「ありがたく頂戴いたしまする......」
ニコニコと笑うエミリアを前に箸を進めぬわけにもいかず、俺は恭しく両手を合わせた。
カレイの煮つけ。意外と庶民的な献立である。
見た目は問題ない、が......
「いただきまー!」
そこまで言ってネイピアが止まった。何か本能的な危険を察知したようだ。裳裾御前は早くからこの展開を予期していたか、初めから箸を手にしていない。
現時点で箸を持っているのは俺とルイスとネイピアとオリバー。
ここまで来たら、この4人の誰かがカレイを頂かねば不自然だ。裳裾御前もソメカンも自然にそ知らぬフリして負け戦から身を引いていやがった!
「オリバー、どうだ。まずお前から口をつけては」
遠慮するな、と畳みかける俺にルイスも加わる。
「そ、そうだぜ! 普段から屋敷で働いてるお前がまず食えよ!」
「な、何を言うか。執事が客人よりも先に頂くわけにはいかぬ。こういう時は聖職から、というのが作法というものだぞ」
「んなルールあるか! 東風、てめーはそんな作法知らねえよな!?」
「オリバーの言う通りだ! 俺は信心深いので、神聖な司祭よりも先にものを食うなど畏れ多くてできん‼」
「俺もだ。仮にも騎士の末席を汚す者として、お嬢様の次に命を懸けて守るべきお方は聖職者だ。それなのに先に食うなど......」
「はああー!? 俺の命を守るのが使命だってか!? そんなら毒見として」
ルイスの口元に抜身の刃が突き付けられた。
「貴様、俺の聞き間違いか? お嬢様のお料理が毒だなどと聞こえたが」
「......」
ルイスは静かになったが、オリバーさん、あんた今さっき命を懸けて聖職者を守るとか言ってなかったっけ? まあどうでもいいけど!
俺は少し落ち着きを取り戻した。
この分ならいつも通り貧乏くじはルイスに押し付けられそうだ。神職というのはうまく使うとなかなか役に立つ。
ところが、事態は思わぬ展開を見せた!
「いやよー......ここはレディ・ファーストってやつじゃね?」
「ふぁひっ!?」
ネイピアに飛び火したのである!
「い、いやー、ボクは」
「マーマレードの魔女として淑女としての振る舞いを身に着けるのも必要ではないのかな?」
ルイスがネイピアをやり込めている。俺としてはどちらが先でも構わない。どうせ対岸の火事だ。
「そのー、ボクってあんまりレディって感じしないし、ね?」
ネイピアがこちらを見てくる。確かに奴はレディとは言い難い。のだ......が‼
「いやー、ネイピアってレディの風格あるぜ」
「うむ。お嬢様には及ばぬが、なんというか気品があるぞ!」
オリバーまで乗ってきてネイピアは網にかかりつつある。
「ほんとに? 2人ともほんとにボクがレディだと思ってる?」
「もちろんだとも。晩餐会に出しても恥ずかしくないね」
「ああ、流石はお嬢様のご学友だ! じゃじゃう......じゃなくて天衣無縫の趣きがある」
様子見を決め込んでいた裳裾御前とソメカンも大勢を悟り、勝ち馬に乗る。
「さあ甘納豆。遠慮せずにはよう食え」
「ネイピアちゃんから行くっす! お料理冷めちゃいますよー!」
裳裾御前まで包囲に回り、ネイピアは既に逃げ場がないことを悟った。
「これはほんとにレディ・ファーストなんだよね......?」
ジト目でこちらを見やるネイピア。僅かに残る良心の呵責で俺は目を合わせることができなかった。
「あったり前じゃねえか! ネイピアちゃんはガチモンのレディだよ!」
ネイピアの手を握り、出まかせのおべんちゃらを発するルイス。てめーそれでも聖職者か。
「この中で一番レディっぽいのは裳裾御前じゃない......?」
「何を言うか。わらわは生まれてこの方、異国をさぶろうたことがない。てーぶるまなーなど分からんのじゃ」
わざとらしく首をかしげながらスプーンを持ち上げ、皿を行儀悪く叩いて見せる。
「甘納豆よ、無知なわらわのために西洋の作法を教えてくれい!」
「そそそうっすよ! アタシもよく分からなくって! ネイピアちゃんなら分かるかなーって!」
極めつけはエミリアの一言。
「ピアちゃん......もしかしてお魚って嫌いだった?」
親友にこうまで言われては逃げられない。
「いただきまーす......」
蚊の鳴くような声で呟いてぱくりと一口。
そのままゆっくりと、虫歯で痛む歯をかばうかのように慎重に咀嚼し、飲み込む。
「ど、どう......? ピアちゃん?」
人に出しておきながら内心ではやはり自信がなかったのか、エミリアがおずおずと出来栄えのほどを尋ねる。
一瞬、ぐらりと天を仰いだかに見えるネイピアであったが。
「おいしい! おいしいよー!」
お箸を握りしめ、目を輝かせて言った。
「ほ、ほんと? ほんとにおいしいの!?」
「うん! すごくおいしいよ! みんなも食べなよ! レディのお勧めだよー!」
な、何......?
「ほ、ほんとか!? いや、けどよー」
「ルイスってば、サイテー! エミリアの腕を疑うの!?」
「う......いや、そうだよな、せっかくエミリアさんが作ってくれたのに食わなきゃ失礼だよな!」
「うむ......俺は少々、我が主を疑っていたようだ。いや、騎士として恥ずかしい限りだ。お嬢様の手料理、有難く頂戴する......!」
ルイスとオリバーも手を合わせる。
「いやー、ソメカンは思ってたっすよ! これ絶対うまいやつって! 焦げ目の入り方からして違いますもん!」
「わらわも分かっておったぞ。庭園の某、こやつは相当の腕前じゃと。匂いを嗅いだだけで都の味を思い出したわ」
「いやあー、それほどでも......」
エミリアさん、素直に喜ぶのはいいけど、そいつら2人、あんたの料理を警戒して箸つけなかった奴らだから信用しない方がいいよ。
「ほらほら、東風も食べて! すごいおいしいから!」
「お、おう......」
カレイの煮つけの載った皿を両手で持って勧めるネイピアを見て、しかし俺は一抹の不安を拭えなかった。
ーーいただきまーす!
皆の声が響き渡る。
その瞬間、俺の不安は確信に変わった。
一瞬、天を仰いだネイピア。うまいもの食って天を仰ぐものか?
レディのお勧めという言い方。まるでレディ扱いされて毒見役を押し付けられたことへの当てこすりのようではないか。
そして......そんなにうまいというのなら、なぜ自分の皿の切り身を俺に勧めるのだ? 俺の分はちゃんとあるのに。
「どうみんな? おいしい?」
ニコニコ笑いながら感想を聞くネイピア。
そういやこいつって意外と根に持つタイプだったな。
「ぐ......がハッ!?」
最初に毒が回ったのは、一気に切り身を頬張ったルイス。
「甘納豆......謀ったな......」
そう言って倒れたのは身体の小さい裳裾御前。
「小娘......貴様、まさか......」
「ぐふう......ひ、ひどいっすよネイピアちゃん......」
オリバーとソメカンもネイピアの罠に気づいたようだ。
「何がひどいの? みんながボクに勧めてくれたものをみんなにも勧めただけだよ!」
うぐっ。
そう言われると言い返せない。
恨めし気な眼差しを残して、そのまま机に突っ伏するソメカンとオリバー。南無!
直前でネイピアの罠に気づいて手を止めた俺だけが生き残った!
「ま......まったくだぞお前ら。そうやって他人を陥れようとしてるから罰が当たるんだ。ね、ねえ、ネイピアお嬢様?」
そう言って俺はそそくさとハンカチを取り出し、ネイピアの口元についたソースを拭きとる。いや......血反吐とかじゃないよね? カレイの煮汁だよね?
「ほんとにね。みんなひどいよー」
「まったくとんでもない連中でありますな、揃いも揃ってマーマレードの魔女を欺こうとは‼ マイ・マジェスティ、よろしければお口直し、じゃなくて食後の一杯にレモンティーでも。さっそく用意して参ります!」
くるりと踵を返し、退散! いやー危ない危ない。風車と掌は良く回るほどいいね。
「待ちなよ、東風。せっかくだから東風も食べてきなよ」
「いやはやそれがなんとも......もうお腹いっぱいで」
「レディのおすすめだよ? それともエミリアの料理が食べられないっていうのかな?」
「......」
く、くそ。
ネイピアに言いくるめられる日が来ようとは‼
そこから先の記憶はございません。記憶にございません!