起床した瞬間、目の前に顔がいた。
枕から二十センチ。めちゃくちゃ怖い顔のナニカである。眼窩のあたりが構造的に間違っていて、口にあたる部分が悲鳴の途中で固定されている。人間なら心臓が先に降参する造形だ。
「おはよう」
と、一応言っておいた。挨拶は文明の基本である。ナニカは答えず、悲鳴の途中の顔のまま、私の呼吸に合わせてゆっくり上下していた。芸が細かい。
心当たりはあった。一昨日の深夜、アイスが食べたくなってコンビニに行った。その帰り道、電柱の脇に変な人形が立っていたのだ。市松人形のようでいて、髪の生え方が上下逆の。ああいうのは、目に入れた時点で受付完了である。つまり私は、呪われたようだ。
まあ、だいたい察してはいた。
私は色々と、何かを呼びやすい。灯台に虫が集まるのと同じで、長く強く在るものの周りには、そういうものが吹き溜まる。昔からの傾向なので、今さら驚きはない。仕方ないね。家賃みたいなものである。
とりあえず、目の前の顔に手を伸ばしてみた。
触れられなかった。手が顔の表面で素通りするとかではなく、伸ばした手が永遠に届かない。二十センチが縮まらない。距離の方に細工がしてあるタイプだ。なるほど、視覚専門。触らせない代わりに、絶対に視界から消えない設計なのだろう。
ふと、視界の端に気配を感じて横を見た。
もっと顔がヤバいやつがいた。
さすがにビビった。恐怖ではない。第一のナニカで「この呪いの最大出力はこれか」と見積もった直後に、見積もりの上を出されたことへの、純粋な「おっ」である。二段構えとは。最初のは前座だったのか。呪いにも演出の工夫があるのだなあ、と、布団の中で少し感心した。
枕元の端末が震えていた。見ると、画面に通知が出ている。危険度中だとか除霊班の派遣まで平均〜分だとか、動転せず、局へ連絡してください、だとか。
便利なものだね。呪いの重さが宅配便の追跡みたいに表示される時代である。陰陽寮の頃は、呪いの診断だけで亀の甲羅を三枚割っていた。良い時代になった。
ただ中程度で、この顔面二連装である。まあもっと細かい分類はされていて、下の方の中程度なのだが……精神力が弱い人なら、危険度を見る前に窓から行ってしまいそうだ。この通知の「動転せず」の一言に、過去の何件かが滲んでいる気がする。
除霊班を待つのも申し訳ないので、自分で片付けることにした。まずは朝の習慣どおり、トイレへ。
トイレに、あの人形がいた。
便器の脇に、ちょこんと立っている。髪が上下逆のあの子だ。本体のお出ましである。
私はしゃがんで、人形と目線を合わせ、解呪した。
やり方はいつも通り説明が難しいが、強いて言えば、呪いというのは結び目である。誰かの念が、対象と自分をきつく結んでいる。私はその結び目に指をかけて──ほどいた。それだけだ。ほどけない結び目というのは、実は世の中にあまりない。ほどき方を人間が忘れているだけで。
すると人形は、スーッ……と、溶けて消えていった。
その消え際の顔が、すっごく満足そうだった。
おや、と思った。呪いを解かれた側は、普通、悔しがるか、無くなるかである。満足はしない。溶けきる寸前の気配をよくよく感じて、合点がいった。
閉じ込められていた系だ。
あの人形は呪う側ではなく、人形という器に封じられて、出られなくなっていた側だった。もちろん、中身は人間の霊だとか子供の魂だとか、そういう物語に収まりのいいものではない。もっとこう、言語化できないやつだ。名前を持つ前の、感情の原型のような、天気の切れ端のような。ああいうのは、たまに器に落ちて、出られなくなる。
つまり、顔面二連装も、深夜の道での待ち伏せも、あれの「助けて」だったのである。
助けの求め方が、あれだったのかもね。
言語を持たないものが、視界に居座ることと怖い顔しか手段を持っていなかったら、ああするしかない。溺れる者の水しぶきが、岸からは暴れているように見えるのと同じだ。危険度中の呪詛、その実態は、出せる限りの大声で泣いていた迷子である。
寝室に戻ると、顔面二連装も消えていた。あれは本体の泣き声の反響だったのだろう。部屋が、ずいぶん静かになった。
端末に報告を入れた。「自然消滅しました」。もはや定型文である。数分後、カタギリさんから個人名義で返信が来た。「そのレベルは自然消滅しません」。知ってる。
こういうのも、あるのである。怖い顔が全部、怖いものとは限らない。昔から、それだけは変わっていない。