羽々斬先輩に連れられ、渡り廊下を進む。
両の景色は昔ながらの日本庭園。敷き詰められた玉砂利、大きな池、葉の整えられた低木に見事に手入れのされた石灯籠。一際目を引くのは青々とした、雄々しい松の木。
「凄いね、ここ!庭園…ていうのかな。
…風情がある?で合ってる、かな?」
たしかに見事ではあるけど、内装とは打って変わって、というか。変わりすぎというか。外観には合ってるけど、それにしてもちょっとやりすぎというか。
廻琉風に言えば、センス…だね。
当の本人はと言えば、すっかり羽々斬先輩と打ち解けている様子だった。
「羽々斬さん!庭園!和風!キレイ!
凪乃に似合うと思うんですよ、ね!和風!!」
「そうスねぇ、浴衣なんかも似合うと思いますよ。明るい色を華やかに、カワイく着飾って」
「わかってますね!!!」
***
歩いて数分ほど。
庭園を抜けて、事務室のある棟へと辿り着く。
木々に囲まれた影の中、通る風が少しだけ涼しい。
少しだけ薄暗い廊下を通って、漸く事務室へと到着する。羽々斬先輩の後を砂溟先輩が、その後を廻琉と並んで戸を潜る。ちょっと、あんまりきょろきょろしないの。
入るやいなや、マグカップを片手に、椅子に腰掛けた所長の姿が見える。
「休日に呼び出してすまなかったね。
そちらは陽戸くんだったな、聞いているよ」
「いえ、ちょうど空いていたので」
「お邪魔してます!」
まぁ暇ではあったし。
それに、たまには外出するのも悪くはなかった。
所長が組んだ足を解き、小さく頷く。
カップを置いて、話し始める。
「来週から『昏』なわけだが」
…『昏』。
正直あまり好きではない、私は。
顔に出ないように押し殺すも、自然と拳に力が入る。
(…ねぇねぇ凪乃、昏ってなに?)
隣から。廻琉が小さな声で話しかけてくる。
一瞬、所長の視線がこちらを刺す。
「陽戸くんだったか。君は県外出身なのかな。
良い機会だ。『昏』というものについて、教えてあげよう」
「…!ありがとうございます!」
所長の口元が緩む。良かった怒られなくて。
あまり笑顔を見たことがなかったが、意外と優しい表情をするものだと思った、失礼ながら。
「6年に1度訪れる鹿々桜特有の異常事象。
7月の半ばから9月にかけて、空の時が止まる。
夕刻、闇に覆われ始める時間帯。俗に黄昏時と呼ばれる時間でだ。これについて––––」
「わかりづらいっスよ。なげーし」
羽々斬先輩が話を遮り、講義でも始まってしまいそうな空気を一変する。
「ゴメンね」
羽々斬先輩が私たちの方に小さく謝る横で、所長が珈琲を啜りながら、なにやらぶつぶつとボヤいているのが聞こえる。
(そんなにわかりづらかったか…?)
……。
ふと、隣の廻琉に目を向けると、
口元を手で覆い、首を傾げて明後日の方に視線を向けている姿が見えた。ああ、そっか。わからなかったんだ。
「要約すると来週から2ヶ月間ずっと夕方ってことっス」
「…なるほど!」
廻琉がポーズを解き、ピシッと背筋を伸ばし直す。にこにこ笑って、理解できましたって顔をしている。
わかったんだ、あれで。
要約しすぎて逆に混乱しそうだけど。
「ちなみに祭りもめちゃくちゃありますよ」
「お祭りが!?めちゃくちゃですか!!?」
「ええ。それはもうめちゃくちゃに」
羽々斬先輩と廻琉のイマイチ要領を得ないやり取りを尻目に、砂溟先輩がスケジュール帳を開く。一瞬だけその中身が見えてしまったが、とりあえず予定が詰まっている事しかわからなかった。
「『昏』自体は7月13日から始まります。
その晩に第1回鹿々桜花火大会が。それ以降はひとまず規模の大きいものをいくつか、紹介させて頂きます」
スケジュール帳を手に、砂溟先輩による丁寧なお祭り紹介が始まった。廻琉が目を輝かせているのが視界の端に映る。
1つ目。
花芽ラ商店街の店々がこの日の為にと新規開発した自慢のスイーツを持ち寄りNo.1を決める
『花芽ラあまいものまつり』
わざわざ県外からやってくる店もあるらしい。
2つ目。
深沁港で揚がった新鮮な海産物を中心に、今では珍しい鯨肉料理のお店まで大量に並ぶ
『深沁港《しんしんこう》夜市』
今回はハツネ社と協働開催。深沁港《しんしんこう》全域に仮想空間をまるまる投影、五感全てで非現実的な演出を楽しめるとかなんとか。
3つ目。
灘月《なだづき》遊園地開催、反重力機構《アンチグラビティシステム》『灘月』に見守られる中で人工低重力空間でふわふわと非日常体験を味わえる
『なだづき ナイトフェスタ』
かぐや姫を模したパレードもあるみたい。
かぐや姫と翁の役は入場客から抽選、とのこと。ライブ感、だね。
4つ目。5つ目。
砂溟先輩の口にした「規模の大きいものを、いくつか」の言葉を思い出す。
条件を絞ってもこれほどの。これからの約2ヶ月間にいったいどれだけのイベントが予定されているのか、想像がつかなかった。
砂溟先輩が7つ目の紹介を終えた時、遂にスケジュール帳が閉じられる。
廻琉はというと、それはそれは爛々と目を光らせていた。
紅い瞳と屈託のない笑顔が向けられる。
「楽しみ…だね!!凪乃!!」
心の底から、といった声色。
「…ん」
どっちつかずな返答をしてしまう。我ながら素っ気ないというか、なんというか。
気恥ずかしくなり、視線を所長の方へ戻す。その時、一瞬だけ視界に入った羽々斬先輩の口元が、心做しか普段よりも優しげに見えた。
「…悪いな。話を本題に戻すが」
相変わらず珈琲を啜っていた所長が口を開く。
淹れたてだろうか、湯気で特徴的な丸眼鏡が曇っている。
「砂溟君、夜明君。
2人は『昏』の期間中、仕事には出なくていい」
「……はぁ」
間抜けな声が出た。
無理もない、急に出停を命じられたのだから。
一瞬だけ、思考を巡らせてみる。
前回の任務を失敗《しくじ》ったからだろうか?ならどうして砂溟先輩も–––。
「どういうことでしょうか」
砂溟先輩が口を開く。表情はいつも通り無を呈しているが、声色には困惑の色が見えた。
「キミ達はまだ若い。6年に1度の祭の季節、なにも職務に費やすことはない。給与は出そう、何事にも入り用だろう。
無論、満額支給とはいかないが。充分な額ではあるつもりだ」
「なにを仰っているのか––」
「要約すると遊べよってことっス」
一瞬、語気を強めかけた砂溟先輩を制するように羽々斬先輩が口を挟む。
砂溟先輩の表情に困惑の色が滲む。
無理もない。出停命令の理由が「遊べ」とは。理解し兼ねるものではある。
言葉に詰まる私と砂溟先輩に向け、諭すような口調で、所長が言葉を続ける。
「若いうちにしか出来ない事というのは、まさに山のようにある。僕だって未だにあの頃の青い日々に焦がれる事がある」
「オレはあんま無いスけどね。
今を楽しめれば、まぁそれで」
「……。まぁ要するに、だ。今を楽しみたまえ」
一段落といった面持ちの所長が改めて珈琲を一口啜る。
砂溟先輩の顔は未だ曇っていた。その横で、
「良かった、ね!これでいっぱい遊べる!」
廻琉だけがはしゃいでいた。
私はといえば、「今を楽しめ」の意味を理解しようとしていた。
今、今か。あまり意識したことがなかった。
言われた事、頼まれた事、やるべき事。その場その場でなんとなくこなしてきた。
必要以上の事を考えず、ただ役割を果たすだけだった。学生として、バイトとしての役割を。
この中身のない日々が、なんとなく続いていくものだと。なるようになっていくだけだと。漫然と、そう思っていた。
「全部行こ!さっきの!全部!」
廻琉の声で意識が引き戻される。
自然と落ちていた視線を持ち上げて、廻琉の顔を見る。紅い瞳、屈託のない笑顔。相も変わらず「楽しみです」という顔をしていた。
「浴衣着て、屋台行って!射的とか型抜きやりたいし、綿菓子も食べたいね!」
焼きそばとイカ焼きと、と欲望を続ける廻琉。
全力で今を楽しもうとする姿。
廻琉の前向きな声は、私の思考をすっかり追い払ってしまっていた。
「もちろん4人で!…でも、ふたりでも、ね!」
廻琉が私の手を取る。暖かい。手も、顔も。
「うん」
視線はずっと交差し続けていた。
気恥ずかしくはあったけど、不思議と逸らす気にはなれなかった。
「…邪魔して悪いが、これで話は以上だ。
もう遅い、帰りたまえ。暗くなる前にね」
所長の声で、改めて意識が引き戻される。
後ろで羽々斬先輩がにこやかな笑みを浮かべているのが見えて、恥ずかしい。それはもうめちゃくちゃ。
目の置き場もなく、時計を探す。
見つけた、時刻は17時。帰るにはいい時間だ。
「では、これで。今日はありがとうございました」
「お邪魔しました!!」
「砂溟先輩も、ありがとうございました」
「ありがとうございました!!」
「うス。おふたり、ちゃんと水分は摂るんスよ」
「お疲れ様でした」
「今日は暑い、気を付けたまえ」
上司3名の声を背に、廻琉の手を引いてそそくさと席を立つ。
一礼して、事務室を後にする。
廻琉の手を引いて。
長い渡り廊下を歩く。木々に囲まれた影の中。
だというのに。
あぁ暑い、暑い。暑いなぁ本当に今日は。
木陰なんか全然涼しくない。風も温いし。
鼓動が早い、顔が熱い。陽射しのせいだ。あれもこれも夏のせい。
「…廻琉」
「ん?」
まぁ、でも。
「行こう、全部。4人で」
「うん!」
この熱は、
「時々、ふたりで」
嫌いじゃない。
「…うん!!!」