薄食宅までの道中、影も縮こまる陽光降り注ぐ正午、暇を持て余した少女達のひと時の戯れが始まった。
私たちより50mほど後方にてクラウチングスタートの構えをとる碧、かたや、たどたどしくもスタンディングスタートの用意ができた瀧奈ちゃん。
どこから出したのか、なんの為に持っていたのか知る由もないが、兎の用意したゴールテープを構える廻琉と私。
「位置について、よーい」
どん!という、ありきたりな兎の合図とともに2人が走り出す。
──だっだっだっだっだっ。
小柄ながらも1歩の重みを感じる足音が1つ。
かたや、…ほぼ無音。耳を澄ませばなんとか、といったところだ。
そうこうしているうちに、
「やりぃーっ!碧選手、1着ぅー!」
「ひぃっ、ひぃっふぅ、はぁっ、うっ。はぁっ」
威勢のいい掛け声と共に、碧がゴールテープを切る。かたや、息も絶え絶えな瀧奈ちゃん。
「はあっはぁっ…。し、しんじゃう」
「ん。これあげる」
「あっ、あり、ありがとうぅ」
限界です、とばかりにへたり込む少女に買ったばかりの水を差し出す。
可哀想に、アホの戯れに付き合わされて。
瀧奈ちゃんの体力の無さは折り紙付きだ。買っておいてよかった、いろはす。
「廻琉、どうだった?」
「ホントに聞こえなかった!すごい、ね!」
「…えへ、ふぇへへへ。そ、そうかな」
行いにはなにかしら理由があるものだ。
この戯れも例に違わず。
瀧奈ちゃんの持つ『走る時 足音が小さくなる』能力のお披露目。それが今回の主目的であった。
大層なものではないが、目に見えて違いがわかるというものは、それなりに面白いものではある。
「じゃあ次あたし走るから。瀧奈はタイム測ってくれ。ほら碧、位置に着けよ」
「おぉ〜っ!」
「その次!わたし走りたい!」
「えっえっ、えっなな、なんで」
へたりこんだままの瀧奈ちゃんにストップウォッチを放り、兎と碧、なぜか廻琉までスタート地点へと駆け戻っていく。
視界の端の方で、瀧奈ちゃんが困惑した顔で私を見上げているのが見える。なにを言えば良いのかわからなかったので、へへっと笑って誤魔化してみる。
先程の発言は撤回しよう。何事も必ず理由があるわけではないらしい。特にあの3人は。
「あぁ、そういえば」
瀧奈ちゃんに伝えておく事があるんだった。
「瀧奈ちゃん、1個だけ。
後で研究所の先輩が1人、合流すると思うから」
「はぇ?」
驚いたような顔をする彼女を見ながら、少し前のやり取りを思い出す。
今から遡ること十数分ほど前、所長へと依頼を受けた旨を報告した時の事。
***
「────という訳でして。私の方で対応させて頂ければ、と。…可能であればですが」
「…ふぅ────────」
大きな溜め息が聞こえてくる。
大方、せっかく休みをくれてやったのに、といったところだろうか。
たしかにいくらか罪悪感はある。もう少し繕ってほしいものではあるが。
「意欲的で結構な事だが。許可はできない」
…やっぱりダメか。
これまでに家庭動物の能力特定には何度か同行させてもらったことはあるが、メインで対応したことはない。それに、今はサポートに当たってくれる上司や先輩もいない。
肩を落としつつ、ふと良くない発想が脳裏を過ぎる。
あからさまに落胆した様子を見せてみようか。泣き落としってやつを。…さすがにそれは汚いか。
「1人ではな、補助に非番の砂溟を送る。
キミと同じく、非番の、砂溟をだ。連帯責任と思うといい」
「…あ、ありがとうございます」
思いも寄らぬ返答を受けて、少し吃る。
てっきり完全に却下、良くて後日に別の担当者へと引き継ぐよう言われるものだと思っていた。それでも、マルルの様子を見に行くだけはしていただろうけど。
とはいえ、こちらの都合で非番の先輩を動かしてしまった事実に変わりはない。
連帯責任、か。ちゃんと謝らないとな…。
マイクが拾わないように小さく息をついた時、
「んんっ。それで、」
咳払いののち、スピーカー越しに所長の言葉が続く。
「…楽しめているか?」
一瞬、飲み込んだ唾でむせてしまいそうになる。
なんていうか、
不器用な人なんだよな、本当に。
受話器越しには3秒ほどの沈黙が落ちて。
──いくよぉ!
──オーライ!オーライ!
──瀧奈!飛びかかれ!
遠くからは3人のじゃれ合っている声が聞こえていた。
「…まぁ」
──ひぃっ!わっ!ひょわぁ〜〜〜〜!
次に薄食さんの声が響いて。
なにをしてるんだろう、と。
「く、ふふっ」
そんな事を考えてしまう。
考えてしまうと、少しだけ。
「……それなりに」
私もあの輪の中に、と。
そう思ってしまうのだ。
「なによりだ。では、励みたまえ」
──ぶつっ。
「…ふぅ」
切電音と共に、改めて1つ、大きく息をつく。
とりあえず許可は下りた。よかった、これで正式な業務として対応出来る。
最もハードルに感じていたタスクを終えて、胸を撫で下ろす。
でもひとまずは、
「砂溟先輩に謝っとかないと…」
***
道草を食いつつ15分ほど、瀧奈ちゃん家に辿り着く。
彼女の家は、学校からそう遠くない位置にある。なんなら私の住む場所からもそんなに離れていない。
住宅地の一角、至って普通の一戸建て。
木造平屋、コンクリ塀で囲われた広い人工芝の庭、隅に木陰を作るオークの木が特に目を引く。庭木として扱うには珍しい、ご両親の好みだろうか。
にしても広い庭だ、マルルと遊ぶ為かな。それにゴミ1つ、石の1つも落ちていない。手入れが行き届いている。
芝生のあまりのきめ細やかさに惹かれて、そっと手を置いてみる。ふかふかだ、全然チクチクしない。人工芝にしては妙に温度が低い。
遮熱性、かな。これもマルルの為だろう、火傷しないように。家族の一員として、大事にされている事がよくわかる。
「なんだかさぁ、眠くなっちゃうねぇ」
「そうだなぁ」
「ぽかぽかだ、ねぇ」
3人はいつの間にやら木陰で涼み、すっかりお昼寝モードに入っている。…手伝いは?
「あっ夜明さん、だっ誰か来られたよ」
「ん。先輩だ、ありがと」
瀧奈ちゃんもそろそろ扱いに慣れつつあるのか、3人の行動にすっかり反応を示さずにいた。
私の袖を弱く引いたままの瀧奈ちゃんを後ろに連れて、砂溟先輩を迎えに向かう。
「お待たせしました、夜明さん。
薄食さんのお宅はこちらで間違いありませんね」
「はい。今日はお休みのところ申し訳ありません。あっ、こっちが瀧奈ちゃ…。
…んんっ。こちらが、薄食さんです」
「いえ、お気になさらず」
すっかり私の背に隠れていた瀧奈ちゃんを前に押し出す。
「ひゃっ、ひゃじめまっ、はじ、はじめまひて」
落ち着いて。
面白いくらいに慌てる様子の瀧奈ちゃんの背中をそっと摩って、気を和らげさせる。
その後、大きく深呼吸する音が聞こえてくる。
「は、薄食 瀧奈…です。きっ、今日はよろしくお願いし、します」
「こちらこそ、よろしくお願いします。
百目鬼研究所より、砂溟 左です」
挨拶を済ませたところで、瀧奈ちゃんの案内のもと、玄関の戸を開く。
モルタルの土間に背の低い上がり框、アカシア調のフローリングが広がる開放的な玄関ホール。
入って正面のウォールカウンターに飾られている幼い絵柄で描かれた家族の絵が、ふと、笑みを誘う。おそらくは幼い頃の瀧奈ちゃんの描いたものだろう、女の子がマルルらしき大型犬とともに両親に挟まれて、素敵な笑顔で描かれている。
「あっ、わわっ、ふえへ…えへへ」
私と砂溟先輩の視線がそちらに向かった事を悟ったのか、恥ずかしそうに笑って誤魔化す瀧奈ちゃんの手によってぱたりと裏返されてしまった。
と、その時。
チャッチャッチャッチャッ。
ぱたぱたぱた カチンっ。
「────うわっ」
──ワンっ。
尾の先に付いた銀色のタグを揺らしながら現れた灰白の大きな毛玉、マルルによって押し倒されてしまった。
「はわわわわ、夜明さっ、だっ大丈夫?」
──ヘッヘッヘッ。ハフッ。
5回も逃げ出すだけあってさすがのやんちゃ坊主っぷりである。お前に会うのも、これで6回目だね。
「はは、久しぶり。元気してた?」
──ワン!
良い返事。よしよし、頭を撫でてあげよう。
「さて、と」
撫でられて満足気なマルルを退かして、ゆっくりと立ち上がる。
触れたついで、立ち上がるついでにひとつひとつ確認していく。
尾の先に銀色無地のタグを視認。
毛並みも良好、爪もちゃんと切られてる。
口内も…異常なし。
声量、体重、体温ともに著変なし、と。
さぁ、お仕事開始だ。
「君の能力、教えてね。マルル」
──ワンっ!