ながれ ながれて ひがとまる
あさやけ ゆうやけ ひがおちて
ちんどんしゃん ちんどんしゃん
はやしにまざる こちらへおいで
たそがれ たそがれ ひがくれて
かえりのおみち あかいくれやけ
おいで おいで おいでませ みつめでまねく
まざりきこえる あのこはだあれ
竹叢《たかむら》灯《ともす》(採録).(年代不詳).『鹿々桜県域伝承わらべうた全蒐』.
***
7月13日。
6年ぶりとなる『昏』の訪れ。
鹿々桜全域を包む黄昏の空と酒宴のさざめき。
篠笛の旋律から始まり、足並みを揃えるように続く鉦の乾いた音色、空気を震わせる鼓の音が黄昏の空に吸い込まれていく。
囃子を種にして、色とりどりの花火が藍色の空に咲き乱れていく。
道行く人々は皆、喜びに満ちていた。空を仰ぎ、声を上げ、祭りの到来に心を踊らせていた。
無理もない。これから2ヶ月もの間、鹿々桜は祭りの季節を迎えるのだから。
それに、私たちも例外ではなかった。
「凪乃ぉ〜っ!廻琉ちゃぁ〜ん!こっち空いてるよぉ〜っ!!」
堤防の上に並ぶ行列の奥から、碧の声が聞こえてくる。声の先をよく見てみると、人混みに紛れ、ひょこひょこと小さな手だけが覗いているのが見えた。
「だって!いそご!」
「ん。あっちょっ──」
いつにもまして上機嫌な廻琉に手を取られ、階段を駆け上がっていく。
「これまた…」
「……おお、だね」
圧巻の一言であった。
普段とはまるで違う、祭りの活気に満ちた花芽川河川敷を見下ろす。見慣れた場所は、数え切れないほどの人で埋め尽くされていた。
川を滑り、頬を撫ぜる風が涼しくて心地良い。
空の刻が止まり、花火も始まった折。出店を回っていた人々もいよいよ場所取りに熱を上げ始めた頃合いだ。
例に漏れず、私たちも一度足を休めるべく、丁度いい場所を探していたのだった。
「こっちこっちぃ!」
「ほい、ほえ。ふめーほ」
なんだって?
声の先では木陰で腰を下ろした碧と兎が、出店で買ってきたであろうイカ焼きをモゴモゴと頬張っていた。
そのまま「お前らも食え」と言わんばかりに2本、こちらに差し出してくる。
「わぁーい!イカ焼き、イカ焼き!」
「ありがと。どこの?これ」
これでもかと塗りたくられたタレでべたつく串の端を持つ。
お腹の空く、良い匂いだ。
大胆に入れられた切り込みから窺える肉厚さと、鼻腔を擽る甘辛い香りが空腹を加速させる。
この指に付くタレすらも一種のアクセントだ。
「ふぅ。あぁ、うたたね橋の横の出店で買った。
深沁港で揚げ立てだってよ、ぷりぷりで美味いぜ」
「そこのチョコバナナも美味しいよぉ!」
2人ともこのお祭りを堪能している様子だった。
空では小さく弾ける音、それからぱらぱらとあられの散らばるような音が続けて響く。
「綺麗だねぇ」
「だなぁ」
ぼんやりと空を眺める兎の右隣に腰を下ろす。
空いている右側の小石を払い、はんかちを敷いて、廻琉の手を引く。
「……ん」
「えへ、えへへへへ。ありがと、ね」
廻琉のはにかんだ笑みが弾ける花火に照らされて、いつもより眩しい。
「…別に」
ふわりと流れていく川風が顔の熱を奪い去っていく。セットしてもらった前髪が崩れそうになるが、今だけは少しだけありがたい。
それからどれくらい経っただろうか。
4人で並んで、ぼんやりと空を眺めていた。
花火を見上げて、時々隣に目を向けて。
ただ、重なった手だけは、ずっと温かかった。
***
『皆々様ぁ、本日はお集まり頂きぃ、誠にありがとうございまぁ〜っす。
ただいまよりぃ、45分間の休憩に……ねぇコレさぁちょっと長いんじゃないのぉ?』
なにやら聞き馴染みのある声で緩い雰囲気のアナウンスが響き渡り、花火大会はその熱気も冷めやらぬままに、一時の暇《いとま》を迎えた。
「今のさっちゃんだったねぇ」
「意外と顔広いのかもな」
「ほんとにね。ん。よっ、と」
重い腰を上げ、ぐっと伸びをする。
「──んっ、くぅ」
息を吸った拍子に出た欠伸で、酸素が全身に行き渡る。伸ばした腕から筋肉が解れていく感覚が気持ちいい。
それに続いて、兎が軽く伸びをしてから、場を仕切り始める。
「お前らどうする?この後しばらくな。
あたしは…ちょっとさっちゃんに顔出してくるわ」
兎がいつになく小さな声でそう言って、ふいっと堤防の方に顔を向ける。視線の先には、ただ賑やかな人混みがあるだけだった。
「わたしは美味しいお店探してこよっかなぁ」
碧一人で平らげたイカ焼き3本、わたあめ5本、かき氷3つの残骸が入った袋を指にかけ、くるくる回しながらマップを眺めている。すごい、まだ食べるんだ。
「あたしの分も買ってきてくれよ」
「もちのろんだよぉ!」
「あ!わたしと凪乃ののも、ね!」
「もろのち──」
それ以上はいけない。
そんなこんなで、次のプログラムが始まるまでの間、碧と兎は別行動となった。
集合の際には、各自兎に渡されたGPS端末で位置情報を確認しあって、という流れになった。
いつ準備したんだ、端末《こんなの》。…ま、いいや。
とりあえずその間、私と廻琉は、
「えへ。ふたりっきり、だね」
まぁ、そういう事になる。
ふたり、か。このお祭り騒ぎの中で。
なんだろ、なにしたらいいのかな。こういう時って。…そうだ。
「射的…とか行ってみる?型抜き、とかも」
お祭りといえばの定番中の定番だ。
間違いないといえば間違いない、けど。
…ありきたり、かな。
つまらないとか、思われていないだろうか。
「……マップ、みてたらさ」
私はお祭りとその出店、というものの知識だけはあったが、実際に来るのは初めての事だった。楽しいものなのだろう、と。そう思うばかりだった。
「金魚すくい、とか。いろいろあるみたい」
そしてそれ以上に、″誰かを誘う″という事に慣れていなかった。
でも、これが仮に碧だったら。兎だったなら。
「いろいろ、さ。……一緒に」
こんなにも、胸が熱くなったのだろうか。
***
提灯の灰明かりに染められた堤防沿いの大通りは、相変わらずの賑わいを見せていた。花芽ラ商店街から多くの店々が露店を構え、さらに多くの人々を楽しませている。
はぐれないように、という廻琉の提案で手を繋ぎ、人混みを縫うように歩いて回る。
すれ違う人々の中に神代桜《みよさくら》の学生がいないかだけが不安ではあったが、不思議と悪い気はしなかった。
それに、例え手を繋いでいなくても、はぐれる気はしなかった。私の選んだ浴衣を着て、私の手を引いて歩く廻琉の後ろ姿は、この雑踏の中でもなぜか、視界の中心に居続けた。
「へへ、あったあった!」
「あだっ」
先導する廻琉が射的と書かれた旗の前で立ち止まり、背中に顔をぶつけてしまう。
「いらっさい。10発300円ねぃ」
「20発、ふたりで!」
「あいよぉ、よぉく狙ってね」
ハチマキを巻いた店主がくいっと親指で後ろを指す。その奥には大小様々な景品が並んでいた。
小さなお菓子や子供向けのおもちゃから始まり、両手で抱えるくらいの大きさのぬいぐるみから最新のゲーム機まで揃っている。随分と気合いの入った品揃えだった。
「まずは射的!凪乃も!はい、これ!」
「…ん」
廻琉からコルク銃を受け取り、景品に向けて構える。隣から感じる視線が少しだけこそばゆい。
でも、なんだか。
──ぱん。
────かたっ。
思っていたより簡単かも。バイトで会ったあの猫と違って動かないから。
軽い発砲音に続いて、並んでいたお菓子が2つ、落ちる。
「おぉ〜っ!」
それを見ていた廻琉が感嘆の声をあげる。
「かっこいい!かっこいい!」
「…ありがと」
悪い気はしなかった。
当然だ、褒められているのだから。
ふふ、もっと取っちゃおう。
「じゃ、次…」
──ぱん ぱんっ。
緩い顔付きのネコのぬいぐるみに続いて、チョコバーの箱を落とす。それからお菓子、お菓子にまたお菓子と、弾のもつ限り落としていく。
「す、すごい!わっわたしも、わたしも!」
隣からぱすんぱすんとコルクが空を切る音が聞こえる。ふふ、へたっぴなんだ。
残弾が3発を切った時、景品棚は随分と寂しくなっていた。暖簾の奥で店主が苦い笑みを浮かべているのが見える。
補充分はあるんだろうけど、一応…これくらいにしておこうかな。
──ぱすっぱすっぱすっ。
残った3発のコルクを落ちるはずもない最新ゲーム機の箱の角に撃ち込み、コルク銃を戻す。
お礼を述べて店を後にしようとしたその時、
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!…あっ」
──がたっ。
運良く、いや、運悪くバランスを崩したのだろうか。重たい音を立ててゲーム機の箱が落ちる。この場合は″落ちてしまった″の方が正しいだろう。
見るからに肩を落とした店主が箱を拾い、私たちの元へと運んで来てくれた。
「よく狙えとは言ったが…。お嬢ちゃん、もう少し手心というかなんというか」
「あは、あはは。すみません」
結果的には大漁だった。廻琉もお菓子をいくつか落とせたようで、たいへんご機嫌な様子だった。
その後もふたりでいろいろな店を回った。型抜き、輪投げ、金魚すくい、最後にくじ引き。主要な出店は粗方回った。
輪投げでは射的屋に続き、バイトで培われたエイム力で大景品を狙い撃ちした。
思っていたより簡単だったから、一応、少しは自重した。一応ね。
型抜きでは廻琉が意外な技術力を見せた。
普段の様子からは想像もつかない程の集中力で、最難関であった界桜樹の型を見事なまでに綺麗に抜き出した。
口数の少ない廻琉を見たのは初めてだったからか、凛とした表情が妙に記憶に焼き付いた。
金魚すくいはふたりとも苦戦した。
小さいし多いしで、どこから掬えばいいのかが最後まで掴めなかった。特にポイが曲者だった。浸しすぎるとダメになるし、掬えても暴れて破けるし。廻琉が「1回全部濡らすといいんだよ!」なんて言って、浸した瞬間に破れた時はちょっと面白かった。
結局、ふたりがかりで一匹も掬えなかった。
***
「金魚すくいさ。難しかった、ね」
「ほんとにね、すぐ破けちゃってさ」
大通りから外れ、人通りの少ない路地で一息つく。提灯が風に揺れて、2つの影がゆらゆらと揺らめく。
待ち合わせとなる次プログラムの開始時間まで残り5分程となっていた。
「へへ。まだもう少し…時間ある、ね」
「そう、だね」
廻琉の声のトーンが一段落ちて、空気が変わる。
上手く言えないけれど、嫌じゃない緊張感に包まれたような。少しだけ、胸の内が浮つくような。
言いようのない気恥しさから逃げ出すようにマップを開く。
「ねぇ、凪乃?」
「…ん」
短く返事を返す。
先程よりも近い距離に、廻琉を感じる。それでもマップから視線を外さなかった。
ふたりで行った場所にはチェックマークを付けていた。
「わたしね、今日すごく楽しいの。
今までで一番って言えるくらい楽しい、よ」
「……ん」
廻琉と行った事がわかるようにと、赤色で。
ひとつひとつ、確かに刻み込むように付けた。
やった事、話した事の全部も覚えていられるように。
「凪乃は今日、さ。楽しい?」
「……」
…楽しいか、か。
つい最近にも、同じような事を聞かれた気がする。
けど、たぶん今は、その時以上に。
今度はちゃんと、言葉にできるくらいに。
「……楽しいよ、すごく」
刻み付けた記憶の中で。
今までで一番、そう言えるくらいに。
だから、
「…ねぇ、廻琉」
これからの一番も、胸を張ってそう言えるように。
「次、どこ行こっか」