何度も何度も繰り返し見る悪夢。
とはいえ、学園に入ってからはみることはなかったのに。昨日、久しぶりにお姉さまにあったせいかしら。
過去の記憶。
ベットで寝ている幼い私を、まだ制服をきたお姉さまが看病している。
「苦しくない?」
あの時のことは今でも覚えている。
この時、お姉さまは友人と遊園地に行く予定だった。でも、私が前日から風邪をひいたせいでお姉さまは行くのをやめた。家に一人でいるのは可哀そうだって。両親は二人とも仕事で、妹たちはうつさないように祖母の家に預かってもらっていたから。病気で弱っているときにひとりでいるのは心細いだろうって。
両親は家にお手伝いさんもいるから、お姉さまは心配しなくていいと言った。
でも、お姉さまは、
「私が側にいてやりたいんです。」
と笑って家に残った。
目が覚めて、ぬるくなった冷えピタを弄んでいるとお姉さまが子ども部屋にはいってきた。
「ヴィルシーナ。そろそろお昼だけどお腹はすいた?」
マスクの上からでも、その優しい顔はよくわかる。
本当にお姉さまは私の世話をやくのが苦とは思っていないのだ。
大事に大事にされている。
嬉しいことだ。
でも、息苦しかった。
贅沢なことを思っている自覚はある。恵まれている自覚はある。でも、正直に言えば重かった。
「遊園地に行かなくてよかったんですか?」
「いいんだよ、いつでも行けるからね。」
「でも、お友達とずっと前から約束していたんでしょう?」
「気にしなくていいんだよ。さあ、何か食べたいものはあるかい?アイスもあるよ。」
そう言いながら、新しい冷えピタと交換してくれた。私はそれを手でとめた。
「お姉さまはいつも私のことを優先して。もう小さい子どもじゃないんです。」
「うん。わかっているよ。」
「今日だって残らなくてよかったんですよ。」
「病人はまわりに気づかいしなくていいの。」
お姉さまは依然として落ちついている。
ヴィルシーナは歯噛みした。
「その余裕ぶった態度が子ども扱いだって言っているんです!」
激情に任せて振り上げた手がベットに叩きつけられた。パンッと思いのほか大きな音が鳴って、耳がぶるりと揺れた。しかし、目の前の姉は全く動揺する素振りをみせない。
「怪我はない?」
それどころか手を痛めてないか心配までしてくる。ヴィルシーナは限界だった。この姉は妹の癇癪じみた言動をさらりと受けとめる。だから、それ以上言えなくなる。普段であれば会話はここで終わりだった。しかし、その日のヴィルシーナはここで負けられなかった。
「お姉さま。」
違うのに。
本当はこんなこと言いたくなかったのに。
「私はお姉さまが大嫌いです。」
なんで私だけが泣いているの?
その後のことはよく覚えていない。
仕事から帰ってきた母が薬を飲ませてくれたような気がする。
熱がとれて、帰ってきたシュヴァルやヴィブロスが部屋に来るようになっても、お姉さまが部屋に入ることはなかった。相変わらず気にかけてくれているようだけど、私達の間には一定の距離ができた。シュヴァルやヴィブロスには申し訳ないことをしたと思う。あの子達にも、お姉さまは以前ほど構わなくなった。
私が「大嫌い」と言ったせい。
自業自得、身から出た錆。
でも、淋しかった。
愛されて嬉しい。
でも、息苦しい。
献身が辛い。
でも、離れてほしくない。
お姉さま。あなたは私をいいこだと褒めますけど本当はとってもわがままなの。あなたの献身を拒みながら愛を求めているの。抱えきれなくて倒れても、いざ取りあげられると寂しいの。
私の心は矛盾している。
今でも時々考える。
癇癪をおこした私がお姉さまを追い出した時。あの時、
「そう。」
お姉さまはそう言って部屋の外に行った。
このとき、私は自分のことでいっぱいいっぱいでお姉さまがどんな顔をしていたのか知らない。見ていたらどうだっただろうか。引き留めていれば何か変わっていただろうか。
駅前の喫茶店。外では傘をさした人が足早に通りすぎていく。政子とジェンティルドンナはいつものように向かい合って談笑していた。
「ねえ、ジェンティルちゃん。ヴィルシーナが次に出そうなレースって知ってる?」
「そうですね。」
ジェンティルドンナは優雅にお茶を飲みながら、考えた。ライバルの得意な距離と前走の様子。それから導き出されるのは、
「ヴィクトリアマイルでしょう。」
それを聞いた相手は嬉しそうに
「そうだよね。」
と微笑んだ。
「あら。分かってらしたの?」
「いいや。でも、そうだったらいいなって。」
目の前の女性はどこか遠くに想いをはせているようだった。おおかた去年の事でも思い出しているのだろう。それに少しモヤモヤしたものを感じた私は、つい彼女の手を握ってしまった。身長の低い彼女は手も小さい。容易く折ることもできるだろう。
「私の予定は聞かないのね。」
図体は大きいのに口からでるのは子どもみたいな文句。でも、小さな彼女は微笑みを浮かべて訊ねる。
「私が聞いてもいいの?一応、あなたのライバルの姉なのだけど。」
「ええ。別に貴女が彼女に伝えても構いません。ただ強者の矜持を守るのみですわ。」
また可愛くないことを云ってしまった。
「応援に行くね。」
「遠いですわよ。」
「じゃあ、テレビ越しに応援するよ。」
世間の人は私のことを蹂躙者として扱う。
口さがないものたちは怪物だとか失礼にもゴリラとか。
強さを讃えられることは誇らしい。でも、仮にも乙女に向かってその表現はどうなのだろうと思う時もある。
政子さんは私にそのような言葉をつかうことはない。
いつも年下の女の子として扱ってくれる。
それが嬉しくもあり、歯がゆくもある。彼女が妹たちに捧げる愛は海よりも深いものだから。熱量は違えど同じものを向けてくれていると気づいたときは嬉しかった。でも、欲しいものは段々難しいものになっていくように、今度は特別が欲しくなった。
特別。
家族、友人、協力者、どれにも当てはまらない関係。
「そろそろ行こうか。雨も強くなってきた。」
欲望に渦巻く思考は渦中の人の声で遮られた。
ベルベットのような柔らかい大人の声。雑踏の中でも拾う自信がある。
「そうね。名残惜しいけど。」
本当に名残惜しい。
でも、貴婦人はそんなことを面にだしてはいけない。私は彼女の妹ではないのだもの。もしも、隣にいたいと思うならそれは、
「じゃあ、来月のレースが終わったらお祝いでまたこよう。」
驚いて顔をあげると彼女はいたずらっ子みたいな小憎らしい笑みを浮かべていた。
「、、、知っていらしたんですね。」
「雑誌に書いてあったからね。」
そう言うと彼女は伝票をもって出口のほうへ行ってしまった。
政子さんはいつもなんだかんだと理由をつけてお金を払わせてくれない。
一度、強行突破したときはその後の連絡がぱたりと止んでしまった。向こうから連絡してくれたのがこちらからのものだけになってしまうと淋しかった。だから、以後私は逆らわない。
「どうしたら貴女は私を対等にみてくれるかしら。」
彼女からしたら妹の知り合いというだけなのかもしれない。でも、私はただの女の子ではなく立派な貴婦人レディ。欲しいものは自分の力でつかみ取る。そのための努力も手間も惜しまない。
既に布石は打ってある。
子猫だと思っていたら豹だった。それに気づいた彼女はどんな顔をするだろう。
きっといい顔をするのだろう。