『君と過ごす、残り三年の青春』   作:パスカルDX

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第2話 ギャルは朝から距離が近い

第2話 ギャルは朝から距離が近い

 

 

 高校生活二日目。

 

 朝倉悠真は、いつもより少し早く目を覚ました。

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の床を細長く照らしている。

 

 机の上には、昨日もらった入学式の書類と、生徒手帳。

 

 その隣では、充電中のスマートフォンが小さく光っていた。

 

 悠真はベッドに横になったまま手を伸ばし、画面を確認する。

 

 通知が三件。

 

 すべて白雪レイナからだった。

 

『おはよー!』

 

『ちゃんと起きてる?』

 

『寝坊したらウチが迎え行くけど?』

 

 送信時刻は午前六時四十分。

 

 現在時刻は六時四十二分。

 

「早いな……」

 

 入学式で知り合ったばかりの相手へ送るメッセージとしては、ずいぶんと距離が近い。

 

 だが、不思議と嫌ではなかった。

 

 むしろ、目が覚めた瞬間に自分のことを考えてくれた人がいたという事実が、胸の奥を少しだけ温かくした。

 

 悠真は指を動かす。

 

『起きてる。迎えはいらない』

 

 送信して十秒も経たないうちに既読がついた。

 

『返信はやっ!』

 

『もしかしてウチからの連絡待ってた?』

 

『朝から可愛いじゃん』

 

「どうしてそうなる」

 

 悠真は呆れながらも、少し笑った。

 

『たまたま起きたところだっただけ』

 

『じゃあ運命じゃん!』

 

『昨日から運命を安売りしすぎだろ』

 

『悠真限定だから安売りじゃないし』

 

 返事を読んだ瞬間、悠真の指が止まった。

 

 たぶん、レイナは深く考えずに送っている。

 

 ギャル特有の明るい冗談。

 

 昨日知り合ったばかりの自分に、本気でそんな言葉を使うはずがない。

 

 そう思っているのに、胸が妙に騒がしかった。

 

『とにかく学校でな』

 

『うん! 正門で待ってる!』

 

『待たなくていい』

 

『もう家出た』

 

「早すぎるだろ……」

 

 悠真はスマートフォンを置き、ベッドから起き上がった。

 

 立ち上がった瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 

「……っ」

 

 思わず机へ手をつく。

 

 昨日、アニメショップで感じた痛みほど強くはない。

 

 数回ゆっくりと呼吸すると、違和感は薄れていった。

 

 悠真は制服の胸元を握りしめる。

 

 病気の存在を忘れかけた時に限って、体は現実を突きつけてくる。

 

 余命三年。

 

 昨日から時間が経った。

 

 ということは、残り時間は少し減ったことになる。

 

「朝から考えることじゃないな」

 

 悠真は自分に言い聞かせるように呟き、制服へ着替えた。

 

 階下へ下りると、母親が朝食を用意していた。

 

「おはよう。昨日はどうだった?」

 

「普通」

 

「普通って?」

 

「入学式があって、教室に行って、帰った」

 

「友達はできた?」

 

 悠真は味噌汁へ口をつける。

 

 レイナの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 

「まあ、一人」

 

「へえ。男の子?」

 

「女子」

 

 母親の動きが止まった。

 

「女の子?」

 

「そこだけ聞き返すなよ」

 

「だって悠真が入学初日に女の子の友達を作るなんて」

 

「何だと思われてるんだ、俺は」

 

「中学の時なんて、家でアニメばかり見てたじゃない」

 

「今も見てる」

 

「その子もアニメが好きなの?」

 

「ああ」

 

「そう。よかったじゃない」

 

 母親は安心したように笑った。

 

 悠真はその笑顔を見ないふりをして、ご飯を口へ運ぶ。

 

 病気を告げられてから、母親は以前よりも悠真の表情を気にするようになった。

 

 少し咳をしただけで振り返り、食事を残せば体調を尋ねる。

 

 当然だ。

 

 自分の息子の命が、あと三年かもしれないと言われたのだから。

 

「無理だけはしないでね」

 

「わかってる」

 

「体育も、先生には話してあるから」

 

「授業に出られないほどじゃないって医者も言ってただろ」

 

「でも――」

 

「大丈夫」

 

 悠真は少し強い口調で遮った。

 

 母親の顔が曇る。

 

 罪悪感を覚えたが、すぐに謝ることはできなかった。

 

 心配されるたびに、自分が普通ではないことを思い知らされる。

 

 学校では、ただの高校生でいたかった。

 

「行ってきます」

 

「……行ってらっしゃい」

 

 鞄を持ち、家を出る。

 

 春の朝は少し肌寒かった。

 

 最寄り駅から電車に乗り、学校へ向かう。

 

 正門が見えてくると、そこにはすでに目立つ少女が立っていた。

 

 金色の長い髪。

 

 白いメッシュ。

 

 制服の上には薄いピンク色のカーディガン。

 

 両手でスマートフォンを持ちながら、行き交う生徒たちの中で誰かを探している。

 

 悠真を見つけた瞬間、レイナの表情が一気に明るくなった。

 

「悠真ー!」

 

 正門前で大きく手を振る。

 

 当然、周囲の生徒が振り返る。

 

 悠真は思わず足を止めた。

 

「恥ずかしいから大声で呼ぶなよ」

 

「だって全然来ないんだもん」

 

「始業の二十分前だけど」

 

「ウチ、三十分待った」

 

「だから待たなくていいって言っただろ」

 

「でも一緒に教室行きたかったし」

 

 レイナは唇を尖らせた。

 

 朝日に照らされた頬には、薄く桃色のチークが乗っている。

 

 昨日よりも髪がきれいに巻かれ、白いメッシュの部分には小さな星形の髪飾りがついていた。

 

「髪、今日は枝に引っかからなかったんだな」

 

「それ、ずっと言うつもり?」

 

「高校卒業まで」

 

「長っ!」

 

 レイナは頬を膨らませる。

 

「せっかく今日、結構頑張ってきたのに」

 

「何を?」

 

「髪とかメイクとか」

 

「昨日もしてただろ」

 

「今日は昨日よりちょい気合い入れてんの」

 

「何かあるのか?」

 

 悠真がそう尋ねると、レイナは一瞬だけ目を逸らした。

 

「べ、別に?」

 

「なんで急に動揺するんだよ」

 

「動揺してないし」

 

「声が上ずってる」

 

「ギャルは朝、高い声になるの!」

 

「昨日も似たようなこと言ってたな」

 

 レイナは誤魔化すように悠真の背中を押した。

 

「ほら、早く行こ!」

 

「押すなって」

 

「悠真が歩くの遅いんじゃん」

 

「お前が早すぎるんだよ」

 

 二人は並んで校舎へ入った。

 

 昇降口で上履きに履き替えていると、近くにいた女子生徒たちがちらちらとこちらを見る。

 

 その視線に気づいた悠真は、少し居心地が悪くなった。

 

「レイナ」

 

「ん?」

 

「見られてるぞ」

 

「そう?」

 

「お前、目立つから」

 

「悠真も目立ってるよ?」

 

「俺が?」

 

「顔いいし」

 

 レイナは平然と言った。

 

「髪もさらさらだし、背も高いし、制服似合ってるし」

 

「急に褒めるな」

 

「事実じゃん」

 

「そういうこと、誰にでも言ってるのか?」

 

 悠真が何気なく尋ねると、レイナは立ち止まった。

 

 それから、少しだけ頬を赤くする。

 

「言わないけど」

 

「え?」

 

「悠真にしか言ってない」

 

 今度は悠真が立ち止まる番だった。

 

 レイナは恥ずかしくなったのか、先に階段を上り始める。

 

「早くしないと置いてくよ!」

 

「さっきまで待ってたやつが何言ってるんだ」

 

「うるさい!」

 

 教室に入ると、すでに数人の生徒が集まっていた。

 

 昨日の入学式では緊張して静かだった教室も、今日は少しずつ会話が生まれている。

 

 レイナが入ってきた瞬間、女子生徒二人が近づいてきた。

 

「レイナー、おはよ!」

 

「おはよ、美咲、梨花!」

 

 レイナは明るく手を振る。

 

 二人とも、昨日のうちに仲良くなったらしい。

 

 一人は茶髪のショートヘアで、元気そうな雰囲気。

 

 もう一人は黒髪を肩のあたりで切り揃えた、おっとりとした少女だった。

 

「ねえ、その人が昨日言ってた子?」

 

 茶髪の少女が悠真を見る。

 

 レイナの肩がわずかに跳ねた。

 

「ちょ、美咲!」

 

「昨日言ってた?」

 

 悠真が聞き返す。

 

「何でもないから!」

 

 レイナは慌てて悠真の背中を押した。

 

「ほら、席! 悠真は席行って!」

 

「俺の席、お前の隣だけど」

 

「じゃあ静かに座ってて!」

 

「扱いが雑になったな」

 

 悠真が自分の席へ座ると、レイナも隣に座った。

 

 茶髪の少女、美咲は面白そうに二人を見比べる。

 

「へえ。朝から一緒に登校?」

 

「たまたま正門で会っただけ」

 

 悠真が答える。

 

「三十分待ったけどね」

 

「それはもう待ち合わせじゃん」

 

「待ち合わせじゃない!」

 

「でも悠真が来るの待ってたんでしょ?」

 

「それは……そうだけど」

 

 レイナの声が小さくなる。

 

 美咲はにやにやと笑った。

 

「二人って、もう付き合ってるの?」

 

「付き合ってない!」

 

 悠真とレイナの声が重なった。

 

 教室中の視線が二人へ集まる。

 

 一瞬の沈黙。

 

 そのあと、どこかから小さな笑い声が聞こえた。

 

「息ぴったりじゃん」

 

 美咲が楽しそうに言う。

 

「違うから!」

 

 レイナは顔を真っ赤にして否定する。

 

 だが、その横顔は少し嬉しそうにも見えた。

 

「昨日会ったばかりだぞ」

 

 悠真は冷静に説明する。

 

「えっ、昨日会ったばかりで朝から待ってたの?」

 

「美咲、そこ掘らなくていいから!」

 

「だって気になるじゃん」

 

 美咲は悠真の机へ両手をついた。

 

「朝倉くんだっけ?」

 

「ああ」

 

「レイナ、こう見えて結構わかりやすいから、よろしくね」

 

「何を?」

 

「それは本人に聞いて」

 

「ちょっと美咲!」

 

 レイナが立ち上がり、美咲を追い払う。

 

「はいはい。邪魔者は退散しますよー」

 

 美咲は梨花を連れ、笑いながら自分の席へ戻っていった。

 

 レイナはゆっくりと椅子へ座る。

 

 耳まで赤くなっていた。

 

「……友達、元気だな」

 

「美咲はちょっと喋りすぎ」

 

「昨日、俺のこと話したのか?」

 

「え」

 

「さっき言ってただろ。昨日言ってた子って」

 

 レイナは机の上へ視線を落とし、指先を合わせた。

 

「ちょっとだけ」

 

「何を?」

 

「入学式で髪助けてもらったとか」

 

「それだけ?」

 

「アニメ好きで話が合ったとか」

 

「ほかは?」

 

「優しかったとか、顔が好きとか」

 

「最後のやつ聞き捨てならないんだけど」

 

 悠真が振り向くと、レイナは慌てて両手を振った。

 

「違う! 顔が好きっていうか、顔がいいっていうか!」

 

「大して変わらないだろ」

 

「変わるし! 顔だけが好きみたいじゃん!」

 

「じゃあ顔以外も好きなのか?」

 

「好きだけど!」

 

 言い切ったあと、レイナは固まった。

 

 悠真も言葉を失う。

 

 教室の騒がしさだけが、二人の間を流れていった。

 

 レイナの顔が少しずつ赤くなる。

 

「ち、違っ……」

 

「何が違うんだよ」

 

「友達として! 人として好きって意味!」

 

「そ、そうか」

 

「そう! だから変な勘違いしないで!」

 

「してない」

 

「絶対してる顔じゃん!」

 

「してないって」

 

 悠真は窓の外へ視線を向けた。

 

 心臓が速く鳴っている。

 

 病気とは関係のない、落ち着かない鼓動。

 

 昨日から、レイナと話していると何度もこうなる。

 

 まだ知り合ったばかり。

 

 しかも相手は、クラスの中心にいそうな明るいギャル。

 

 自分とは住む世界が違う。

 

 それなのに、レイナは当たり前のように隣にいる。

 

 チャイムが鳴り、担任教師が教室へ入ってきた。

 

 朝のホームルームが始まる。

 

 今日の予定は、校内案内と簡単な自己紹介。

 

 そして午後には、体力測定の一部が行われるらしい。

 

「体力測定か」

 

 悠真は小さく呟いた。

 

 医師からは、激しい運動を避けるように言われている。

 

 だが、軽い運動であれば問題はない。

 

 学校側には母親から事情が伝わっているため、無理な種目は見学することになっていた。

 

「悠真、運動苦手?」

 

 レイナが小声で尋ねる。

 

「普通」

 

「その言い方、絶対得意なやつじゃん」

 

「どうしてそう思う」

 

「なんとなく」

 

 レイナは悠真の肩や腕を観察するように見る。

 

「細く見えるけど、意外と体しっかりしてるし」

 

「どこ見てるんだよ」

 

「え、ちょっと触っていい?」

 

「駄目に決まってるだろ」

 

「ケチ」

 

 レイナは残念そうに唇を尖らせた。

 

 午前の自己紹介では、クラスメイトたちが順番に前へ出た。

 

 部活動や趣味を話す者。

 

 緊張して名前だけ告げる者。

 

 笑いを取ろうとして滑る者。

 

 レイナの順番が来ると、教室の空気が少し明るくなった。

 

「白雪レイナです!」

 

 彼女は笑顔で教壇の前に立つ。

 

「好きなものはアニメと漫画とゲーム! あとコスメと可愛い服!」

 

 教室が少しざわつく。

 

 見た目通りの趣味に加え、オタク趣味まで堂々と明かしたからだろう。

 

「えっ、白雪さんアニメ見るの?」

 

 男子生徒の一人が驚いた声を上げた。

 

「めっちゃ見るよ! 今期は十一本!」

 

「多くない?」

 

「録画消化が毎週戦争!」

 

 レイナが笑うと、教室からも笑いが起きた。

 

「オタクでもギャルでも、仲良くしてくれる人はよろしく!」

 

 明るく頭を下げる。

 

 悠真はその姿を見ながら、昨日の言葉を思い出していた。

 

 好きなものがあるって、めっちゃいいことじゃん。

 

 自分の趣味を隠さず、堂々と話すレイナ。

 

 少し眩しく見えた。

 

 やがて悠真の番が来る。

 

 教壇の前に立つと、クラス中の視線が集まった。

 

「朝倉悠真です」

 

 一瞬、何を話すか迷う。

 

 中学時代なら、趣味は読書とでも言っていただろう。

 

 アニメや漫画が好きだと話せば、誰かに笑われるかもしれない。

 

 だが、席に戻ったレイナがこちらを見ていた。

 

 頑張れ、とでも言うように小さく拳を握っている。

 

「趣味は、アニメと漫画とゲームです」

 

 教室が少しざわついた。

 

 悠真は続ける。

 

「運動も嫌いではありません。三年間、よろしくお願いします」

 

 短く頭を下げる。

 

 席へ戻ると、レイナが嬉しそうに笑った。

 

「堂々と言えたじゃん」

 

「別に隠すことでもないからな」

 

「そういうとこ、好き」

 

「また誤解を招く言い方をする」

 

「友達としてね」

 

 レイナはそう言いながらも、どこか照れた様子で髪を耳にかけた。

 

 昼休み。

 

 悠真が鞄から弁当を取り出すと、レイナが机をぴったりとくっつけてきた。

 

「一緒に食べよ」

 

「もう机つけてから聞くなよ」

 

「断らないっしょ?」

 

「断りにくい状況を作っただけだろ」

 

「作戦勝ち!」

 

 レイナは得意げにピースをする。

 

 そこへ美咲と梨花も加わり、四人で昼食を食べることになった。

 

「朝倉くん、弁当なんだ」

 

 梨花が穏やかに尋ねる。

 

「母親が作ってる」

 

「へえ。おいしそう」

 

 悠真の弁当は、煮物や卵焼きが入った一般的なものだった。

 

 一方、レイナの弁当箱は薄いピンク色で、中身も彩り豊かだった。

 

 小さなおにぎり。

 

 星形に切られたニンジン。

 

 ハート型の卵焼き。

 

 可愛らしいピックまで刺さっている。

 

「すごいな」

 

 悠真が弁当を見る。

 

「白雪が作ったのか?」

 

「レイナ」

 

「……レイナが作ったのか?」

 

「うん!」

 

「意外だな」

 

「それどういう意味?」

 

「料理しなさそうに見えた」

 

「ギャルを何だと思ってんの?」

 

「ネイル乾かしながらコンビニ弁当食べてそう」

 

「偏見ひどっ!」

 

 レイナは頬を膨らませる。

 

「ウチ、料理好きだし。朝も自分で作るし」

 

「そのハートの卵焼きも?」

 

「うん。可愛くない?」

 

「可愛いけど」

 

 悠真が素直に答えると、レイナの表情が緩んだ。

 

「食べる?」

 

「いいのか?」

 

「一個あげる」

 

 レイナは箸でハート型の卵焼きをつまむ。

 

 そのまま悠真のほうへ差し出した。

 

「はい、あーん」

 

 時間が止まった。

 

 美咲が目を輝かせる。

 

 梨花は驚いたように口元を押さえる。

 

 悠真は卵焼きとレイナの顔を交互に見た。

 

「いや、自分で取る」

 

「えー、いいじゃん」

 

「周り見ろ」

 

「別に気にしないし」

 

「俺が気にする」

 

「じゃあ目閉じれば?」

 

「そういう問題じゃない」

 

 レイナは少し不満そうだったが、結局、悠真の弁当箱へ卵焼きを置いた。

 

「感想ちゃんと言ってね」

 

「わかった」

 

 悠真は卵焼きを口へ運ぶ。

 

 甘めの味つけ。

 

 ふんわりとしていて、思っていた以上においしい。

 

「うまい」

 

「ほんと?」

 

「ああ」

 

 レイナの顔が一気に明るくなる。

 

「やった!」

 

 まるで大きな賞でも取ったように喜ぶ。

 

「ねえ、悠真って甘い卵焼き好き?」

 

「好きだけど」

 

「じゃあ覚えとく」

 

「何で?」

 

「また作ってあげるから」

 

 レイナは当然のように答えた。

 

「明日は何入れてほしい?」

 

「明日も弁当を分けるつもりなのか」

 

「嫌?」

 

「嫌ではないけど」

 

「じゃあ決まり!」

 

 レイナは嬉しそうに笑う。

 

 美咲はその様子を見ながら、にやにやしていた。

 

「レイナ、もう彼女じゃん」

 

「まだ違うし!」

 

「まだ、なんだ」

 

「言葉のあや!」

 

「朝倉くん、頑張ってね」

 

「何を頑張るんだよ」

 

 悠真が呆れていると、レイナは恥ずかしそうに弁当を食べ始めた。

 

 午後は体育館で体力測定が行われた。

 

 種目は握力、立ち幅跳び、反復横跳び。

 

 持久走など負担の大きい種目は後日になるらしい。

 

 男女に分かれて測定を進める。

 

 悠真は担任から無理をしないよう改めて言われていた。

 

「朝倉、体調に違和感があったらすぐ申告しろよ」

 

「わかってます」

 

 そのやり取りを、少し離れた場所からレイナが見ていた。

 

 悠真は気づかないふりをした。

 

 握力測定。

 

 悠真は軽く力を入れた。

 

「五十八キロ」

 

 測定係の男子が目を見開く。

 

「え、朝倉、強くない?」

 

「そうか?」

 

「高校一年で五十八は普通にすごいだろ」

 

 中学時代に武道を習っていたため、握力には自信があった。

 

 全力を出したわけではない。

 

 それでも周囲の注目を集めてしまった。

 

「悠真、すご!」

 

 レイナが女子の列から声を上げる。

 

「見てたのかよ」

 

「めっちゃ見てた!」

 

「堂々と言うな」

 

 次は立ち幅跳び。

 

 悠真は助走なしで大きく跳んだ。

 

 着地地点を見て、周囲がざわつく。

 

「二メートル七十七」

 

「マジかよ」

 

「陸上部入ってる?」

 

「いや」

 

 悠真は軽く答える。

 

 だが、着地した瞬間、胸が小さく締めつけられた。

 

 息が詰まる。

 

 悠真は表情を変えずに、ゆっくりとその場を離れた。

 

 体育館の隅へ向かい、壁に手をつく。

 

「悠真?」

 

 すぐにレイナが駆けてきた。

 

「大丈夫?」

 

「平気」

 

「またそれ」

 

 レイナは眉を寄せる。

 

「昨日も胸押さえてたじゃん」

 

「ちょっと息切れしただけ」

 

「あれくらいで?」

 

「久しぶりに動いたから」

 

「でも悠真、運動できるんでしょ?」

 

「できるのと、疲れないのは別だ」

 

 悠真は笑ってごまかす。

 

 だが、レイナは笑わなかった。

 

「ほんとに大丈夫?」

 

「ああ」

 

「保健室行かない?」

 

「必要ない」

 

「でも――」

 

「レイナ」

 

 少し強い声が出た。

 

 レイナの肩が小さく揺れる。

 

 悠真はすぐに後悔した。

 

「悪い」

 

「……ううん」

 

「昔から、たまにこうなるだけだから」

 

「病気?」

 

 核心を突く言葉だった。

 

 悠真の胸が冷たくなる。

 

「違う」

 

 即答した。

 

「体力がないだけ」

 

「でも――」

 

「心配しすぎだって」

 

 悠真は立ち上がる。

 

「もう治った」

 

 レイナは何か言いたそうだったが、黙ってうなずいた。

 

 その後、悠真は残りの種目を見学した。

 

 レイナは自分の測定を終えたあとも、何度もこちらを振り返っていた。

 

 放課後。

 

 悠真が帰り支度をしていると、レイナが机の前へ立った。

 

「今日、一緒に帰れる?」

 

「昨日も帰っただろ」

 

「今日は駄目?」

 

「駄目とは言ってない」

 

「じゃあ決まり」

 

 いつものように明るく笑ったが、どこかぎこちない。

 

 二人は校舎を出て、駅へ向かった。

 

 しばらく会話はなかった。

 

 昨日なら、レイナがずっとアニメの話をしていただろう。

 

 だが今日は、隣を歩きながら何度も悠真の顔を見ている。

 

「何?」

 

「別に」

 

「さっきから見すぎだろ」

 

「悠真が倒れないか見てる」

 

「倒れない」

 

「じゃあ手、つなぐ?」

 

「どうしてそうなる」

 

「倒れそうになったら支えられるじゃん」

 

「絶対それが目的じゃないだろ」

 

「半分はそれが目的」

 

「残り半分は?」

 

 レイナは少し迷ったあと、小さな声で答えた。

 

「つなぎたいから」

 

 悠真は足を止めた。

 

 レイナも少し先で立ち止まり、振り返る。

 

「冗談だから」

 

 笑っていた。

 

 けれど、その表情はどこか寂しそうだった。

 

「やっぱ悠真、ウチみたいなギャルと歩くの嫌?」

 

「何でそうなるんだよ」

 

「だって、朝からずっと距離取ろうとするし」

 

「それはお前が近すぎるだけだ」

 

「嫌じゃない?」

 

「嫌じゃない」

 

 悠真は即答した。

 

 レイナの目が少し大きくなる。

 

「むしろ楽しい」

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

 レイナの表情が少しずつ明るくなる。

 

「じゃあ、明日も一緒に登校していい?」

 

「どうせ断っても正門で待つんだろ」

 

「うん!」

 

「それなら聞く意味ないだろ」

 

「でも、悠真にいいって言ってほしい」

 

 レイナはまっすぐに悠真を見る。

 

「一緒に行っていい?」

 

 悠真は少しだけ視線を逸らした。

 

「いいよ」

 

「やった!」

 

 レイナは嬉しそうに両手を上げる。

 

 その笑顔を見ると、胸の痛みさえ忘れられる気がした。

 

「あとさ」

 

 レイナが少し近づく。

 

「さっき強く言ったこと、気にしてないから」

 

「……そうか」

 

「でも、無理してる時はちゃんと言ってね」

 

「大丈夫だって」

 

「その大丈夫、信用できない」

 

 レイナは悠真の制服の袖をつまんだ。

 

「ウチ、悠真が苦しそうなの嫌だから」

 

 優しい声だった。

 

 昨日出会ったばかりの相手に、どうしてそこまで心配できるのだろう。

 

 悠真にはわからなかった。

 

 けれど、もし本当のことを話したら。

 

 レイナはどんな顔をするのだろう。

 

 余命三年。

 

 その言葉を聞いても、今と同じように笑ってくれるだろうか。

 

 それとも、同情するようになるだろうか。

 

 悠真は怖かった。

 

 今の関係を失うことが。

 

「ありがとう」

 

 それだけを口にした。

 

 レイナは少し驚いたあと、柔らかく笑った。

 

「どういたしまして」

 

 駅前まで来ると、二人は昨日と同じ公園の前を通った。

 

 桜は今日も変わらず咲いている。

 

「ねえ、悠真」

 

「何?」

 

「昨日の写真、待ち受けにしていい?」

 

「どうして俺に聞くんだよ」

 

「悠真も写ってるから」

 

「好きにすればいい」

 

「じゃあする!」

 

 レイナはすぐにスマートフォンを操作する。

 

 昨日撮った写真が、待ち受け画面に表示された。

 

「ほら、いい感じじゃない?」

 

「恥ずかしくないのか?」

 

「全然」

 

「友達に見られたら何か言われるぞ」

 

「彼氏って言う」

 

「やめろ」

 

「冗談!」

 

 レイナは笑った。

 

「でも、いつか本当になったらいいな」

 

「え?」

 

「何でもない!」

 

 レイナは先に歩き出す。

 

 その耳は真っ赤だった。

 

 悠真は追いかけながら、口元を少し緩める。

 

 駅の改札前。

 

「じゃあ、また明日」

 

 レイナが手を振る。

 

「また明日」

 

 悠真も答える。

 

「寝坊しないでね」

 

「しない」

 

「朝、連絡するから」

 

「たぶん起きる前に来るんだろうな」

 

「楽しみにしてて!」

 

「してない」

 

「顔はしてるけど?」

 

「してないって」

 

 レイナは楽しそうに笑いながら、改札の向こうへ消えていった。

 

 悠真は一人になり、スマートフォンを取り出す。

 

 メッセージが届いた。

 

『今日はちょっと心配したけど、一緒に帰れてよかった!』

 

『明日も絶対待ってるから!』

 

『あと卵焼き、また作る!』

 

 悠真は画面を見つめた。

 

 昨日まで、学校はただ残された時間を消化する場所だと思っていた。

 

 普通の高校生のふりをして、三年間を静かに過ごす。

 

 それだけのつもりだった。

 

 だが、レイナと出会ってから。

 

 明日が少し楽しみになっている。

 

 彼女からどんな連絡が来るのか。

 

 どんな話をするのか。

 

 弁当には何が入っているのか。

 

 そんな小さなことが、未来を待つ理由になっていた。

 

「また明日、か」

 

 悠真は小さく呟く。

 

 残された明日の数は、決して多くない。

 

 けれど、その一日一日をレイナと過ごせるのなら。

 

 自分の高校生活は、思っていたよりもずっと楽しいものになるのかもしれない。

 

 一方、帰宅したレイナは、自室のベッドへ飛び込んでいた。

 

「無理、今日も悠真かっこよすぎ……」

 

 枕を抱きしめ、ごろごろと転がる。

 

 握力測定で見せた真剣な表情。

 

 立ち幅跳びで大きく跳んだ姿。

 

 自分の卵焼きを食べて、おいしいと言ってくれた時の顔。

 

 思い出すだけで胸が苦しくなる。

 

「でも、あれ……」

 

 レイナの表情が曇った。

 

 体育館の隅で胸を押さえていた悠真。

 

 昨日も同じように苦しそうにしていた。

 

 本人は体力がないだけだと言っていた。

 

 だが、どうしても引っかかる。

 

「何か隠してるのかな」

 

 スマートフォンの待ち受けには、桜の下で撮った二人の写真。

 

 悠真は少し困ったように笑っている。

 

 その表情を指先でなぞる。

 

「話してくれるまで待つしかないか」

 

 レイナは小さく息を吐いた。

 

 そして、すぐに表情を明るくする。

 

「その間に、もっと仲良くなればいいし!」

 

 机の上へ弁当箱を置き、明日の献立を考え始める。

 

 甘い卵焼き。

 

 悠真が好きだと言っていた。

 

 次は少し多めに作ろう。

 

 できれば、今度こそ「あーん」で食べてもらいたい。

 

「いや、それはまだ早い?」

 

 レイナは一人で悩み、顔を赤くする。

 

「でも朝は一緒に登校するし、お昼も一緒に食べるし……これ、ほぼ彼女じゃん」

 

 自分で言って恥ずかしくなり、枕へ顔を埋めた。

 

「付き合ってないけど!」

 

 誰もいない部屋に声が響く。

 

 それでも、レイナは幸せだった。

 

 好きな人と同じクラス。

 

 隣の席。

 

 共通の趣味があって、明日も会える。

 

 恋をするには、十分すぎるほどの理由があった。

 

 ただ、彼女はまだ知らない。

 

 悠真が「明日」という言葉を口にするたび、どれほど大切に噛みしめているのかを。

 

 彼が時折見せる苦しそうな表情の意味を。

 

 そして、二人の青春に与えられた時間が、最初から限られていることを。

 

 それでも明日はやって来る。

 

 レイナはきっと、正門で悠真を待っている。

 

 手作りの卵焼きと、満面の笑顔を用意して。

 

 余命三年の少年に、未来を楽しみにさせるために。




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