なるようになるの   作:kintama

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火種

『昏』前日。

 不幸は得てして突如訪れるものである。

 砂溟 左は啓示を受けた。本意ならずも彼女の忌み嫌う能力を授かった。

 朝起きて枕元に置かれたカードを見た彼女の取った行動は"無視"であった。ただ不快感を孕んだ視線を向けるだけで、額面を確認する必要性すらも感じていなかった。光が降ってくるでもなく語り掛けられる夢を見るでもなく、輪郭のぼやけた確信が胸の内に在った。

 

 朝食をとり、外套を羽織ってポーチを腰に巻き付ける。出掛ける予定もないままに身支度だけを整える。数刻と時計の針を見つめ、食卓に並べた3人分の空の器を棚に戻す。

 ひとり暮らしにしては広すぎる賃貸の一室で本のページを一枚一枚と捲り、ただ時が過ぎていくのを待つ。静寂に耐えかねた時は時報を流した。

 ある意味ではこれが彼女の普段通りの生活と言えた。唯一違ったことといえば、普段よりもずっと本を捲る手が早い事だった。事実、この時彼女の目は紙に並んだ文字列を映してはおらず、内容など尚更頭に入ってはいなかった。

 

 熱を持たない視線は左手首に掛かる『失効』に向き続けていた。

 一時的とはいえ、『匣』の解錠権限を失う事は彼女にとって著しい損失を齎した。支給されている各デバイスの行使は全て『匣』を開く先の道を辿り行われる。その為、解錠の権利を失う事は所持デバイスの停止、詰まるところ業務の完全停止を意味していた。同時にこれが罰則によるものではないことも理解していた。故に不愉快であった。

 

 思考は常に研究所の面々を浮かべていた。

 彼女には凡そ学友と呼べる者はいなかった。彼女が神代桜に通う数年のうちに受けた誘いは少なくない。目前に据えた昏休みに向けて払った誘いは両の手では数え切れない程だった。

 何故断ったのかは彼女自身あまりわかっていなかった。ともに過ごした時間の中で心動かされたことがないわけではない。それでも彼ら彼女らを友と呼ぶことはなかった。

 

 一方で彼女の勤める研究所のメンバーには多少の友誼を感じていた。夜明や丹蓯《にかぶら》ら後輩は、従事しつつも本分を疎かにすることなく、学業実績共に結果を残してみせた。特に夜明は学外においても名を聞くことが少なくなかった。年若くも優秀な彼女らに、砂溟は心からの敬意を示した。

 所長を始めとした基幹職は皆、砂溟を含めた若年の職員を心から気遣い労った。彼女はそれが自身の過去に由来するものであることを理解しながらも、その優しさに感謝した。

 それでも心の傷は癒えなかった。

 

 数刻して陽が傾き始めた頃、漸く動きを見せた。本を閉じて立ち上がり、枕元に伏したカードを手に取る。一連の動作はまるで事前に決めていたように滑らかに行われた。

 手に持ったカードは伏したままに砂溟は鏡の前に立った。曖昧な確信は額面に刻まれているであろう文字を隠し続けていた。かといって、かかる霧を払う勇気を出せずにいた。

 

 能力のこと、研究所の同僚らのこと、家族のこと。嫌い、慕い、悼み、渦巻いて混ざりあった霧は冥く深かった。霧の中で一際輝いてみえるものは過去の事だった。

 すぐに帰ってくる筈だった家族のこと、還る筈だった元通りの日常。もうひとつはまだはっきりしなかった。

 薄ぼんやりとしたそれを彼女が自覚したのは7月9日のこと。夜明とともに休暇を告げられた日であり、初めて陽戸 廻琉と言葉を交わした日だった。

 似た過去をもつ夜明と共にした時間は砂溟にとって心安らぐものだった。夜明は砂溟にとって唯一ともいえる心許せる人物だった。

 他人に手を差し伸べながらも、彼女の作る笑顔の奥には暗いものが潜んでみえることに少なからず親近感を感じていた。同じ悩みを抱えているのではないかと、一度腰を据えて話をしてみたいとも思っていた。

 

 7月9日、久方ぶりに会った彼女の表情には光が差して見えた。陽戸というノイズを傍らに連れた彼女は以前とは違って瞳の奥に輝きを得ていた。

 翌日、薄食宅で再び目にした彼女は友人に囲まれていた。またしても彼女は何食わぬ顔で他人に救いの手を差し伸べていた。

 砂溟は胸の奥に痛みを、同時に小さな憤りを感じた。理由は分からなかった。後輩の助けとなること、それ自体は嫌ではなかった。

 理由は今日この日までわからないままだった。

 

 伏したカードを返して視線を落とす。

 まっさらな白の無地に簡潔な文字。

 

『ほんの少しだけ 思い通りになる』。

 

 それだけだった。

 曖昧が晴れて確信を手に入れる。彼女がずっと感じていた不快感の正体は、

 

「……夏霞《かすみ》」

 

 百目鬼研究所内部において夏霞《かすみ》と呼ばれる能力群のひとつ。それを授かったからに他ならなかった。

 一般の能力はごく狭い範囲を対象として些末な事象を引き起こすが、夏霞はそれらから少し外れた能力の事を指していた。

 共通するのはふたつ。

 ひとつは『ほんのすこし』というワードが含まれていること。対象を不確かなものとし、定義が曖昧になることで"どこまで?"の疑問を抱かせる。実際のところ、どこまでが能力によるものなのかは本人にもわからない。

 夏霞という能力区分は研究所内部に留められているが、現実問題、能力そのものを秘匿する事は不可能であり、極々一部を除いて研究所においても注視するほどのものではないとされていた。

 しかし砂溟の考えは違っていた。

 

 あらゆる要素が砂溟の憎悪を掻き立てた。

 特に大きな火種が陽戸 廻琉という存在だった。

 忌み嫌った夏霞の能力者であることが、同じ能力をもつことが、同じ境遇の後輩に擦り寄る言動が、もはや陽戸 廻琉という存在そのものが不快だった。

 7月9日に陽戸と手を交わした事を思い出すだけで身体中が熱を帯びるようだった。肌が荒れるほど洗い続けて尚も汚らわしく感じた。

 7月10日の最後に見た夜明の顔、奥に光の灯る紫紺の瞳を思い浮かべるだけで胸が痛み、鼓動が逸った。

 

 手元のカードを伏せてゆっくりと視線を上げる。鏡に映るのはいつも通りの彼女自身。ずっと前から変わらないままの姿だった。

 砂溟の目頭に熱が籠る。

 

「……夜明、さん」

 

 夏霞におけるふたつめの共通点。

 喜怒哀楽問わず、感情が激しく揺れ動く時、

 

「これが、」

 

 瞳の奥に、

 

「恋、ですか?」

 

 火が灯る。

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