理想郷でぬくぬく生活〜将来安泰の快適ライフ〜 作:新紀元史
頭上の幾何学的な光のグリッドが、夜間モードへと切り替わる。
街中を包み込むホログラムの花びらはより一層華やかに舞い踊り、大聖堂のふもとに組まれた特設ステージからは、聖域の恩寵を讃える柔らかい賛美歌がどこまでも心地よく響き渡っていた。
恩寵祭を楽しんでいるアルト達。
夜になってもエミリの食欲は留まることを知らず、ひたすらに甘味巡りをしていたのだった。
(いつになったらこの暴走は止まるんだ!?)
内心そう思わずにはいられないアルトだったが、エミリの楽しげな様子を見ると何も言えなくなる。
「ねえアルト、見て見て! あの屋台の特製ハニーチュロス、すっごく並んでるけど絶対に美味しいやつだよ!」
エミリが目を輝かせながら、きらめく人混みのなかでアルトの袖をギュッと引っ張る。
その隣では、ルカスが両手にすでに別のスイーツの入った袋を抱えながら、
「おいおい、エミリ、さっきから食ってばっかじゃねえか。お前、さっきのタルトは何だったんだよ」
と呆れたような、しかし楽しげな笑みを浮かべていた。
「だって、恩寵祭は一年に一度しかないんだよ? 別にいいじゃん、お祭りだもん!」
「はいはい、分かりましたよ。ほら、はぐれるなよな」
賑やかな喧騒、甘い砂糖と香辛料の匂い、そして周囲の市民たちが浮かべる、曇りのない幸福な笑顔。
誰もが明日も同じ平和な日常が来ると信じ、この黄金の檻の中で心から祝祭を謳歌していた。
アルトはその温かな輪の中に立ち、いつもの柔らかな笑みを崩さず、二人と同じように街の賑わいを見つめていた。
だが、その胸の奥では、着実に脈打つ別の時間が存在している。
(……そろそろ頃合いか)
「……ごめん、二人とも」
ふと、アルトが少しだけ顔を曇らせ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ん? どうしたのアルト、気分でも悪い?」
エミリがパチパチとまばたきをし、心配そうに覗き込んでくる。
「うん、少し朝から頭が痛くてさ。人混みの熱気にあてられたみたいだ。
せっかくだけど、今年の恩寵祭はこれ以上付き合えそうにないや。先に家に帰って休むよ」
「えー、マジかよ。せっかくのお祭りなのに……。でも、顔色ちょっと悪いか? 無理して倒れた
ら元も子もないしな」
ルカスが心配そうにアルトの肩を叩く。エミリも
「そっかぁ、残念だなあ……。じゃあ、無理しないで早く休んでね! 明日、お見舞いのスイーツ持って行ってあげるから!」
と明るく微笑んだ。
「ありがとう、ルカス、エミリ。二人とも、お祭りを最後まで楽しんできてよ」
「うん! また明日ね!」
二人の楽しげな背中が、色鮮やかな光のなかに溶けていくのを見送り、アルトは波打つ群衆からそっと身を翻した。
彼が歩き出したのは、華やかなメインストリートとは真逆の、かつての古い区画へと続く寂れた路地裏だった。
人の気配が急速に薄れていく。
大聖堂の鐘の音や賛美歌の響きは、幾重もの巨大なコンクリートの壁に遮られ、まるで遠い異世界の出来事のようにくぐもっていく。頭上のグリッドもこの一帯ではメンテナンスが行き届いていないのか、わずかに明滅を繰り返していた。
アルトは足早に歩を進め、崩れかけた古い配管棟の裏手へと回り込んだ。
そこにあるのは、一般市民の視線からは完全に死角となった、打ち捨てられた資材搬入用の点検口だった。
「……よし」
周囲に監視ドローンや巡回警備の影がないことを確認し、アルトはポケットから小さな自製デバイスを取り出した。
それは、街のあちこちから拾い集めたジャンクパーツを組み合わせ、独自のプロトコルで書き換えた特製の解錠キーだ。
街のシステムはこの一帯を「古いインフラの廃墟、立ち入り非推奨エリア」として放置しており、厳重なセキュリティゲートすらない。だが、だからこそ、古い配線や物理的な隙間には、かつての設計がそのまま残されていた。
カチリ、と小さな電子音がして、錆びついた点検口のロックが外れる。
重い鉄扉を押し開けると、冷え切った地下の匂いが鼻腔をくすぐった。
中は完全な暗闇だったが、アルトは慣れた手つきでポケットの小型懐中電灯のスイッチを入れた。
照らし出されたのは、蜘蛛の巣が張り巡らされたコンクリートの通路と、無数の古いケーブルが蛇のように這う廃棄区画の内部だった。ここは、管理都市アウレア・クナブラの防壁が建設された頃の旧世代のインフラの名残が眠る場所。
そして、アルトが時間をかけて密かに開拓した、誰にも干渉されない自分だけの隠れ家兼、秘密の工房だった。
足音を殺して薄暗い通路を奥へ進む。
水滴がコンクリートの床に落ちる乾いた音が、静けさを際立たせていた。
「リスクを負った甲斐があったかどうか……」
奥まった一角にある小さな作業スペースにたどり着くと、アルトは持ってきたバッグから、先ほど別の区画で回収してきたばかりのガラクタの山をゴトリと床に下ろした。
そこは、普段であれば立ち入ることは難しい場所であったが、恩寵祭のおかげで外に目が向いており、なんとか潜り込めたのだった。
古びた半導体基盤、剥き出しの銅線、そして何世代前か分からない古い情報記録媒体。
―本命は情報記録媒体だ。
この隠れ家を手に入れたのは単なる偶然だが、アルトに大きな恩恵を与えていた。
街のあちこちにあるデバイスは常にシステムの監視網に繋がっており、少しでも不審なデータ検索を行えば、一瞬で「警戒リスト」に引き上げられてしまう。
しかし、この隔離された廃棄区画の中に、完全にネットワークから切り離された(スタンドアロンの)環境を作り出せば、システムに検知されることなく、都市の古いデータベースや破棄された記録を解析することができる。
冷え切った空気の中で、アルトは手際よくガラクタを配線につなぎ合わせていく。
古びたモニターに独自の解析プログラムを走らせた。
チカチカと画面が明滅し、ノイズ交じりの文字やデータが暗い空間に青白い光を投げかける。
「……さて、何が出るか」
呟きながら、アルトは今日一番の収穫である、ひときわ古びた黒い記録媒体を専用のスロットに挿入した。
それは、通常のデータベースのアクセス権限では絶対にたどり着けない、最下層の古いデータが収められたものだった。
画面に文字が流れていく。
最初に出てきたのは、見慣れた都市の建築図面や、気候制御システムの初期パラメータだった。ここまでは想定内だ。
だが、スクロールがさらに深く、誰も触れない「根本的なシステム構造の根幹」へと達したとき、画面の表示が突如として赤く反転した。
【警告: 非公開アーカイブ】
『第1世代・英雄生体フィルターの減耗に伴う、一般市民を対象とした“擬似不老不死モデル”へのシステム転用に関する報告書』
「……これは?」
アルトの指先が、わずかにピクリと動いた。
画面に次々と描き出されていくのは、美しく整えられた現在の管理都市の裏側に隠された、おぞましいまでの歴史の真実。
モニターの光に照り出されたアルトの顔から、血の気がみるみる引いていく。
呼吸が浅くなり、心臓の音だけがやけに大きく耳の奥で響いた。
画面に記されていたのは、都市のエネルギー供給を支える「発電プラント」の正体と、それを維持するためのシステム構造の全貌だった。
そもそも「発電プラント」というのが正確な表現でなく、都市直下にある龍脈というエネルギーラインから、エネルギーを吸い上げる施設だったこと。
かつての大破局によって、地下の龍脈は「厄災の霧」と呼ばれる猛毒の霧に侵され純粋なエネルギーから有毒のエネルギーへと変質したこと。
防壁建造時、強靭な精神力を持つ「英雄」たちが自らの肉体と霊鉄を媒介にし、その毒の奔流を一身に引き受けてエネルギーを大聖堂のコントロール下へと繋ぎ止めていたこと。
しかし、その生体フィルターとしての寿命はおよそ百年ほどで限界を迎え、使い物にならなくなった英雄たちは次々と消えていったこと。
強靭な精神力の英雄でさえ、耐えきることは出来なかった。
そして―ここからが、最も決定的な事実だった。
『英雄の枯渇に伴い、システムは維持限界を迎える。これに対する代替処置として、都市の一般市民を「生体フィルター(人柱)」として順次システムに組み込む運用への移行を承認』
『選出基準:都市システムに対して強い疑問や叛意を抱く、あるいはシステム適性の境界にある不確定要素を優先排除』
『補充分は、定期的な「適性審判」のタイミングにおいて、肉体の成長を待った上で大聖堂・中枢プラントへ配属、機能が低下したフィルターと順次交換とする』
『記憶の調整:対象者の肉体が適齢期に達するまでの間、日常生活に支障のない範囲でメモリ書き換え(記憶障害の偽装)を実施し、恐怖心や離反の芽を事前に摘み取るものとする』
「……は?」
「これが……大聖堂の隠したかった……もの」
アルトの喉から、掠れた声がもれた。
脳裏に、強烈なフラッシュバックが走る。
いつも明るく笑いながら、
「私、昔から忘れっぽくてさあ」
と言っていたエミリの笑顔。
(エミリのあの物忘れは、自然なものではなかった?)
(結びつけるのは早計か?だが、これが本当なら……)
彼女が抱く小さな好奇心はシステムに危険視されるほどではないが、将来的に「叛意」の芽となる可能性を持つ不確定要素としてマークされ、定期的に記憶を削ぎ落とされながら――「人柱としての肉体の成長」をただ待たされていただけだったのだ。
人間を、肉のフィルターにする。
浄化しきれない毒をその身に浴びせ続け、キャパシティが限界に達したら使い捨てる。
私たちが毎日享受している室温二十二度の快適な生活も、甘いフルーツタルトも、笑顔で交わす他愛のない雑談も、すべては地下の暗闇で名もなき市民たちが生きながらシステムに溶かされていく犠牲の上に成り立っていた。
「嘘だろ……」
冷たい汗が、こめかみを伝って顎からポトリと床に落ちた。
全身の毛穴という毛穴が逆立つような、底知れない恐怖と、それを遥かに凌駕する圧倒的な冷たさがアルトの理性を染め上げていく。
賑やかな恩寵祭の音楽なんて、ここには届かない。
聞こえるのは、何百年もの間、地下の最深部で絶望のなかを這い回りながら街の明かりを灯し続けている、無数の犠牲者たちの乾いたうめき声だけだった。
アルトは震える手でキーボードから手を離し、暗い作業スペースの中でガタガタと揺れる自分の両手を見つめた。
完璧な模範生を演じ、システムを欺くために二重に張り巡らせていた精神の防壁が、いま音を立てて砕け散ろうとしている。
だが、恐怖に呑まれるその刹那、アルトの瞳の奥で、氷のように冷徹な光が鋭く灯った。
エミリが連れて行かれる。
あの無邪気な笑顔の少女が、あんな地獄の底で、生きたフィルターとしてすり潰されていく。
(……ふざけるなよ)
音のない暗闇の中で、アルトは唇を噛み締め、誰にも聞こえない声で低く呟いた。