今日も尿には、血が混じっていた。
木の幹を濡らす赤色を見て、桃太郎は重たい息を吐く。
『私が皆を困らせる鬼を、退治してみせます』
そう言って十五歳で育ての親の元を離れ、はや一年。
『私が皆を困らせる鬼を、退治してみせる』
そう言って村々を渡り歩き、とうとう鬼ヶ島の目前まで辿り着いた。
あとは、あの静かな海を渡って攻め入るだけだ。
しかし。
「……やはり重いな」
桃太郎の口から、自嘲の笑いがこぼれる。
陣羽織に書かれた、「日本一」の三文字。
それが、ひたすらに重い。
たった三文字の重みは、この旅の中で増し続けた。
今や、自分を押し潰そうとしているかのようだ。
しかしこの重さこそが、自分の足をここまで進めてくれた。
泣いて制止する親の前で、「鬼を退治する」と吼えた。
哀しみにくれる村人達の前で、「日本一だ」と吼え続けた。
そうして自身を奮い立たせ、ここまでやってきた。
あとは海一つと、鬼ヶ島一つである。
「殿」
聞き慣れた声に振り返ると、家来の犬が跪いていた。
「万事、整いました」
来た。
この時が。
来てしまった。
「良し」
何が、良しなものか。
そう思いながらも桃太郎は、いつものように溌剌と笑んだ。
震える手を、握り拳に固めながら。
………
……
…
さざ波が濡らす、白い浜辺。
そこに桃太郎と、三匹の家来達が集う。
「出来たか、猿よ」
「はい、殿。ようやく完成しましたぞ。我ながら中々の出来栄えです」
「へえ、こんなに小さいのに? とても『日本一』の武士さまが乗る船じゃないわ」
「黙れ、雉め。儂らが素早く攻め入るには、この大きさが最適なのじゃ」
「あらそうなの。ごめんなさい」
猿のしわがれ声に怒鳴られた雉が、悪びれることなくその頭上を旋回する。
桃太郎は軽く力を入れ、船の具合を確かめた。
小ぶりながら、よく頑丈に出来ている。
流石に、齢を重ねた猿らしい造りだ。
「雉、物見の報告をせよ」
「鬼は東の浜辺に十。山城の門番が五。ぐるりと見て回ったけれど、岩壁だらけ。浜辺以外に殿が上陸出来そうな場所は無いわ」
「細かく話せ」
桃太郎は拾った木の枝を使い、雉の言う通りに砂地へ鬼ヶ島の絵図を描いた。
岩壁、浜辺、森、そして坂道の上に城。
「城の中は見られたか?」
「館前の広場に、鬼がだいたい三十。でも浜辺には大きな船が十艘あったから、多分市場で聞いた通りね。鬼は総勢で百ほどじゃないかしら」
「やはり百か……」
桃太郎の隣で犬が呻き、尻尾を垂れる。
人間の百ではない。
身の丈十尺の、鬼の百だ。
鬼達は船で矢のように海を駆け、上陸すれば火のように村々を襲う。
二千の軍勢が、野戦で粉砕されたとまで聞いた。
もはや、この国の誰もが諦めている。
今はまだ、鬼ヶ島を本拠としているからよい。
しかし、奴らがいつまでそうしているかは分からない。
もしもこの先──
「畏れながら、殿。儂に策がございます」
桃太郎は拝礼する猿に視線をやり、無言で続きを促した。
「二手に分かれ、夜襲を致しましょう。まず西の岩壁に船をつけ、儂と雉が城の裏手より潜り込みます。混乱に乗じて殿と犬が、浜辺の船を……」
「おい待て、猿。殿に卑怯を為せというのか?」
「聞き捨てならんな、犬よ。卑怯ではない。これは戦術じゃ」
「殿は『日本一』の武士だぞ! ならば『日本一』の戦をすべきだろう!」
「学の無い鼻たれ犬が! 虚勢を張って吠えるでないわ!」
「何を! 死にかけの白髪猿が!」
犬と猿の、いつもの言い争いが始まった。
「やめろ、お前達。敵地の前だぞ」
「殿、百の鬼を相手に無策で挑むのはただの蛮勇です! 鬼には無い我らの強みは、搦め手! 『猿蟹合戦』という古書に照らしますれば……」
「いいえ、殿! 真っ向から攻め入り、果敢に鬼を破るべきです! それが武士の道!」
「……雉、お前の意見は?」
雉が桃太郎の肩に止まり、形の良い嘴で囁く。
「何でもいいわ。最高に格好良い殿が見られれば。そのために私はついてきたんですもの」
桃太郎は、声をあげて笑った。
愉快なわけでもないのに、腹の中を全て搾り出すように笑った。
犬と猿が呆気にとられ、雉が目を細める。
「猿、旗を掲げよ。おじい様が書いてくださった、『日本一』の旗を」
馴染みの旗が、潮風にはためく。
太陽に照らされた白地の旗が、桃太郎にはどこか眩しく感じられた。
「日本一」。
「日本一」とは、何だろう。
桃より生まれてから旅立つまでの十五年間、故郷の村と山しか知らなかった。
「日本」とは、この国を五十以上束ねたような、大きな集まりのことだ。
幼い頃にはもう、親から聞かされていた。
世の中とは自分の見聞きするものより遥かに大きいのだと、知っていた。
なのに桃太郎という男は旅の最初から、「日本一」を名乗り続けてきた。
何の証も無い。
村で相撲を取れば、敵はいなかった。
斧を振るえば巨木が倒れ、声を張れば山が震えた。
だがそれは、「日本一」だという証にはならない。
なのに旅で見聞を広めても、未だに「日本一」を名乗っている。
背負っている。
本当に自分は「日本一」なのか。
百の鬼に、通用するのか。
そもそも鬼を退治するのは、自分でなければならないのか。
いつか誰かが──本物の「日本一」が、鬼退治を成し遂げるのではないのか。
「……いや、違うな」
漏れた呟き。
何が違うのか。
何故違うのか。
自分が、人の胎ではなく桃から生まれた、特別な命だからか。
正義感と使命感を燃やし、ここまでひた歩んできたからか。
これが、定めだからか。
「違う」
「……殿?」
犬が首をひねり、小さく舌を出す。
陽に炙られた砂浜が、熱い。
着込んだ陣羽織が、熱い。
勝手に手が握りしめた、刀の柄が熱い。
「聞け、者どもよ」
抜いた白刃が、輝く。
「この桃太郎。齢十五まで山で柴を刈り、川で洗濯をし、村で相撲を取って育った。旅の中では人を助け、賊を払ってきた。孝も徳も武も、積むべきは積んできたつもりだ」
三匹の目が、真っ直ぐに見つめてくる。
自分が旅路の中で得た、家来達だ。
この何ら証の無い「日本一」に、それでも従ってくれている者達だ。
「だが積むべきを積むなど、生き物であれば誰でもしていること。それは培ったものかもしれないし、拾ったものかもしれない。あるいは、奪ったものかもしれない」
何故、奪う。
かつて一人の老いた賊を捕らえ、聞いたことがあった。
『馬鹿か、てめえは。欲しいからだよ。生きてえからだよ』
賊は首を刎ねた後も、嗤っていた。
これで満足かと、お前だって俺から奪ったと、嗤っていた。
必死に生きた果てがこれなのだと、叫んでいた。
分かっている。
鬼を退治すれば、この世が全て善く治まるわけではない。
戦も賊も悪も、無くなりはしない。
それでも。
『日本一? なんだ、日本って。この団子みたいに美味いのか?』
『日本一? 小僧、その言葉の意味を分かっておるのか?』
『日本一? うふふ、人間の癖に面白いこと言うわね』
それでも、「日本一」だ。
何も知らずに名乗り、背負ったこの三文字こそが、それでも自分だ。
確証は無い。しかし確信があった。
この「日本一」が桃太郎の、生きる意味なのだ。
だからこそ、それに相応しい行いを為さなければならない。
いや、為したい。
「私は『日本一』。今後も積むべきを、どこまでも高く積み上げる。鬼退治など、その一つでしかない。たった一つを積むのに、手間暇をかけていられるか」
「しかし殿、あやつらは……!」
「ああ、一人では中々に重たいだろうな。しかし私には、お前達がいる」
刀の切っ先が、鬼ヶ島を差した。
「私は『日本一』の戦をしてみせる。だからお前達も、『日本一』の家来に相応しい働きをせよ」
主の宣言に三匹が厳かに拝礼し、そして。
「つまり、結局突撃するのね?」
雉が嬉しそうに鳴いた。
………
……
…
犬と猿の漕ぐ小船が、穏やかな海を滑る。
霞んでいた鬼ヶ島が、あっという間に近づいてきた。
もう桃太郎の目にも、敵地の様子が見てとれる距離だ。
雉の報告通り、東の浜辺には赤肌の鬼が十人。
ある者は座り込み、ある者は寝転がり、ある者は踊っている。
いずれも半裸。
武器の金棒は、まとめて砂浜に突き刺さっていた。
「奴らめ、昼間から酒盛りか」
「あの酒もどうせ、村から奪ってきたものであろう。醜悪なことじゃ」
犬と猿が櫂を使いながら、憎らしげに吐き捨てる。
雉は特に興味も無さそうに、嘴で羽をつくろっている。
桃太郎は舳先で腕を組み、鬼達の様子をじっと見据えた。
気づかれている。
しかし注意を向けているのは十人の内、一人だけだ。
その一人はこちらを見据え、足元にあった大きめの石を拾い、振りかぶった。
「殿!」
「狼狽えるな。当たらない」
小船の横、三尺ほど離れた海面に着弾。
大きな水柱が上がり、波で船が揺れた。
猿がぶはっと息を吐く。
「下手くそね。それとも当てる気が無かっただけ?」
「近づいていけば分かる。……犬、猿。恐れずに漕げ」
二発目、三発目、四発目。
全て外れ。
船が浜辺に迫ったことで、石を投げてくる鬼が一人増えた。
それでも、当たらない。
狙いを外す度に、他の者達が手を叩いて笑っている。
まるで的当て遊びだ。
十五の石を数えたところで、桃太郎はようやく刀を抜いた。
チッ。
顔面に直撃する石を、そっと切っ先で逸らす。
盛り上がっていた鬼達は、急に静まり返った。
船底が、砂浜に乗り上げた。
「鬼達よ、手厚い歓迎に礼を言おう。私の名は桃太郎。『日本一』の武士だ」
「ああ? 何言ってんだおめえ」
「にほんいち? 何だそりゃ」
寄ってきた鬼は、石を投げていた二人。
背丈十尺という風聞は正しかった。
見上げるほどに高く、そして分厚い。
残りの者達は座り込んで杯を手にしたまま、視線だけを向けている。
「難しい言葉だったな。優しく言おう。多くの村を困らせるそなた達を、こらしめに来た」
「おれ達を、こらしめる? ……ぷっ。ぐははははは!!」
「ああ、はいはい。そういう奴な。分かったよ」
鬼が嗤い、石を握った腕を持ち上げた。
「あばよ、人間」
勢いよく振り下ろされた腕は、そのまま砂浜に転がった。
「っ!?」
「まるで鎧を斬ったかのようだ。生身でこれとは。しかし」
桃太郎は跳び、返す刀で鬼の首を刎ねた。
赤肌と相反する、青い血飛沫が飛び散る。
着地して、再び跳ぶ。
背を向けようとしていた、もう一人めがけて。
脇腹から心臓を一突き。
「何だてめえは!?」
「いきなりふざけやがって! やっちまえ!」
「あいや、待てぇい!!」
「日本一」の旗を砂地に突き刺し、猿が殺到する鬼達を制した。
「国を震わせる豪傑の貴公らが人間一人を恐れ、卑劣にも囲んで叩こうというのか! まるで犬畜生じゃな!」
「ああん!?」
「はっ! 二千の軍を蹴散らしたという噂も、嘘だったらしい! それとも蹴散らしたのは、二千の猿の群れだったか!?」
犬と猿が小突き合いながら、煽り文句を口にする。
ぐぬぬ、と得物の金棒を片手に震える鬼達。
雉が、その頭上を舞った。
「別に良いんじゃない? 皆で寄ってたかってボコボコにしても。私が飛んで帰って、あなた達の情けなさを言いふらすけどね」
「なめんな獣どもがぁぁぁっ!!」
一人の鬼が咆哮し、赤い顔をさらに真っ赤に染めて突っ込んでくる。
意外に俊敏だ。
しかし剛腕が唸らせる金棒を桃太郎は軽くいなし、胴を真っ二つにした。
これで三人目。
浜辺の鬼は、あと七。
投石の拙さを見た時点で、桃太郎には分かっていた。
筋力と頑強さこそが、鬼の取り柄。
まとまって勢いに乗れば恐ろしいが、一人ずつならば余裕を持って倒せる。
何故なら自分は、「日本一」だからだ。
「ちっ、恥晒しの雑魚が。今度はおれだ!」
「良かろう。者ども、加勢はするなよ。これは一対一。男と男の果し合いだ」
四人目、五人目、六人目と桃太郎は鬼を次々に畳んだ。
何やらすり寄ってきた七人目。
そのにやけ顔を両断。
残る三人は顔を強張らせ、一斉に攻めかかってきた。
三本の金棒がやたらめったらに荒れ狂う。
「……なるほど。一対一は容易。三人同時だと、少し厳しいか」
攻撃を凌ぎつつ桃太郎は頭を回し、おもむろに空を指差した。
三人全員が馬鹿正直に上を向き、羽ばたく雉を見やる。
その隙に左を斬った。
「あ!?」
二人の鬼が慌てて視線を戻す。
しかし、足元を駆けた犬に再び気を取られ。
首が二つ、まとめて宙を舞った。
「殿、要らぬ節介を致しました」
「構わない。一対一を捨てたのはあちらだ。よくやった、犬よ」
家来の頭を撫でながら、桃太郎は青い血に染まった刃を袖で拭う。
「これでおおよそ、敵の力と頭は知れた。……残り九十か。時間をかければ、どうにでもなるな」
「では、やはり儂の知略の出番でしょうか?」
「いいや、これよりは鬼にも全力を出してもらう。それを打ち破ってこその『日本一』だ」
「やだ。殿ったら格好良いこと言うわね、ふふっ、うふふ」
「雉。気が済むまで笑ったら、これを城の中に投げ込め。そして、浜辺で起きたことをそのままに伝えてこい」
桃太郎はそう言って、最も体格の良かった鬼の角を斬り取った。
「敵の出方を見る」
「承りましたわ、殿」
雉は拝礼し、両足の爪で角を持って山城へと飛んでいった。
「こんな間抜け共に、この国の長は二千も兵を集めて負けたのか?」
「いや、間抜けとはいえ肉体は鋼のごとしじゃ。それに金棒を地面に打ち付ければ、大量の砂が舞っておった。即ち……」
「即ち、少なくとも百を束ねる頭領は切れ者だということだ」
少し待っていると、雉が文を携えて帰ってきた。
『日本一の武士よ。一騎打ちを所望する』
中々に整った筆致だ。
赤い血で書かれているが。
「殿、これは罠にございます! あの山城へ入った瞬間に門は閉ざされ、総勢で攻めかかってくるものかと!」
「しかし殿、敵の大将との一騎打ちです! 打ち破って鬼どもを震え上がらせましょう!」
「馬鹿犬! 赤い血も流れておらぬ化物に、そんな正々堂々とした心があるか!」
「頭でっかちが! 奴らには奴らなりの意地があることは、先ほどの十人で知れただろうが!」
「殿!」
「殿!」
投げかけられる家来の声を背に、桃太郎は「日本一」の旗を砂地から引き抜いた。
十人を斬ったというのに、白地の旗は白いままだ。
桃太郎の心もまた、海のように穏やかだった。
それは、相手が鬼だからか。
一人の賊を斬った時でさえ、もっと心はざわめいていた。
鬼の青い血が、この頭を冷やしてしまうのか。
こいつらは「違う」のだと、だから斬ってもよいのだと、理屈が勝手に捏ねられてしまうのか。
確かに「日本一」のための、取るに足りない一つだとは考えている。
それでも、命を奪うとはこのようなものでよいのか。
「……確かめなければ。積むべきを積むために」
「殿?」
「犬、猿。合図するまで、城の近くの森で待て。もしもの時は、船に引き返して沖へ出よ。雉は……」
「見物くらいは良いわよね? 二匹に連絡だってしないとだし」
肩に止まって囁く、からかうような美声。
桃太郎は「好きにしろ」とだけ返した。
………
……
…
高い柵の中央にある、粗末な造りの門が開く。
桃太郎は旗を肩に担ぎ、単身で広場に入った。
奥の城も、あまり褒められた外見ではない。
背後で門が、固く閉ざされた。
「よく来たな、『日本一』よ」
「ああ、来た。『日本一』の桃太郎が鬼を退治しに来たのだ」
桃太郎は鬼の頭領に返し、相対する敵の出で立ちを眺めた。
他の鬼と違い、半裸ではない。
半端な拵えの鎧を全身に纏い、赤肌が覗いているのは角の生えた顔面だけ。
その不敵で恐ろしい形相の中には、倦んだものがこびりついている。
無精髭には白髪が混じり、身の丈は何故か二尺半ほどしかない。
得物も金棒ではなく、長く分厚い大太刀だ。
「安心しろ。一騎打ちはきっちりとする」
「ほう。私が勝った後は、何も知らぬと?」
「……周りを見ろ。小狡そうな馬鹿しかおらんだろう?」
頭領は鼻で笑い、顎をしゃくった。
広場の隅に鬼達が大勢座り込み、得物を片手に薄ら笑いを浮かべて見物している。
弓を持った者はいない。
「適当に浜辺の馬鹿の首でも持ち帰り、『退治した』と言いふらせばいいものを」
「そのような振る舞いは、この旗が許しはしない」
「……ふん。人間の癖に、綺麗ごとを言うな」
頭領は吐き捨て、大太刀を大上段に構えた。
桃太郎は「日本一」の旗を地面に突き刺し、一歩前に出る。
刀の位置は正中だ。
「はあああっ!!」
「うおおおっ!!」
裂帛の気合。鋭い踏み込み。
刃がかち合い、つばぜり合う。
「大した刀だな。どこで盗んだ?」
「譲り受けた。豪族の娘を助けた時だ」
「その膂力は何だ? 何に加護された? あるいは呪いか?」
「この身は桃より生まれたもの」
「そうかそうか。ははは……ならば、お前も俺の同類。"化物"だな」
間近で見た大太刀は、酷く刃こぼれしていた。
拭いきれぬ赤い血が、染みついていた。
鎧もそうだった。
「答えろ、鬼の頭領よ。何故村々を襲い、多くを奪った? 欲しいからか? 生きるためか?」
「お前こそ、俺の島を襲っている」
「……退治しに来たのだ。そなた達が奪ったものを、取り返すために。もう二度と、人間を襲わぬように」
「格好をつけるな。取り返しに来たんじゃない。奪い返しに来たんだろう? 襲わぬように、殺しに来たんだろう?」
何が違う、と頭領は口の端を吊り上げた。
鋭い牙が垣間見える。
「……そなたは他の鬼とは違うな。随分、頭と舌が回る。それを活かせば、真っ当に生きていけたはずだ」
「この肌と角が、それを許さなかった」
吊り上げた口の端が、別の形に歪む。
「生まれ持ったが故に、捨てられないものだ。どれだけ人間に従い、こそこそと熱心に学んでも、生き方はこれしかなかった」
「……この島を根城に、賊をやるしかなかったと?」
「そうだとも。こんな島一つと頭の悪い手下、使い道の無い財宝。それが、俺が必死に生きて手に入れた全てだ」
渇いた笑いが漏れる。
二人は示し合わせたかのように間合いを取り、再び構えた。
「俺の全ては、お前のくだらない三文字とは違う。いつでも捨てられる布きれとは、違うんだ」
「…………」
「桃から生まれ、鬼を斬れてもお前は人間の姿。俺は赤肌に角付きだ」
「…………」
「何故、だと? 俺の言いたい言葉だ、それはっ!!」
全身全霊の想いが、叩きつけられる。
桃太郎は、真っ向から受け止めた。
到底言葉にしきれない、ひたすら重ね続けた想いを。
「……よく分かった。斬るぞ、頭領」
「出来もしないことをほざくな」
「同類と呼んでくれるならば、分かっているだろう。一騎打ちを仕掛けてきた時点で、覚悟があったことだろう」
「っ……人間の皮を被った化物が。俺にだって分かるぞ。随分と恵まれた生き方をしてきたようだな。ちやほやされてきたようだな。俺の、同類の癖に!!」
金色の瞳が、激しく睨みつけてくる。
野太い雄叫びと共に、一気に押し込まれた。
二尺半の巨体があらゆる感情を剥き出しにして、束にして、押し込んでくる。
「日本一」の旗まで、あと三歩。
「そうだ、同類だ。そなたと私は、何も違わない」
あと二歩。
「だが、違うものがあるとすれば」
あと一歩。
「積み上げてきたものだけだ」
「積み上げてきたもの、だと?」
一歩押し返す。
「それを誇れるのはお前が、人間の姿をしているからだ」
もう一歩、押し返す。
「まだこの世のことを知らない、小僧だからだ。俺は」
さらにもう一歩。
「俺は、まともに積み上げることさえ許されなかった。だから俺は、俺だって……!」
大太刀に亀裂が走る。
「俺だって、お前みたいになりたかった!!!」
想いが、爆ぜ飛んだ。
籠手ごと両腕が落ち、頭領は膝から崩れる。
鬼達が、歓声をあげた。
「……見ろ、あの馬鹿どもを。もう終わりだということにすら、気づいていない」
立ち上がり、得物を構え始める鬼の群れ。
「『頭領が死ぬ。次は俺が頭領だ』……どいつもこいつもそう思ってやがる。まともな戦なんて、もはや出来はしないのにな」
桃太郎は、旗を振り返った。
「日本一」の三文字に一滴だけ、青い血が散っている。
「これが鬼だ。愚かで醜い化物さ」
「一騎打ちではなく、総攻めすればよかった。何故そうしなかった?」
「分かりきったことを」
そうだ。初めから分かっていた。
彼の倦んだ眼差しが、全てを物語っていたから。
「……頭領。そなたが奪ったものは、全て奪い返させてもらう。手下も皆殺しだ。代わりに」
包囲がじわじわと、狭まってきた。
「そなたの願いを一つ、叶えさせてほしい」
桃太郎は旗を掲げた。
雉が甲高く鳴き、頭領が顔を上げる。
「せいぜい高く積み上げろ。……俺の積み上げてきたものも、背負ってくれ」
「必ず」
桃太郎は同類の首を刎ね、血塗れの刃を旗で拭った。
青い血が、白地に染み込んだ。
駆け寄る鬼達を雉が牽制し、門前で犬が吠え、猿が柵の上に現れた。
気が充実している。
それは、受け継いだからだ。
積むべきものを、新たに積んだからだ。
敵がどれだけいようとも、負ける気がしなかった。
「来い、同類達。一人残らず、積み上げてやる」
化物が咆哮し、駆け出した。
………
……
…
鬼ヶ島の陥落は、瞬く間に国中へ知れ渡った。
噂は駆け巡り、国の外まで広がり、やがて「日本」という大きなものを揺るがした。
人間達は、口々に語ったという。
桃太郎。
「日本一」なり、と。
末永い伝説の、始まりだった。