嫌な夢をみた。
忘れるように努めたあの記憶。
脳裏に焼き付いた地獄絵図。
目を開いて、ぼやける視界のピントを合わせる。枕が濡れている。目頭が熱い。
…なんか、柔らかい。なにかに包まれてる。
あたたかくて、安心するような。
「…起きた?」
視界の外から廻琉の声。
なるほど、一瞬でこの状況を理解した。
「……なにしてるの?」
ある1点を除いて。
「な、泣いてたから。…ね!?」
ね、じゃないが。
目の前に廻琉の胸元。寝巻き。いい匂い…。
じゃなくて。
ゆっくり視線を下ろす。
私の腕。
その上に重なる腕。
私の肩。
肩口に触れる栗色の髪。
…近い。近いどころではない。
「なんで…同じ布団にいるの」
身体を起こす。廻琉は横になったまま。
隣には空の布団。上には毛布が無造作に放られていた。
「えぇっ!」
廻琉が大袈裟に仰け反ってみせる。
「いいって言ったじゃん!」
…言ったっけ。全然覚えてない。
「ん、って!」
…それは、
「合意じゃない」
「合意…、合意?…合意、だよ!」
…意味わかってる?
「寝ぼけてた」
「合意!言質!」
言質は知ってるんだ。
…ま、いいや。とりあえず、
「…悪いけど、電気つけてもらってもいい?」
暗い部屋。落ち着かない。
窓を叩く雨の音が、不安を煽るようで。
雑音と暗闇の中、まばたきの度に″記憶″が映る。
焼け朽ちる木々、ヒトの面影を残した赤い肉。
飛び交う怒号。泣き声。取り乱す人々。
……父と母の顔。
奥歯が軋む。歪む視界。一筋、頬を伝うモノ。
…駄目だ、廻琉がいるのに。
目元を拭う。拭う。もう1度、もう1度。
また。まだ…。もう…出てくるな。
──ぱちっ。
軽い音とともに、部屋が明るさを取り戻す。
「凪乃、大丈夫?」
視界の外から、廻琉の声。
足音と甘い匂いが近付いてくる。
「…ん」
「大丈夫じゃないって顔、してる」
歪む視界に廻琉の姿が映る。
夜だというのに、明るい声。軽い足取りで。
「それに、」
そのまま、私の前に座り込む。
にっ、と笑って。
「その返事。合意じゃない、ね?」
…このおバカ。
「……意味、違うから」
もう1度、涙を拭う。
視界が開けて、明かりを取り戻す。
窓の外、おそらく雨は止んでいた。
***
3分ほど経ち、寝ぼけた頭が調子を取り戻す。
とりあえず、聞きたいことがいくつかある。
それはたぶん、廻琉もだと思うけれど。
目だけを、隣に座る廻琉の方に向ける。
にこにこと笑みを浮かべたかと思えば、なにか言いたそうにそわそわしだす。まったく、落ち着きのない。
…私の方はいいや。
「…なにか聞きたいこと、ある?」
先手をとる。
廻琉の肩がびくっ、と揺れる。
このまま待ってたら朝になってしまう。
「…いいの?聞いて」
おずおずと尋ねてくる。
その様子を見ると、なんだか笑えてきてしまう。布団には堂々と入ってきたのに、こいつは。
小さく頷くと、廻琉が「じゃあ、」と小さく呟いて、
「どうして…泣いてたの?」
…気になるよね。
本来、正直に話す必要はない。誰かに話す内容でもない。
でも今は、少しだけ。ほんの少しだけ。
話してもいい、話したいと。
そう思ってしまった。
「…夢を見たの。小さい頃の夢」
ぽつり、ぽつりと。
「11年前の飛行機事故の。
家族で乗ってたんだ、あれに」
零れ落ちていく言葉を、拾い上げるように。
「その時に死んだ、お父さんとお母さん」
廻琉が黙る。
また、目頭に熱が籠る。
「2人とも。……私だけ、生き残っちゃった」
言葉にするのは、思っていたよりも簡単で。
それでいて、思っていた以上に苦しかった。
廻琉は何も言わなかった。
言えなかった、のかもしれない。
何度か口を開きかけて、その度に閉じる。
きっと、言葉を探している。
数分の沈黙が流れた。
聞こえるのは壁掛け時計の針の音。
と、早る鼓動の音。
小さく鼻をすすり、涙を拭う。
「…ごめん、変な話して」
黙りこくる廻琉に向けて。
気を遣わせてしまっていないだろうか。
と、不安が過ぎる。
「ううん、変じゃない。聞いたのは私。
凪乃は話してくれた、隠さずに。辛いのに。
だから、」
廻琉が私の手を取る。細い指、白い肌。
「ありがとう、だよ」
無意識に握っていた拳が包まれて、暖かい。
私が言うべき言葉。
「ありがとう」と。
「……」
胸の内を探した。同じ言葉、同じ気持ちを。
それでもまだ、杯の底に張り付いて。
一度零れ出した言葉が、涙のように溢れ出る。
「…だから、かな。暗いところ…苦手で」
聞いてほしい、と。
「…たまに、思い出すから」
知ってほしいと。そう″願って″いた。
廻琉はなにも言わずに、ただ手を握ってくれていた。私より、少しだけ大きな手。包まれて。
ほんの少しだけ、嬉しい暖かさ。
あの日、頭を撫でてくれた父の手を思い出す。
顔も、声も、匂いだって覚えているのに。
2人の体温だけは、もう思い出せない。
それが無性に悲しくて。
大切な思い出が零れ出す。言葉と、涙と共に。
***
どれだけの間、話していたのだろう。
だいすきだった、今でもだいすきな家族の話。
幼稚園のお迎え。
母の仕事の都合で、たまに父が来てくれる日がとても好きだったこと。
父の誕生日。
母と一緒に作ったお菓子を、泣いて喜びながら食べてくれたこと。
母に送った似顔絵。
大量にコピーして、常に持ち歩いてくれていたこと。寝室にも書斎にも貼ってくれていたこと。
クリスマスの日。
目が覚めて、こっそり起きていた時。2人してサンタさんの格好して、枕元にプレゼントを置いてくれていったこと。
その時も、そっと撫でてくれたのを覚えてる。
全部、私の大切な思い出。
だいすきな家族との、消えない記憶。
廻琉は私が話している間、ずっと手を握ってくれていた。
時々黙って頷いて。
時々、ぎゅっと握り返してくれた。
たった5年、家族で過ごした時間。
その中で多くの贈り物を受け取った。
こんなにも大きな愛情を。
まだまだ思い出は尽きない。それでも。
涙が止まらなくて。言葉は出なかった。
1秒、2秒、3秒。沈黙が流れて、
「…うん」
廻琉が小さく呟く。
「凪乃」
「…ん」
「いっぱい、愛されてたんだね」
「…うん」
否定なんて出来なかった。
出来るはずがなかった。
父も。母も。
心の底から私を愛してくれていた。
「お父さんとお母さんのこと、さ。
…本当に、だいすきなんだね」
私が愛していたように。
2人とも、心の底から。今でも、これからも。
「…うん」
やっと、一言。
そっと引き寄せられて。抱き留められる。
頬を伝った涙の跡が、廻琉の肩元を濡らす。
「話してくれてありがとう、ね。凪乃」
…ううん。違うよ、廻琉。
「…ありがとう」
それは、私の方。
杯の底からそっと拾い上げた言葉。
胸の内、雲は拓けて。雨は止む。
CHR-0001 夜明 凪乃
閲覧制限:一般公開可
分類:人物資料
氏名:夜明 凪乃 (よあけ なの)
戸籍名:夜明 凪乃 (よあけ なの)
生年月日:奏元2年4月9日
性別:女性
年齢:16歳
身長:159cm
体重:45kg
能力登録:
未登録
能力名称:
なし
能力概要:
なし
危険度評価:
なし
転化可能性:
0%
観察記録(抜粋):
対象は他者との距離感を慎重に測る傾向がある。
集団行動への適応能力は高く、学校生活において大きな問題は確認されていない。
一方で、自発的な対人関係の拡大は少なく、交友関係は限定的である。
対象は現在も舞鼓《まいこ》 碧《たま》及び咬郷《こうごう》 兎《うさぎ》との交友関係を継続中。
両名に対する信頼度は極めて高いものと推測される。
記録者:
主幹研究員 餅染 渚
研究員所見:
対象は奏元7年発生の傳田航空103便墜落事故における生存者である。
事故後の経過観察において、著しい問題行動及び精神的不安定性は確認されていない。
ただし、一部環境要因に対して過敏な反応を示す傾向がある。
現在は安定した生活を送っているものと判断されるが、継続観察を推奨する。
記録者:
主任研究員 羽々斬《はばきり》 千景《ちかげ》
追記:
対象は記録時点において安定した対人関係を維持している。
近時、新たな交友関係の形成が確認された。
対象の行動傾向にも変化が見られるため、経過観察を継続する。
尚、この変化は概ね良好なものと判断される。
記録者:
主任研究員 羽々斬《はばきり》 千景《ちかげ》
承認者:
所長 百目鬼 祀
資料状態:
有効
最終更新:
奏元18年7月3日