上機嫌で帰ってきたジェンティルドンナはいつもの如くライバルに迎えられた。
校門の側でヴィルシーナがこちらを睨んでいる。ジャージ姿のところをみるとトレーニングが終わったところなのでしょう。
雨の中でも変わらないのね、とジェンティルドンナは少し呆れた。
「お土産のケーキです。」
「ありがとう。貴女、またお姉さまと出かけていたの?」
白い箱を受け取って緩んだ顔は、すぐに怒った顔になった。最愛の姉が自分たちではなくライバルと出掛けていたことが面白くないのだろう。直接云えば、あの人は飛びあがって喜ぶというのに。何を意地になっているのか。
「そういえば、貴女の次走を知っているかと聞かれましたわ。」
「なんて答えたのかしら?」
「ヴィクトリアマイル。」
「よくご存じね。」
「予想よ。あの人もそう考えていたみたいだったわ。」
そう、と言うとヴィルシーナはサッサと寮にはいろうとした。
「あの人に連絡しないの?」
「姉の邪魔をしたくないので。」
「あら、そんなことはないんじゃないかしら?よくお出かけをしますのよ。」
挑発的に笑ってみせる。
「そうですか。」
しかし、ヴィルシーナは挑発にのらず、さらりと受け流した。
ジェンティルドンナはムッとした。
今なら鉄球を二個同時に圧縮できそう。
「放っておいてください。」
ヴィルシーナは構わず、寮へ歩き始めた。
「ちょっと待ちなさい!」
ジェンティルドンナが腕を掴むと、
「だから放っておいてください!」
勢いよく振り払われた。
唖然とすると、
「すみませんでした。でも、本当に放っておいてほしいんです。これは姉妹の問題ですから。」
「なら、その姉妹の問題に巻きこまないでほしいですわ。毎度、毎度あなたの姉から呼び出される私の身も考えていただきたいです。」
ジェンティルドンナの言葉にヴィルシーナの耳がピクリと動いた。
「そんなに姉さまが私たちの事を?」
「ええ、そうですわ。席につくなりすぐさま学園でのあなたたちの様子を聞いてくるの。私を密偵扱いするなんてあの人ぐらいじゃないかしら。」
ヴィルシーナが動揺している。
それに気づいた貴婦人はあからさまにため息をついてみせ、さらにつづけた。
「お茶を飲んでいても、この味はシュヴァルが好きそうとかヴィブロスは元気かとかヴィルシーナは無理していないか、口を開けばあなた達のことばかりで。少し妬けてしまうわ。」
「、、、変わらないですね。昔からお姉さまは私たちの事を優先して。」
ヴィルシーナは苦笑した様子だった。その口ぶりは残念そうなものだった。
「嬉しくなさそうね。」
「嬉しいですよ。」
「そうは見えないから聞いているのだけど。」
ヴィルシーナはため息をついた。
「どう言えばよいのかしらね。」
本当は彼女も自分の子供じみた気持ちを持て余していた。でも、長年の姉への不満はもはや意地となって、よそよそしい態度をそう簡単には崩せない。
「お聞きしましょうか?話せば整理できるかもしれませんよ。」
「いえ、それには及びません。」
「もう。何をそう意固地になっていますの?言っておくけど、私がここまでするのは珍しいことなのよ。」
ヴィルシーナは目線を落とした。
このライバルは他所の家に口を出すほど世話焼きな人ではない。なのに、こうまで言うのは他人と言うには知りすぎてしまったからだろう。姉はどこまで話したのか。あの人は優しい人だ。恐らく、ヴィルシーナが悪くないように話していることだろう。
それはいけない。
この際、全てのことを目の前の巻きこまれてしまった公平な貴婦人に話してしまおうか、とヴィルシーナは思った。
「怖いんです。あの人にいつか見放されて、取り返しのつかないほどまで距離が遠くなるのが。」
私が三度もティアラを逃したとき。
あの人もみていたらしい。
だけど、私に会わずに帰った。
私は悲しかった。
なぐさめてほしいわけじゃない。ただ、そばにいてほしかった。突き放されたような気がして、二度目までは1人で立ち上がれた。あなたに頼ってばかりの自分ではないのだと、歯を食いしばって前に進んだ。
三度目は、あの人を探してしまった。
私のそばにいてと願った。
でも、いなかった。
ヴィクトリアマイル。
あの人が来ていたかは知らない。
でも、見届けてほしかった。
私が一番になるところを。
一番見せたかったのはあの人だった。
「あの人の前でいいところを見せたことなんて一度もない。いつも醜態を晒してばかりで。どうしてあの人が認めてくれるというの。」
守られるだけの存在になりたくない。
大好きな姉の重荷になりたくない。
それがヴィルシーナの願いだった。
雨の中の慟哭。
それを聴く人は貴婦人だけで。不器用な姉妹のすれ違いにどうしてここまでこじれるのだろうと思った。でも、大袈裟だとは思わなかった。だってジェンティルドンナもあの人に見てほしいと思ったことがあるから。
ジェンティルドンナが三つのティアラを戴いたとき。
あの人はターフをみていた。
観客の最後方から。
黙って。
ヴィルシーナだけをみていた。
遠くから泣きそうな顔でみていた。
私は興味を持った。
一度も目は合わなかった。
栄光の日の些細な影。喜びに満ちた空間に混じった小さな悲しみ。三度目までは見逃した。四度目はあの人を捕まえた。私を見てほしいと思った。
シニア期の私の出るレースにあの人がいたかはわからない。
たぶん、毎回はいなかっただろう。
いくら会っても、話しても、あの人の一番になれないことはわかっていた。ジェンティルドンナと話しているとき、あの人は目に私だけを映してくれる。でも、一瞬だけ別の誰かをみるときがある。そのたびに私は家族である彼女らが羨ましくなる。
「聞くに堪えませんわ。」
だからこそ伝えなければならない。
「あの人が貴女の努力を認めないはずはないでしょう。」
あの人の愛がどれだけ深いのかを。
そして、その愛が誰に捧げられているかを。
「ジェンティルドンナ。貴女に何がわかるのかしら?」
ヴィルシーナは怒りをこめてで睨みつけた。
「ヴィクトリアマイル。あの人はいましたわ。」
ヴィルシーナの目が丸くなった。
「あなたがゴールした途端に気をうしなって救護室に運び込まれたの。」
その日のことを覚えている。
政子さんと初めて会った日のこと。
ジェンティルドンナはライバルのレースを観に府中に行っていた。そして観客席でその姉を見つけたのだ。話したことはないし、紹介されたこともない。でも、顔だけは知っていた。ジェンティルドンナが勝ったレースで悲しそうな顔をするから記憶に強く残っていたのだ。
けど最初は声をかけようなんて思わなかった。
今日の主役は自分ではないから。
でも、政子さんはヴィルシーナがゴールした途端、ぷっつりと糸が切れたように倒れてしまった。見たところ一人で来ていたようだから、気を失った彼女を放っておくことはできずに知り合いのよしみで救護室に連れて行った。
目を覚ました彼女は、
「よかった。」
と安堵して、間をおいて側にいたジェンティルドンナに気づいて驚いていた。
「ジェンティルドンナさん?どうしてここに?それに私は。」
混乱する彼女に私は事情を説明した。
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」
「いえ、知り合いのご家族ですもの。当然のことですわ。」
政子さんは少しバツの悪そうな顔をしていた。
「私が観に来ていたことはあの子には伝えないでください。」
「どうして。」
「あの子は私が観ているのをよく思わないでしょう。苦手に思われていますから。」
その言葉に私は驚いた。
学園でみかけるヴィルシーナは妹たちに甘々で、よく世話をやいているからだ。それが姉にたいしては冷たいとは予想外だった。
「昔、構いすぎて過干渉になってしまったんです。それがあの子には重荷だったみたいで。」
「まあ。」
本当のところはもっと根深いものがあるのだろう。そう思ったが、他所の家のことに口出しするのははしたない。だから、ジェンティルドンナは今日までこのことを黙っていたのだ。
「姉さま。」
ジェンティルドンナから全てを聞いたヴィルシーナの顔は真っ青だった。姉は遠くから変わらない愛をなげつづけてくれた。だというのに自分はそれに気づかず愚かにも姉の愛を疑っていた。
「あの人は悪い人ですね。妹が大事だといいながら泣かせてしまうなんて。」
ほら、と差し出されたハンカチにヴィルシーナは涙を流しているのを知った。赤いシルクのハンカチ。私達、4姉妹の誰も使わないようなデザイン。山頂からその山の大きさがわからないように、結局のところ人間関係のこじれというものも当人同士にはわからないのかもしれないと思った。
「いえ、いい姉ですよ。」
「そう、なら本人に直接言ってあげなさいな。恐らく校門にいますわ。ヴィブロスさんと約束をしているとか。」
ヴィルシーナは最後まで聞かずに雨の中、走り出した。
貴婦人はそれを見届けるとヴィブロスに連絡をした。
「向かったわ。」
あとは二人だけの問題。
岡目八目と言えど、結果がどうなるのかは動く者にゆだねられているのだから。
校門まで走ってゆくと道の端に姉の姿をみつけた。
ヴィブロスとはわかれたらしく、1人で歩いていた。ヴィルシーナをみて驚いた顔をしている。
足が止まった。
言葉もでてこない。
いざ、この人の前にたつと怖気づいてしまう。
「濡れるよ。」
そう言って姉は傘にいれてくれた。
久しぶりに姉の顔を近くでみた気がした。記憶よりも大人っぽくて化粧の匂いがする。でも、嫌ではない。心が落ち着く薫りだ。
「お姉さま。実は私、お願いがあります。」
「なんだろう?」
「次のレースを観に来てほしいのです。」
姉はしばらく黙っていた。
そして、目を伏せるとこう訊ねた。
「行ってもいいの?」
悪いことでもするかのような口振りだった。
「観に来てほしいとお願いしているんです。それともお嫌ですか?」
「そんなことはない。行くよ。」
ヴィルシーナは姉の手をとった。
「そして、レースのあとに控え室で待っててくれませんか?伝えたいことがあるんです。」
「レースのあとじゃないと言えないことなんだね。」
「はい。」
世界に2人だけになった気がした。
傘にあたる雨粒が小さくなったとき、姉は「待つよ。」と言った。
「ありがとうございます。」
ヴィルシーナは頭を下げた。
「、、、風邪をひかないようにね。」
そう言って姉は帰った。傘をヴィルシーナに持たせて濡れながら帰った。
ヴィルシーナは傘を突き返さずに素直に受け取った。次に会うのはレース場。その時までの御守り代わりにしようと思った。
待ってと言った。
優しい姉は待つといった。
ここまでお膳立てされて、情けない姿を見せられない。ずっと追いかけて来たのはライバルの背中だけでない。ヴィルシーナが一番最初に憧れた背中は、
「あなたなんですよ。お姉さま。」
駅までの道を駆け足で行きながら考える。
期待しても良いのだろうか。
間に合うだろうか。
まだ私は、君の姉を名乗ってもいいだろうか。
許されるならば姉として君の前に立ちたいんだよ、ヴィルシーナ。