翌朝。
ブロック塀と平屋の住宅が立ち並ぶ通学路を歩きながら、俺は魔導書の回収法について考えていた。
オリヴィアによればどのみち付近に散らばったであろうから、クラスメートに聞き込みをしていくのが早いとのことであった。しかし、あまりことを荒立ててくれるな、とも。つまり、極秘裏に魔導書を回収せよとの思し召しである。
コンクリートや電信柱の合間に木造の壁が垣間見える住宅地を抜けて大通りに出ると、モノトーンの風景は一気に彩度を上げて赤や青のネオンや看板、バスやタクシー、そして街路樹の緑色が混じる。そこを道沿いに北上すればやがて膝ほどの高さの黒い六角オブジェが見えて、それを超えると巻津公園である。グラウンドの周りにブランコと滑り台、芝生が整備された公園の歩道を行くのが高校へのショートカットなのだ。
野球部の面々が朝練をしている。ということは登校時間にはまだ余裕がある。
徒歩で公園を抜けると路地裏に出て、ここはやたらと坂道が多い。なだらかな傾斜を数ブロック進むとラスボスじみた急な坂があって、これを超えると我らが校門が見える。
県立巻津高校と書かれたその正門を抜けると、いつもより騒がしいことに気づいた。生活指導の先生が抜き打ち検査でもしているのか? いや、新聞部のプレミアム版によれば次の抜き打ち検査は来週とのタレコミであった......
正門を抜けて少し校舎に向けて歩いたところで、人だかりができていることに気づいた。人波の奥には入試の合格発表かクラス分け以来の看板が掲げられていた。何が書いてあるのかはよく読めない。
だが人だかりの中に浮きのように突き出た黒い人影。
「ルイス‼」
銀貨の魔術師である。
ルイスは背が高いのでこういう時によい目印となる。おおー、と言ってルイスも俺に手を振る。気づいたようだ。
「なんだ? 何があったんだ」
「いやー謝肉祭についてのお知らせみたいだけどよ、細かいところは見えねーよ」
謝肉祭。
カルニヴァーレ。わが校名物の、魔術の腕を競う催しものだ。去年、俺とルイスはそこで知り合ったわけだが。
魔術師の伝統的な祭りで、文化振興と相互理解促進の一環として学校でもやっているが、ぶっちゃけ形だけのイベントで面白くもなんともない。
「去年はお前に負けたなあ」
忌々しい思い出である。銀貨飛ばすのってちょっちズルくない?
「お前が魔術使わなかったんだろ」
ルイスが返す。うん。そんなこともあったかな。
「ちょっとー、聞いたっすか豆腐ちゃんにルイスちゃん!」
やたらとテンションの高い声がした。振りむけば、俺と同じくらいの背丈で黒の学校指定のカバンとギターを背中に抱えた少女がいた。
「今染......」
今染カンナ。黒のロングヘアーで前髪はぱっつん。しかし額の左側から後頭部にかけて、織り込まれた赤髪が一本通っている。会ったばかりの頃、思わず「そうめんの色付き麵に似ている」と言ってしまった。口は災いの元、入学早々、クラスの女子を泣かせたとあっては俺の平穏も終わりかと天を仰いだ。だが今染は、一瞬きょとんと眼を丸くした後。
ーーキャハハハハ! カンナのチャームポイントをそうめんって! サイコーっすね、ええと......豆腐ちゃん!
大笑いした。
この快活な人柄こそ今染カンナ、通称ソメカンがクラスで人気者の所以である。中学時代もサブカル勢の重鎮的キャラだったようだが、そんな彼女の誉れたる一房の赤髪をそうめん呼ばわりした奴などいなかったそうで(そりゃそうだ)、以来俺は彼女に妙に絡まれているのだ。
「TLに流れてたんすけどー、今年のカルニヴァーレはすごいって! 景品もメダルも豪華らしいっす!」
「ふん、県立高校の催しなんだからどうせ財源は税金だろうが! メダルだって原価はいくらか分かったものではない。現にレジオンドヌール勲章など......」
結局こういうイベントの景品とか賞金って税金が戻ってきてるだけ。還付金や控除とあまり違わないのである。
「くふっ......ソメカン、嫌いじゃないっスよ、豆腐ちゃんのそういうところ」
「そういうところって何よ?」
「だからー、そういうところっスよー!」
はて。どういうところなのだろう?
話しやすい女子ではあるが、ソメカンの考えることは分からん。そうめんなんて言ってごめんね、ソメカンさん。あと、俺の名前は豆腐じゃないよ? もしかして実は根に持ってたりする?
「じゃあねー」
ソメカンは俺とルイスを置いて一足先に教室に向かった。残された俺らは目を見合わせる。看板の中身をちゃんと確認すべきだろうか? ソメカンのような情報網があれば自分で確認せずとも必要なことは耳に入るであろうが、あいにく俺らはそれほど顔が広くはない。いや、ルイスには教会関連のつながりがあるっぽいが。
やはり自ら一次情報に当たるべきであろう。
「つってもよー、こんだけ多いと前には行けねーよ」
「ルイス、お前なら見えるだろ」
「上の方は見えるよ? でも見出しだけで詳細は下の方」
ええい、役立たずめが‼
「おふぁよお~」
気の抜けた声。振りむけば欠伸を嚙み殺しつつ登場あそばしたマーマレードの魔女ではないか。
そうだよ! ネイピアはこういう時のためにいるのだ。
「おはよう、イモータル・ジェリーフィッシュくん......早速だが君に任務を依頼したい」
「むえ......ふふ、言ってみな旦那」
急に語調と雰囲気が変わった! 今度はハードボイルド系の作品見ただろ。
「ある筋から今年の謝肉祭は内容が大幅に変更されるとの情報が入った。そこで君の任務だが、ことの真偽を確かめるため、そこの人だかりを抜けて立て看板の内容を確認してきてもらいたい」
ミッション。謝肉祭の立て看板の内容を撮影し、画像ファイルを当局のRINEに送信せよ。
ーーなおこの会話は非公式のものであり、作戦の発令後は存在しなかったものとみなされる。本件は超法規的措置を取り、以降、当局は一切関知しない
「任しときな相棒! バーゲンセールの主婦の群れでも突破して見せらあ!」
でも模試の連チャンだけは勘弁な‼ そう言い残してネイピアの体躯は正門前の広場を埋める人の波の藻屑と消えた。
ベニクラゲはこういう時に使わないとな。
「さて、行くか。ホームルームに遅れるぞ」
「お......おい! ネイピア置いてくのかよ!?」
はあ。まったく、これだから神父様は。聞いてなかったのか?
ーーなおこの会話は非公式のものであり、作戦の発令後は存在しなかったものとみなされる。本件は超法規的措置を取り、以降、当局は一切関知しない
死して屍拾うものなし。
マーマレードの魔女は歴史の影に葬られてしまったのであーる。
ルイスと連れ立って人だかりを後にし、校舎に入って下駄箱で靴を脱ぐ。突き当りの廊下を右折すると渡り廊下があって、そこを抜けてすぐの階段を上がる。
俺らのクラス1-Cは2階の端にある。
「おはよーございまーす」
教室に入って挨拶をする。うーすと気の抜けた返事が聞こえてくる......かと思いきや、鼓膜を切り裂く少女の怒号! まだホームルームは始まっていないはずだが?
「何をしておるか、豆腐にカステラあああ!」
黒板けしが飛んできた。