グリーンズハウスでホムンクルスの生態を調べ、他にも情報を漁ると、何だかんだで謝肉祭まであと一週間に迫っていた。
俺とルイスは裳裾御前の勅命で、B組の偵察に向かった。
冷静に考えると委員長は御筒なのだから十二単の命令を聞くいわれはないのだが、不健全な命令系統がまかり通る1-Cにあっては、裳裾御前の宗教的権威の方が委員長の法的権限を上回るのである。
B組のクラスルームは西棟の2階。なお。C組は東棟の2階であるから、ちょうど東西で睨みあうことになる。ついでながらA組は西棟3階、D組は東棟1階である。
ソメカンの情報網によると、この時間のB組はあわれ体育の持久走で走らされている。わが校の誇る報道の鉄人、筆を曲げるくらいならば腕を折る覚悟の烈士たむろせる新聞部によれば、ソメカン情報の信頼性は問答無用のSランクで、査読済みの学術論文よりも価値が高いとされる。もちろん、日本政府の公式見解などよりもソメカン情報の方が正しいに決まっている。実際、彼女はとにかく全校生徒に顔が広く、どんな無口な生徒を起点にしても、(引きこもりを起点にしてさえも)その日に喋った人物を3人辿れば今染柑奈その人に行きつくということがグラフ理論によって証明されているのだ。なんなら猫をスタートにしても3人(?)以内にソメカンに到達する!
今は昼休み前。
俺は少し早く数学の授業を抜け出し、御前の密命を果たすべく、双眼鏡を覗いていた。
双眼鏡のレンズは、確かに岸辺の道を占拠して肩で息をするB組の連中を捉えている。
体育の時間はだいたい、川沿いの公園を走るのが慣例だ。で、校門に近い岸辺のところで集合し、体育教師が訓戒を垂れる。
俺は、レンズの表面についた水滴を拭った。
雨が降っているのではない。日はさんさんと照り、何なら日傘が欲しいくらいだ。持久走なんだから晴れてるに決まっとろうが!
では、なぜ双眼鏡が濡れているのか?
俺が水の中にいるからだ!
正確には水面から半分だけ、浮草のように僅かに頭を出して、平泳ぎでB組の様子を伺っている。
一方ルイスは少し陸に上がったところ、そこの濡れた草陰と泥の間に肺魚の幼体のようにうずくまっている。
ジャンケンで負けて水の中に入ることになった時には畜生と思ったけれども、あの泥と草の間で半魚人化するくらいなら、はじめから全身水の中にいた方がマシである。結果オーライという奴だ。
B組の面々は、クラスの半数程度が指定のコースを走り終えて、お喋りをしたり、川に向けて石を投げたりしていた(俺の方に投げないでね?)
既にゴールしているのは運動部が中心。体力に自信のある生徒たちだ。
その後ろにぼつぼつ文化系の面々もゴールする。B組はクラスの仲がいいらしく、へばっている小太りの男子生徒に、野球部か水泳部と思しきガタイのよい男子が「飲めよ」とペットボトルを差し出している。その太った子に、背後から水を浴びせかける奴もいた。ああいうひょうきん者って絶対に1人はいるよね。
だが俺たちの偵察目標は仲睦まじいB組の男子陣ではない。
彼女は未だ、姿を見せていない。あの人だかりの中に、彼女はいない。
裳裾御前より要注意との報を受けた標的。
彼女は上位ゴールの集団より少し遅れて、今、持久走を終えた。
順位的には中の上程度だが、まるで息が乱れておらず、余裕があることを感じさせる。
ヘアゴムで髪を結う女子が多い中、彼女はそのままの髪であった。
型にかかる程度の長さだから結う必要がないのだ。
その少し乱れた金髪をなびかせながら悠々とゴールし、息を整えるその少女。
---劫火の魔女 レディ・ローズ・フランソワ‼
彼女がこちらを振り向くのが、双眼鏡のレンズ越しに見えた。
俺は変質者か?
一瞬、丸い視野の中のローズと目が合った。炎がちろちろと覗くような、赤い瞳。
ローズはB組の委員長だ。こちらは形骸化しておらず、名実ともにB組のドンである。
裳裾御前はローズに注意するようにと口酸っぱく言った。此度の大戦でC組の歩武を阻む者はこの劫火の魔女をおいてほかにない。A組もD組も魔術においては恐るるに足らずだが、ローズだけは別だ。彼女がどう動くのかを見ておけ、と。
「あるいは草に伏しかくれ~」
ルイスのことか?
「あるいは水にうち入りて~」
やかましいわ!
「万死おそれず敵情を~」
恐れるよ? 俺は、万死恐れるよ?
「視察し帰るバカ2人~」
斥候兵じゃ! なんでここまで身体張ってバカにされにゃならんのじゃ! 誰だこのふざけた歌つくったやつ!
「肩にかかれるC組の~」
くそ。C組なんてどうでもいい。あんな連中、クラスメートじゃねえよ!
「安危はいかに重からん~」
軽いんだよなあ。C組の安危なんてよお‼
誰だ、変な歌つくったやつ!
「どう東風‼ ローズ見つ」
やっぱりお前かネイピアあああああああ!
バカとはお前のことだ! ネイピアを水中に引きずり込み、唇に手を当てて黙らせる。
「もごもご......!」
黙れ。B組がこっちを見てるのが分からんのか!
水の中で見たネイピアはスク水だった。こちらも同じだけど、この距離で2人、水の中にいるのは何かよろしくない気がする。問題は、ネイピアが相手だとあまりドキドキしないことだが。
水中でも息ができるシュノーケルをネイピアにも吸わせてやる。いい子だから、橋の影に移動するまで水面に顔を出すなよ!
「...ぷはあっ‼」
無事、B組からは死角となる橋の下へ。俺とネイピアはそこで川のせせらぎに洗われるスイカのように頭だけを浮かしていた。
遠目に見るB組は、ローズを中心に怪訝そうに川の方を見ている。俺たちが先ほどまでいた場所である。
その奥に、草むらの影からこっそりと抜け出したルイスが、散歩している一般人のふりをして土手を素知らぬ顔で通り過ぎる。そのままルイスは徒歩でこちらにやってきた。
「お前ら何遊んでるんだよ!」
岸辺の電信柱の陰に隠れてルイスが俺たちに声をかける。
水から上がってルイスと合流。上からコートを羽織る。これだとボート部か何かの帰りに見えるだろう。
「遊んどらんわ! 水中からローズの様子を伺ってたんだ」
「傍から見てると変質者だったぜ」
「そうだよー! 東風の変態‼」
「やかましい! お前だって草葉の陰から覗いてたろうが!」
「そうそう! ルイス君がゾンビみたいでキモかったよー!」
ところで。
俺とルイスはくるりと向き直り、胸ほどの高さにあるネイピアのオレンジの頭をむんずと掴んだ。
「ネイピア。てめーどっちの味方なんだ?」
「東風よー、今回こいつだけ痛い目見てねえよな?」
「まったく。っつーか、毎回こいつは難を逃れてる」
俺たちに偵察を押し付けて自分は高みの見物ってか?
そういえば、ネイピアにはベニクラゲというコードネームがあったな。イモータル・ジェリーフィッシュ。
俺はルイスに軽く目配せをした。こういう時にすぐに真意を悟ってくれるのはさすが神父である。やはり魑魅魍魎のうごめく権門を泳いできただけはある。いや、ルイスに権謀術数は似合わんが。
「イモータル・ジェリーフィッシュよ。お前にミッションを与える」
「いやー、ボク、今日の午後から歯医者が入ってて」
「心配するな。お前はまだ乳歯だから虫歯になっても問題ない」
「ひどい! 乳歯でも虫歯はダメだよ! それにボク、永久歯ですうー!」
「ネイピア、さっき購買でメロンパン買ってきたんだけど一つ食わね?」
「いるー! ありがと、ルイスうー!」
「おやあ? 虫歯だからメロンパンは食えねえかと思ったんだがな......」
「......丸呑みするから大丈夫だもん」
そんな言い訳が通るかと言いたくなったが、こいつならやりかねんから困る。
「はあ。C組のみんなもがっかりするだろうな。ネイピアが力を貸してくれたら、B組の情報も手に入ったのによー」
「......」
「だな。まあ人にはそれぞれ事情があるから無理強いはできんが。いやー、潜入ミッションはネイピアには荷が重かったか」
「......ちょ、ちょっと」
「仕方ねえ、俺と東風でB組に潜入するとするよ」
「成功する確率は低いがな。あー、美人で有能なスパイの援助があったらな」
「その手には乗らないよ! みんなが褒めてくる時って絶対何か裏があるんだから!」
ちっ。エミリアのカレイの煮つけを押し付けられて賢くなったか。
「ふ、2人ともいつもそうやってボクをだまそうとするんだから......」
(おい東風......こいつ賢くなってねえ?)
マズくね、とアイメッセージを送ってくるルイス。案ずるな。俺にはまだ秘策がある。所詮、ネイピアなど俺の手のひらの上で踊る蜜柑よ。
「......引き受ける気はないか」
「ないよ! 危ない橋は渡らない主義なの‼」
ちっ。頭の中に脳の代わりにマーマレードの詰まったジャム瓶の分際で、分別くさい言葉を吐きおって。
「いや......そうか。いや、やられたよ、ネイピア。今回は諦めるとしよう」
「......」
ネイピアは不安げな面持ちでこちらの様子を伺っている。
「ほんとはね、お前を騙してB組に送ろうとしてたんだよ」
「やっぱりー!」
ネイピアの得意げな声。
「今回は俺の負けだ......が、後学のために教えてくれないか。いつ、どこで気づいた?」
「ふっふーん、教えないよ! 教えるわけないじゃん! 東風に本当のことなんて絶対、教えないから」
ぷいっとそっぽを向いて見せるが、口元が緩んでいる。自分の推理を人に説明したくてたまらないのだろう。もう一歩だな。
「ふん......どうせルイスがメロンパンの話を持ち出したあたりで気づいたんだろう」
「違います―! もっと前から気づいてましたあー‼」
べー、と舌を出しながら勝ち誇るネイピア。お前は気づいていない。先ほど、何も教えないと言いながら、今、さっそく情報を提供してしまっていることに。
人は、目の前で間違ったことを言われるとそれを訂正して自分の賢さをひけらかしたくなる。見事、敵の狡猾な罠を見抜いた後となればなおさらだ。
俺はわざと少し悔しそうな顔をした。ルイスもわざとらしく驚いた顔をして見せる。
「そんなに前から......なぜ」
「ふふん。東風たちがボクにどっちの味方なんだって詰め寄ったあたりで感づいたんだよ! あ、ターゲットがボクになった、って!」
バカめ。ペラペラと自分の情報を喋りおって。俺なんか信用できないから何も教えないんじゃなかったのかね?
「そうか......よかった。てことは、俺がローズに送った手紙のことは気づいてねえな?」
「バ、バカ! 東風、それは」
ナイスフォロー、ルイス。
「し、しまったあ‼ 俺がローズに送った密通がバレてしまううー! これがバレたら大変なことだ! どーうしようー!」
ネイピアの目がきらりと光った。
俺とルイスの目もまた薄暗い輝きを放っている。
「も、もちろん気づいてたよ! バレてないとでも思った!? 東風が二重スパイしてた証拠なんてもう握ってるから!」
ふんす! とふんぞり返るネイピアだが、少し冷や汗をかいていることを俺は見逃さなかった。この野郎、すぐに分かる知ったかぶりをしおって。
俺が二重スパイしてた証拠なんてあるはずがない。だって、今の話は出まかせのでっちあげなんだから。
「くそ......ネイピアにはそこまでバレていたか。頼む、このことはみんなには内緒にしてくれ」
「ふっふーん、どうしよっかなー! もう東風の弱点握っちゃってるもんねー!」
ククククク。むかつくが調子に乗っておれ。勝ち誇るがいい。そうするほどに墓穴を掘るのだ。その穴にジャムと一緒に葬ってやろう。
「わ、わかった。メロンパンを20個とチョコレート10個でどうだ」
「メロンパン40個とチョコレート30個なら考えるよー!」
「いいだろう。その代わり、ブツを渡したら俺がローズに送った手紙は返してくれよな」
「へ? い、いいよ! ボクってば優しいから......でもさ、処分じゃダメ? ボク、ちゃんと燃やしておくからさ!」
「ダメだ。ちゃんと現物を返してもらう。こっちの小遣い吹き飛ぶメロンパンだぞ、いいだろ」
「う、うん......わかった......」
ネイピアが少しだけ心細げな声に変わった。
はい。
捕獲完了。
「じゃあ買ってくるからな」
「う、うん......い、言っておくけど、約束のブツが一つでも足りなかったら返さないから‼」
「分かってるよ。じゃあな」
俺とルイスはとぼとぼとコンビニに向かって歩き出した。ええ、口元がにやけるのを抑えるのが大変でしたとも。
ネイピアはありもしない二重スパイの証拠を探すべく、B組に潜入する。
色々と調べ回った挙句手ぶらで帰ったネイピアに、俺たちはなけなしの銭をはたいてメロンパンを買ってきたのに、どうして密書を返してくれないのかと詰め寄ればいい。後は、泣きながら事情を説明するネイピアを適当に慰めながら必要な情報をGETするだけだ。
「東風......俺はお前とダチになれてよかったぜ」
「俺もだ、ルイス。にしても悪い神父様だねえ。悪魔に十字架売ったの?」
「ククク......お前ほどじゃねえよ」
「俺は聖職者じゃないんでね」
はーっはっはっはっはっは! ネイピア風情が俺を手玉に取ろうなど、百年早いわ!