マーマレードの魔女   作:へきいさむ

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第35話 ブルーベリーの魔女に幸あれ

 カルニヴァーレ本番は明後日に迫った。明日は前夜祭。そして今日はそのための最終打ち合わせ。

 各クラスから代表者が集まって説明を受けるのだ。我が2-Cからは御筒委員長と俺が出席する。裳裾御前は代表者ではない。あれは象徴に過ぎない。いささか影響力が強すぎるが、制度上はあくまでも象徴です!

 オリヴィアによると、例年、説明役はブルーベリーの何とかリアさんの担当らしい。オリヴィアですら名前を忘れてしまう魔女ということで、何となく俺の記憶からもおぼろげになってしまった気の毒な女性であるが、仕方がない。すべてメイドが悪いのだ。

 ともあれオリヴィアからは念のため、説明役が例年通り何とかリアさんかを確かめてくれと頼まれた。もし説明役がピアジェ家だったらかなりのパワーバランスの変動があったことになるらしい。あいよー、任せておきな。

 

 富永先生の歴史の板書を書き写しながら、窓の外を眺めていると、天気は快晴。

 校舎の外壁にサンシェードがなければ直射日光にやられて室内は悲惨なことになっていただろう。

 前の方を見ると気だるげな生徒らの背中に交じって、ユズリハのような緑の髪の毛が少し萎れている。エミリアの後ろ姿である。その二つ隣には、お転婆のあまり勝手に増殖した染色体のようなオレンジの髪の毛。ネイピアだ。

 このうだるような暑さの中、二人ともノートを取っているようで偉い。富永先生の授業は分かりやすいもんね。声も聞き取りやすいし。

 

「はーい、今日はここまでです。共和制ローマが帝政になる流れはちゃんと押さえておくこと。ハンニバルの話はできなくて残念だったけど、時間があれば今度少しだけやろうか。はいかいさーん」

 富永先生は大学で西洋史を専攻していたらしく、専門分野になると時々カリキュラムを逸脱して深堀した話をしてくれる。エミリアとネイピアが睡魔の囁きに屈しなかったのは、本人たちの刻苦勉励の結果ではなく、富永先生の学識の賜物である。

 

 次は2時間目だが、代表者は多目的室に集まり、カルニヴァーレの説明を受けねばならない。

 

「......行くか」

 御筒委員長に呼ばれて、俺も廊下に出る。

 驚くべきことに、委員長は今日もマントルに学帽を着用していた。黒いトンネルのような長そでの袖口からわずかに色黒の手が伸びている。やや緊張しているのか、時々袖の中に手を引っ込めたり出したりしているが、細い穴の中に入ったウナギかアナゴの類が、おそるおそる辺りを伺う様子を彷彿とさせる。

 

 ドイツ軍ですらアフリカ戦線では半袖の軍服を採用したというのに、こいつは何を考えているのか? 御筒が熱中症で倒れても自業自得としか思われない。 

 

 多目的室に向かう際中、俺は御筒委員長を見ないようにしていた。彼を見ていると、こちらの気分が朦朧としてくるからだ。

 ありがたいことに、多目的室にはクーラーが効いていた。清涼な空気の中で過ごすのは代表者の特権というものだ。そして委員長、お願いだからクールビズになって!

 

「全員揃ったようね」

 声の主はレディ・ローズ・フランソワ。一足早く多目的室に来ていたようだ。何となく視線を合わせづらく、俺は縮こまったように頷くだけだった。

 2-Cからは俺と御筒委員長。2-Bはローズとあと一人、背の高い女子がいた。1年、3年の代表者もいるが、よく分からん。ついでに2-Aと2-Dもよく分からん!

 

 ホワイトボードの前のパイプ椅子に座っているのは、セイウチ教諭。待って、説明の場でその人は困るんだけど! 彼の滑舌は恐ろしく悪いのだ。リスニング試験の直前のように、目は机の中央を睨み、5W1Hだけでも聞き取ろうと耳をそばだてる。

 

「ふぇふぉーっしゅっしゅりゃアー、ひゅふす」

 

 ......聞き取れましたか皆さん。俺には無理だったよ。

 

「はい、出席チェックするから、名前のとこに丸つけて」

 ローズが名簿を回し始めた。セイウチ教諭は満足げに頷いているから正解なのだろう。劫火の魔女は介護職に適性があると思う。少子高齢化の日本に必要不可欠な人材だ。炎の魔法なんて気温を上昇させる有害な魔術の勉強はやめて、ヘルパーの資格を取るべきである。

 

 さて。

 御筒委員長から渡された名簿に丸を付けて、俺はオリヴィアの言伝を思い出す。

 説明役はブルーベリーの魔女か、はたまたぶどう酒の魔術師か。それでカルニヴァーレ運営部の内部事情が分かるはずだ。

 そういえばブルーベリーの魔女の何とかリアさんの容姿を聞き忘れた。オリヴィアにしては抜けている。オリヴィアが名前を忘れ、外見の情報を伝え忘れるとは相当である。顔見ても分からなかったらどうすんだ!? と思ったが、冷静に考えればブルーベリーの魔女は去年のカルニヴァーレでも挨拶をしているのだった。顔は見覚えがあるはずだ。

 

 

「ォうぇぴしゅ」

 

「皆さん集まりましたので、カルニヴァーレ実行委員会運営の方よりご挨拶とプレゼンの方をお願いいたします。申し訳ありませんが、2-Cの木枯さんは、カーテンを閉めて電気を消してくれますか?」

「......はい」

 今の発音て2音節くらいしかないよね? 短母音考慮しても4音節ないのにどうやってそれだけの情報量詰め込んだ!? ローズ、お前はやっぱり介護職はなしだ! 深層学習の研究者になってビッグデータの圧縮技術を研究しろっ‼ GAFAを超えるテック企業作れるぞ!

 

 

 俺はカーテンを閉め、照明のスイッチをオフにして、再び席に戻った。室内は暗くなっている。ホワイトボードの前に紫の紋章と「カルニヴァーレのルールと注意事項」と題されたスライドが浮かび上がる。

 

 さあ......どっちだ!? 説明役はブルーベリーかぶどう酒か!?

 刮目して説明役の顔を拝もうとした刹那、はたと思考が止まる。

 ......はて。説明役の人はいつの間に教室に入った? 俺と御筒委員長が最後のメンバーで、その後多目的室のドアは開いたっけ?

 あれ? もしかして説明役の人って始めから室内にいた? 

 

 本当はこの時点でもう気づくべきだったのだ。

 これだけ影が薄い時点で、どちらが説明役であるのかなど。

 薄暗い部屋の前に、去年の時にも見た少女の顔が浮かんでいる。少し緊張したような、大人しそうな表情。くすんだ紫色の髪は肩のあたりで綺麗にまとめられ、やや丸みを帯びたうりざね型の輪郭の中に、ダークブルーの瞳。上質で飾り気のないワンピースの上に、薄い藍色のショールを羽織った少女を、去年も見た気がする。

 

「......、ぽ」

 彼女はしばらく押し黙っていたが、やがて意を決したように発する第一声。

 ......ぽ?

 

「ポリフェノール!」

 

 ......? ......は?

 

 一座が凍り付く。この人は何を言い始めちゃったの? 御筒の出で立ちにショックを受けて気が遠くなったのか、セイウチ教諭の圧縮言語に神経を焼かれて心を乱されたのか。

 この残念な感じは、商家出身のピアジェ家のものではない。そんな気がした。何となくエミリアと同じ、世情に疎い、ノーテンキなお花畑の香りがする。

 

 謎の挨拶に反応できず、皆こわばった表情のまま。思いっきりすべった説明役は、マイクを両手で固く握りしめてぷるぷると震えたまま立ち尽くしている。誰かフォローしてあげて! 笑ってあげてよお‼

 

「は、はじめまして皆さん......カルニヴァーレ主催、<山籠の騎士団>団長にしてグロティウス家長女......ブルーベリーの魔女、グロリア・グロティウスです。以後、お見知りおきを」

 

 この空気の中、何喰わぬ顔で挨拶を続けようと思ったその根性は見上げたものだ。いたたまれない眼差しを浴びながら、ぎこちなくお辞儀をしてプレゼンを始める哀れな少女。

 

 彼女の名は、グロリア・グロティウス。騎士団の長にしてブルーベリーの魔女の名を継承する者。

 

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