鬼退治。「日本一」の旗、翻る。

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「日本一」の男

 今日も尿には、血が混じっていた。

 木の幹を濡らす赤色を見て、桃太郎は重たい息を吐く。

 

『私が皆を困らせる鬼を、退治してみせます』

 

 そう言って十五歳で育ての親の元を離れ、はや一年。

 

『私が皆を困らせる鬼を、退治してみせる』

 

 そう言って村々を渡り歩き、とうとう鬼ヶ島の目前まで辿り着いた。

 あとは、あの静かな海を渡って攻め入るだけだ。

 

 しかし。

 

「……やはり重いな」

 

 桃太郎の口から、自嘲の笑いがこぼれる。

 陣羽織に書かれた、「日本一」の三文字。

 それが、ひたすらに重い。

 たった三文字の重みは、この旅の中で増し続けた。

 今や、自分を押し潰そうとしているかのようだ。

 しかしこの重さこそが、自分の足をここまで進めてくれた。

 

 泣いて制止する親の前で、「鬼を退治する」と吼えた。

 哀しみにくれる村人達の前で、「日本一だ」と吼え続けた。

 そうして自身を奮い立たせ、ここまでやってきた。

 あとは海一つと、鬼ヶ島一つである。

 

「殿」

 

 聞き慣れた声に振り返ると、家来の犬が跪いていた。

 

「万事、整いました」

 

 来た。

 この時が。

 来てしまった。

 

「良し」

 

 何が、良しなものか。

 そう思いながらも桃太郎は、いつものように溌剌と笑んだ。

 震える手を、握り拳に固めながら。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 さざ波が濡らす、白い浜辺。

 そこに桃太郎と、三匹の家来達が集う。

 

「出来たか、猿よ」

「はい、殿。ようやく完成しましたぞ。我ながら中々の出来栄えです」

「へえ、こんなに小さいのに? とても『日本一』の武士さまが乗る船じゃないわ」

「黙れ、雉め。儂らが素早く攻め入るには、この大きさが最適なのじゃ」

「あらそうなの。ごめんなさい」

 

 猿のしわがれ声に怒鳴られた雉が、悪びれることなくその頭上を旋回する。

 桃太郎は軽く力を入れ、船の具合を確かめた。

 小ぶりながら、よく頑丈に出来ている。

 流石に、齢を重ねた猿らしい造りだ。

 

「雉、物見の報告をせよ」

「鬼は東の浜辺に十。山城の門番が五。ぐるりと見て回ったけれど、岩壁だらけ。浜辺以外に殿が上陸出来そうな場所は無いわ」

「細かく話せ」

 

 桃太郎は拾った木の枝を使い、雉の言う通りに砂地へ鬼ヶ島の絵図を描いた。

 岩壁、浜辺、森、そして坂道の上に城。

 

「城の中は見られたか?」

「館前の広場に、鬼がだいたい三十。でも浜辺には大きな船が十艘あったから、多分市場で聞いた通りね。鬼は総勢で百ほどじゃないかしら」

「やはり百か……」

 

 桃太郎の隣で犬が呻き、尻尾を垂れる。

 人間の百ではない。

 身の丈十尺の、鬼の百だ。

 

 鬼達は船で矢のように海を駆け、上陸すれば火のように村々を襲う。

 二千の軍勢が、野戦で粉砕されたとまで聞いた。

 もはや、この国の誰もが諦めている。

 

 今はまだ、鬼ヶ島を本拠としているからよい。

 しかし、奴らがいつまでそうしているかは分からない。

 もしもこの先──

 

「畏れながら、殿。儂に策がございます」

 

 桃太郎は拝礼する猿に視線をやり、無言で続きを促した。

 

「二手に分かれ、夜襲を致しましょう。まず西の岩壁に船をつけ、儂と雉が城の裏手より潜り込みます。混乱に乗じて殿と犬が、浜辺の船を……」

「おい待て、猿。殿に卑怯を為せというのか?」

「聞き捨てならんな、犬よ。卑怯ではない。これは戦術じゃ」

「殿は『日本一』の武士だぞ! ならば『日本一』の戦をすべきだろう!」

「学の無い鼻たれ犬が! 虚勢を張って吠えるでないわ!」

「何を! 死にかけの白髪猿が!」

 

 犬と猿の、いつもの言い争いが始まった。

 

「やめろ、お前達。敵地の前だぞ」

「殿、百の鬼を相手に無策で挑むのはただの蛮勇です! 鬼には無い我らの強みは、搦め手! 『猿蟹合戦』という古書に照らしますれば……」

「いいえ、殿! 真っ向から攻め入り、果敢に鬼を破るべきです! それが武士の道!」

「……雉、お前の意見は?」

 

 雉が桃太郎の肩に止まり、形の良い嘴で囁く。

 

「何でもいいわ。最高に格好良い殿が見られれば。そのために私はついてきたんですもの」

 

 桃太郎は、声をあげて笑った。

 愉快なわけでもないのに、腹の中を全て搾り出すように笑った。

 犬と猿が呆気にとられ、雉が目を細める。

 

「猿、旗を掲げよ。おじい様が書いてくださった、『日本一』の旗を」

 

 馴染みの旗が、潮風にはためく。

 太陽に照らされた白地の旗が、桃太郎にはどこか眩しく感じられた。

 

 「日本一」。

 「日本一」とは、何だろう。

 桃より生まれてから旅立つまでの十五年間、故郷の村と山しか知らなかった。

 

 「日本」とは、この国を五十以上束ねたような、大きな集まりのことだ。

 幼い頃にはもう、親から聞かされていた。

 世の中とは自分の見聞きするものより遥かに大きいのだと、知っていた。

 

 なのに桃太郎という男は旅の最初から、「日本一」を名乗り続けてきた。

 何の証も無い。

 村で相撲を取れば、敵はいなかった。

 斧を振るえば巨木が倒れ、声を張れば山が震えた。

 だがそれは、「日本一」だという証にはならない。

 

 なのに旅で見聞を広めても、未だに「日本一」を名乗っている。

 背負っている。

 

 本当に自分は「日本一」なのか。

 百の鬼に、通用するのか。

 そもそも鬼を退治するのは、自分でなければならないのか。

 いつか誰かが──本物の「日本一」が、鬼退治を成し遂げるのではないのか。

 

「……いや、違うな」

 

 漏れた呟き。

 何が違うのか。

 何故違うのか。

 自分が、人の胎ではなく桃から生まれた、特別な命だからか。

 正義感と使命感を燃やし、ここまでひた歩んできたからか。

 これが、定めだからか。

 

「違う」

「……殿?」

 

 犬が首をひねり、小さく舌を出す。

 陽に炙られた砂浜が、熱い。

 着込んだ陣羽織が、熱い。

 勝手に手が握りしめた、刀の柄が熱い。

 

「聞け、者どもよ」

 

 抜いた白刃が、輝く。

 

「この桃太郎。齢十五まで山で柴を刈り、川で洗濯をし、村で相撲を取って育った。旅の中では人を助け、賊を払ってきた。孝も徳も武も、積むべきは積んできたつもりだ」

 

 三匹の目が、真っ直ぐに見つめてくる。

 自分が旅路の中で得た、家来達だ。

 この何ら証の無い「日本一」に、それでも従ってくれている者達だ。

 

「だが積むべきを積むなど、生き物であれば誰でもしていること。それは培ったものかもしれないし、拾ったものかもしれない。あるいは、奪ったものかもしれない」

 

 何故、奪う。

 かつて一人の老いた賊を捕らえ、聞いたことがあった。

 

『馬鹿か、てめえは。欲しいからだよ。生きてえからだよ』

 

 賊は首を刎ねた後も、嗤っていた。

 これで満足かと、お前だって俺から奪ったと、嗤っていた。

 必死に生きた果てがこれなのだと、叫んでいた。

 

 分かっている。

 鬼を退治すれば、この世が全て善く治まるわけではない。

 戦も賊も悪も、無くなりはしない。

 

 それでも。

 

『日本一? なんだ、日本って。この団子みたいに美味いのか?』

『日本一? 小僧、その言葉の意味を分かっておるのか?』

『日本一? うふふ、人間の癖に面白いこと言うわね』

 

 それでも、「日本一」だ。

 何も知らずに名乗り、背負ったこの三文字こそが、それでも自分だ。

 確証は無い。しかし確信があった。

 この「日本一」が桃太郎の、生きる意味なのだ。

 だからこそ、それに相応しい行いを為さなければならない。

 いや、為したい。

 

「私は『日本一』。今後も積むべきを、どこまでも高く積み上げる。鬼退治など、その一つでしかない。たった一つを積むのに、手間暇をかけていられるか」

「しかし殿、あやつらは……!」

「ああ、一人では中々に重たいだろうな。しかし私には、お前達がいる」

 

 刀の切っ先が、鬼ヶ島を差した。

 

「私は『日本一』の戦をしてみせる。だからお前達も、『日本一』の家来に相応しい働きをせよ」

 

 主の宣言に三匹が厳かに拝礼し、そして。

 

「つまり、結局突撃するのね?」

 

 雉が嬉しそうに鳴いた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 犬と猿の漕ぐ小船が、穏やかな海を滑る。

 霞んでいた鬼ヶ島が、あっという間に近づいてきた。

 もう桃太郎の目にも、敵地の様子が見てとれる距離だ。

 雉の報告通り、東の浜辺には赤肌の鬼が十人。

 ある者は座り込み、ある者は寝転がり、ある者は踊っている。

 いずれも半裸。

 武器の金棒は、まとめて砂浜に突き刺さっていた。

 

「奴らめ、昼間から酒盛りか」

「あの酒もどうせ、村から奪ってきたものであろう。醜悪なことじゃ」

 

 犬と猿が櫂を使いながら、憎らしげに吐き捨てる。

 雉は特に興味も無さそうに、嘴で羽をつくろっている。

 桃太郎は舳先で腕を組み、鬼達の様子をじっと見据えた。

 

 気づかれている。

 

 しかし注意を向けているのは十人の内、一人だけだ。

 その一人はこちらを見据え、足元にあった大きめの石を拾い、振りかぶった。

 

「殿!」

「狼狽えるな。当たらない」

 

 小船の横、三尺ほど離れた海面に着弾。

 大きな水柱が上がり、波で船が揺れた。

 猿がぶはっと息を吐く。

 

「下手くそね。それとも当てる気が無かっただけ?」

「近づいていけば分かる。……犬、猿。恐れずに漕げ」

 

 二発目、三発目、四発目。

 全て外れ。

 船が浜辺に迫ったことで、石を投げてくる鬼が一人増えた。

 それでも、当たらない。

 狙いを外す度に、他の者達が手を叩いて笑っている。

 まるで的当て遊びだ。

 十五の石を数えたところで、桃太郎はようやく刀を抜いた。

 

 チッ。

 

 顔面に直撃する石を、そっと切っ先で逸らす。

 盛り上がっていた鬼達は、急に静まり返った。

 船底が、砂浜に乗り上げた。

 

「鬼達よ、手厚い歓迎に礼を言おう。私の名は桃太郎。『日本一』の武士だ」

「ああ? 何言ってんだおめえ」

「にほんいち? 何だそりゃ」

 

 寄ってきた鬼は、石を投げていた二人。

 背丈十尺という風聞は正しかった。

 見上げるほどに高く、そして分厚い。

 残りの者達は座り込んで杯を手にしたまま、視線だけを向けている。

 

「難しい言葉だったな。優しく言おう。多くの村を困らせるそなた達を、こらしめに来た」

「おれ達を、こらしめる? ……ぷっ。ぐははははは!!」

「ああ、はいはい。そういう奴な。分かったよ」

 

 鬼が嗤い、石を握った腕を持ち上げた。

 

「あばよ、人間」

 

 勢いよく振り下ろされた腕は、そのまま砂浜に転がった。

 

「っ!?」

「まるで鎧を斬ったかのようだ。生身でこれとは。しかし」

 

 桃太郎は跳び、返す刀で鬼の首を刎ねた。

 赤肌と相反する、青い血飛沫が飛び散る。

 着地して、再び跳ぶ。

 背を向けようとしていた、もう一人めがけて。

 脇腹から心臓を一突き。

 

「何だてめえは!?」

「いきなりふざけやがって! やっちまえ!」

「あいや、待てぇい!!」

 

 「日本一」の旗を砂地に突き刺し、猿が殺到する鬼達を制した。

 

「国を震わせる豪傑の貴公らが人間一人を恐れ、卑劣にも囲んで叩こうというのか! まるで犬畜生じゃな!」

「ああん!?」

「はっ! 二千の軍を蹴散らしたという噂も、嘘だったらしい! それとも蹴散らしたのは、二千の猿の群れだったか!?」

 

 犬と猿が小突き合いながら、煽り文句を口にする。

 ぐぬぬ、と得物の金棒を片手に震える鬼達。

 雉が、その頭上を舞った。

 

「別に良いんじゃない? 皆で寄ってたかってボコボコにしても。私が飛んで帰って、あなた達の情けなさを言いふらすけどね」

「なめんな獣どもがぁぁぁっ!!」

 

 一人の鬼が咆哮し、赤い顔をさらに真っ赤に染めて突っ込んでくる。

 意外に俊敏だ。

 しかし剛腕が唸らせる金棒を桃太郎は軽くいなし、胴を真っ二つにした。

 これで三人目。

 浜辺の鬼は、あと七。

 

 投石の拙さを見た時点で、桃太郎には分かっていた。

 筋力と頑強さこそが、鬼の取り柄。

 まとまって勢いに乗れば恐ろしいが、一人ずつならば余裕を持って倒せる。

 何故なら自分は、「日本一」だからだ。

 

「ちっ、恥晒しの雑魚が。今度はおれだ!」

「良かろう。者ども、加勢はするなよ。これは一対一。男と男の果し合いだ」

 

 四人目、五人目、六人目と桃太郎は鬼を次々に畳んだ。

 

 何やらすり寄ってきた七人目。

 そのにやけ顔を両断。

 

 残る三人は顔を強張らせ、一斉に攻めかかってきた。

 三本の金棒がやたらめったらに荒れ狂う。

 

「……なるほど。一対一は容易。三人同時だと、少し厳しいか」

 

 攻撃を凌ぎつつ桃太郎は頭を回し、おもむろに空を指差した。

 三人全員が馬鹿正直に上を向き、羽ばたく雉を見やる。

 その隙に左を斬った。

 

「あ!?」

 

 二人の鬼が慌てて視線を戻す。

 しかし、足元を駆けた犬に再び気を取られ。

 首が二つ、まとめて宙を舞った。

 

「殿、要らぬ節介を致しました」

「構わない。一対一を捨てたのはあちらだ。よくやった、犬よ」

 

 家来の頭を撫でながら、桃太郎は青い血に染まった刃を袖で拭う。

 

「これでおおよそ、敵の力と頭は知れた。……残り九十か。時間をかければ、どうにでもなるな」

「では、やはり儂の知略の出番でしょうか?」

「いいや、これよりは鬼にも全力を出してもらう。それを打ち破ってこその『日本一』だ」

「やだ。殿ったら格好良いこと言うわね、ふふっ、うふふ」

「雉。気が済むまで笑ったら、これを城の中に投げ込め。そして、浜辺で起きたことをそのままに伝えてこい」

 

 桃太郎はそう言って、最も体格の良かった鬼の角を斬り取った。

 

「敵の出方を見る」

「承りましたわ、殿」

 

 雉は拝礼し、両足の爪で角を持って山城へと飛んでいった。

 

「こんな間抜け共に、この国の長は二千も兵を集めて負けたのか?」

「いや、間抜けとはいえ肉体は鋼のごとしじゃ。それに金棒を地面に打ち付ければ、大量の砂が舞っておった。即ち……」

「即ち、少なくとも百を束ねる頭領は切れ者だということだ」

 

 少し待っていると、雉が文を携えて帰ってきた。

 

『日本一の武士よ。一騎打ちを所望する』

 

 中々に整った筆致だ。

 赤い血で書かれているが。

 

「殿、これは罠にございます! あの山城へ入った瞬間に門は閉ざされ、総勢で攻めかかってくるものかと!」

「しかし殿、敵の大将との一騎打ちです! 打ち破って鬼どもを震え上がらせましょう!」

「馬鹿犬! 赤い血も流れておらぬ化物に、そんな正々堂々とした心があるか!」

「頭でっかちが! 奴らには奴らなりの意地があることは、先ほどの十人で知れただろうが!」

「殿!」

「殿!」

 

 投げかけられる家来の声を背に、桃太郎は「日本一」の旗を砂地から引き抜いた。

 十人を斬ったというのに、白地の旗は白いままだ。

 桃太郎の心もまた、海のように穏やかだった。

 

 それは、相手が鬼だからか。

 一人の賊を斬った時でさえ、もっと心はざわめいていた。

 鬼の青い血が、この頭を冷やしてしまうのか。

 こいつらは「違う」のだと、だから斬ってもよいのだと、理屈が勝手に捏ねられてしまうのか。

 

 確かに「日本一」のための、取るに足りない一つだとは考えている。

 それでも、命を奪うとはこのようなものでよいのか。

 

「……確かめなければ。積むべきを積むために」

「殿?」

「犬、猿。合図するまで、城の近くの森で待て。もしもの時は、船に引き返して沖へ出よ。雉は……」

「見物くらいは良いわよね? 二匹に連絡だってしないとだし」

 

 肩に止まって囁く、からかうような美声。

 桃太郎は「好きにしろ」とだけ返した。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 高い柵の中央にある、粗末な造りの門が開く。

 桃太郎は旗を肩に担ぎ、単身で広場に入った。

 奥の城も、あまり褒められた外見ではない。

 背後で門が、固く閉ざされた。

 

「よく来たな、『日本一』よ」

「ああ、来た。『日本一』の桃太郎が鬼を退治しに来たのだ」

 

 桃太郎は鬼の頭領に返し、相対する敵の出で立ちを眺めた。

 他の鬼と違い、半裸ではない。

 半端な拵えの鎧を全身に纏い、赤肌が覗いているのは角の生えた顔面だけ。

 その不敵で恐ろしい形相の中には、倦んだものがこびりついている。

 無精髭には白髪が混じり、身の丈は何故か二尺半ほどしかない。

 得物も金棒ではなく、長く分厚い大太刀だ。

 

「安心しろ。一騎打ちはきっちりとする」

「ほう。私が勝った後は、何も知らぬと?」

「……周りを見ろ。小狡そうな馬鹿しかおらんだろう?」

 

 頭領は鼻で笑い、顎をしゃくった。

 広場の隅に鬼達が大勢座り込み、得物を片手に薄ら笑いを浮かべて見物している。

 弓を持った者はいない。

 

「適当に浜辺の馬鹿の首でも持ち帰り、『退治した』と言いふらせばいいものを」

「そのような振る舞いは、この旗が許しはしない」

「……ふん。人間の癖に、綺麗ごとを言うな」

 

 頭領は吐き捨て、大太刀を大上段に構えた。

 桃太郎は「日本一」の旗を地面に突き刺し、一歩前に出る。

 刀の位置は正中だ。

 

「はあああっ!!」

「うおおおっ!!」

 

 裂帛の気合。鋭い踏み込み。

 刃がかち合い、つばぜり合う。

 

「大した刀だな。どこで盗んだ?」

「譲り受けた。豪族の娘を助けた時だ」

「その膂力は何だ? 何に加護された? あるいは呪いか?」

「この身は桃より生まれたもの」

「そうかそうか。ははは……ならば、お前も俺の同類。"化物"だな」

 

 間近で見た大太刀は、酷く刃こぼれしていた。

 拭いきれぬ赤い血が、染みついていた。

 鎧もそうだった。

 

「答えろ、鬼の頭領よ。何故村々を襲い、多くを奪った? 欲しいからか? 生きるためか?」

「お前こそ、俺の島を襲っている」

「……退治しに来たのだ。そなた達が奪ったものを、取り返すために。もう二度と、人間を襲わぬように」

「格好をつけるな。取り返しに来たんじゃない。奪い返しに来たんだろう? 襲わぬように、殺しに来たんだろう?」

 

 何が違う、と頭領は口の端を吊り上げた。

 鋭い牙が垣間見える。

 

「……そなたは他の鬼とは違うな。随分、頭と舌が回る。それを活かせば、真っ当に生きていけたはずだ」

「この肌と角が、それを許さなかった」

 

 吊り上げた口の端が、別の形に歪む。

 

「生まれ持ったが故に、捨てられないものだ。どれだけ人間に従い、こそこそと熱心に学んでも、生き方はこれしかなかった」

「……この島を根城に、賊をやるしかなかったと?」

「そうだとも。こんな島一つと頭の悪い手下、使い道の無い財宝。それが、俺が必死に生きて手に入れた全てだ」

 

 渇いた笑いが漏れる。

 二人は示し合わせたかのように間合いを取り、再び構えた。

 

「俺の全ては、お前のくだらない三文字とは違う。いつでも捨てられる布きれとは、違うんだ」

「…………」

「桃から生まれ、鬼を斬れてもお前は人間の姿。俺は赤肌に角付きだ」

「…………」

「何故、だと? 俺の言いたい言葉だ、それはっ!!」

 

 全身全霊の想いが、叩きつけられる。

 桃太郎は、真っ向から受け止めた。

 到底言葉にしきれない、ひたすら重ね続けた想いを。

 

「……よく分かった。斬るぞ、頭領」

「出来もしないことをほざくな」

「同類と呼んでくれるならば、分かっているだろう。一騎打ちを仕掛けてきた時点で、覚悟があったことだろう」

「っ……人間の皮を被った化物が。俺にだって分かるぞ。随分と恵まれた生き方をしてきたようだな。ちやほやされてきたようだな。俺の、同類の癖に!!」

 

 金色の瞳が、激しく睨みつけてくる。

 野太い雄叫びと共に、一気に押し込まれた。

 二尺半の巨体があらゆる感情を剥き出しにして、束にして、押し込んでくる。

 「日本一」の旗まで、あと三歩。

 

「そうだ、同類だ。そなたと私は、何も違わない」

 

 あと二歩。

 

「だが、違うものがあるとすれば」

 

 あと一歩。

 

「積み上げてきたものだけだ」

「積み上げてきたもの、だと?」

 

 一歩押し返す。

 

「それを誇れるのはお前が、人間の姿をしているからだ」

 

 もう一歩、押し返す。

 

「まだこの世のことを知らない、小僧だからだ。俺は」

 

 さらにもう一歩。

 

「俺は、まともに積み上げることさえ許されなかった。だから俺は、俺だって……!」

 

 大太刀に亀裂が走る。

 

 

「俺だって、お前みたいになりたかった!!!」

 

 

 想いが、爆ぜ飛んだ。

 籠手ごと両腕が落ち、頭領は膝から崩れる。

 鬼達が、歓声をあげた。

 

「……見ろ、あの馬鹿どもを。もう終わりだということにすら、気づいていない」

 

 立ち上がり、得物を構え始める鬼の群れ。

 

「『頭領が死ぬ。次は俺が頭領だ』……どいつもこいつもそう思ってやがる。まともな戦なんて、もはや出来はしないのにな」

 

 桃太郎は、旗を振り返った。

 「日本一」の三文字に一滴だけ、青い血が散っている。

 

「これが鬼だ。愚かで醜い化物さ」

「一騎打ちではなく、総攻めすればよかった。何故そうしなかった?」

「分かりきったことを」

 

 そうだ。初めから分かっていた。

 彼の倦んだ眼差しが、全てを物語っていたから。

 

「……頭領。そなたが奪ったものは、全て奪い返させてもらう。手下も皆殺しだ。代わりに」

 

 包囲がじわじわと、狭まってきた。

 

「そなたの願いを一つ、叶えさせてほしい」

 

 桃太郎は旗を掲げた。

 雉が甲高く鳴き、頭領が顔を上げる。

 

「せいぜい高く積み上げろ。……俺の積み上げてきたものも、背負ってくれ」

「必ず」

 

 桃太郎は同類の首を刎ね、血塗れの刃を旗で拭った。

 青い血が、白地に染み込んだ。

 駆け寄る鬼達を雉が牽制し、門前で犬が吠え、猿が柵の上に現れた。

 

 気が充実している。

 それは、受け継いだからだ。

 積むべきものを、新たに積んだからだ。

 敵がどれだけいようとも、負ける気がしなかった。

 

 

「来い、同類達。一人残らず、積み上げてやる」

 

 

 化物が咆哮し、駆け出した。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 鬼ヶ島の陥落は、瞬く間に国中へ知れ渡った。

 噂は駆け巡り、国の外まで広がり、やがて「日本」という大きなものを揺るがした。

 人間達は、口々に語ったという。

 

 

 桃太郎。

 「日本一」なり、と。

 

 

 末永い伝説の、始まりだった。

 


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