なるようになるの   作:kintama

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陽炎の尾

 翌日。

 華の金曜日、半日講義の放課後。

 少しだけ、早めに帰りたい気持ちを抑え込む。

 【百目鬼研究所】

 と書かれた看板を見上げる。

 古い雑居ビルの3階。

 見た目だけなら何をしている場所なのかよくわからない。まぁ、入ったとてよくわからないのだが。

 古い建築物らしいやや急な角度の階段を上る。

 いつも通り。週に数回、バイトの日。

 

 ***

 

 扉を開ける。

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

 奥から声が返る。若い男性のやや低い声。

 百目鬼 祀。

 白衣姿の研究所所長。

 机の上には資料の山。これもいつも通りだ。

 

「おはよ、凪乃ちゃん」

 

 机の隣にもう1人。

 聞き慣れた、若い女性の柔らかい声。

 

「先生?」

 

 百目鬼 祭歌。

 さっちゃん先生と呼ばれている、私たちの担任教師。

 来客用のソファに腰掛けている。

 

「さっきぶり〜」

 

「珍しいですね」

 

「ま、たまにはね」

 

 さっちゃん先生が笑う。

 

「会いに来てくれるのは嬉しいが…。

 仕事中ではなく休日にしてほしいものだ」

 

 所長が資料から目を離さないままに、露骨に嫌そうな、それでいて残念そうな顔をしている。

 

「休みの日に自分から来てくださ〜い。

 教員はねぇ、忙しいの。ね、凪乃ちゃん」

 

 この所長《ひと》にこんなに気安く返せるのは先生くらいなものだろう。

 ともかく、仲は良いらしい。

 たぶん。

 

「で」

 

 所長が資料を閉じる。

 

「夜明」

 

「はい」

 

「仕事だ」

 

 封筒を差し出され、受け取る。

 

「場所は商店街。内容は中に。デバイスは3番を。

 匣の施錠は忘れるな」

 

 早口で、捲し立てるような口調で指示が飛び、匣の鍵が手元に放られる。

 

「了解」

 

「では、行きたまえ」

 

「了解」

 

「急ぎたまえ、今すぐだ」

 

「…了解」

 

 追い出された。

 なんなんだろう。

 

 ***

 

 研究所の扉が閉まり、教え子の背を見送る。

 室内に一瞬の静寂が満ちる。

 

「急かしたねえ」

 

 随分と不機嫌そうな兄に笑いかけてみる。

 

「悪いか?」

 

 ぶっきらぼうな返答。

 理由はだいたい察しがついている。

 

「仕事だから?」

 

「半分だ」

 

「もう半分は?」

 

「お前との時間を邪魔されたくなかった」

 

「…はいはい」

 

 でしょーね。知ってましたとも。

 まったく、そろそろ妹離れしてほしいものです。

 兄が立ち上がり、書類を棚にしまって珈琲を一口啜る。

 

「それで」

 

 一段落ついた様子の兄に向けて、一言。

 

「凪乃ちゃんどう?」

 

 今日の本題。

 本人のいる前では聞きにくいから。

 

「どう、とは?」

 

「ちゃんと仕事できてるか、もっちゃんはばくん達とは上手くやれてるのか、ここでの様子はどんな感じか。言われなくてもわかるでしょ?」

 

「問題なし、全てな」

 

 即答。

 

「真面目すぎるくらいだ」

 

「そっか」

 

「手も覚えも早い」

 

「うん」

 

「観察力も高い。勘も効く。

 なにより、周りがよく見えている」

 

「うんうん」

 

「餅染も羽々斬も彼女を気に入っている」

 

「うんうんうん」

 

 そっと胸を撫で下ろす。

 よかった、上手くやれているようだ。

 

「学校じゃ平気そうにしてるけどさ」

 

 あの日の事を思い出す。

 直接現場を見たわけではない。TV越しに報道を見ただけ。事情だって、彼女からただ聞いただけの話だ。それでも、だとしても、

 

「…平気ではないだろうが、彼女なりに割り切れているのか、繕っているのか。

 …僕らが推し量れるものではないだろう」

 

 推し量れるものではない、その通りだ。

 あの日の事を思う。

 失ったものは戻らない。

 私は教師で、大人で。教え、導き、支える立場でもある。

 それでも、あの子に何ができるのか、何かできているのか、今でもよくわからない。

 

「……」

 

 言葉に詰まり、黙り込む。

 

「ただ」

 

 兄が少しだけ口元を緩める。

 

「彼女は強いよ。祭歌が思うよりも、おそらくは」

 

 その後は、なにも言わなかった。

 なにも言う必要がないと思ったからだ。

 ただ小さく笑った、兄と共に。

 同じく、彼女の今を支える隣人として。

 

 ***

 

 7月7日 13時 天気は快晴。

 研究所の最寄り駅から電車で20分、そこから歩いて15分ほどの短い旅路。

 青く、遠く、澄み渡る空の中天に陣取る太陽がアスファルトを照りつける中、目的地である商店街に到着した。

 額から頬へ伝う汗が地を濡らす。時々吹き抜ける風が髪を梳かして心地良い。

 

 移動中に確認していた封筒の中身。

 依頼内容と、先達の引き継ぎ情報。

 別々の店の写真が数枚。

 やや水気を多めに含んだ小動物のフンらしきものを写したものが1枚。

 

 それに、成分分析表が1枚。

 おそらくは写真のフンのもの。

 脂肪酸、インドールといった一般的な悪臭成分に加えて、赤文字でフェリニンの項目。

 

 よく見てみると。

 裏に「刺激が強かったカナ!?」の丸文字。これはたぶん羽々斬先輩。

 そしてメリハリの効いた筆致で「ガンバレ!」と書かれた付箋が1枚、これは餅染先輩。

 

 内容は双木商店街一帯で発生している小規模な被害の調査。

 被害内容は様々。

 盗難被害18件、被害店舗は6店。

 商品棚の転倒、店内でのフン被害含む店内トラブル25件、被害店舗は13店。

 小さな引っかき傷に噛み傷等の直接的被害2件、被害者は2人。

 そのどれもが大きな事件ではない。

 ただ。

 件数だけが妙に多かった。

 

「……」

 

 最初の被害店舗へ向かう。

 老舗のパン屋。

 商品のレパートリー自体は多くはないが、イチオシの塩バターロールが好評で、常連だけでなく新規の客足も絶えない、と兎から聞いた事がある。

 アンティーク調の扉を開き、店に入る。

 チリリン、と軽くも耳に響く音が鳴る。

 店主のおばさんは私の顔を見るなり、

 

「あら研究所の子ね。聞いてますよ」

 

 と手を振ってくれた。

 どうやら所長が事前に連絡していたらしい。

 

「被害の件で」

 

「ええ、ええ。もう困っちゃってねぇ」

 

 おばさんはため息を吐いた。

 

「直接見られたことはありますか?」

 

「それがねぇ」

 

 首を傾げる。

 

「見てないのよ」

 

「見てない?」

 

「気付いたらなくなってるの」

 

 妙ではある。

 店内はそう広くはない。

 見たところ従業員は4人ほど。学生バイトらしき若者がレジに張り付いており、扉にはベルが付いている。不届き者の入退店を見逃す事はまずないだろう。

 それに、盗難なら普通は犯人を見る。

 全体像は視認できずとも、何かしらの特徴くらいは覚えている。

 

「猫とかでしょうか」

 

 仮にそうであれば衛生面の問題も出てきてしまうが、今は置いておく。

 あはは、と小さく笑って、世間話のトーンで話しかける。

 

「たぶんねぇ」

 

「たぶん」

 

「おそらくねぇ」

 

「おそらく」

 

 曖昧だった。

 

 ***

 

 2件目。

 魚屋。

「見てねんだな、それが」

 

 3件目。

 八百屋。

「気付いたらなくなってたな、ウチの野菜は美味ェからな」

 

 4件目。

 駄菓子屋。

「なにか声が聞こえた気がするのよ」

 

 5件目。

 蒲鉾屋。

「目ぇ離したらもう板だけよ」

 

 6件目。

「あれは雨の日だっただな。

 足跡があったような気がすっけど覚えてねだ」

 

 7件目。

「臭ぇなぁと思ったらフンが落ちててねぇ。

 ビビったねマジで。

 店の外ならともかくさぁ、中は無ぇよマジ。

 いやぁ見てねえなぁ、マジでマジで」

 

 ***

 

 おかしい。

 被害内容は皆覚えている。

 だが。

 犯人に関する情報だけが曖昧だった。

 

「……」

 

 ぐるりと一周し、商店街の中央へ戻ってきた。

 ベンチへ腰掛ける。陽射しに熱されてか、少し熱い。

 資料を見返す。

 被害場所。

 時間。

 証言。

 写真。

 そしてこの成分分析表。

 正直な話、既に犯人は絞れている。

 

 フェリニン。小型の猫科動物特有の尿中成分。排泄時に付着したか、フンの後に済ませたか。

 羽々斬先輩のラクガキはおそらくヒント。

 7件目の「臭かった」証言はその証左。

 猫だ。それだけ。

 ただ、それ以外が異様にぼやけている。

 

「…見えてるのに」

 

 モノも残されている。猫で確定でいい。

 ″見えている″のに誰も見ていない。

 いや、見えていないのか?そんな印象を受ける。

 それに、このデバイス3番。

 察するにこの任務は、

 

「……捕獲、かな」

 

 ふと呟いた、その時だった。

 視界の端。何かが動く。

 

「……」

 

 反射的に顔を向ける。

 細い路地の奥。

 1匹の猫がいた。

 白地に黒の斑模様。

 細身。

 首輪なし。

 揺れる尾の先にきらりと光る銀のタグ。

 なのに。

 視界から外れたその瞬間、

 どんな姿だったのか、その模様すらも思い出せなくなりそうな違和感があった。

 

「……ああ」

 

 たぶん。あの子。

 

 ***

 

 花芽ラのそれより一回りほど大きく弧を描くロータリーの一角、八巾通りの脇の細い路地。

 既に朧気な模様の猫の背を追う。

 なるべく視界から外れないよう、視点をブラさず、中心に据えて。

 散らばるゴミに足をとられぬよう、1歩ずつ着地点を選んで走る。瓦礫を避けるべく一瞬だけ、視線を落とす。

 時間にしてコンマ数秒、⬛︎の姿が視界から外れる。コンマ数秒、それだけで、

 

「…あれ」

 

 足が止まりそうになる。

 どこへ行った。

 そう思ってから、

 猫が前を走っていたことに気付く。

 いる、前に。ずっと、間違いなく。

 かわらず私の前を走っている。

 

「…っ」

 

 息が切れ始める。気持ちが急く。

 早めに終わらせなければ。見失う前に。

 腰で揺れるデバイス3に手を伸ばし、付属のカラビナを外す。円盤状のユニット部分を握り、本体脇の円筒部を猫に向けて構え、撃つ。

 バスン、と籠った低音が響き、捕獲用の非殺傷ワイヤーが2本、空を切る。猫は依然前方を駆けている。

 外れた。当たり前だ、走りながらでは。

 

 路地を抜けて、少しだけ開けた場所に出る。

 人通りのないシャッター街。

 割れたガラス窓、頭より高い草の生い茂る空き地、屋根まで蔦に覆われたトタン屋根の古民家。

 おそらく、いや確実に人はいない。幸いにも。

 ワイヤの残数は1。残りはマーキング弾が5発。

 

 猫が道の脇で立ち止まる。錆びたシャッターを背に、私の方を向く。

 意図せずして対面する形になる。間を挟む距離は目測4m。この距離であれば、イレギュラーが起きない限りはワイヤを外す事はない。

 改めて、猫に向けてデバイス3を構える。

 

「…ごめんね」

 

 少しだけ痛いかもしれないから。

 トリガーに指を掛ける、その時。

 猫が半歩、こちらに踏み込む。

 ゆっくりと余裕を持って。逃げるでもなく、こちらを視て。

 半歩、ただそれだけの行動。

 それだけだというのに。

 視界に映る猫の輪郭が薄れる。意識が滑る。

 一瞬、わからなくなる。抜け落ちたように。

 

「っ」

 

 反射的に照準が揺れる。指はトリガーにかけたまま。まずい、これでは

 バスっ──バツン

 最後のワイヤーが空を切り、シャッターに激突する。目的を失ったワイヤーが力なく垂れ下がり、地に落ちる。

 

「…困ったな」

 

 残りはマーキング弾5発、これでは捕獲は難しい。素手で捕らえる訳にもいかない。

 それにこの弾は…ちょっと痛い。

 思考を巡らせる、視線は猫から外さない。

 これ以上意識を逸らされる訳にはいかない。

 猫はその場に佇み続けている。同じく、こちらを視たままに。

 

(…仕方ないか)

 

 デバイスのケーブルを引く、モードが切り替わる。今の優先順位は、

 

「ごめん、痛いよ」

 

 マーキング。

 2度目の謝罪。

 デバイス3を構え、狙いを定める。腹部から後ろ足の付け根の辺り、脂肪の多い箇所。且つ、視認性の良い部位を。これは3度目の正直。

 トリガーを引く。

 

 ばつっ

 

 青い着色弾が飛ぶ。

 猫が反応するより早く、後ろ足の付け根に命中する。

 

「ニギャッ」

 

 声を上げ、跳ね上がる。

 一瞬だけ、こちらを見る。

 次の瞬間には駆け出していた。

 追おうとして足が止まる。

 もう、見失っていた。

 猫の居た場所には青い塗料だけが残されている。血の色は…混じっていない。

 よかった、で良いだろう。ひとまずは。

 

 羽々斬先輩謹製のマーキング弾。

 物理的な着色の他、″認識情報″に着色する。

 詳しい理屈は知らない。

 ただ、当てられた対象は他者の目に付きやすくなる、見つけやすくなる、らしい。

 少なくとも、あの猫はもう誰の記憶からも零れ落ちることはない。これで被害も減るだろう。

 デバイス3を腰に掛け、ポケットから端末を取り出す。

 とりあえず、報告を。

 

「…任務失敗、か」

 

 後ろ足の青く染まった猫の姿を思い出す。

 第一声は本日3度目の謝罪になりそうだった。

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