あれから、ちょうど1週間が経過した。
かつて日本中へ向けて情報を発信していたテレビ局のメインスタジオは、今やたった1人の青年のための、ひどく血生臭い居城へと変貌を遂げていた。
テレビ局の外では、この前代未聞の立てこもり事件に蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっている。
幾重にも警察の非常線が張られ、上空では報道ヘリがけたたましい音を響かせて飛び交っている。
常人であれば、完全な包囲網を前に絶望する状況だ。
だが、ラミエルにとっては何の脅威にも満たない些末な事でしかない。
警戒の必要など皆無だであり、仮に武装した警察が何百回突入してこようとも、自分に傷一つ負わせることはできない。それがラミエルの考てだった。
今、彼はこの血塗られた空間の中で、ただ己の退屈を凌ぐためだけに悠然と時間を浪費していた。
そんな彼がこの場所を占拠した初日、生き残った局員たちに定めたルールは、極めてシンプルかつ絶対的なものだった。
『逃げようとしないこと』
『逆らわないこと』
たったそれだけだ。その2つの法さえ厳守していれば、彼は誰の命も奪わない。
意味のない無駄な殺生などする気はないし、従順にひれ伏す無力な人間には生を許す。実に寛大かつ理にかなった慈悲であると、ラミエル自身は本気で思っていた。
しかし、人間という生き物はどうしてこうも愚かで、自己の矮小さを理解することができない。
3日目の深夜、暗闇に乗じて機材の搬入口から外へ逃げ出そうとした若いアシスタントディレクターがいた。
5日目の昼には、極度の疲労と恐怖で精神に異常をきたしたプロデューサーが、ラミエルが要求した新作のフルーツタルトの買い出しを泣き叫んで拒絶した。
結果として、今のスタジオには初日に転がった特殊部隊の死体の山に加え、新たな黒焦げの炭のオブジェが2つ増えている。
ラミエルは指先一つ動かすことすらなく、彼らの肉体を容赦のない雷魔術で一瞬にして焼き尽くした。
断末魔の悲鳴すら上げることを許されず、瞬時に炭化した彼らの亡骸は、法を破った者の末路を知らしめるための、これ以上ないほど完璧な見せしめとなった。
逃げれば死ぬ。逆らっても死ぬ。
その絶対的な恐怖の学習を経て、残された数十名の局員たちは完全に己の感情を殺し、自ら進んでラミエルの従順な奴隷となった。
彼らの目はどす黒く落ち窪み、まるで魂を抜かれた操り人形のように、生気のない足取りでスタジオ内を徘徊している。もしくは、ラミエルのいる部屋の片隅で控えている
ラミエルが軽く指を鳴らせば、彼らは弾かれたようにビクッと肩を震わせ、這いつくばるようにして彼の元へ食事や、真新しい衣服を運んでくるのだ。
そんな地獄そのもののような閉鎖空間の中央で、ラミエルは局員に運ばせた高級なソファに深々と腰を沈めながら、ひどく呑気にテレビゲームに興じていた。
20年間、光すら差し込まない忌まわしい山小屋の中で、母からの狂気じみた暴力と、命を削る魔術の激痛だけを与えられ続けてきた彼にとって、現代の娯楽のすべてが新鮮で輝かしく、これ以上ないほどの極上の暇つぶしだったのだ。
床にべっとりとこびりついた赤黒い血の染みも、未だ空気に漂う肉の焦げた鼻を突く悪臭も、彼の意識にはまったくない。
「......あーあ、また死んじゃった。このゲーム、意外と難しいね」
液晶画面の中でゲームオーバーを告げる無機質な赤い文字を見つめながら、ラミエルはひどくつまらなそうにコントローラーを放り投げた。
待ち人来ず。ラミエルの母親の心を生涯狂わせ続け、そして彼自身が引導を渡すはずの至高の血統、バルトメロイ。
「遅いなぁ......もしかして、怖気づいて逃げちゃったのかな」
血の匂いが染み付いた冷たい空気を肺いっぱいに吸い込みながら、ラミエルが独り言のようにそう呟いた──まさにその瞬間のことだった。
パリンッ──!
スタジオ上部に設けられた分厚い窓ガラスが、突如として耳障りな甲高い音を立てて砕け散った。
局員たちが短い悲鳴を上げて一斉に床へ伏せ頭を抱え込む中、月光を反射してきらきらと降り注ぐガラスの破片と共に、1羽の鷹がバサバサと力強い羽音を立てて舞い降りてくる。
ただの鳥ではない。使い魔の鷹だ。
外を囲む警察の狙撃手たちの監視網など容易くすり抜けてきたその鷹は、ラミエルの足元へふわりと優雅に降り立つと、咥えていた一通の封筒をぽとりと床に落とし、一切の未練なくそのまま上空の闇へと飛び去っていった。
「ん......?」
ラミエルはソファからゆっくりと身を起こし、足元に落ちたそれを静かに拾い上げた。
(手紙か、これは?)
それは現代の日本ではおよそ見かけることのない、上質な羊皮紙で作られたひどく古風な封筒だった。
封を閉じる深紅の蝋に刻印されたその『紋章』を見た瞬間、彼は1呼吸のあとに、ひどく歪で歓喜に満ちた笑みを浮かべた。
魔術協会・時計塔における絶対的な支配者、バルトメロイの紋章である。
記されていた内容は、現バルトメロイ家当主、バルトメロイ・ローレライからの呼び出しだった。
「......アハハッ!やっと、やっと来たか!」
ラミエルの口から、腹の底から湧き上がるような堪えきれない歓喜の笑い声が、スタジオの重苦しい静寂を無惨に切り裂いて響き渡った。
ビリビリと、彼の尋常ならざる感情の高ぶりに呼応するように、全身から青白い雷光が激しく漏れ出し、周囲の空気をバチバチと焦がしていく。
局員たちは、その圧倒的で暴力的な魔力の奔流に本能から恐れおののき、床に這いつくばったままガタガタと震え始めた。
「──ようやくか」
ラミエルは、手にした羊皮紙の封筒を、掌から発した雷熱で瞬時に灰へと焼き尽くした。
「気になっていたんだ、ローレライ。君が、本来なら僕が座るはずだったその玉座に座る資格があったのかどうかがね」
彼にとって、狂気に沈んだ母の底浅い復讐など、もとよりどうでもいい事だった。
バルトメロイを滅ぼすという大義名分すらも、己の力と存在を世界に知らしめるための手段に過ぎない。
「──もう君たちはいらない」
ラミエルはゆっくりと振り返り、恐怖で顔を引き攣らせて自分を見上げる局員たちに向けて、ひどく無邪気な、それでいて底知れぬ狂気を孕んだ笑みを向けた。
「待ち人が来た。今日から好きにするといい」
まばゆい青白い雷光を纏い、雷鳴の残響だけを血塗られたスタジオに残して姿を消した。
こんな何もない山奥に呼び出すなんて、面倒なことをしてくれた。お陰で夜になっちゃったじゃないか。
都会の喧騒から遠く離れ、人の気配が一切存在しない深い森。
テレビ局という現代社会の象徴から一転し、このような魔術的かつ原始的な舞台を指定してきたのは、周囲への被害を抑えるためか、それとも魔術の秘匿を守るための処刑場として相応しいと考えたからか。
どちらにせよ、僕にとっては下らない気遣いでしかない。
足元に転がる枯れ枝を踏み砕きながら歩みを進めると、やがて開けた空間へと出た。
そこには、静かに佇む1人の人影があった。
「──君が、バルトメロイ・ローレライ?」
思わず口から漏れたのは、純粋な疑問だった。
時計塔の頂点に君臨し、魔道元帥とまで称される絶対的な支配者。彼女は拍子抜けするほど若々しく、とてもじゃないが僕と同年代にしか見えない。
だが、見た目の可憐さに騙されるほど僕も愚かではない。それに、彼女は1人でここに来たわけではない。
姿こそ完璧に隠しているが、この開けた空間をぐるりと包囲するように、いくつもの研ぎ澄まされた気配が潜んでいるのがわかる。
バルトメロイの精鋭、クロンの大隊も連れてきたのか。
数十人規模の熟練の魔術師たちが、息を殺し待機しているのが手に取るようにわかった。
「貴様は既に2つの罪を犯している」
氷のように冷たく、一切の感情を排したローレライの声が森の中に響く。
それは会話というよりも、絶対的な裁定者による死刑宣告に近い。彼女の眼差しには、僕という存在への興味も、僕に対する警戒もない。
ただ『排除すべき害虫』を見下ろすような、絶対者の傲慢さだけが宿っていた。
「へぇ、なんのことだろうか。人を殺したこと?それとも──君よりも強いこと、とか」
肩をすくめ、わざとらしいほど挑発的な物言いでそう問いかけてみる。
僕の言葉に、ローレライの整った眉がほんの一瞬だけピクリと動いた。しかし、彼女がそれ以上の感情を露わにすることはなく、安い挑発に乗るような隙は微塵も見せなかった。
「1つ。魔術師の存在をテレビで示唆した」
「あー、確かに。魔術は秘匿すべき存在だっけ。君たち弱者が生き残るために」
僕は鼻で笑い、心底からの軽蔑を込めて言い放った。
魔術師の存在を一般社会から秘匿しているのは、神秘の減少を防ぐためだのなんだのと、彼らはもっともらしい理由をつけているが、結局のところ真実は1つに尽きる。
魔術師の非人道的な風習や研究が、一般社会に受け入れられるはずがない。大多数と違う特異な存在は、必ず数の暴力によって迫害され、魔女狩りの対象となる。
うんうん。つまりは、自分たちの在り方を世界に対して押し通すだけの『強さ』が無いということに他ならないのだ。
隠れてコソコソと生き延びようとする時計塔の魔術師たちなんて、怯えて群れる哀れな羽虫の群れと同じだった。
「2つ。バルトメロイの名を軽んじたこと。貴様は今日──その代償を支払うことになる。名乗れ、バルトメロイの威光を犯さんとする挑戦者よ」
ローレライの声が一段と低くなり、周囲の気温が急激に下がったかのような錯覚に陥る。
森に潜むクロンの大隊の殺意も、主の怒りに呼応するように一気に膨れ上がり、張り詰めた糸のように空間を支配する。
彼らは本気で、このバルトメロイの当主こそが絶対であり、僕を身の程知らずの愚か者だと信じ切っているらしい。
「ハハッ──僕が挑戦者?逆だろ。このラミエル・バルトメロイこそが王であり、挑戦者は君たちだ。全員でかかってきなよ」
腹の底から、堪えきれない笑いが込み上げてきた。
狂った母がすがりついた幻想の玉座。
その玉座にふんぞり返る気位の高い女王を引きずり下ろすという最高の娯楽に、僕はやる気を増した。
バチバチと青白い閃光が空気を切り裂き、大気を焦がす匂いが森の空気を塗り替えていく。
僕の内に宿るミョルニルが、今か今かと解放の時を待ちわびて荒れ狂っている。
「クロンの大隊、手を出すな。貴様の言葉は不快だ──最高峰の魔術師、バルトメロイ・ローレライが身の程を知らせてやる」
ローレライが静かに一歩を踏み出した瞬間、張り詰めていた空間の均衡が完全に崩れ去った。
森は神話の時代を現出させたかのような凄惨な破壊の渦に飲み込まれていた。
大気を劈く轟音と共に、2つの圧倒的な魔術が真正面から激突する。
「ハハッ!どうした、バルトメロイ・ローレライ!その程度じゃないだろう!」
ラミエルの放つ青白い雷光が、夜の濃密な闇を無惨に切り裂き、周囲の空気をバチバチと焦がしていく。
彼の最大のアドバンテージは、その両腕にあった。
神代の雷神トールの概念が強制的に物質化され、彼自身の肉体として完全に定着させられているからだ。
彼が両腕を振るうたびに、莫大な雷魔術が膨大な質量を伴って放たれる。
樹齢数百年を超える巨大な大木が、まるで細いマッチ棒のように容易くへし折れ、瞬く間に白煙を上げて消し炭へと変わっていく。
だが、それほどの圧倒的で暴虐な攻撃を前にしても、バルトメロイ・ローレライの動きは決して乱れることがなかった。
「野蛮な力だ。だが、粗削りすぎる」
彼女の身のこなしは、戦場にあってなお至高の芸術を思わせるほどに洗練されていた。
ローレライは一歩も退かない。
ラミエルの放つ雷撃の軌道を正確に見切り、幾重にも展開された極めて精密な魔術で弾き返し、あるいは最小限の動きで流していく。
彼女の滑らかな動きから放たれる風魔術は、大気を操る不可視の鋭利な刃となって、四方八方からラミエルへと襲いかかっていた。
それは単なる天性の才能だけでは到底到達できない領域である。
時計塔の頂点として君臨し、幾多の死線を潜り抜けてきた彼女の、実戦の中で血を吐くような努力とともに磨き上げられた本物の戦闘経験が、その強靭な基盤を支えていた。
互いの必殺の一撃が交差し、強烈な衝撃波が周囲の木々を薙ぎ払う。
吹き荒れる土煙と爆風の中、2人は同時に後方へと大きく跳躍し、距離を取った。
舞い上がった土埃が風に流されて晴れた後、そこに立っていたのは、共に荒い息を弾ませながらも不敵な笑みを浮かべる2人の天才の姿だった。
「......認めよう、ラミエル。貴様は紛れもなくバルトメロイの血を引く者だ」
ローレライの声には、先ほどまでの冷酷な見下すような響きは完全に消え失せていた。
「その天性の才覚、野に放たれた獣としては、あまりにも惜しい逸材だ」
それは時計塔の支配者としての驕りではなく、魔術師としての純粋な評価であり、自分と対等に渡り合う強者に対する明確な敬意の表れであった。
「へぇ、最高の賛辞だね。誇らしくて涙が出そうだよ」
ラミエルは両腕に帯電する雷をバチバチと鳴らしながら、ひどく愉快そうに笑い声を上げる。
長年の幽閉生活で歪みきっていた彼の心に、純粋な闘争の喜びが満ちていた。
「僕も君を認めるよ、ローレライ。君は、バルトメロイの当主にふさわしい本物の天才だ」
だが、互いの力量を称え合う心地よい余韻もそこまでだった。
「だけど、それでも──僕の方が上だ」
彼は自身の体内に同化されている、神代の武具の本体を、ついに現世へと顕現させる決意を固めた。
彼の両腕に定着した『トールの腕』という概念は、ただ雷魔術を強力にし、操るためだけのものではないのだ。
この常軌を逸した絶対的な重量を持つ雷槌を自在に振るうための、言わば必要最低限の前提条件に過ぎない。
「──顕現せよ、『ミョルニル』」
ラミエルが両腕を前へと差し出した瞬間、彼の手の中に鈍く光る雷槌が姿を現した。
その直後、森の空気が悲鳴をあげるように揺れだした。
「なっ......神代の遺物を、己の肉体で直接扱うというのか!」
常に冷静沈着であったローレライの整った顔が、この日初めて驚愕の色に染まる。
「終わりだ──バルトメロイ・ローレライ」
ラミエルが両腕の筋肉を限界まで軋ませ、巨大な雷槌を天高く振り上げた瞬間、世界が真っ白に染まり上がった。
雷鳴という言葉では生ぬるい。天そのものが崩れ落ちてきたかのような、絶対的で圧倒的なエネルギーの奔流。
ローレライは瞬時に事態の深刻さを悟り、自身の持つすべての魔力を解放して多重の防壁を展開し、決死の迎撃態勢をとる。
「舐めるな......!私は、バルトメロイ・ローレライだ!」
彼女の誇り高き絶叫が森に轟く。
しかし、神の雷霆を宿した物理的な粉砕の一撃は、最高峰とされる彼女の魔術防壁をも、まるで薄氷を割るかのように容易く打ち砕いてしまった。
凄まじい衝撃波が広がり、森の大部分を一瞬にして何もない更地へと変え去る。
閃光が収束し、土煙が晴れたとき、そこには黒く焦げた大地と、静かに膝を折るローレライの姿があった。
「......見事、だ」
意識を手放す直前、彼女の血に染まった唇が微かに動き、そうこぼした。幸いにも息はある。
一切の言い訳や屈辱を感じさせる様子はなく、ただ純粋な敗北の言葉だけが残された。
直後、彼女はまるで糸が切れた操り人形のように完全に意識を失い、冷たい土の上へと力なく倒れ伏した。
「......ハァッ、ハァッ、ハァッ......」
ローレライが完全に倒れ、動かなくなったのを見届けた瞬間、ラミエル自身もまた、崩れ落ちるようにその場に片膝を突いた。
初めてミョルニルを顕現させ、その規格外の力を解放した代償は、彼の予想を遥かに超えるほど重いものだった。
全身に張り巡らされた魔術回路が内側から焼け焦げたかのような壮絶な激痛を訴え、酷使した両腕の筋肉や血管は今にも破裂しそうに悲鳴を上げている。
荒い息を吐き出すたびに、肺の奥から生々しい鉄の味が込み上げてきた。
「くそっ......体力が、全く残ってない......」
ラミエルからしても、これほどの莫大な魔力消費は完全に計算外だった。
神代の純粋な神秘をそのまま現世で振るうには、あまりにも反動が大きすぎたのだ。
ザッ、ザッ、ザッ。
静まり返った森の暗闇の奥から、無数の統制された足音が響き始める。
膝をつくラミエルをぐるりと包囲するように姿を現したのは、統一された漆黒の装束に身を包んだ数十名の魔術師たちだった。
バルトメロイの当主に従う精鋭部隊、クロンの大隊である。
彼らの目には、暗く冷たい怒りが渦巻いている。
自分たちの絶対的な主君であるローレライを地に伏せさせた大罪人を、彼らが決して生かして帰すはずがなかった。
大隊の魔術師たちが一斉に詠唱を開始し、ラミエルへ向けて無数の殺意と致死の魔術が一挙に照準を合わせられた。
「ハッ......流石に、今の状態で君たちの相手をするのは分が悪いか」
ラミエルは口の端から血を流しながらも、その不敵な笑みだけは決して崩さなかった。
彼は限界を迎えていたミョルニルを即座に体内へ戻すと、最後の力を振り絞り、地面へ向けて手を力任せに叩きつけた。
ドゴォォォンッ!
鼓膜を破るような轟音と共に目眩ましの大爆発が巻き起こり、土煙と閃光がクロンの大隊の視界を完全に奪い去る。
「追え!何としてもあの男を逃すな!」
暗闇の中で怒号が飛び交う中、ラミエルは悲鳴を上げる身体を無理やり動かし、決死の逃亡を図った。
木の幹を蹴り、草葉を掻き分け、夜の深い闇に紛れてひたすらに駆け抜けていく。
一歩足を踏み出すごとに肺が破裂しそうな痛みに襲われ、両腕はまるで鉛の塊のように重く垂れ下がっている。
それでも足を止めることは許されない。背後からは、研ぎ澄まされた殺意を持つ執拗な追跡者たちの気配が迫ってきているのだから。
どれだけの距離を、どれだけの時間走り続けたのだろうか。
意識が朦朧とし、視界がかすみ始めた頃、気がつけば彼は見知らぬ長い石段の前に立っていた。
そこは日本のどこか、霊脈の流れが良い土地だった。
重い首を上げて見上げれば、木々の合間に、古風で立派な寺の山門がそびえ立っているのが見える。
山門には『柳洞寺』の文字が見える。
「......ここまで、か」
追跡者の気配をなんとか振り切り、安全な場所まで辿り着いたことを本能で悟った瞬間、彼の中でギリギリの状態で張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
ラミエルの体から一切の力が抜け落ち、自らの体重を支えることすらできなくなる。
彼は石段の冷たい感触を頬に直接感じながら、意識を手放した。
「──人が、倒れている」
.....テレビで見た顔だ。数多の人間を殺した疑惑があるが、その手口がわからず指名手配を免れた男。
「.....傷だらけだ」
葛木宗一郎は、全身血まみれで倒れている男を、寺の中へと運んだ。
主人公容姿
バルトメロイ・ローレライ