「それは災難でしたねえ」
オリヴィアがやんわりと言う。
グリーンズハウスの一室で相変わらず資料を漁りながら、それでも誰かに偽の手紙の件を愚痴らずにおれない俺であった。
「悪質ないたずらだ。犯人をとっちめてやりたいものだぜ」
「でもお、ある意味役得じゃないですか? レディ・ローズ・フランソワに気に入られたんでしょ?」
「言うな。劫火の魔女に気に入られるなんて御免被る」
ローズに何と説明して誤解を解いたものか、まったく気が重くなる。
俺は開いていた本を閉じて、オリヴィアが淹れてくれたコーヒーを啜る。豆の香りはしっかりと残っているが、やや味は薄め。寝つきが悪くならないようカフェインを控え目にしてくれるあたりが流石オリヴィアといったところか。
「ですが......少々意外ですね。劫火の魔女はちゃらちゃらした告白なんて嫌うタイプかと思っていましたが」
「俺もそう思ってたよ。でも意外と」
「自分、いけるかも......なんて勘違いしない方がいいですよ?」
ぐさっ。
ルイスといいオリヴィアといい、俺に当たり強くない? 告白したのは俺じゃなくて誰か別の奴だって!
「どうして木枯さんが劫火の魔女のお眼鏡にかなったのかは、まったくもって摩訶不思議としか言いようがありませんが......」
「またまたあ。ほんとは何か情報掴んでるんじゃないの? メイドの人脈とかで」
「いえ......フランソワ家はSPが優秀でしてね。内部情報はなかなかGETできません」
オリヴィアは、自分のコーヒーカップに銀製の容器からミルクを注ぐ。ミルクが注ぎ口に滴らないよう丁寧に最後まで落としてから、容器を水平に戻す。このあたりの所作は相変わらずである。
「ふうむ......しかしまあ、あれじゃないか? ローズくらい高嶺の花だと、誰からも告白されなくてかえって自信を失っていたとか」
そこに真正面から恋文が届いたのでぐらッと来たのだろう! きっとそうだ。
「木枯さんって意外と自己肯定感高いですねえ。高嶺の花すぎて敬遠されたというのはありうる線ですが、それで木枯さんになびくなんて血迷ったとしか思えません」
そう言いながらオリヴィアは、コーヒーカップを両手で回し、乳白色と黒がもつれて溶け合う様子を楽し気に見つめている。オリヴィアにしては少々子どもっぽく見えたが、彼女もエミリアと同じくらいのお年頃なのだ。
にしても、一杯のコーヒーとともに憩いを安らう静寂の夜に、可愛らしい仕草でとんでもない無礼を口走るメイドであった。ビジュアルとセリフがあまりにも嚙み合っていないぞ。
「名のある魔女がご乱心遊ばして......おいたわしや」
ウサギの赤ちゃんでも抱くように、胸の前でやさしくコーヒーカップを揺らしながら言う言葉ではないと思う。口さえ開かなければ、有能なメイドが年相応のあどけない振る舞いを垣間見せたエモいワンシーンになったものを‼
「ともあれ......これで逃げ道はなくなりましたねえ。裳裾御前より総大将に任ぜられ、劫火の魔女からも目をつけられた、と」
「うぐっ」
痛いところを突くな!
「た、確かに八方ふさがりの状況にも見えるが、まあ所詮高校のイベントさ。そんなに大騒ぎすることもない」
「それはどうでしょうねえ」
オリヴィアはうふ、と含みのある笑い方をした。
「カルニヴァーレの開催を示す立て看板。覚えてますか?」
「あ? ああ......」
「では......その時の紋章は?」
紋章?
「ぶどうの紋章があったでしょ? 覚えていませんか」
そういえばあったな、そういうの。
御筒委員長が警戒していた気がするが。
「なあ......何か問題があるのか? ぶどうの紋章に」
御筒委員長もオリヴィアもあの紋章には反応している。これは何か裏があるとみて間違いないのでは?
「ぶどうの紋章......それはぶどう酒の魔術師、パール・ポン・ピアジェ男爵のものです」
「パール・ポン・ピアジェ......」
「ピアジェ家はワイン商として財を成した一族です。貿易や金融にも積極的な、いわゆる豪商というやつです」
「そのピアジェ家ってのは、あくどい商売をしてるとかいうやつか?」
「いいえ。リスキーな投資を好み、商売っ気の強い一族ではありますが、特に違法なビジネスをしているわけではありません。が」
が?
「カルニヴァーレの後援になった、というのが問題なのです。あのぶどうの紋章は、ピアジェ家がカルニヴァーレを主宰するという宣言のようなものです」
「スポンサーにでもなったんじゃないか?」
「でしょうねえ。ですが、グロティウス家がピアジェ家の後援を受け入れた、というのが少々引っかかりましてねえ」
グロティウス家?
オリヴィア先生、出来の悪い生徒にも分かるように解説頼むよ。
「むむ、仕方ないですねえ。ではメイドのオリヴィアから、カルニヴァーレと騎士団の歴史の補講でも致しましょうか」
オリヴィアはコーヒーカップを膝の上に置いた。
カルニヴァーレはもともと、魔術会の安全を担う<山籠(やまかご)の騎士団>が400年ほど前から主催していた。当初、<山籠の騎士団>は明確な法体系を持たない魔術師社会に生まれた地域自警団のようなものであったが徐々に大規模化、事実上の準警察組織に成長する。定例会の時に余興として団内で流行していた謝肉祭(カルニヴァーレ)のホムンクルス遊びはやがて伝統となり、代々騎士団長を務めていたグロティウス家がその運営元であった。
「グロティウス家当主の二つ名はブルーベリーの魔術師、または魔女......」
ブルーベリーの名を冠するグロティウス家の家長は、騎士団長を務めるとともに、カルニヴァーレを主宰する。
......が。
「今から200年ほど前に、騎士団長の地位を巡って<紫抗争>が起こったのです」
200年前といえば、魔術師の世界でも徐々に近代化の波が押し寄せた頃。
農業主体で伝統重視、地域密着型のグロティウス家と。
ワイン貿易で財を成し、経済に明るい商人気質のピアジェ家と。
両者の関係性は必ずしも蜜月の仲というわけにはいかなかったらしい。
「ピアジェ家は事実上の警察組織である<山籠の騎士団>の団長位が今なお特定の家に世襲されていることを問題視。警察機構ならばその団長位は民主的手続きによって選ばれるべきだと主張、有力魔術師に働きかけて政治闘争を挑みました。これを<紫抗争>といいます」
ブルーベリーのグロティウス家と、ぶどう酒のピアジェ家の争いだから<紫抗争>。
武力抗争には至らなかったが両者ともに権謀術数、手練手管を駆使した陰鬱な争いだったという。
結果的には、グロティウス家が勝利をおさめ、団長位の世襲制は維持された。そのまま現在に至るわけだが、やはりグロティウス家の世襲制を批判する声は残っており、魔術師界でも割とデリケートな話題なのだそうだ。
「今でも<山籠の騎士団>の団長はグロティウス家が務めています。現当主はたしか、ええっとですねえ......」
うーん、とオリヴィアがこめかみのあたりを抑える。あれ、こいつが人の名前を忘れるなんて珍しいな。メイド情報網でめぼしい家の人物データは庭の植木鉢よりも詳しく把握済のはずなのだが。
「あ、そうそう! ブルーベリーの魔女グロリア・グロティウス様でしたかね」
ぽん! と手を打って思い出したオリヴィア。膝のコーヒーカップはいつの間にか机の上に置いてあり、中身は空になっていた。
「むう......そのグロリアって魔女がカルニヴァーレの主宰をする伝統なんだな? にもかかわらず、グロティウス家のブルーベリーではなく、ピアジェ家のぶどうの紋章があったから不信感を抱いた、と」
「いえ、不信感というほどでもないですけどね。ピアジェ家は拝金主義的なところがあるだけで別に悪事を働いているわけではないですし、抗争は200年前のことなのですから両家が仲直りしてカルニヴァーレを共同主催している可能性もありますし」
「なるほど。しかし仲直りして共同主催するならそのことを大々的に報じてもよさそうなものだがな」
「ううむ......それは一理ある話ですが、抗争はあくまでも非公式のもので、宣戦布告して戦争したってわけじゃないですから。下手に仲直りしましたー、と言ってしまうと、自分たちが争っていたことを認めたことになってしまう。それは嫌だから、お互いノータッチを貫き、しかしピアジェのぶどうを掲げることで暗に関係が修復されたことを示そうとした、という可能性も」
なるほどな。ケンカしてたことを認めるわけにはいかないから、ツンデレよろしく周囲にそれとなく察してもらおうとしたのかも、と。めんどくさいな、偉い人ってのは。
「じゃあそこまで心配することもないんじゃないか? カルニヴァーレの大規模化も、両家が仲直りしたことを非公式にアピールするためのものだって可能性はないか?」
「その路線が一番ありがたいですねえ」
「フツー、200年も前のことで今さら争わねえよ。それにさ、グロティウス家とか<山籠の騎士団>ってのも今じゃそんなに重要な組織ではないんだろ?」
「それはその通り......騎士団が力を持っていたのは昔のことで。今ではちょっとした消防団みたいなものですよ。それにしてもどうして分かったんです?」
オリヴィアが不思議そうな顔をしているが単純なことだ。
「いや......オリヴィアみたいな海千山千のメイドが当主の名前忘れるってことは、そこまで重要ではないんだろうな、って」
オリヴィアなら魔術師界でのキーパーソンの名前は絶対に忘れない。だから、ブルーベリーの魔女の名前(......ええと、なんとかリアさんだったっけ?)が出てこない時点で、<むかごの騎士団>はそんなに重要な組織ではないのだ。歴史があるから形だけ残った尾てい骨のような組織なのだろう。言っちゃ悪いけどさ。
「木枯さん、今何気にものすごく失礼なこと考えてません?」
「......いやそんなことないぞ。<むかごの騎士団>は尾てい骨だなんて考えてねえよ」
「<山籠の騎士団>ですよ。それに尾てい骨って何ですか、尾てい骨って。失礼にも程がありますよ」
「う......すまん」
つい尾てい骨みたいだなって思っちゃったのよね。なんか時代錯誤なところに引っかかって一人相撲してる感がある。
「......私ですら盲腸みたいな騎士団だなって思う程度なのに。ほんと、木枯さんったら」
「......てめーは人のことは絶対に言えないと思うぞ」