時計の針は19時45分を指していた。
私と廻琉は両手を塞ぐ戦利品を郵送してもらうべく、花芽ラ商店街にある花哥急便に来ていた。
先程、兎からも「そっち向かうわ」と連絡が来ていたこともあり、待ち合わせ場所として利用させてもらってもいたのだった。
「すみません、ちょっと多いんですけど」
「いいのいいの、暇だったしさ。『昏』の間はお客さん少ないからね、むしろ助かりますよ」
「じゃ、お願いします」
「承りました。明後日には全部届けるからね」
お釣りを受け取り、一礼して店を出る。
お祭りだというのに相変わらずの働き者だ。
花哥《はなうた》急便。花哥《はなうた》 斉也《ひとなり》さんというお兄さんの経営する、地域に根差した個人配達業者。
なんでも『ほんのすこし 道に迷わなくなる』能力を活かしたくて起業した、とかなんとか聞いた事がある。見知った地元の地でどう活きているのかはわからないが、その働きぶりは素直に尊敬すべき長所であった。
店の脇のベンチに腰を掛け、廻琉が口を開く。
「お兄さん、男前だったね!」
「…ん」
不意の言葉を受けて、思わず右手に熱が籠る。
どう返せばいいか、なんて考えるまでもなく無意識に言葉が続いた。
声のトーンが落ちる、自覚できるほどに。
鼓動が逸る、無自覚なままに。
「…彼女さんいないらしいけど?」
「意外だ、ね!」
ぼつぼつと言葉が続く。
…そんな話がしたいわけじゃないのに。
「……連絡先でももらってきたら」
「ううん!」
廻琉の左手にそっと力が入るのが伝わる。
柔い肌から温かな熱が届く。
「わたしはずっと凪乃だけ。ずっと、ね!」
「………ん」
数秒沈黙が続く。ふわりと風が頬を撫でて、いくらか熱を奪い去っていく。
それでもまだ、重ねた手と火照る頬に残るもの。やっぱり夏は暑い。
でも、嫌いじゃない。
***
19時55分。
花芽川の方向から、花火の打ち上げ再開を告げるアナウンスとともに小さな破裂音が聞こえてくる。昏空にちらちらと花火の明かりが映し出されて、お祭りの熱気が戻っていくのがわかる。
「ふたりとも遅い、ね」
約束していた時間から既に10分が過ぎていた。
なんなら兎から連絡が来ていた時点で時間は過ぎていたけど。気にしすぎても仕方ないのだ。
「時間にルーズなとこあるって言ったでしょ。
大丈夫、そのうち来るよ」
とは言いつつも、やはり少しだけ気にかかる。
スマホを開くも通知は来ていない。
ふたりが遅れること自体は珍しい事ではない。が、連絡もないというのは今までにはない事だった。
「…ま、『昏』、ましてやお祭り中だしね。
時間を忘れてってやつでしょ」
「屋台2周目してるかもだ、ね」
「ふ、言えてる。ま、GPSもあるし…」
そうだ、兎から渡されていたGPS端末があるんだ。すっかり存在を忘れていたそれを取り出す。
液晶には簡易な花芽の地形図の上に小さく赤い点が4つ表示されていた。2つずつペアになって点滅している。商店街の辺りで重なっているのはおそらく私と廻琉だろう。
なら花芽川の路地裏にある2つは兎と碧になる。先に合流したのかな。なにしてるん──。
──ピピッ ピピッ ピピッ。
突如鳴り響く高音に思考が遮られる。
祭囃子の中で、乾いた着信音だけがやけに鼓膜に響いて聞こえた。
「ごめん、私のだ。ちょっと出るね」
液晶には【兎】と表示されていた。
なんだろ、今から向かうって連絡かな。
どれ、たまには小言のひとつでも言ってやるか。普段通りに軽い調子で指をスライドさせて通話を開くやいなや、すぐさま兎の声が耳に届く。
『悪い。碧そっちに居たりしないか?』
GPS端末にはかわらず、重なって点滅する赤点が見える。疑問符が頭の中に浮かぶ。
碧がこれを落としていたのだろうか。
「…?一緒にいるんじゃないの?」
『…まずは合流しよう。場所はわかるな?
できるだけ人通りの多い所を通れよ。気を付けてきてくれ、ふたりともだ。頼む、頼むから…』
冷たいものが背筋を伝う。
これまでの付き合いでこれほど狼狽する兎の声を聞いたことはなかった。
ただ端末を落としていただけではない、と。そんな嫌な予感をさせるものだった。
「…わかった。すぐに向かうよ」
すぐさま電話を切り、廻琉の手を取って花芽川の方向へ足を向ける。後方から動揺した廻琉の声が聞こえてくる。
「おわわ。どっ、どうしたの?」
「電話、兎からだった。急いで合流するよ。
話は着いてからするから」
「…?わ、わかった!」
私の様子から廻琉もなにかを感じ取ったのか、明るい返事の中には、ややぎこちなさが感じられた。
少しずつ歩調が速まる。
徐々に近付くお祭りの喧騒と目的地。
近付くにつれて不安が募っていく。過ぎていく風が嫌に冷たい。
繋ぐ手から廻琉の小さな震えが伝わってくる。
「大丈夫…、大丈夫…だよ」
小さく繰り返す。募る不安を押し殺すように。
「…うん」
握られる手に握り返して応える。
指の震えを抑えて、普段通りに。
大丈夫、きっと迷子になっているだけ。
きっと大丈夫。4人で帰れる。
……大丈夫。だから…いつもみたいに。
***
商店街を抜け、花芽川の河川敷に繋がる通りを早歩きで過ぎていく。言われた通りになるべく人通りの多い場所を選んだ為に、想定していたより時間がかかってしまったが、8分程歩いたところで兎の姿が見えた。
「…っ!凪乃!廻琉!無事か!?いるか、いるんだよな?ふたりとも、ちゃんと…」
目が合うやいなや駆け寄ってきた兎に両頬を掴まれる。顔を左右に向けられ、頬をぐっと抑えられる。怪我でもしていないかとたしかめるように。ここに居ること、それ自体を確認するように。
普段はおふざけから同じような事をされることも少なくなかったが、今だけはふざけている様子ではなかった。
「どっ、どど、どうひはの?」
「…よかった。……悪いな、取り乱した」
続いて、私と同じように廻琉の事も
「で、なにがあったの?碧は?」
未だ見えない碧の姿を探す。ここに来るまでに会うことが出来ればと努めたが、望みは叶わなかった。
電話を受けてから予感はあった。兎の様子を目の当たりにして、より鮮明になりつつあるソレから目を背けるように平静を装い、質問を飛ばす。
「GPSが落ちてたんだ。あそこの路地裏で」
一言ごとに兎の息が荒くなるのがわかる。
只事ではないと、目を背けたその事実がより鮮明なものになっていく。
「…わかった。一旦さ、座って落ち着こう。
私、飲み物買ってくるよ。水でいい?」
震える兎の手を握る。ひんやりとした指先から焦りが伝わってくる。
「…そうだな、助かるよ」
近くにあったベンチに兎を座らせて廻琉に番を頼み、近場の自販機へ向かう。
頭上で弾ける花火よりもずっと胸を叩く鼓動がうるさい。
あれだけ取り乱す様を見れば嫌でも理解できる冷たい現実。考えたくなくても頭に浮かぶ1つの事実が、全身を巡る血液を冷たく感じさせる。
もしかしたら、落ち着きたかったのは私の方だったのかもしれない。間を置くことでなにか状況が好転してくれるかも、なんて淡い期待を寄せていたのかもしれない。
現実を直視したくなかった…のかもしれない。悠長にも思えるこの時間で変わることなんてなにもないのに。
──がこん。
碧が消えたという、その事実が。
「…碧、どこに」
「舞鼓さんは戻りませんよ」
「…っっ!!」
振り返る。
耳元から聞き覚えのある声。聞きたくない言葉が囁かれる。
「…砂溟先輩?」
背後、ずっと近くに砂溟先輩の姿があった。
浴衣に身を包み、おくれ毛でつくった三つ編みをいじりながら言葉を続ける。
「いかがでしょうか?似合っていますか?」
目を伏せ頬を赤らめ、口元に小さな笑みを浮かべながら。
「…?」
聞き間違いだろうか。なぜ、今?
それに、いつから私の後ろに?
さっきの発言の意図は?碧は?
あらゆる疑問が頭の中を駆け巡る。
言葉に詰まる。なにか一言だけでも、そう考えるばかりに飛び出した言葉は、
「あなたが碧を?」
点と点は線を結ばず。
それでも答えが欲しかった。安堵できる何かを求めて口から出たのは疑念だった。
砂溟先輩がすっと顔を上げ、袖口で口元を隠して目を細める。薄暗闇の中で赤みを帯びた瞳が浮かび上がるようにほんのり灯る。
違和感。
砂溟先輩の言動…だけではない。
砂溟先輩の瞳は赤色ではなかった筈だ。新月の夜のような吸い込まれるような黒い瞳、物事を冷静に見定めるような強い眼差し。1人の先輩として憧れたことを覚えている。
なのに、今は夕焼けみたいに赤い。
カラコン?いやそんなタイプじゃ…ない。それになんだか…廻琉みたいな。
「私は知っているだけです。
どこにいるか、なにがあったか。
どうすれば彼女のもとに行けるか」
「っ!なら教えてください」
急くあまりに語気が強まる。
普段であれば咎められるべき態度だが今はそんな事はどうでもよかった。
碧の身に起きた事を、無事なのかどうかを。
今はただ答えを。廻琉と兎に伝えなければ。
「ではついてきてください。
ここではなんですから」
砂溟先輩が右手を差し出す。
袖口から覗く細い指先が薄暗闇に白く映えていて、それが妙に不気味に感じられた。
「じっ、じゃあ廻琉と兎も…」
「駄目です。ふたりで行きましょう?
後からだっていいじゃないですか」
「…っ」
にっこりと笑ってそう言う様に、胸元がザワついた。笑顔を見たのは今日が初めてな事もあるが…やはり様子がおかしい。
三日月を描く砂溟先輩の口元から、すらすらと言葉が続く。
「妬いてしまいました。随分と見せつけられてしまって。でも、今度は私の番ですね?」
言葉の真意も読めないままに、力なく垂らした左腕をするりと掴まれる。
「なっ!ちょっ」
優しく、それでいて強引に手を引かれ一歩ずつ足が前へと進んでいく。手首を掴まれていた筈が、自然と手を繋ぐ形になり、互いの指が絡み合う。砂溟先輩の冷たい指が手の甲をなぞり、全身に冷たいものが走る。
「こちらです。行きましょう、望雲之廟《とこしえ》へ。招かれれば何処だって。見つけられれば、何時だって」
軽い足取りで唄うように言葉を紡ぐ後ろ姿に視界と思考が囚われる。
トコシエ…?招かれる?見つける?
意味を持つであろう単語群に答えを見出すことは今は難しかった。ただ手を引かれるままに足を進めて、ただ廻琉と兎を待たせている事が気掛かりで仕方がなかった。碧の事を聞き出したらすぐに戻らなければ。友達のあんな顔はもう…見たくない。本当なら今すぐにでもふたりのもとへ戻りたい。
だというのに、先を往く砂溟先輩は、
「楽しいですね?嬉しいですよ、私」
場違いなまでにこの状況を楽しんでいるようだった。
人気の少ない通りの景色が視界を過ぎていく。
突き当たりに細い路地が見えた頃、砂溟先輩が振り返り、一層笑みを増す。
「さぁ、」
瞬間、指先から冷水の膜を通るような感覚に陥り、景色が塗り変わる。
「入口は」
「こちらですよ」
「私の、」
──とぷん。
「夜明さん」