午後15時。
刺すような夏の陽射し、1日で最も暑い時刻。
私の中では、1日で最も小腹の空く時間帯。
砂溟先輩と並んで縁側に腰を下ろし、瀧奈ちゃんの出してくれたお菓子を口に運びながら、外を眺める。庭では元気そうに遊ぶ3人の姿と、それに混ざるマルルの姿が見える。
「ピッチャー兎!投げたっ!」
──ワフっ!
────ざすっざすっざすっ。
「ストラーイク!バッ碧ちゃん三振、アウト!」
──ワンっ!
────ざすっざすっざすっざすっ。
「あっ!取ってきてくれたの!ありがと、ね!」
「うーっ!くそ〜っ!廻琉ちゃん!2人打法でいくよぉ!」
「よしきた!」
「それはズルくないか?」
──わふっ。
────ざすっざすっ。ざすっ さくっさくっ。
────がちゃっがちゃっ。
遊び疲れたのか、大きな足音を立てながらマルルが私の隣へと戻り、腰を下ろす。
バッ碧に2人打法と、聞いた事もない単語が当たり前のように飛び出すいつもの様子だ。
元気だなぁ、と思いながら、膝の上に顎を乗せて微睡むマルルの頭を撫でてみる。
────かちんっ かちんっ。
マルルが嬉しそうに尻尾を振る度に、木目の床にタグの当たる金属音が小さく響く。
この子は遊んでもらう事が大好きだ。
人懐っこくて、相手が初対面であろうと構わず遊んで、早く撫でてとせがむ。
特に追いかけっこが好きで、ちょっと背を追うだけで嬉しそうに尻尾を振って駆け出していく。それが非常に愛くるしい。
短所は少しだけおバカなところだ。
蝶や蝉を見かけると追いかける。
他の犬を見かけると遊びに行く。
撫でてくれそうな人が通ると撫でられに行ってしまう。
過去5回の脱走の原因は全てそれらだった。
近隣住民の協力のもと、どれも発見自体は容易であったが、捕獲には骨が折れた。
その事もあってか、躾には随分と苦労したらしい。
ただ、馬鹿な子ほど可愛いとはよく言ったもので、ついつい甘やかしてしまうと、瀧奈ちゃんのご両親から聞いた事がある。
──ふすっふすっ。わふっ。
────かちゃかちゃ。
夏の陽気でうとうととしていたマルルがすくっと立ち上がり、ゆっくりと歩いて後ろの襖の前に立つ。
「……」
──ふすふすふす。わふっ。
その時、襖が開き、洗い物を終えた瀧奈ちゃんが顔を覗かせる。
主を出迎えたかったらしい。かわいいね。
マルルを連れ立ち、瀧奈ちゃんが私の向かって右手側に腰を下ろす。マルルは瀧奈ちゃんの膝の上に頭を乗せ、改めてうとうとし始めている。
「ど、どう、かな?マルルの、のっ、能力」
瀧奈ちゃんが私と砂溟先輩の顔を交互に伺いながら尋ねる。
見ると、マルルを撫でる右手が小刻みに震えていた。
「私は今回は夜明さんの補助です。
夜明さん、なにか気付かれた事はありますか?」
砂溟先輩から質問が飛ぶ。
気付いた事、私が。
今日マルルに会ってから。
「そう、ですね。3点だけですが」
実の所、能力についても候補が3つ上がっている。どれも自信があるわけではないが…確信を持つ為には、エビデンスがもう1つ欲しい。
「…よろしければ、お聞かせ願えますか?」
「では、自信はありませんが…」
1つは爪の長さ。
お邪魔してすぐ、押し倒された時に確認した。
手入れされたばかりに見える先の丸い爪。
マルルは肉球が少し薄い為、切ったばかりでも爪先がフローリングに触れてしまう。
故に、歩く際に小さく音が鳴る。
2つ目は人工芝での足音。
野球モドキで走っていた時と、戻る為にこちらに走ってきた時の足音の違い。
これは3つ目とペアで根拠と言えるもの。
3つ目、走行速度による足音の違い。
兎のストップウォッチを使用した。
往路でのかけっこに用いていたもの。
シベリアンハスキーは元々よく走る犬種だ。過去の捕獲で苦労した通り、マルルはそこそこ脚が早い。
見るに、薄食宅の庭の広さは目測70坪ほど。
野球モドキで駆けた距離は往復約20m、タイムは2.6秒。ボールを咥えたのち、切り返す事を考えると決して遅くない。
こちらに戻る時の距離は片道だが、同じく20mほどでタイムは5.3秒。走る、というよりは途中からほとんど歩いていたに近い。
「──と、私が気付けた点は以上です。
現時点では候補が3つあるのですが、そちらも、よろしいですか?」
「…どうぞ」
では、と言葉を続ける。
1.『走る時 足音が大きくなる』
2.『走る時 足跡が深くなる』
3.『走る時 少しだけ速くなる』
「──の3つです。
本命としては1、次点で2と思っています」
現状、どれにしても危険性はない。
明日からも変わりなく、マルルはここで過ごせる。私の推測が外れていなければ、おそらくは。
「…夜明さん。今『笈《きゅう》』はお持ちですか?」
「えっ、はい。あります、けど」
デバイス1番『笈《きゅう》』
羽々斬先輩謹製の不思議道具。
入職時、全員に配布されるがま口財布型の取り出す事のみ可能な四次元ポケット。
意味がわからなさすぎて、もはや原理がどうとかは気にならない。そういうものとして受け入れている。
「『目録』から騒音計を取り出していただけますか?お恥ずかしい事に、私は本日『笈』を忘れてきてしまいました」
そう言って、砂溟先輩が視線を落とす。左手首に付けたアクセサリーがきらりと光る。
珍しい、忘れ物なんて。
…私のせいで急に出てくる羽目になったんだから仕方ないか。
「わかりました」
ぱちりとがま口を開き、右手を突っ込む。
騒音計を思い浮かべて、そのまま引き抜く。
出た、騒音計。なんら特徴のない市販物。
羽々斬先輩の不思議道具じゃないってだけで、なんだか安心するな。
「はわ、ふぇ、は、はわわ」
瀧奈ちゃんが気の抜けた声を上げ、ぼんやりとした顔でこちらを見ている。無理もない。
白泪《しらなみ》の『星門《ゲート》』といい、涸佷《がこん》の『天蓋』といい、超技術はある所にはあれど、携帯型の四次元ポケットなんて扱ってるのはまぁ百目鬼研究所くらいなものだろう。
至って普通の騒音計を砂溟先輩へと手渡し、『笈』のがま口を閉じる。…なんでがま口なんだろ。
「では、薄食さん。マルルさんをフローリングと芝生の上を1回ずつ、走らせていただけますか?」
砂溟先輩が騒音計の動作に異常がない事を確認し、瀧奈ちゃんへと声を掛ける。
「はわ、はっ、ひゃい!
…ま、マルル。あっちから、こっちまで。
走ってこれる?」
──ワンっ!ヘッヘッヘッヘッ。
大きく返事をして、マルルが駆け出していく。タグの音が先に跳ね、すぐに足音が廊下を叩く。
────がっがっがっがっがっがっ。
──ワフっ。
廊下の突き当たりに辿り着き、こちらを振り向いて得意気な声で鳴いて、駆け戻ってくる。
────がっがっがっがっがっがっがっ。
「お、おかえり、よくできました。ふぇへへ」
手を広げて待っていた瀧奈ちゃんが勢い良く戻ってきたマルルを受け止めて、顔を舐め回されながらもマルルの頭を撫で回している。
「……」
砂溟先輩が騒音計を確認している間、私は仮説2の判断材料の為にフローリングに付いた足跡を確認する事にした。
マルルの通った跡に手を置き、ゆっくりとなぞる。至って普通のペット用フローリング。目立つキズはない。ところどころ大きめの爪痕が残っているが、見るからに新しく付いたものではない。
これで仮説2は否定寄りに傾いた。
「わかりました。では、次は芝生の方をお願いできますか?」
「はっ、はい!
マルル、次はお庭。あっちからこっちまで。
走ってこれたら、おやつ。あげるね」
──ワンっ!!
おやつと聞いてか、より一層元気な返事を残して駆け出していく。
────ざすっざすっざすっざすっざすっ。
「おっ、元気だなぁ」
「頑張ってねぇ!」
──ワンっ!
「はやい!すごくはやい、よ!」
──ワフっ!
────ざすっざすっざすっざすっざすっ。
庭で遊ぶ3人の声援を受け、先程よりもやや速くこちらへと辿り着く。まぁ、おやつ効果だろう。マルルの性格上、声援のおかげとも思える。これを能力と呼ぶには、あまりに犬らしい。
ひと仕事終えたマルルの顔は、どこか満足気であった。
ひとまず、これで仮説3も否定寄りに傾いたわけだが。
「よくできました!ふへ。おやつ、出すからね」
おやつを取りに向かったのか、瀧奈ちゃんがぱたぱたと音を立てて襖の奥へ消えていく。お利口さんなマルルは、その場で尻尾を振って主の帰りを待っている。
砂溟先輩はまた騒音計を確認していた。今のうちに足跡も確認しておこう。
「……」
マルルの駆けた跡を辿る。特に変わりのない人工芝。来た時に見た通り、小石やゴミの1つもない。足跡も…目立つものはない。
仮説2は否定、と。
ふと、思考を巡らせようとした時、木陰から3人の話している声が耳に届く。
「やっぱりマルル足速いねぇ!」
「脱走でもしたらたいへん、だね」
「今みたいならよぉ、足音ですぐ気付けんじゃねーか?」
…やっぱり。
「砂溟先輩!」
これで確信できた。
縁側で騒音計を確認している砂溟先輩へと声を掛ける。
「はい。確認できました。
フローリングでの走行時が約100dB。
これは自動車のクラクションとほぼ同等の数値に当たります。
芝生では約80dB。走行時のみ、どちらの場合も平均値を大きく上回っています」
「っ、なら」
…これなら、この能力なら。
「仮説1の通りでしょう。
のちに詳細な検証が必要となる可能性はありますが、『走る時 足音が大きくなる』能力として、登録されます」
そう言って、手提げの鞄から書類を数枚取り出し始める。
「…まっ、マルルは…どっ、どうなります、か?」
席を外していた瀧奈ちゃんが不安げな顔で、砂溟先輩へと問いかける。当のマルルは主から貰ったおやつを頬張っていた。
「……」
砂溟先輩は、書類に必要な項目をひとつ確認してから、静かに頷いた。
「保護は不要でしょう。今後とも変わりなく、こちらで暮らしていただけます」
「ほっ、ほんとですか!?やった!やった!
マルル!やったよ!」
──ワフっ。ふすふすふす。
望んでいた答えを得られた瀧奈ちゃんが涙目でマルルを抱き締める。
理解の有無は定かではないが、喜びに満ちた主の顔を見て、マルルもどこか嬉しそうに尻尾を振っていた。
「ありがとうございます、砂溟先輩」
「いえ、私は何も。こちらはお返しします。
夜明さんこそ、お疲れ様でした」
家庭動物の能力登録に必要な書類を纏めている砂溟先輩から、預けていた騒音計を受け取る。
「それと、本当にすみませんでした。
せっかくお休みを頂いていたのに」
「気になさらないでください。
…私には、仕──する───りま──から」
顔を伏せている為だろうか、砂溟先輩の言葉がところどころ聞き取れなかった。が、不思議と聞き返そうという気にはなれなかった。なんとなく、聞き返してはいけないような、そんな気がした。
「薄食さんにはこちらをお渡し頂けますか?
今は…お邪魔したくありませんので」
砂溟先輩の視線が一瞬だけ、しくしくと嬉し涙を流す瀧奈ちゃんの方を向くのが見える。
そのまま顔を伏せ、変わらず無表情の砂溟先輩から一封の封筒を手渡される。
「能力覚醒に伴う登録手続き変更届と、その他必要書類が3枚入っています。提出期限は明日から1週間以内です。その点だけ注意してください」
手際よく荷物を纏め、帰り支度を済ませた砂溟先輩を見送りに玄関へと向かう。
「わかりました。助かりました。
本当に、何から何まで」
玄関ホールにて、靴を履く砂溟先輩の背を見守る。ウォールカウンターの家族の絵は未だ裏返されていた。
なんとも言えない沈黙に気まずさを覚えていた時、砂溟先輩が口を開く。
「…家族が揃っている場所というものは、良いものですね」
「家族、ですか?」
砂溟先輩の小さく呟く声が聞こえる。私に向けてか独り言か、わからないほど小さな声。
急にどうしたのだろう。今日の瀧奈ちゃんとマルルを見ての事だろうか。…家族か。私も、
「…そう、ですね」
心から、そう思う。
小さく、零すように返事を返す。
「夜明さんは、今を楽しめていますか?」
靴を履き、ゆっくりとこちらを振り向く砂溟先輩と目が合う。今度の言葉は、しっかりと私に向けてのものであった。
「まぁ、…それなりに」
ふと、廻琉、碧、兎の顔が脳裏を過ぎる。
なんだか所長とも似たような問答をしたような気がする。
「無知は罪と言いますが。
知らない、という事は、時に幸福となります」
相変わらず、砂溟先輩の表情は変わらない。
いつもの通りの鉄面皮。にも関わらず、言いようのない違和感があった。
…なんだか様子が変だ。
本当にどうしてしまったのだろう。
「私
11年前、あの
「…?」
も…、11年前、という事は、つまり。
いや、でも。あれは、あれは…。
「……事故…です、よね?」
私だけが生き残った、原因不明の航空機事故。
私の家族を連れて行った、あの。
「……そうでしたね。
失礼しました、では」
────がちゃ。
砂溟先輩はそう言い残したまま、背を向けて立ち去ってしまった。目を伏せたまま、顔は見られなかった、見る勇気がなかった。
「……」
…もうなにがなんだか。
「あれ、砂溟さんもう帰られたの?」
「挨拶しそびれたなぁ」
「野球誘おうと思ってたのに〜っ!」
後ろから聞こえる3人の声で意識が引き戻される。
「あたしらもそろそろ帰るか、いい時間だしな。
凪乃の荷造りは明日の朝からやろうぜ」
兎が私の肩に手を回し、ぐっと引き寄せて頬擦りしてくる。相変わらず、髪の毛が頬をくすぐってこそばゆい。
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
廻琉が大声を上げ、対抗するように反対側の頬に飛び込んでくる。
「いだぁっ」
「んぐっ」
勢い良く飛び込んできたせいで頬と頬がぶつかり、反対側にいた兎にまで被害が生じてしまった。
「だだ、大丈夫?」
────ちゃっちゃっちゃっ。
襖の奥からその様子を見ていた瀧奈ちゃんとマルルが駆け寄ってくる。恥ずかしいところを見られてしまった。
あぁ、そうだ。忘れないうちに。
「これ、砂溟先輩から。
提出期限、1週間以内だって。気をつけてね」
「あっ、あ、ありがとう」
預かっていた封筒を手渡す。
これで本当に解決だ、マルルはこれからも瀧奈ちゃんと共に暮らしていける。今まで同じように。
ぐっと伸びをして、全身に達成感を染み渡らせる。さて、帰ろうかという時、
「あっ、あのさ。みんなが良ければなんだけど」
マルルと瀧奈ちゃんに手を取られる。
小さい手と、大きな毛玉。
マルルが体重をかけているからか、少し重い。
「きっ、今日、ご、ご飯一緒に、食べてかない?」
私の手を握る瀧奈ちゃんの手にぐっと熱が籠る。
顔を赤らめながらいつもよりも大きく声を張る少女の姿は、どうにもいじらしい。
「え〜っ!いいのぉ!!?」
「願ったり叶ったりだな、腹減ってたし」
「良い、ね!そういうのさ!」
間をおかず、3人から賛意を示す。
当然、私も。
「ふへへ、ふぇへ。じ、じゃあ。
リビング、こっち!」
嬉しそうに笑いながら先導する瀧奈ちゃんに連れられて、兎、碧と続いてリビングへと歩を進めていく。
「凪乃、ほら!一緒行こ!」
廻琉に手を取られて、玄関ホールを後にする。
戸をくぐる前になんとなく、本当にただなんとなく、ウォールカウンターの絵を表向きに戻す。
時刻は17時過ぎ。
陽も傾きはじめ、青空にオレンジ色の夕陽が滲み始めている。西日が家々を照らして影が落ちる。
事故。
事件。
知らない、という事。
廻琉に手を引かれていく中で、その3つの言葉だけが、いつまでも頭の中で陰り続けていた。