「東風ー、ノート送ってー」
寝ぼけ眼をこすりながらネイピアがすり寄ってくる。人が一生懸命に取ったセイウチのノートをタダで彼女のチャットに送れとな?
「てめ......400字あたり1万円で」
言いかけたところで、鈴のなるような声が聞こえた。
「木、木枯さん、よろしければ私にも......」
「もちろんでございます、エミリアお嬢様」
「あの......よろしければ何かお礼でも」
「めっそうもございません! お役に立てただけで望外の喜びでございます」
「東風ー、ボクもー......」
くあー。オレンジを丸ごと詰められるような丸い大口を開けて欠伸をするネイピア。正直苛立たしいが、エミリアが澄んだ瞳でこちらを見ている。畜生め!
「ほらよ。チャットに送っといたぜ」
「あややと」
もはやまともなお礼を言う気すらないネイピアである。
「東風......俺にも......」
声帯を痛めたゾンビのような声が背後から聞こえた。
黒い僧服に身を包んだ男。長身だがどことなく垢ぬけないオーラが漂う銀貨の魔術師ことルイス・マーティスである。
「ほらよ」
もはや断る気力もなくなった俺はルイスにもノートを送る。
「ありがとう......エミリア」
ぶち。
ルイスは床に倒れ、巨大なたんこぶを作っていた。ゾンビってたんこぶできるんだね。血はないと思ってたのに、ちゃんと内出血するんだ?
気を取り直して、エミリアとネイピアに向き合う。
「セイウチ教諭の授業だが、おぞましい課題が出た。人権侵害の疑いがある物量だが......」
「2万字のレポートですね......」
「に、にまんじってどれくらい? なんばいとくらい?」
ネイピアがゆで卵のような白目をむいている。ネイピアの分際でバイトなどという単位を覚えていたとは、生意気な。
「お前の脳の容量よりもはるかに多いと思え。そうだな、お前を20人くらい並列につないでようやく回るくらいか」
「あの......それじゃピアちゃんって電卓以下......」
電卓とネイピアじゃ電卓のほうが賢いに決まってるでしょう!
「なんかさー、東風ってさっきから僕のことバカにしてない!?」
「そ、そうですよ。それじゃピアちゃんがかわいそう......」
「エミリアさん、俺はネイピアをバカにしているんじゃない。もともとバカだからバカにしようがないでしょうが」
バカにすることができるのはもともとバカじゃない奴だけ。ない袖は振れぬのと同じ原理である。
「なあんだ、そうだったの? ボクってば、変な勘違いしちゃってたよー!」
「そうだぞネイピア。わかってくれたならよろしい」
仲直りの握手だ。俺はネイピアに手を差し出した。ネイピアもどこか誇らしげな顔で俺の手を握る。素直になればかわいい魔女なのだ。愛いやつ愛いやつ。見た目だけは膝に乗せたくなる可愛さ。お兄さん、腕枕だってしてあげちゃうよ。腕痺れないって? 大丈夫大丈夫、頭軽いから!
「東風、仲直りのしるしにマーマレードあげるね」
「それは願ってもない申し出だ。しかし、言ってなかったがな、実は俺はオレンジと砂糖のアレルギー持ちでな、そいつはルイスに渡してやってくれ」
「大丈夫だよー、オレンジも砂糖も入ってないマーマレードだから!」
それ、ほんとにマーマレード?
――太陽のマーマレード!
ネイピアの叫びとともに、小さな透明の瓶が投げつけられる。ヒュウウと手榴弾のような放物線の軌道を描き、カランコロンと手榴弾の転がるような音を立て、ドガアアアンと手榴弾のように爆発した!
太陽のマーマレード。太陽エネルギーがこもったジャムで、刺激を与えると爆発する。ネイピアの得意な魔法だ。よく理解できなかった方のために分かりやすく身近な例(?)で申し上げると、手榴弾である。
「ネイピ......あ」
マーマレードの魔女がさらに何か瓶を投げつけようとするのを、エミリアとルイスが止めている。そこにすすすと空港のウイングシャトルに乗っているかのように水平に移動するカチューシャが見えた。
「エミリアお嬢様、お耳に入れたいことが......」
「なあに? ......なんですって?」
エミリアが少し驚いたような声を上げる。その瞬間、拘束が緩んだか、ネイピアがエミリアの腕を払い、返す刀でジャンプしてルイスの顎を砕く。身長差的にちょうど急所を狙える、ナチュラルキラー・ネイピアである。
自由になったマーマレードの魔女が再びジャム瓶を取り出す。
こんがりと焼いたトーストよりも焦げ臭い匂いを嗅ぎながら、俺は意識を失った。