2-Cの控えテントは昨日設営した運動場東側の隅っこにあった。ちょうどコロッセオのような観客席の裏側に当たるので、競技の様子は見えない。もっともテント内に設置された薄型のテレビでも、各自のスマホでも競技の様子は実況中継される。が、どうせなら生で見たいじゃんか!
カルニヴァーレ当日。午前8時30分。快晴。
まだ朝だというのに既に日差しは強く、生徒の多くは日陰に入っている。テントの中は人の熱でサウナのようになっているかと思いきや。
なんと、内部はかなり涼しい仕様になっていた。エミリアが自宅のグリーンズ・ハウスから持ってきた藤を使って天然のカーテンを作ったからだ。何やら動く石像(西洋の有名な将軍の像らしい。なんで動くのかは不明)とオリバーが束ねたペルシャ絨毯のような草蔓を担いで現れ、2-Cのテントの上にこれを固定。オリヴィアが綺麗に整えて天然のカーテンを作ったのである。
腐っても庭園の魔女! こういうことを率先してやってくれれば株も上がるであろうに!
「助かった......」
ルイスと御筒委員長はまだ競技が始まったわけでもないのに藤棚の陰でへばっている。朝だというのにこの暑さ、普通なら同情もしようがこいつらの場合は自業自得である。
ルイスは首元まできっちり襟に覆われた僧服。御筒は旧制高校じみた学ラン。もちろん色は黒。お前らってその服脱いだら皮膚呼吸できなくなるの?
「よ、寄らないで下さいよ! 近寄ったら大声上げるっすよ!」
痴漢か変態でも見るように距離を開けるソメカン。痴漢は冤罪だろうが、こいつらが変態というのは同意である。
「カステラ、貴様......もとよりもののあわれを知らぬ輩と心得ておったが、ついに春秋の区別もつかなくなったか。ええい寄るな、暑苦しい!」
ルイスの僧服がお気に召さないのは裳裾御前も同じであった。
「うるせーな! 開会式で教会関係者は前に並ばなきゃいけねーの! 俺だってこんなの着たかねーよ!」
「開会式なんぞ知るか! 服くらいTPOに合わせんか、バカ者!」
かくいう御前は水色の縦線が入った学校指定の運動着であった。この人が十二単を脱ぐとは珍しい。アイデンティティを捨てて機能性を取ったと見える。
「何かおかしいか? こんな日に十二単なんぞ来たら倒れるわ!」
これは御前様の仰せの通り。
普段は薄緑のアンティークドレスをお召しのエミリアまでもが半袖の体操着を着て素肌を衆目にさらしている。オリヴィアも白い長袖のシャツにネクタイ、エプロンの正装を捨ててTシャツ(!)を着こなしている。普段は露出の少ない魔女たちも、暑さには勝てぬものらしい。
なおネイピアも体操服である。だがこいつの場合、あまり暑さを感じないのか、先ほどから炎天下の太陽の下、偵察に出かけたり校門の外の屋台を見に行ったりしている。
身体が小さいと表面積の体積に対する比率が大きくなるから、熱を逃がしやすくなるのであろう。
「うだってる場合じゃねえぞ。本番じゃ、この暑さの中、あのジャム瓶に入るんだぜ」
余計なことを言うな、ルイス‼
「まったくっすよ! んでもってB組のあの人と......」
劫火の魔女などという言葉を聞いただけで体感温度が上昇するので、ローズのことは皆、B組のあの人と呼んでいる。誰が決めたでもないが、レディ・ローズ・フランソワの2つ名は忌み名となっていた。人前でその名を口にすることも憚られる。あな恐ろしや恐ろしや。
何より恐ろしいのは、そのB組のあの人と、午後1時から戦わねばならないことだが。お願いだから曇って頂戴!
「ただいまー!」
屋台を見に行くと言って姿を消していたネイピアが戻ってきた。手提げのビニール袋からは剥き身の割りばしが突き出ている。ビニールの膨らみは大きくて丸い。案の定、袋からはりんご飴が出てきた。
「何かかき氷とか凍らせたペットボトルとかなかったか?」
御筒委員長がネイピアに聞く。ついでに熱中症対策で冷水に浸けたタオルと麦茶を渡してやるのが委員長の気遣いである。
「あー......それなら校門出た信号の前にあったよ! ラムネとかもあったけどねー、割高だねー!」
こっちの足元見たあこぎな商売だよー、と白い布の中から声が聞こえる。
ネイピアは濡れタオルを頭から被り、出来の悪いてるてる坊主のようになっている。こいつを逆さに吊るせば雨が降るんじゃね?
「信号というのは県道沿いの? ならすぐそこだな。さすがに今は人が多いかな」
「始め見たときは買ってる人ほとんどいなかったけどねー!」
そういう時こそ気を利かせててめーが全員分、買ってこんかい! 何のための放熱性の高い身体か!
「買ってきてもよかったけどさー、一本500円とかして。手持ちでもギリ払えたけど回収できるか分かんないし」
タオルから顔だけ出して、ぶすっと膨れるネイピア。
「ネイピア......お前が俺たちのために凍ったペットボトルを買ってきてくれたなら、俺たちはみんな言い値で買っただろうに」
「ほんと? 安く買い叩いたりしない?」
「俺がそんな悪徳商人みたいなことをすると思うか!? もうすぐ雪が降るから早めに安売りしないと赤字になるぞと吹き込むつもりだっただけで!」
「やっぱり! 騙して安く買うつもりだったんじゃん!」
言い争う俺とネイピアの間に割って入る、薄桃色の影があった。
「木枯さん......そういう嘘はよくありませんねえ」
今日はクールビズで紺色の短パンに青地のシャツのオリヴィアである。何だかテニス部の女子にでもいそうな感じがする。
しかしオリヴィアまで相手にすると分が悪い。確かに俺がちょっと酷すぎたかもな。反省反省。
「そんなやり方では儲かりませんよ。私なら、熱中症対策でどのみち学校が冷たいドリンク配るから、その前に私に安く売れと言いますが」
てめえの方が汚いじゃねえか!
「いえ、学校がドリンクを配るのは本当です。何かあった時に、ちゃんと熱中症対策をしていたと言い訳するために配るのです。が、中身は塩素臭が強くて飲めたものではありません」
ほう。
「で、そのタイミングでマーマレードの魔女から安く買ったドリンクを売るという......」
やっぱてめーの方が悪辣じゃねえか!
その時、藤のカーテンを押し上げてテントの中に入ってくる人影があった。他のクラスに遊びに行ってた連中か、と思ったが見慣れぬ少女だ。
いや、彼女は見たことがあるし、知っている。
背は、ネイピアより少し上背がある程度で、凛とした顔立ちに絹のように滑らかな黒髪が背中の中央付近まで伸びている。
櫂家の陰陽師、櫂しずく。2-Aの委員長である。
「お疲れ様です。母の浮舟より、これを皆様にお配りするように、と」
浮舟というのは櫂家の家元が名乗る祖名である。娘のしずくは現在、若舟を名乗っている。ソメカンによると、次期家元は若舟を名乗る習わしらしい。
そんな若舟こと櫂しずくがリヤカーに乗せて運んできたのは、レンガほどの大きさの透明な直方体。それが全部で風呂桶ほどもうず高く積まれている。
リヤカーがテントの前に止まっただけでどこか蒸し暑い風の中に、かすかな清涼が混じった。
「我々が用意した氷です。ここからこっちの分が皆様のものです。2人に1つはありますので、切って皆さんで分けてくださいね。切るのは......」
「自分にまかせて下さい!」
軽く剣を持ち上げて見せたのは、オリバー・オースティン。藤の蔓を運んでそのまま学外の者なのにテントに居座っていたのである。まあ、カーテン作ってくれたんだから居座るくらい構わないが、校則上は好ましくない。
なおオリバーはコバルトブルーのアロハシャツを着用している。騎士然とした彼が青いアロハを着ていると、とても涼し気な印象になり、堅物の剣士がどこか垢ぬけた好青年に見える。本人にそんなファッションセンスは望むべくもないので、これは姉のオリヴィアの入れ知恵であろう。
2-A。
品行方正な生徒の集まるクラス。全体的に優秀な生徒が多く、俺の読みでは2-Bの次に戦闘力があるのは彼らだ。
委員長の櫂しずくは水冷系の法術を使う。この氷はその力で作ったものだろう。
「ありがとう、櫂さん。先日の説明会で顔を会わせたよね?」
「そうですね。御筒さんとは時々、委員会で会いますが、木枯さんとは先日が初めてになりますね」
櫂さんと少しだけ視線が合った。向こうは少し警戒するようにこちらを見ている。腹の探り合いと行きますか。
「カルニヴァーレでは豪華な景品が出るらしいね」
「......そのようですね」
櫂の回答は慎重だった。このあたりは品行方正な2-Aの委員長らしい。余計なことを言わない用心深さがある。
櫂は少しだけ視線をそらし、エミリアやオリヴィアにも軽く会釈をした。そして少し硬い面持ちでまたこちらに向き直る。それとなく、お暇のタイミングを計っているのだ。
これ以上、腹を探っても得るものはない。そう判断して、俺も笑みを返す。
「いや、呼び止めて悪かった。忙しいところをな。氷はありがとう......熱中症が出るんじゃないかと心配しててね、ほんと助かったよ」
そう言いつつ、テントの出口に向かって彼女を誘導する。櫂も俺の後についてきた。
「大したことではありませんよ。それにしてもこのテントは涼しいですね。この藤は庭園の魔女のものですか?」
「おうよ。櫂さんの氷もあれば、もう冷房の効いた部屋にいるのと変わらんよ。そっちのテントが暑いならウチに来いよな」
「ふふ。2-Aには私がいますから、暑さ対策は万全ですよ」
櫂しずくが少し得意げな微笑を洩らしたところで、さりげなく畳みかける。
「......2-Bはたまらんだろうな! なんせ劫火の魔女だから」
「......そうですね。レディ・ローズ・フランソワですからね」
当たり障りのない受け答えだが、その言葉を聞いて、櫂の表情が少し曇るのを俺は見逃さなかった。
「では失礼いたします。そろそろ開会式が始まりますよ」
「おう、ありがとう。浮舟さまにもお礼を伝えておいてくれるかい?」
「承りました。では......」
カルニヴァーレで会いましょう。
そう言い残して踵を返す若舟の背中を見ながら、俺はうっすら舌を出して唇を舐めていた。
「みんな......防火包囲網が成立するぞ」