碧と兎の家は学校から徒歩30分ほどの場所にある。
遠く、遠くに界桜樹を臨む、緩やかな丘を超えた先。
鮮やかな緑の映える田んぼの広がる長閑な田舎、といった風情に聳える一棟。
2階建ての長屋建てアパート、いわゆるテラスハウス式。
重厚感のある赤褐色のレンガ造りの外壁、それに馴染むダークカラーの樹脂製ドアが等間隔に5つ。
「着いた」
兎が立ち止まる。
「ここ?」
廻琉が見上げる。
「うん」
「オシャレ、だね。どこの部屋?」
「ごとだ」
「?」
「まるごとだ」
兎がそう返した瞬間、
バンッ!!
真ん中の扉が勢いよく開いた。
「よく来たねぇぇぇぇぇぇっ!!!」
碧だった。
「うるさ」
兎が小さくボヤく。
「今日は記念日だからねぇ!」
「何の」
「わたしの啓示記念日ぃ〜!」
胸を張る碧《たま》。
元気そうだった。
いや、元気すぎた。
少なくとも病気ではなさそうではあった。
「大袈裟だろ」
「いいじゃん!たまにはさぁ!」
「碧、だけに?」
「うるさぁぁ〜〜〜〜〜〜い!!!!」
いつものやり取りだった。
少しだけ安心する。
***
碧の開けた扉から部屋へ上がる。
建物の中は″ごと″の言葉通りだった。
相変わらず意味がわからない。
元は5部屋のはずが、兎の手により完全に一軒家の様相を呈している。
やや広すぎる玄関で靴を脱ぎ、持て余しそうなリビングへ入ると、テーブルの上には既にお菓子が並んでいた。
「準備万端」
兎が呟く。
「今朝からずっとこうだ」
「楽しみだったんだもん!」
碧が頬を膨らませる。
「それで」
椅子へ腰掛け、荒ぶる碧へ質問を送る。
「どんな能力だったの」
「聞いちゃう?」
「本題」
「んふふ、なんとぉ!」
碧、天破の構え。北斗ね。
構えを解き、ポケットに手を突っ込んでカードを1枚取り出す。
能力が記されたカード。
″啓示″を受けた人間だけが持つもの。
出自不明の証明書。
碧はそれを高々と掲げ、
「こちらになりまぁす!」
テーブルの上へ置く。
そこに書かれていたのは、
『ほんのすこし うまくできるようになる』
ひらがな。
縦書き。
曖昧な定義。
「……」
一瞬、誰も喋らなかった。
「どう!?」
碧が得意げに聞く。
「どうって」
「すごくない!?」
「わかんないけど」
正直な感想だった。
「私も」
廻琉《めぐる》が頷く。
「えぇっ!?」
碧《たま》が声を上げ、大袈裟に仰け反る。
「なんでぇ!?」
「″うまく″ってったって、何が?って話でしょ」
シャーペンの芯だったり、レジ袋だったり、消しゴムであったり。
能力にはたいてい対象が指定されているもの。
「料理!」
即答だった。
「料理?」
「料理!」
「書いてないけど」
「でも料理なの!」
断言だった。
「わたしは!そう!確信!してるのぉ〜!」
一言ずつ区切る。強調するように。
「上手く!料理を!美味く!!できるのぉ!」
迷いがない。少しも。
「そういうものなんだ」
廻琉が呟く。
「そういうものだよぉ!」
碧が大きく胸を張る。
「なんかわかるの!あ、料理だ!って!」
「…ふぅん」
能力というのは不思議なもの。
理屈じゃない、啓示を受けた本人だけが知っている。
自分の能力で何ができるのか。
どこまでできるのか。
そして、どこまでやってもできないのか。
それを、なぜか知っている。
***
「というわけでぇ!」
碧がぱん、と手を叩き、場を仕切り始める。
「能力お披露目会、第一部完!」
「第一部?」
「第二部は試食会で〜す!」
「最初からそれが本命だろ」
兎が呆れたように言ってソファへ身を投げ出す。
「バレた?」
「そりゃもう」
碧は楽しそうに笑うと、キッチンへ駆けていった。
しばらくして、キッチンの方から良い匂いが漂ってくる。
「できたよぉ〜!」
テーブルへ料理が並び始める。
生姜焼き。
唐揚げ。
卵焼き。
サラダ。
どれも特別なものではない。
ただ、見た目は妙に整っていた。
「おお」
廻琉が目を丸くする。
「すごく美味しそう、だね」
「でしょぉ〜!」
碧が胸を張る。
「能力者ですからねぇ!」
「前と変わんねーだろ」
「今日からはも〜っと違いますぅ!」
「違いわかるのか?」
「わかりますぅ!」
自信満々だった。
いただきます、と手を合わせて、
一口。
「……」
まず唐揚げ。口に入れて、噛む。
じゅんわりと肉汁が染み出す。外はカリっと、中の肉はやわらかい。
ん、まぁ美味しい。
というより。
少しだけ、美味しい。普通よりも。
「どう!?」
碧が身を乗り出してくる。
「近いよ」
「感想〜!」
「美味しいよ」
「っしゃああああ!」
ガッツポーズ。一片の悔いもなさそうな。
「勝った!」
「…何に?」
「世界に!」
「スケールでか」
兎が呆れる。
その横で廻琉も唐揚げを口へ運んでいた。
「ほんとだ」
嬉しそうに笑う。
「美味しい」
「もっと褒めてぇ〜!」
「すごい」
「もっと!」
「料理上手」
「もっとぉ!」
「面倒くさいな」
「もっとぉ〜〜〜〜っ!」
呆れる兎《うさぎ》に碧《たま》が抗議の声を上げる。
いつものやり取り。
眺めながら、ふと部屋を見回す。
広い。
何度見ても本当に広い。
「そういえば、ここってさ」
廻琉が碧と兎の方向を向く。
「本当に2人で住んでるの?」
「住んでるよぉ〜」
碧が頷く。
「最初は1部屋をシェアしてたんだけどねぇ」
「増やしたんだ」
兎が補足する。
「増やした?」
「隣を借りた」
「その隣も!」
「さらにその隣も」
「最終的に!全部!」
廻琉が固まる。
「…全部?」
「全部!!」
「不動産含め、土地ごと全部だ」
頷く碧に、補足する兎。
「意味わかんないでしょ」
固まる廻琉に向かって言う。
権利書とこの部屋を目にした時は、私も正気を疑ったものだ。
「だよねぇ!」
碧が元気よく同意する。
あなたたちの話なのよ。
「なんで広げたの?」
「楽しいから!」
「それ理由になる?」
「なる!」
ならないと思う。
「それに」
碧が箸を振る。
「凪乃も来る予定だしぃ!」
「まだ言ってる」
「言うよぉ〜!」
机を叩く。
「絶対楽しいもん!」
「行かない」
「なんでぇ〜っ」
悲鳴みたいな声を上げる。
「兎も言ってやって!」
「費用は持つぜ」
「やば」
「助かる、だろ」
そうかもしれない。
でも行く気は…ない。
「いい、な」
ぽつりと、廻琉が呟く。
全員の視線が集まる。
その声は小さかった。
でも。どこか羨ましそうで。少しだけ、輪の外にいるようで。
つい零れてしまった本音、そんなふうに聞こえた。
「陽戸ちゃんも、来る?」
碧が聞く。
「え」
「シェアハウス!」
「本気?」
そんな手当たり次第に…。
「もう部屋ないんじゃないの」
「あるよぉ!」
「どこに」
「つくる!」
即答。
「ないなら作るのぉ〜っ!基本だよ!」
「物置部屋が3部屋あるな。
ちょっと片せば2部屋は空くだろ」
着々と計画を進める2人を見て、廻琉は少し困ったような顔をしている。
でも。
どこか嬉しそうにも見えた。
その顔を見ているとまた少しだけ。
胸がざわつくのだった。
***
食事会はその後もしばらく続いた。
碧は能力の話を繰り返し、
兎は半分くらい聞き流し、
廻琉は楽しそうに相槌を打つ。
他愛もない話ばかりだった。
学校のこと。
部活のこと。
最近駅前にできたカフェのこと。
話題はころころ変わる。
それなのに、不思議と退屈はしなかった。
「そうだ!」
碧が声を上げて突然立ち上がる。
「まだあった!」
「何が」
「デザート!」
そう言ってキッチンへ駆けていく。
数分後。
テーブルへ運ばれてきたのは、綺麗に焼き色のついたアップルパイだった。焦げひとつない。
「おぉ…」
廻琉が目を丸くして声を漏らす。
たしかに美味しそうだ。これは″おお″でしょう。
焼けた生地の香ばしい匂いが場を包み、八分目まで埋め立てたはずの胃が、また声を上げ始めている。
「でしょぉ〜!」
またしても碧が胸を張る。
本日何回目のポーズだろうか。
「これまでのよりぜ〜〜ったい美味しいから!」
力強く断言する碧《たま》。
能力者本人にしかわからない確信。
それ以上でも、それ以下でもない。
「ほら食べてぇ!凪乃甘いの好きでしょお!」
切り分けられたアップルパイが配られる。
一口。サク、と軽い音。
バターの風味残るブリゼ生地。噛んでも崩れすぎず、口内でも形を残しすぎず程良い食感。
甘さは控えめ。
林檎の酸味が一欠片ほど。主張し過ぎず、食べやすい。
「……美味しい」
「しゃあっ!」
碧がガッツポーズを決めた。
「勝った!」
「何に」
「第三部!完!」
「何の?」
意味がわからない。
が、まぁいい。美味しいから。
隣を見る。
廻琉《めぐる》もパイを食べていた。
目を少し細めて、本当に美味しそうに。
…好きなのかな、スイーツ。
「やっぱりさ」
ふと、廻琉がぽつりと零す。
小さな声だった。
「ん?」
碧が聞き返す。
廻琉は少しだけ困ったように笑った。
「こういうの、いいなって」
「こういうの?」
「みんなでご飯食べてさ」
テーブルを見る。
「くだらない話してさ」
小さく笑って、少しだけ視線を落とす。
「…楽しくて、さ」
その言葉に、一瞬だけ空気が静かになる。
「楽しいよぉ!」
碧が即答した。
「も〜めちゃくちゃ!」
「うん」
廻琉《めぐる》が小さく頷く。
「いいなぁ」
その顔を見ていると、
「なら来れば」
気付けば口から出ていた。
「え?」
廻琉がこちらを見る。
「碧たちも喜ぶんじゃない」
「夜明さんは?」
「…知らない」
即答する。
廻琉が少し笑う。
碧は何か言いたそうにもじもじしていたが、珍しくなにも言わなかった。
***
気が付けば既に日が暮れ始めていた。
長居し過ぎたらしい。
3人といると、どうにも時間を忘れてしまう。
「また来てねぇ〜!」
碧が大きく手を振る。
「次は泊まりもありだからねぇ!」
「ないよ」
「住むのもねぇ〜っ!!」
後ろから騒がしい声が聞こえる。
玄関を出る。
頬を撫でる風が涼しい。
田んぼの上を夕暮れの風が流れていく。
少し前を廻琉が進む。その3歩後ろを私が歩く。
しばらく無言の時間が続いた。
苦しい沈黙ではない。
何となく言葉がなかった。それだけだった。
「今日は楽しかった」
先に口を開いたのは廻琉だった。
「そう」
「舞鼓さんも咬郷さんも面白いし」
「うん」
「夜明さんもいたから」
「……」
なんて返せばいいかわからない。
廻琉《めぐる》が少しだけ笑う。
「ねぇ」
廻琉が歩速を遅らせる。
1歩分、距離が縮まる。
「なに」
「今度は私が作る」
また1歩、
「なにを」
「なにか、甘いものを。夜明さんに」
廻琉が身体をこちらに向ける。
「私ね、つくるの好きなの」
また、1歩
「へぇ」
「だから、食べてね」
靴音が並ぶ。歩調が揃う。
向かう夕陽で、同じ長さの影が伸びる。
赤い瞳がこちらを見る。真っ直ぐに。
「……」
「だめ?」
「別に」
「どっち」
「食べるよ」
廻琉の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「断る理由がないから」
「約束、ね」
「大袈裟じゃない?」
「大事、なの!」
嬉しそうに笑う。
夕陽がその横顔を照らして、少し眩しい。
これで何度目だろう。
気付けばまた見ていた。目で追っていた。
それが嫌ではなかった。
少なくとも、目を逸らそうとは思えなかった。
遠くで界桜樹が桜吹雪を吹かせていた。
季節違いで、大きな、あまりに大きすぎる桜の大木を背景に映した廻琉の横顔を。
何故だろう。
この景色だけは、きっと。
ずっと覚えていられるような気がした。
APN-0002 界桜樹
資料分類:異常事象
名称:
界桜樹(かいおうじゅ)
概要:
鹿々桜県中央部「龍の顎」に存在する大規模地質構造
確認地域:
鹿々桜県 龍の顎
観測事項:
・樹木状外観を有する活火山である
・山体中央部に大規模火口を有する
・微弱噴火時、火口より桃色灰の噴出を確認
・噴出物は広域へ拡散し、視認上は桜花に類似する
・通常活火山の噴出物は火山灰、火山ガス、軽石及び溶岩等を含む
・しかし界桜樹においては、現在までにこれらの噴出は確認されていない
・確認された噴出物は厚さ0.1mm前後の桜花に類似した砂片のみである
・国内外に類似地形の存在を確認
・自然形成物であると推定される
・形成過程については未解明
研究所評価:
界桜樹は鹿々桜県を代表する地質構造である。
現在までに直接的危険性は確認されていない。
一方で、周辺地域において複数の異常現象が確認されており、関連性について継続調査が行われている。
備考:
・霽和《せいわ》以前より存在を確認
・古文書においても類似記述が複数確認されている
・地域住民の間では古くから「桜が咲く山」として信仰対象となっていた記録を確認
・鹿々桜県内において最も高い視認性を持つ地形として知られる
・現代においては鹿々桜県のランドマークとして機能している
追記:
詳細は関連資料APN-0003、APN-0004、APN-0005を参照。