「なぁーんか…」
集落を離れ、目的地も知らされぬままに農道から続く山道を登っていた時、兎と廻琉の少し前を進む羽々斬が口を開く。
「あん?」
「思ってたより広いんスねぇ」
能力が兎に向けて"想定外"の文字を投げる。言葉通りの解への苛立ちを抑えつつ、軽い足取りの羽々斬に向けて質問を飛ばす。
「どういう意味だよ」
兎はこの時発した言葉にいくつかの問いを含んだつもりだった。先程聞けなかった"均すこと"の意味、羽々斬の奥底で燃える殺意の向かう先、そして彼自身の目的を聞くことが出来ればと考えていた。
一般的な会話ならば、問い返された意味が指すのは直近の発言である。しかし、この場この2名においては例外であった。
「どれですか?」
「答えられるだけ全部だ」
「では、まず広さについて。
望雲之廟はだいたい村ひとつ分くらいの広さしかないのが常なんスけど…ほらあそこ。隣町まで見えてきてしまいました」
木陰の降るなだらかな斜面の続く先、木々が開けて山麓の景色を臨む場所を指さして、やれやれと言わんばかりに首を横に振る。
そのまま指した指を上に向けて、羽々斬は言葉を続ける。
「わかりますか?」
先程まで雲ひとつないようにみえた青空に小さな雲が流されていく。異様なほどの速さで流れてはちぎれて消える。つい数時間前にみたばかりの景色、『予兆』の空であった。
「…『昏』だ、ね」
廻琉が小さく呟く。「凪乃に教えてもらった」と、さらに小さな声で付け加えて目を伏せる。拳は固く握られて小刻みに震えていた。
兎はどう声をかけていいかわからないまま、廻琉の丸まった背中を摩るだけに留めた。
ふと、視線が向けられている事に気が付き、顔を上げると羽々斬が一枚の看板を指して笑っている。ぼろぼろになった立て看板には"春草《はるくさ》公園"と刻まれていた。
「ちょっと登ったとこに公園があるみたいス。
少し休憩にしましょうか」
「だってさ。廻琉、もう少し歩けるか?」
廻琉が小さく頷き、歩を進める。背を追う形で兎も続く。
「信じる」とは言ったものの、未だ読み切れない羽々斬に対する信頼は、兎の中で小さく揺らぎ始めていた。その矢先に読めた廻琉に対する純粋な気遣いは兎の心を大きく揺り動かした。もう少しだけ羽々斬《こいつ》の事を知りたい、そう思い始めていた。
***
「自販機も使えんだな」
「ちょっと意外だった、ね」
「戻ってもお金は返ってきませんので。
無駄遣いは厳禁スからね」
手入れされた屋根付きベンチに腰を下ろした3名は、買ったばかりのキンキンに冷えた水で喉を潤していた。
廻琉は少しずつではあるものの調子を取り戻しつつあった。
兎が胸を撫で下ろしつつ公園を見渡していると、頬杖をつきながらにこにことこちらを眺める羽々斬が目に入った。
「んだよ」
「別に〜♪」
悪意は読めない。当然、兎とて本気で嫌悪を抱いたわけではない。ただ慈愛めいた暖かいものだけが感じられることがなんだか少しだけ気持ち悪かった。
心の中で舌打ちしつつ、気になっていた事を尋ねるべく羽々斬の方へと向き直る。
「"均す"ってどういう意味なんだよ」
言葉を受けた羽々斬が待ってましたと言わんばかりに両手を鳴らす。
「端的に言えば望雲之廟を閉じる事です。ちなみに、それを成すにはいくつか条件があります」
またしても能力が"殺"の文字を弾き出し、同時に激情を読み取る。
先程より強い"解"からは、それらがこちらに向けられたものではない事が読み取れた。「知っている」という言葉を信じて、兎はそのまま言葉を続けた。
「なにを殺すんだ?」
「ここの主ス。表現については訂正ですね。
ニュアンスとしては近いですが、ただ命を奪うだけでは均しは完了しません」
一段とばしの会話に挟まれた廻琉は一旦理解することをやめた。これは両名のうちで出た結論を共有してくれると信頼してのものだった。
「おふたりをお連れしたのは連れ戻す役割をお願いしたいからです。
殺し、招かれた人を連れ戻すことで主は死に絶えて望雲之廟は閉じ始めます」
"真"。主と呼ばれる者へ向けられた激情とそれに勝るとも劣らないこちら側に向けられた慈愛の火を読んだ兎は、"均し"が何たるかを理解した。
同時に疑問が降って湧いた。至極真っ当で純粋な疑問であった。
「これまでのはどうやってきたんだ?」
「だいたいはオレ一人で足りていたんです。先に殺してしまえば済みましたから。一度に二人招かれるというのも前例にありません。
それに……ここは思っていたよりずっと広い、後で応援も呼びましょう」
羽々斬が懐から血のついた黒い板を取り出してにこやかに笑う。卜部から受け取り、羽々斬を呼び出したらしい物だった。
羽々斬は嘘は言っていなかった。かと言って全てを話しているわけではなかった。しかし、それがさほど重要ではない事もわかっていた。
嘘をついていないこと、それが今最も重視するべきであることを兎は理解していた。
「それ、なんなんだよ」
「これですか?気になります?
これね、『誘扉』っていうんです。オレが造りました。白泪の『星門』あるでしょ?アレの技術を流用しました。知ってました?あれオレも技術開発に───」
嬉々として語り出す羽々斬を見て、兎は失敗したと思った。羽々斬の口から飛び出す言葉の数々には有り余るほどの喜びが読み取れたからだった。羽々斬の技術者としての一面を知らない兎にとって、これは予想外の地雷だった。
「──基本的に呼び出しは職員からランダムなんスけどね。ガチャみたいでしょ?
で、ここからが一番のアピールポイントなんスけど、なんと遺伝子情報とノックパターンを登録すると外部の方でも確定で呼び出せるんですよ」
「……?へぇ」
饒舌に語る羽々斬の言葉に潜む"好機"を読んだ兎は、話半分に聞き流すのをやめて羽々斬の方へと向き直った。3分ぶりに視界に入れた羽々斬は肩で息をしていた。
羽々斬は兎の視線が向いたことを確認すると『誘扉』を机に伏せ、付着した兎の血を指して口を開く。
「兎ちゃんのは既に登録されています。
廻琉ちゃん。悪いですが、髪の──」
──ぶちっ。
羽々斬が言い終える前に廻琉が親指の腹を噛み破り、『誘扉』の面へと押し付けて立ち上がる。
廻琉の視線は向かいの山に小さくみえる鳥居を見据えていた。赤い瞳の奥に燃える火はいっそう強く灯り、放たれた言葉は力強く2名を叩いた。
「もう凪乃のとこ行っていいの?」
「……ちょっとカッコよすぎるかもですね」