すんでのところで黒板消しを回避する。教壇付近にはクラスの男女がたむろしていて、その中央に、あたかも扇の要のように陣取る少女。紫色を基調に、浅葱、山吹、藍色と色とりどりの着物に身を包み、豊かな黒髪は漆を重ね塗りしたかのように光を受けて輝いている。時代錯誤の十二単などを召して、いやしくも公共の施設たる学校に現れ、神聖な教壇の上におわしますこと、玉座に坐する殿上人のごとし。
「裳裾御前......」
裳裾御前。
それが彼女の名だ。
というよりみんながそう呼んでいるだけで、本名ではないのだが(そらそうだろうよ!)。
黒板を投げつけるという極めて礼儀正しい挨拶を返した女御の名を、俺は知らない。やんごとなき位の方はみだりに下々には名乗らないのだそうだ。いや、嘘です。ほんとは入学時のホームルームで彼女も本名を名乗っていた気がするけど、ソメカンが「裳裾御前」と名付けて以来それが定着したのだ。その日の昼休みには既に裳裾御前が通り名になっていたからソメカンの影響力たるや凄まじいものがあるけれど、これは裳裾御前の方も悪い。いきなり十二単なんて着てくる奴があるか‼
「豆腐にカステラ! おのれら、どこをほっつき歩いておった!?」
どこをって、校庭ですよ。まだ朝礼じゃないでしょ。
一足早くクラスに戻っていたソメカンが説明をする。
「あのねー、御前ちゃんはご乱心でね」
要約すると。
ソメカン経由でカルニヴァーレの景品が豪華だと聞いた。卑しき下々がかような財物を賜るべきではない。わらわが召し上げよう!
「とんだ悪代官だな......」
絶対山吹色のお菓子とか好きだぞこいつ。その袖の下にいくらため込んでる!?
「まったくだぜ! だいたいよ、カステラって俺のことか!? 俺ア、ルイスだ! だいたいポルトガル系じゃねえし!」
後ろから憤懣やるかたない男の声。俺がよけた黒板消しが顔面に命中したルイス神父である。
「なんじゃカステラ。わらわが授けた名に不平でもあるのか、下郎めが‼」
「うるせー! どうせB組のローズに煽られたとか、くだらねえ理由だろうが! てめーらのバカげた争いに俺たちも巻きこむんじゃねえよ!」
B組のローズと言えば、これまたティラノサウルスが直立歩行と社交辞令を覚えたような暴君中の暴君である。なるほどね、ローズと裳裾御前のバトルか。これは血が流れるね。
それにしても、横暴な権力者に堂々、正論をぶつけるルイスはさすが神に嘉せられたる聖者である。
もっとも、このような聖者の行く末はだいたい決まっているのだが。
「ほう。数ならぬ身の際にてわらわに物申すとは、面白いやつ。よいぞ、こたびの大乱への誉れある軍役を渋る腰抜けの言い訳を聞いてやろう」
「だーかーらー‼ どうせおめーらの対立だろ? 去年も結構きつい思いしたし、テキトーに終わらせりゃいいだろうがよ!」
「ほざけ、こたびの戦には大義がある。えーと......そう! ローズに消しゴム貸してあげたのに次の授業までに返してくれなくてめっちゃ困った!」
「なるほどそりゃ大層な大義が......っててめーらの揉め事じゃねえか! しかも今思い付きで言ったよね!?」
「しかも授業中に当てられて答えられなんだ。わらわに恥をかかせおって......すべてローズのせいだ」
「いや、消しゴム関係ねーじゃん! あんたが勉強してなかっただけじゃん!」
「しかもその日は小テストがあった!」
「あー......そりゃ怒るわ」
「じゃろう? 貴様もそう思うじゃろう? そちも、そなたも、なっ‼」
ソメカンはじめクラスの連中に声をかけて支持者を増やしていく。こういうところが世事にたけた裳裾御前である。徐々にクラスが十二単の色に染められていく中、旗色の悪いルイスは虚しく抵抗を続ける。「いや、でもよ」とか「常識的に考えてよー」とか。このあたりルイスはやはり生真面目な神父で、正論ではなくその場の空気に流される民衆の浅はかさを知らぬのである。
「おい東風、お前もよー、何とか言ってやってくれよ!」
「これ豆腐、そちもそう思うよな?」
旗色を決めあぐねていると、いやなタイミングでご両人のご指名である。クラスメートも俺の方を見ている。これはアレだ、俺の意見でクラスの大勢が決まるやつ!
「いやー、今回ばかりはルイスの方が」
さすがにね。裳裾御前の言い草はちと無理があるもん。それに、カルニヴァーレなんてめんどくさいし。景品だってどうせ大したものじゃないだろうしさ。
「東風! 信じてたぜ」
「なんじゃと? おのれら、二人してわらわを......」
悪いね裳裾御前。俺はこう見えて良識派なの。空気を読んでもそれに流されない男なんだよ。流されそうな名前してるのは認めるけどさ。
その瞬間。
「ひーどーいーよー!」