私はかつて人類がお猿さんだった頃以前から生きている。これは自慢ではなく、単なる経歴の説明である。
テレビを見ていると速報が鳴った。例の、画面の上に赤帯が出るやつだ。「カーテンを閉め、外を見ないでください」。ああ、見ちゃいけない系か。この一帯に出たらしい。
この世界にはこういうのがたくさんいる。政府も政府で頑張ってはいるようで、監理局だの陰陽師だのが日夜駆けずり回っている。ご苦労なことである。
そんなわけで国民の義務としてはカーテンを閉めるべきなのだが、私はむしろ全開にした。閉めると部屋が暗くなるからだ。
いるわいるわ。
言語化はできない。形とか色とかそういう次元の話ではなく、強いて言うなら視線(?)だけがある。それと目(?)が合う。合うたびに頭の中身を裏返されるような感じがして、正直、頭がおかしくなりそうである。なりそうなだけで、ならないのだが。
鬱陶しいのでスマホを弄ることにした。画面にそいつがいた。ならばと鏡を見た。そいつがいた。やかんの側面にもいた。どこもかしこもである。こういうところが若い連中は雑だと思う。
普通の人間ならとっくにポックリである。私はポックリしない。ただ、テレビの続きが見られないのが困る。録画しておいてよかった。
昔はこういうの、居なかったんだけどね。
しばらくすると、そいつはいなくなった。
いなくなる瞬間というのも言語化しづらい。「立ち去る」でも「消える」でもなく、最初からいなかったことに世界の側が同意した、みたいな終わり方である。ああいうのは昔から演出過剰だと思う。
テレビの赤帯も消えて、アナウンサーが「解除されました」と読み上げた。画面の下に「引き続き、心当たりのない記憶にご注意ください」と流れている。アフターケアまであるのだから、監理局も仕事が丁寧になったものだ。昔は村ひとつ消えて「神隠し」の一言で終わりだった。良い時代である。
いやー、怖かったね、中々。
と、一応言っておく。長く生きるコツは、怖がるべき場面で怖がった体裁をとることである。世界に対する礼儀のようなものだ。
さて録画の続き、と思ってスマホを手に取ると、まだいた。
画面の隅。通知バーのあたりに、視線(?)がひとつ残っている。本体は帰ったのに、こっちにだけ置き土産である。壁に画鋲の穴が残っているのに似ている。放っておくと、たぶん夜中に画面が勝手に光ったりして鬱陶しい。
仕方ないので消しといた。
消し方は説明が難しい。人間がスマホの汚れを袖で拭うのと、だいたい同じ動作である。拭うと、視線(?)は「そもそも私を見ていなかったこと」になった。これでよし。
それにしても、なんてしつこいのだろう。ああいうのは去り際が九割だと、誰か先輩が教えてやるべきなのだ。
電気ケトルで湯を沸かし、録画の続きを見た。二時間ドラマの犯人は、崖で全部喋ってくれた。ああいう様式美は良い。何百年経っても変わらないものは、それだけで貴い。