能力なんて大したものじゃない。
少なくとも私の周りに在るそれらは。
「見てみて、マジで倒れねーから」
声の方向に少しだけ目を見遣る。右隣の席の月炉。
相変わらず、しょうもない能力をひけらかして喧しい。
月炉が机の上に消しゴムを立て、指で弾く。何度弾いても、白い消しゴムはその場に踏みとどまっている。
「なんの役に立つんだよソレ」
月炉の向かいに座る烏帽子が呆れ様に見ている。
「なにも」
頬杖をついたまま、消しゴムを弾きながら、月炉が平然と答える。
「倒れねーってだけ。ウケるぜ」
そういうものだ。
能力なんてそんなもの。
フィクションのように波動を撃ち出すこともない、超人的な身体能力を得る事もない。
カードに書かれた通りの事が、ただできるようになるだけ。
すごくもないけど、まったく役に立たない訳でもない。でも欲しいかと言われたら…まぁそうでもない。
くだらなくて、心の底からどうでもいい。
今日も教室のあちこちでも似たような会話が聞こえてくる。
「最近足早くなった気ぃすんだよね」
「それ能力?」
「たぶん」
「カードは?」
「なかったけど?何?」
「バカがよぉ」
「んな事よりさぁ次の昏休みだけど ───」
誰も深くは追及しない。
その人の個性のひとつとして、そういうものとして。そのくらいの距離感で受け入れられている。
私も同じ、右に倣うだけ。
あっても困らないし無くても困らない。
ぶっちゃけた話、どうでもいい。
まぁ、仮に『寝坊しなくなる』能力があるとするならば、少しだけ欲しくなるかもしれない。
それだけだ、それだけの話。
***
6時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室が少しだけ騒がしくなる。
特に予定は無い。
買い出しは先日済ませた。
今日はバイトも入っていないし、誰からの依頼も来ていない。
碧は半日で早退してしまったし、兎も、今日はミーティングとかで足早に出て行ってしまった。
鞄を持って、いつも通り教室を出る。
昇降口で靴を履き替えながら、ふと外を見る。
空は晴れていた。
短くも激しい梅雨を抜け、夕の空は既に夏を想わせる茜色を差している。
いつもと違う道を通ってみるか、となんとなくそんな気になった。
理由は特にない。本当に、ただなんとなく。
強いて言うなら、「空が綺麗だったから」とかそれくらいのもの。
住宅街を抜ける細い道は、普段より人気がない。
足音だけが響く。
少し歩いたところで前方に人が見えた。
同じ制服。
こちらに気付いている様子はない。
近付くにつれて、見覚えがあるような気がした。
当たり前だ。この辺で同じ制服を見ること自体は別に珍しいことではない。
腰まで届く長い髪。ほんの少しだけ、私より高い身長。
砂溟さん…かな?
違うか、あの人の髪はあんなに赤っぽくない。
しかし同じ学年にあんな髪色の女子は居ただろうか。
気まずさを覚え、少しだけ歩調を速めて追い越したその時だった。
「あっ、あの」
声を掛けられた。ふっと振り返る。
「はっ!はい!」
思わず声が上ずる。
「これ!落としましたよ」
差し出されたのは、鞄についていた筈の私のキーホルダーだった。いつの間にか外れていたらしい。
「あ〜、あはは。あ、ありがとう」
受け取る。
どうして気付かなかったんだろう。
「い、いえ」
それだけ言って、彼女は軽く会釈をする。
会話はそれで終わりの筈だった。
が、なぜか少しだけ間が空いた。
何かを言いかけてやめたような空白。
「…ありがとう」
先に動いたのは私だった。
そのまま前を向いて、歩き出す。
雲の隙間から西日が差し込んでくる。
数歩進んで、振り返る。なんとなく。
影の伸びる先、彼女はまだそこに居た。
彼女もまた、私を見ていた。
赤みの強い栗色の長髪が靡《なび》く。
大きな、宝石のような瞳が輝いて見える。
彼女の髪が茜の陽を受けて紅く輝く。
それはまるで、もうひとつの太陽のようで。
綺麗だ、と感じた。
視線がぶつかる。ほんの一瞬だけ。
すぐに逸らされた。
それだけだった。…それだけの話。
***
家に着く頃には、空には群青の帳がかかりつつあった。
鍵を開ける。重い音を鳴らして戸が開く。
静寂に包まれた薄暗い部屋。
「ただいま」
返事はない。
当たり前だ。独りなのだから。
鞄を机の横へ放って、制服のままベッドへ倒れ込む。
静かだった。
耳鳴りが聞こえそうなくらいに。
数秒だけ天井を眺める。
胸の鼓動だけが鼓膜を叩く。
ひとつずつ、今日のことを思い出す。
落としたキーホルダー。
知らない女の子。
少しだけ長かった沈黙。
宝石みたいな瞳。
「……」
まぁ、いいか。
どうでも。
枕元へスマホを放る。
その瞬間。
────ぶぶっ、ぶぶっ
通知音、2回。
画面を見る。
【うさたまなの】
いつものグループチャットだった。
『おつかれぇ〜』
『帰宅』
『はやぁ〜!』
『碧が遅すぎんだよ、早く帰ってこい』
『買出し中で〜す、ぶい』
しばらくして新着。
『そういやさ』
『さっちゃん先生から聞いたんだけど』
『ん?』
『明日転校生来るらしーぜ』
『え!?』
『男の子!?女の子!?』
『女』
『やったぁ〜〜〜〜〜〜!!!』
『これ性差別だろ』
『かわいい子かなぁ』
『知らんけど』
『凪乃は〜?』
通知が飛んでくる。
少しだけ考える。別に興味はない。
だから、
『別に』
『冷たいよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜』
『平常運転』
『かわいそうな転ちゃん 涙』
『そんなに気にすることじゃないし』
『ひどぉ〜い!!転ちゃん泣いてるよ!』
『転ちゃん誰だよ』
やり取りを眺める。いつものことだった。
碧は騒がしい。
兎はツッコんで、私は適当に返す。
それで成立している。
10年近く続いている関係だ。
仲は良い方…だと思う。
ふと、夕方のことを思い出した。
あの女の子。
長い髪。西日に透ける横顔。
それから。
兎の送ったメッセージ。
『転校生』
「……まさか」
口に出してから首を振る。
偶然だろう。
そんな都合のいい話があるわけない。
スマホを伏せる。
(…シャワー浴びないと)
疲労のままに投げ出した身体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
その時、机の端に置いたキーホルダーが目に入った。
幼い頃に買ってもらった白いキツネのマスコット。さっき拾ってもらったもの。
なんとなく手に取ってみる。
「……?」
違和感。
金具が少し歪んでいる、ような。
ボールチェーンの接続部、コネクタ部分が妙な形に変形しているように見えた。
壊れた、という感じではない。
無理やり開いたような。
それでいて、綺麗に元へ戻そうとして失敗したような。そんな形だった。
指先で摘まむ。
こんな形だっただろうか。
というより、
これが外れていたなら、どうして私はあの時気が付かなかったのだろう。
歩いている時も。拾われた時も。
落ちた音すらも、私の記憶には無い。
父に買って貰った物。…最期の贈り物。
……お気に入りだったはずなのに。
妙な違和感だけが胸の内に残る。
そっと、指先でなぞってみる。
キズはない、小さな汚れすらも。
「……ま、いいや」
机の上へ戻す。
外れたなら、後で付け直せばいい。
考えたところで答えは出ない。
どうでもいいことだ。
そういうことにしておく。
網戸の隙間を抜ける温い風が頬を撫でる。
窓の外では夕焼けがゆっくりと沈みかけていた。
茜空に一筋のひこうき雲、行く先には一機の旅客機が見えた。
「……」
なんとなく目を逸らす。なんとなくだ。
本当に。ただ、なんとなく。
風に乗って子供たちの笑い声が聞こえる。
公園からだろうか、妙にはしゃいでいるように聞こえた。
少しだけ、耳を澄ませてみる。
「おとうさん」と、小さな女の子の声。
少し舌足らずで、あどけなさのある声。
きっと楽しいのだろう。
私には、よくわからなかった。
窓際に手を伸ばしてカーテンを閉める。
灰の布地が揺れて、部屋が少しだけ暗くなる。
声はもう、聞こえてこない。