教室からは大したものには見えなかったが、校庭に出て下から見上げる客席の木組は壮観なものだった。
太い丸太がいくつも地面から垂直に伸び、それらを細い木々が横につないで、全体としては半円形のスタジアムになっている。作業服に着替え、メガホンを持った富永先生が、その巨大な竹編みの籠のような建造物を指さして「上に登って作業をして来い」とほざいた時は、この悪辣な女教師をいつの日か階段の踊り場から突き落とそうと決意した。
「冗談だよ。あっちは専門家がやるさ」
そうでしょうとも!
「2-Cは東側の作業を手伝ってくれ。テントの設営だ。よろしく頼むぞ」
運動場の東側を見ると、オレンジや緑色の髪が揺れているのが小さく見えた。ネイピアとエミリアだ。2人とも体操服に着替えて既に作業に入っているようだ。
ネイピアはともかくエミリアの体操服姿は見慣れない気がする。
俺は、ルイスと御筒委員長とともに皆のいる方へ向かう。
「おそいぞ、豆腐!」
到着早々、怒号を発したのは裳裾御前である。彼女の黒髪は、辺りが薄暗いとかえって目立つ。墨の筆跡がその空間に描かれているように、そこだけ不自然に黒くなる。
軽く頭を下げて俺も作業に取り掛かる。
テントの足の部分を支えていると、運動部系の男子たちが屋根の部分を持ち上げてくれた。有難いことである。
中心にいるのは鷹飼透(たかがいとおる)。サッカー部でキーパーをしているナイスガイで、爽やかな風貌と誰にでも分け隔てない公平な態度がクラスメイトの信望を集める、我がクラスの良心である。
願わくはルイスが彼のような器の持ち主になってくれればと思うのだが、キラキラスマイルのルイスを想像すると立ち眩みがした。やはりルイスはああでなくては。
「遅れて悪い。今来た」
「来たか、木枯! 悪いが向こうの方を支えててくれないか。まだ固定はしなくていい......どのみち移動させるからな」
的確な指示を与えててきぱきとテントを組み立てていく鷹飼。ああいうタイプが委員長をやればいいのにと思うのだが、本人はやりたがらない。生徒会に入らないかとの誘いも受けたらしいが、あくまでも普通の生徒でありたいらしい。
「今回は大変だったな」
テントを建て終えて少し休んでいると、鷹飼が紙コップに入れたお茶をくれた。ソメカンが購買で買ってきたペットボトルのお茶だが、とてもおいしい。力仕事は最高の調味料である。
「大変って?」
「つまりさ、ホムンクルスの対策とか。木枯が担当してるんだろ?」
「押し付けられただけだ。エミリアの家に書籍があったから調べて終わり」
「そう謙遜するなよ。俺は、お前は意外とものを見るのが得意な奴だと思ってるよ」
そうか? どちらかというとドン臭い方だと自覚しているが。
「いやいや、前に体育の授業でクラスで分かれてサッカーした時な? お前が正直、一番邪魔だったよ」
意外な評価である。日陰者の常でディフェンダーとして相手チームのエース(つまり鷹飼)を止める肉の盾となるよう仰せつかっていたのだが。もちろん、命令したのは裳裾御前だが。
「......お前はいつも俺が狙っている進路の先にいた。お前だけなら正直、抜く自信はあったさ。でも、他のサッカー部が周りにいる状況下では無理だ。木枯はいつも、さりげなく、俺の読みを先回りしていた」
少し肩をすくめる。過大評価だと思うがな。
「だから、御前がお前を軍師に選んだ時、俺は少し楽しみだったよ」
そうなの? 俺はげんなりしてたけど。
正直に言うと、俺は鷹飼の持つ屈託のない性格がやや苦手であった。彼の明るさはネイピアとは少し違って、社会性のある明るさなのだ。俺はどうもその種の、糊の効いたシャツのような、洗剤の香りのする明るさは得意ではなかった。
自分の腕の毛が少し逆立っているのが分かった。緊張しているのだ。借りてきた猫か。
会話が続かず困っていると、手に持っていた紙コップを鷹飼が取り上げた。
「飲み終わったか? じゃ、俺が持っていくから」
話題が尽きたことを悟り、そのまま紙コップを回収するという体で場を後にする気づかい。何となくこれだけで負けた気になる。
校庭の東側に2-Cがテントを建て終えたときには、既に半月型の簡易客席はほとんど完成していた。キャンプファイヤーのようにスカスカだった骨組みは既に板壁に遮られて見えなくなっており、棚田のように少しずつすれて重なった足場にはシートや仕切りが備えられている。
こちらからは客席の内側は見えない。外壁に遮られているからだ。
みんな内部の様子を見たいのだろう、それぞれの持ち場を離れて校舎の方向に移動している。そちら側は半月の開平部に当たるので、明日の舞台の様子を伺うことができるのだ。
「おおー」
表側に回って競技場の内部を覗くと壮観であった。裏からは見えなかったが照明も備えられ、中心部には何やら魔法陣のようなものまで描かれている。
「あら木枯くんじゃない。あなたも下見に来たってわけ?」
気の強そうな声が聞こえた。レディ・ローズ・フランソワだ。
「こんなすごい設営作るとは思わなかったよ」
「あら、驚くのはまだ早いわよ。そろそろ始まるから見てらっしゃい」
ローズの言葉の真意をつかみかねていると、客席の中央、少し高台のように競りあがった足場に紫色の小さな点が見えた。遠くて見にくいが、あれはもしや。
「グロリア?」
「そ。これからブルーベリーの魔法が見れるわよ」
キイイイとマイクの鳴る音。富永先生の声が聞こえる。
「今から運動場の中心部に圧縮空間を作りまーす。空間そのものが歪むから危ないよ。ほらそこ、もっと下がって! 生きたままリバーシブルのセーターみたいになりたくなかったら、皆さん、その場を離れてくださーい」
何やら物騒な話が聞こえたが、劫火の魔女は特に恐れる様子もなくその場を動かない。俺はもちろんすぐさま数歩、ローズよりも後ろに陣取った。彼女の蔑むような眼差しが一瞬こちらを射抜くが、裏表が逆になるよりかは冷たい眼差しに貫かれる方がはるかにマシである。
うーうーうーと安っぽいサイレンの音が響く。
グロリアが片手をあげるのが見えた。
ーーブルーベリーの魔女が天と地の基(もとい)に奏す
静かな詠唱がなぜか俺の耳にも届く。
グロリアの手のひらから金魚鉢のような透明の球体が浮かび上がる。それは少しずつ、周りの空間を押しのけながら膨らんでゆく。
ーー我ら、獣の肉と森の果実に養われたる土の器なり。願わくは我らの供物を受ける高坏を掲げよ。万物の素とその位相よ、我が硝石の光沢に閉界せよ!
「ブルーベリーの魔法......モンデス・イン・ヴィエトロ・イスト(ガラス瓶の中に世界がある)!」
グロリアの手を離れた透明の球体は、臨界点を迎えて一気に膨張。巨大なガラス瓶となって運動場の中心に鎮座した。
「また腕を上げたわね、グロリア!」
ガラス瓶の近くに降りてきたブルーベリーの魔女にかけよって声をかけるローズ。俺も後に続く。
「そんな。綺麗な魔法陣があったから、後はただ乗せるだけですよ」
謙遜してグロリアはうふふ、と笑う。
これは空間を縮小してガラス瓶の中に閉じ込める魔法。話に聞いたことはあるが、使用はかなり難しいはずだ。
「入っていいかしら? グロリア、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ。足元に気を付けてくださいね」
ローズの後に続いて、俺も巨大なガラス瓶に手を触れる。
それはひんやりとした普通のガラスだった。表面にうっすら自分の顔が映る。鏡のようになっているのだ。少し影を作ってやれば内部が見えるかもしれない。
そう思って腕全体で覆いかぶさるようにしてガラスの向こうを見やる。
校舎が見えた。半月型の競技場が開けている方角だ。手前には巨大なジャム瓶に驚いている生徒たちの顔が見える。
相変わらず光が反射して鏡のようになっている。さらに暗く影を作って、気づいた。
......あの校舎はガラスの向こうにある。
俺は後ろを振り返った。
「やっと気づいたわね」
からかうように笑うローズの背後には鬱蒼とした緑の木々が生い茂っていた。ここは校庭ではない。
「ガラス瓶の中よ」
そうだ。
俺の身体はいつの間にかジャム瓶の内側に入っていたのだ。ガラスの外に見えるのは先ほどまで自分がいた校庭。ここは瓶の内側。
そして瓶の内側には。薄暗いジャングルが生い茂っている。
「事前の下見はしてもいいらしいからね。もう少し奥の方まで見てくるわね」
そう言うとローズは俺を残してさっさと森の奥に姿を消してしまった。
あいつは炎の魔術の使い手だが、このジャングルの中で山火事でも起こされたら大変なことになるのではないか? そんな不安が脳裏をよぎる。
レディ・ローズ・フランソワ。劫火の魔女にして2-Bの委員長。我2-Cの最大の脅威。
そしてどういうわけか、俺は彼女に告白したことになっている。何者かが偽のラブレターを入れたからだ。
裳裾御前の勅命。ローズを倒さねば俺の身が危うい。そのために、ローズをたたく秘策......
実は、秘策ならないこともない。
問題は、2-Dが乗ってくるかだが。
グロリアがカルニヴァーレのプレゼンをした先日の代表者説明会で。
話を聞きながら俺は作戦を練っていたのだ。
集まったメンバーは各クラスの代表者。冊子の中のルールを隅々まで読みながら、俺はこの作戦が決して違反行為にはならないことを確認していた。
2-Bのレディ・ローズ・フランソワ。そして黄桃姫(隣にいた背の高い女子の名前だ。ネイピアが彼女と遭遇したと本人が後で教えてくれた)。
間違いなく最強の火力を誇る2-Bに、俺たちはどう挑めばいいのか?
あの時俺は、グロリアの話を聞きながら情勢分析をしていた。その後、今染カンナのソメカン情報網をも使い、2年全体の状況を概ね把握したのだ。
2-A......委員長、櫂しずく。2つ名は若舟。母の2つ名は浮舟。水を操る陰陽師の名門、櫂家の子女。クラスの雰囲気は、真面目な生徒が多いが、ややまとまりに欠ける。俺の見たところ、委員長自身も生真面目で融通の利かない性格と見た。
が、俺の読みでは最重要なのは2-D。
調べた限り、戦闘力は低いが、なかなか粒ぞろいのクラスである。
委員長、明石晩山(あかし・ばんざん)。副委員長、深月悟(みづきさとる)、今名小夜(いまな・さよ)。
委員長の明石は新聞部部長も兼任。深月は工学の才能があり、既にいくつか学会で表彰されるほどのエンジニア。今名小夜......能力は不明だが、魔法の素質アリ。
俺はスマホを取り出した。そしてソメカンから教わった番号を入力する。
「はいもしもーし。どちらさまだー?」
非通知でも電話に出るのは、新聞部の部長らしいといえばらしい。タレコミの可能性もあるから非通知でも無下に切れないのである。
「突然の電話、失礼。2-Cの木枯だが......」
手短に、本題に入ろう。
「お前ら、カルニヴァーレで勝つ気ってどれくらいある?」