────ブ───ブブッ──ブブッ
翌朝。
広縁からほのかに差し込む朝日と一通の着信音で目を覚ます。
「……ん。…んぅ」
時刻は10時を過ぎた頃。随分と寝てしまった。
身体を起こして、大きな欠伸がひとつ。
枕元に横たわるスマホの画面に『砂溟《さくら》 先輩』の表示。
先輩、か。先輩、…先輩?
慌ててスマホを取り上げる。
「んんっ。おはようございます、夜明です」
間抜けた寝起き声を悟られぬよう、咳払いをひとつ。
返る声はいつも通り、抑揚に欠けた冷たい声色。
『おはようございます。
お休みの所、申し訳ありませんでした』
バレてるし。
『所長から呼び出しです、私と夜明さん2人。
15時以降で私達の都合のいい時間に、楚曳《そえい》支部まで顔を出してほしいと』
…楚曳《そえい》支部、羽々斬さんの所か。
ちょっと遠いな、仕事かな。
『仕事ではないとの事です』
…バレてるし?
「……。先輩は何時頃が良いとかありますか?」
丸一日休みだし、夜はともかく昼は今のところ予定ないし。
先輩に合わせますよ、と。
『私は何時でも。
夜明さんのいい時間にご連絡頂ければ合わせて出ますので。では』
───ぶつっ。
…はや。
砂溟《さくら》先輩らしい、といえばらしいけど。
寝起きの頭にはちょっと負荷が大きいかも。
…何時にしようかな。
大きく伸びをして、部屋を見渡す。
和室、八畳程の。隅には綺麗に畳まれた廻琉用の布団が置いてある。
私の布団。マットレス、高いやつ。
枕がふたつ、片方は涙で少し濡れていて。
布団の中、かすかに残る温もりひとつ。
***
柔い陽の差す長い廊下から、10分程迷い迷ってようやくリビングへ辿り着く。こんなに広いのならフロアマップくらいは置いてほしいものだけど。
戸を開けると、まず廻琉と碧の大声が耳に届いた。
「碧ちゃん右手青青青青青!!!」
「どこぉ!青どこ!」
「そこ私の足!!」
「ここかぁ!」
「そこ私の左手!!!」
2人は不可思議な体勢でお互いを支え合っていた。
ツイスターゲームだ。…朝から?
2人の方に視線を向けつつ、ソファで悠々と寛ぐ兎の隣に掛ける。
「なにあれ」
「ツイスターゲームだ。最大3人プレイのやつ。
奇数だからな…あたしは、」
「違くて」
話を遮られた兎が小さく笑みを浮かべる。
相変わらず悪い顔をしている。わかってて言ってたなこいつ。
「8時頃だったかな。廻琉が起きてきて、碧が準備してた飯食って。ここまではお互い無言だった」
表情を戻した兎が語り始める。
目線はタブレットに向けたまま、顎で2人の方を示す。
示す先ではまたしても2人が絡まっていた。
「赤どこ!赤どこ!」
「廻琉ちゃんうしろ!違うそこ黄色!」
「みえない!みえないよ!」
「まってえ!たおれる!たおれるから!」
……なんかさ。
「廻琉があたしと凪乃の分の朝飯まで平らげてな。ここまでは目も合わせなかった」
兎が足で2人の方を差す。
その先では先程より更に絡み合った2人がいた。
「被ってるよ!踏んでる踏んでる!重いよ碧ちゃん!」
「重くないぃ!廻琉ちゃんこそお腹ぷにぷにしてるじゃん!」
「違うそこ胸!!!!!!」
……なんか距離近くない?
「廻琉が皿片した後にお互い熱い抱擁をかまして、アレに至るわけだ」
…抱擁。抱擁、なんで?
わけだ、じゃないし。なにその顔。
「ま、いいけど」
「仲直りしてそうで、か?」
「…ん」
タブレットから視線を外して、いつの間にか私の方を見ていた兎に、小さく返事を返す。
視線がかち合う。
目を細め、三日月のように口角を上げた兎。
なんて悪い顔をしているんだこいつ。
気まずさを覚えて時計に目を向ける。
11時。
支部には15時以降、着くまでにだいたい2時間くらい。まだ時間はある、か。
……。
自然と、廻琉の方を見る。
相変わらず不可思議な体勢を取っていた。
碧なんかほぼブリッジだ。廻琉の脚に首を預けてけたけた笑っている。
廻琉も笑っていた、楽しそうに。
天窓から陽が差し込んで。少しだけ眩しい。
…。
「…廻琉、碧。私も混ぜて」
気付けば足を向けていた。
「待ってたよ!」
「いいよぉ!」
7月9日、日曜日。
午前11時、少しだけお腹の空く時間。
天気は快晴。陽射し、風向き。共に良好。
***
午後15時20分。
花芽駅から薗尾駅まで1時間。さらにバスで20分の所にある楚曳支部。
行きのバスに揺られつつ、酔い止めついでに薗尾の街並みを眺める。
和、といった風情のある街並み。離れの山に鎮座する逆漆《さかうるし》城が街を見下ろしている。
肆京ほど栄えてはいないが、姉妹都市なだけあってそれなりに綺麗だ。
滅多に公共交通機関なんて使わないのだが、ツイスターで存分に身体を動かした後でこの炎天下の中を歩く気にはなれなかった。
ましてや、
「綺麗、だね!趣がある…って言うのかな?
うわぁ!みて凪乃!お城!お城がある!」
薗尾に着いて以降、この調子の廻琉と共に街を歩くなんてとてもじゃないが考えられなかった。
はしゃぐ廻琉へ適当に相槌を打ちつつ、砂溟先輩との会話履歴を見返す。
━━━━━━━━━
『お疲れ様です。お昼時に申し訳ありません。
朝の件、16時前支部着でもよろしいでしょうか?』12:40
『お疲れ様です。
16時着 了解しました。道中お気を付けて』
12:41
『ありがとうございます。
それと…もう1つよろしいでしょうか?』12:41
『構いません。どうぞ』12:41
『友達が1人どうしても着いて行きたい、と。
ご迷惑だけはお掛けしないよう言って聞かせますので、同伴させてもよろしいでしょうか』12:42
『確認してみます。失礼ですが、ご友人のお名前だけお伺いしても?』12:42
『陽戸 廻琉、同級生の女の子です。』12:42
『所長に確認しました。構わない、との事です。夜明さんのご友人ならば喜んで、とも』12:46
『ありがとうございます。
暑いので、砂溟先輩も道中お気を付けて』12:46
『(OK)』12:47
━━━━━━━━━
……。
「凪乃、すごい!和服着てる人いっぱい!
いいなぁ!
うわっ!みて虎!虎連れてる人いるよ!」
…寝虎《ねるこ》ね。
「すごい、街頭に提灯かかってる!
洒落てる、ね!風紀…風評…?風水!風水がある、ね!」
…風情ね。
「この椅子ふかふかだね!いいやつ?いいやつかな!これ!」
……。
いっか、楽しそうだし。
***
スマホの表示は15:45。
日照りの険しい時間帯。じわりじわりと身体中に汗が滲むのがわかる。
「あづいぃ。凪乃ぉ、もう着く?」
「ん、見えたよ」
予定通り、時間より少し早めに目的地が見えてきた。
百目鬼研究所 楚曳支部。
あまり来る機会がないけれど、羽々斬先輩の持ち場、って印象の場所。
「なんか…イメージと違うね」
「薗尾は景観条例があるから。割とどこもこんな感じだよ」
街の景観に倣った4階建ての和風建築。
景観に倣う、と言ってもこの辺に建物はほとんどないけれど。
広々と拓けた土地。さながら庭園の様相。
専属の庭師を雇っているらしく、外観は随分と整っている。堂々と佇む研究所の姿は様になる。
「着いてきて。裏口の方から入るから」
裏口。
庭園を抜け、表口からぐるりと左回りに歩いたところにある。
庇《ひさし》に隠された無骨な鉄扉。どう考えてもミスマッチ。
「…センス、だね」
廻琉、言わなくていいことってあるのよ。
影の下。既に砂溟先輩の姿があった。
時刻は15:56。さすが、というべきか。
砂溟《さくら》 左《ひだり》 先輩。
学年は2つ上。ここで働く唯一の同校の人。
綺麗な黒髪。左右非対称《アシンメトリー》で左側を三つ編みに結んでる。
笑ったところは見たことがないけど、優しいことは間違いない。
「すみません先輩、お待たせました」
「お気になさらず。私も今到着した所ですので」
砂溟先輩の視線が廻琉の方に向く。
「初めまして、陽戸 廻琉さんですね。
神代桜《みよさくら》学園3年の砂溟 左といいます。よろしくお願いします」
「初めまして!1年の陽戸、です!
よろしくお願いします!砂溟先輩!」
砂溟先輩の差し出した手に、廻琉が応える。
お堅い挨拶に固い握手を交わす2人。
「では、おふたりとも。お先にどうぞ」
砂溟先輩がカードキーでロックを解除し、鉄扉を引く。重たい音が響き、中から冷たい空気が頬を撫でる。
「失礼します」
「お邪魔します!」
廻琉の元気のいい声が響く。
中は至って普通。外観とは打って変わってまさに研究してます、開発してます、といった様相。
見たことのあるような、ないようなデバイスが大量に積まれている大机。ところどころに色とりどりのインクがこびり付いている。
奥の扉が開く。
羽々斬先輩がひょい、と顔を覗かせ引っ込んでいく。遅れて、長い髪が靡くのが見える。
数秒して、
黒を基調とした、露出控えめなゴスロリ衣装の上から白衣を纏った羽々斬先輩が私達を出迎えてくれた。相変わらず珍妙な格好をしている。
「おいスおいス。お待ちしておりましたよ、おふたりさん。それと、」
私たちの方に歩を進めながら、軽い調子で挨拶を済ませる。
少しだけ目尻の吊り上がった丸い瞳、ぱっちり二重。筋の通った小さくて高い鼻。
バランスの整った、整いすぎた造り物のような。生き物でいえば、まるで仔猫のような顔。
いつものように、軽い調子で。
優しげな微笑みを湛えつつ。それでいて、
何故だか今日だけ、視線だけが合わなかった。
「…陽戸 廻琉さん。初めまして。
こちら羽々斬 千景。よろしくどうぞ」
廻琉の前に立つ。
目線が並び、羽々斬先輩から右手が差し出される。
なにもおかしなことはない。
…廻琉は、
「こちら陽戸 廻琉!凪乃の…親友、です!!
よろしくお願いしますどうぞ!!」
…声でか。親友って。…親友ね、そう。
とりあえず緊張してる様子はなさそうだ、よかった。
廻琉の大きな声に気圧されてか、羽々斬先輩の笑みが一瞬だけ引き攣り、顔を伏せる。
白衣で隠れた口元から。
小さく笑う音と、零れるような独り言か聞こえてきた。
「くくっ」と、口元を隠して、肩を揺らして。
笑うよりも小さく、もうひとつ。
「……結構カワイイじゃん」