理想郷でぬくぬく生活〜将来安泰の快適ライフ〜 作:新紀元史
ドームの天井が夜間モードの静謐な星空へと切り替わり、街全体の明かりがゆっくりとトーンを落としていく。
明日はいよいよ、街中が最も華やぐ「聖域の恩寵祭」の当日だ。エミリは明日の特設ステージや限定スイーツのことで頭がいっぱいで、今夜はきっと興奮して眠れずにいることだろう。
だが、自室のベッドの上で、アルトは全く異なる静寂の中にいた。
部屋の明かりを完全に落とし、手元を照らす小さな光だけを頼りに、自らが書き溜めてきた「備忘録」を開く。
これまでに入手した真実の断片をもう一度見つめ直した。
1 霊鉄による監視網
具体的なシステムによる管理の話になるが、私たちの身体にはどこにもチップやインプラントなんて埋め込まれていない。
手術痕もないし、外見はごく普通の生身の人間だ。
では、どうやってこの街のシステムは私たちを管理しているのか。
答えは、私たちが毎日当たり前のように使っているデバイスやインフラのなかにあった。
通学に使うパス端末、自室のコントロールパネル、街頭のホログラム投影機、果てはスクールで配られる学習タブレットまで。
そのすべてに、微量の「霊鉄」が含まれている。霊鉄は、エネルギーや生体磁場を吸い寄せ、導通させる特異な金属らしい。
街のあちこちに張り巡らされたその霊鉄の網目が、私たちの脳波や心拍数、特定の感情の振れ幅といった様々な生体データを知らず知らずのうちに拾い集めている。
私たちが肉体に何も身につけていなくても、生活インフラそのものが巨大なセンサーとして機能しているのだ。
2 システムによる評価
もっとも、システムが市民一人ひとりの思考を四六時中監視し、覗き見ているわけではない。
そんなことをすれば、膨大な処理容量を食いつぶしてしまうだろう。それに、人間がふと思う愚痴や雑念まですべて拾っていたら、システムはパンクしてしまう。
仕組みはこうだ。普段の他愛のない雑談や、ちょっとしたイライラ、テスト前の憂鬱といった日常の揺らぎは「誤差」としてスルーされる。
だが、「都市の仕組みに対する根本的な疑問」「支配からの脱却を願う叛意」といった特定の思考データが、規定値――許容されるボーダーラインを超えた瞬間、システムはその生体データの持
主を「警戒リスト」に引き上げる。
そして、警戒リストに入った人間がどうなるか。
思考の偏りが自発的に修正されないと判断された場合、あるいは危険度が一定水準を超えた場合、彼らは「洗礼」と称して大聖堂の奥深くへと連れていかれるらしい。
「洗礼」が何を示す言葉なのかは不明だが、わざわざ監視網を敷いてる程に重要なことなのだろう。
「疑問」と「叛意」
この理想郷と言える都市では、無縁の言葉だ。
大聖堂は何を警戒しているのか
3 監視網への対策
私は監視の網目をかいくぐるために、策を練った。
体内に何かを隠すわけにはいかない。
自分で外科的な手術が出来るわけでもないし、そもそもそんな設備を用意できるはずもない。
まずは、監視網を妨害するデバイスを作ることにした。
ゴミ捨て場や廃棄区画から、廃棄された古いジャンクパーツをこっそり拾い集め、監視網を欺き、一時的に周囲のシステムを妨害するためのデバイスを密かに組み上げたのだ。
正規の店で部品を買えば一発で足がつく恐れがあったので、多少のリスクを負ってでも、廃棄区画のガラクタを漁るしかなかった。
だが、幸いにも誰の目も届かないあの古い点検口の奥に秘密の隠れ家を作ることが出来たのは、不幸中の幸いだった。
もう1つは……。
いつの間にか、私は「表層の意識」と「本当の思考」を完全に切り離す、精神の二重構造化を独学で身につけた。
何故こんな人間離れした技が出来るのかは私にもわからないし、これに関係するような外的要因に心当たりはない。もしかすると防衛本能が働いた結果かもしれない。
身につけた経緯はともあれ、例えばどれほど頭の中でシステムを呪っていようとも、表面上の脳波や表情は、どこにでもいる「優秀で素直な学生」の波形を完璧にトレースし続けることが出来るようになった。
自作のモニターで生体データの数値を確認したので、恐らくはシステムの監視網にも有効だろう。
(まさか、父親の影響で始めた興味本位のジャンクパーツ漁りで見つけたデータが……こんなことになるとは……)
備忘録の文字を読み終え、枕元のライトを消すと部屋の中に再び完全な闇が戻った。