ここはグリーンズハウス本館。
既にオリヴィアは帰ってきていた。
彼女がいるだけで安心感が違う!
なお、エミリアは厳重にソファに縛り付けている。彼女は恐ろしいことに、オリヴィアが帰宅するやいなや、「今日は疲れたでしょうから、あとの家事は私に任せて頂戴」と口走った。悲劇を繰り返してはならぬと、食卓で誓いを立てた一同は、ネイピアに命じてエミリアの膝に滑り込ませた。
「エミリアー、行っちゃヤダあー!」
駄々っ子よろしく庭園の魔女の膝に縋りつくネイピア。心優しいエミリア、少しためらったようだが、オリバーの押しもあってついに台所には入らぬ旨、合意を得た。
実は、ネイピア駄々っ子作戦の発案者は俺だ。なかなかの軍師ぶりだと思うのだが。
「でかしたぞ豆腐‼ さすがはわらわの見込んだ男よ!」
裳裾御前の有難いお言葉。
ふうむ、とオリバーも感心している。
「お嬢様を縛り付けるには、マーマレードの令嬢をもってすれば良かったか、盲点だったな。毒を持って毒を制するとはこのことだな。いや、俺も勉強が不足していた」
俺のことを見直すのは結構だけど、あんた何気に一番失礼な発言だからね?
姉は自覚的な慇懃無礼だが、弟は無自覚な無礼者だ。オースティン家の礼法教育はどうなっているのだろう?
「剣術ばかりではなく兵法も学ばねばならんな。木枯殿よ、ひとつ俺に兵法を教えてくれんか」
兵法つうか処世術だけどね。
「いやー、東風ちゃんのおかげでソメカンの美声は守られたっすよ! あのカレイ、一口食べた時に、飲み込んだら喉やられるって思って、ギリギリで吐き出しました! アタシにとって声は命。東風ちゃんは命の恩人っすよー!」
「それは何よりだ」
「お礼に今度、アタシのアルバムあげます‼ ファンクラブの隊長に任命するっす!」
「それは結構だ」
ネイピアは今、エミリアの膝の上ですやすやと休んでいる。それにつられるように、エミリアもうつらうつら舟を漕いでいる。このお嬢様も案外居眠りする奴だった。授業中にも寝てたし。
さて。文献調査の続行である。
ものの本によると、ホムンクルスは腕に抱けるくらいの赤子の姿をした魔物だそうだ。
著者はウィリアム・マリントン。17世紀ごろ、戦乱のために故郷を離れて以降、世界各地を回り、竜や妖精、知恵あるモミの木と会話をし、小人のために森を切り拓いて建物を建てた親切な人らしい。
あとがきによると、マリントンは身一つで家を離れて筆を持てなかったので(戦災孤児のため読み書きの教育を受けていないということだろう)、自身が世界を回って得た見聞を小人に伝え、それを小人が書きとった。つまりこの書は口述筆記なのだ。
書名は「世界魔法生物見聞録」
近代以降、確認されていない諸々の不思議な生き物について知りたいときは、この文献にあたるのが常道とされるらしい。
「これもまた力は弱いとはいえ、魔導書の一種ですよ。こころして読んでくださいねえ」
オリヴィアが言う。世の中にはこんな魔導書もあるんだな。
「木枯さんはもとから腐ってるから、心配はないですけどねえ。持ってかれないようにしてくださいねえ」
そのネタまだ引っ張るんかい。
読み進めると、少々グロテスクだったり、倫理的観点から青少年に好ましくないような表現が多々見受けられたりしたが、特に闇落ちするほどのものではなかった。
「さすがは木枯さんですねえ」
「やかましいわ!」
性悪メイドが何を言いたいかは分かっている。
マリントン氏の本を調べた結果、ホムンクルスには以下の習性があることが判明した。
1, 基本的にはおとなしい性格
2, 特定のものに執着してそれを口に入れたがる。何がお気に入りかは個体ごとに違う
3, 試験管の中で目を開いたとき、初めて見たものを母親と認識する
「問題は、お気に入りのものと、何を母親と認識するか、じゃろうのう」
裳裾御前が言う。
エミリアの料理を食べて胃薬を服用、今では落ち着いているようだ。
「ひとまずホムンクルスの習性は分かった......と言いたいところじゃが、一つ問題があるぞ。時に、この書はいかほど信頼できるのか?」
裳裾御前の心配。それは書物の信憑性。
「それは著者を信じるしかありませんが......」
とオリヴィア。だが、
「多分、大丈夫だろう」
と俺は言った。
「なぜじゃ?」
「これは初版本だ。後ろの帯を見たら分かった」
「ふむ。それで?」
「初版本だから後から脚色されてる可能性はない。マリントンの生の言葉なんだ」
「しかしそのマリントンさんが信じられるのかって問題ですよ?」
「そこも多分大丈夫さ」
俺は言う。
「マリントンはな、自分が他人から聞いた伝聞型の知識と、直接見た情報をきちんと区別して書いているんだ。それは文章の全体からわかる」
「ふみふむ」
「そのうえ、随所で複数の立場から事実を明らかにしようと努めているし、よく『私が見た限りでは』とか『以下は推測の域を出ないが』とか前置きをするんだ。つまり、知的に潔癖な奴だ。適当な話を書くとは考えにくい」
「ほほう」
「というわけで俺はマリントンを信じているのさ」
「ほほう......なかなかの分析ではないですか」
オリヴィアの褒め方はいつも少し含んだところがあるような気がする。
このメイドには何か底知れぬ部分があって、エミリアやネイピアと比べると少し苦手意識を感じているところがあった。
「ところで皆さん。そろそろお開きとしませんか? 何なら当館に宿泊頂いても構いませんが......」
「おお、もうこんな時間か。邪魔したな」
オリヴィアの言葉に、裳裾御前が立ち上がる。
「うむ......あまり遅くまで残るのもご迷惑というもの。わらわの若い頃は朝方まで酒池肉林を楽しんだ者じゃが、夜が更ける前に立ち去るのも粋よのう」
若い頃っていつだよ......と突っ込んだのは俺ではなくルイスだ。したがって磔にされたのもルイスである。なんでこの神父は思ったことを必ず口に出すかなあ?
「必要な情報もわりと集まりましたし......そろそろお開きっすかねえ」
ソメカンが言う。
「だな。ホムンクルスって何だよとか思ってたけど、どうもただの赤子みたいだしなあ。大好物を頬張るとか、初めて見たものを親と思うとか色々あるみたいだけど、まあ寝かしつけるだけなら何とかなるだろ」
楽観的な見解を述べたのはルイス。磔にされたまま冷静に分析しなくても。
「では......かいさーん」
「お邪魔しましたー!」
皆がぞろぞろと屋敷を後にする。俺もその動きに合わせてグリーンズハウスの玄関に向かう。その時、オリヴィアに呼び止められた。
「待ってください! 木枯さん、少し手伝ってくださいよ!」
「何だ? 別に手伝うのは構わんが」
「マーマレードの魔女を寝室に運んでくださいよ! お嬢様は私が運びますから」
あ。そういやあいつらもう寝てたね。
「分かった。じゃあみんなは先に帰っててくれ。俺がネイピアを運ぶよ」
そんなわけで、皆と別れて一人だけ屋敷に残る。
そのまま俺はオリヴィアと皆がだべっていた客間の中に戻り、すやすやと眠るエミリアの膝から、ネイピアを引っぺがす。
「すみませんねえ。お嬢様は私が......」
よっ、と掛け声を上げてエミリアを抱きかかえるオリヴィア。この人、ほんと何者?
「寝室はこちらです......もう、2人まとめて来客用の寝室でいいですよね。どうせお嬢様の寝具はそろそろ洗おうと思ってましたし」
俺はオリヴィアについて、グリーンズハウスの2階に上がる。相変わらず古風で上品な調度品が多い家で、廊下の壁に飾られた絵やアンティークなランプを見ているだけで中世のお城に迷い込んだような気になる。
「ここが寝室です」
がちゃり、とドアを開けて入った部屋は、ホテルのリゾートルームが少し小さくなってベッドとベランダだけになったような部屋だった。グリーンズハウスの部屋にしては床の面積が狭い。それでもベッドと壁の間のスペースは、俺とオリヴィアが並んで移動できる程度にはあるのだが。
「はーい、おねんねですよー」
オリヴィアがエミリアをベッドに転がす。俺はその横にネイピアを転がした。
2人の魔女はまるで親子のように、寄り添いあってすやすやと眠っている。
「さて......行きますか」
踵を返したオリヴィアの後を追い、部屋の外へ。そのまま来た道を引き返すだけなのだが、妙にドキドキしました。後ろからついていくと、オリヴィアの背中は案外小さい。八面六臂のメイドのようだが、何だかんだ女性なのだなあ、と思ってしまう。そういえばオリヴィアって結構美人だよな。
童話の中のお姫様がそのまま現身を得て歩いているような主の隣にいるから目立たないが、オリヴィアもやっぱり綺麗だ。
光属性のエミリアに対し、少し影のあるところはあるけれど。
でもこういうタイプほど意外と情が深くて、ひとたび恋に落ちると情熱的だったりして......という妄想が捗る。
「木枯さん」
うむ。あり得る。
水平移動カチューシャがこれで実は恋人にはデレデレとか、かわいいじゃないか。普段は保身と処世術に長けたこすっからいところばかりが目立つが。
「木・枯・さ・ん」
どんっ。
衝突の衝撃が、考え事に浸っていた俺の意識を現実に引き戻す。
俺の顎のあたり、栗色のよく整えられた髪に埋もれたピンクのカチューシャが見える。オリヴィアとぶつかったのだ。
厚手の清潔な布が手に当たっていた。きっとエプロンだろう。
「よそ見しないでくださいよ」
俺を上目遣いで見上げるオリヴィアは、なんだかとても可憐だった。ルイスをあしらい、俺に無礼を働く性悪なメイドとは思えない。
そんな風に、オリヴィアのことを悪しからず思い始めた矢先だけに、次の一言は意外だった。
「木枯さんって私のこと嫌いですよね?」