な結果を招いただけだ。
彼らは悲鳴を上げる暇さえ与えられず、己が何によって命を奪われたのかを脳で理解する間もなく、ただの黒焦げた肉塊へと成り果てたのである。
かつては華やかなエンターテインメントを生み出し、明るい声が響いていたはずの広々としたスタジオは、今や凄惨な地獄絵図と化していた。
壁一面を覆っていた防音材は高熱によって無惨にえぐれ、あちこちから燻るような白煙が立ち上っている。
倒れた大型カメラのレンズは粉々に砕け散り、何台も並んでいたモニターはすべて黒く焼け焦げて沈黙していた。
黒焦げになった特殊部隊の制服の隙間から、あるいは破裂した血管から、とめどなく溢れ出した鮮血。
それは冷たいフローリングを這うように広がり、やがて大きな1つの湖となってスタジオの床をどす黒く染め上げている。
ポタポタと、へし折れたマイクスタンドの端から粘り気のある血液が滴り落ちる音だけが、不気味なメトロノームのように一定のリズムを刻んでいた。
そんな状態だというのに、彼の着ている衣服には、1滴の血の飛沫すら付着していない。
それどころか、彼の息は1ミリたりとも乱れてはいなかった。ラミエルにとって、50人近い武装した人間をまとめて消し炭にすることなど、路傍の小石を蹴飛ばす程度の労力でしかないのだ。
そんな、並の人間であれば正気を失い嘔吐してしまうような血生臭い地獄のまっただ中だというのに、ラミエルはひどく退屈そうな表情を浮かべていた。
彼はどかっと無造作にパイプ椅子に腰を下ろしている。
そして、その手にはコンビニエンスストアの棚にどこにでも並んでいるような、色鮮やかなパッケージのスナック菓子を持っていた。
スタッフにお使いに行かせたものだ。
サクッ、サクッ。
静まり返った死の空間に、ひどく軽快で、場違いな咀嚼音が響き渡る。
濃厚な血の匂いと肉が焦げる悪臭がスタジオ内に充満しているというのに、彼の味覚や嗅覚は一切の不快感を示していないらしい。
むしろ、眼前に広がる自らが作り出した凄惨な現場を眺めながら、映画館でポップコーンを食べるかのような気軽さで、ジャンクな味付けのスナック菓子を堪能していた。
「なんでこんなに弱いんだろうね?本当に、人間ってやつは学習能力がない。わざわざ自分から死にに来るなんてさ」
袋の底に手を突っ込みながら、ラミエルは誰に言うともなく言葉を紡ぐ。一瞬スタジオの端に避難していたスタッフが口を開きかけたが、すぐに空気を読んで閉じた。
その声には敵に対する怒りも、命を奪ったことへの悲しみや罪悪感もなく、ただただ純粋な『無関心』だけが込められていた。
「まあ、いいけどね。ほんの3分間の、いい暇つぶしにはなったし。ありがとうね」
指先にこびりついたチーズ味のパウダーを舐めとりながら、ラミエルは再びつまみ上げたスナック菓子を、ポイッと無造作に口の中へ放り込む。
サクッ......
再び、乾いた音が鳴る。それはまるで、先ほどまで生きていた人間たちの骨が雷撃によって砕け散る音を、彼自身が面白がって再現しているかのようでもあった。
スタジオの床に横たわる無数の死体たちは、当然ながら何の返答も返さない。ただ永遠の沈黙を持って、この絶対的な強者の傲慢を受け入れているだけだ。
チカッ、チカッ......と点滅する照明の下で、ラミエルは次の菓子に手を伸ばす。
彼の足元では、ゆっくりと広がり続ける血の海が、やがて彼の履いている靴の裏へと静かに到達しようとしていた。
無属性ならきっとできるできる。知らんけど。