『君と過ごす、残り三年の青春』   作:パスカルDX

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第4話 初デートのギャルは、推しより可愛い

第4話 初デートのギャルは、推しより可愛い

 

 

 

 

 日曜日の朝。

 

 朝倉悠真は、目覚ましが鳴るよりも早く目を覚ました。

 

 窓の外はよく晴れていた。

 

 薄いカーテン越しに朝の光が差し込み、机の上に積まれた漫画の背表紙を柔らかく照らしている。

 

 時刻は午前七時十二分。

 

 待ち合わせは十時。

 

 家を出るまで、まだ十分以上の余裕があった。

 

「……早すぎるだろ」

 

 悠真はベッドの上で呟いた。

 

 普段の休日なら、九時近くまで眠っていることも珍しくない。

 

 前日の夜にアニメを見続け、気づけば深夜になっている。

 

 そこから昼前に起き、遅い朝食を食べる。

 

 それが、これまでの悠真にとって普通の休日だった。

 

 だが今日は違う。

 

 白雪レイナと、駅前のコラボカフェへ行く。

 

 本人がどう思っているかはわからないが、周囲から見れば完全なデートだった。

 

 いや。

 

 レイナ本人も、初デートと呼んでいた。

 

「言い方は何でもいいって言ったの、俺だけどな」

 

 悠真は枕元のスマートフォンを手に取る。

 

 通知は、すでに七件届いていた。

 

 すべてレイナからである。

 

『おはよ!』

 

『今日だよ!』

 

『ちゃんと起きてる!?』

 

『寝坊したら家まで行くから!』

 

『待ち合わせ十時だけど九時半にはいる!』

 

『やっぱ九時二十分!』

 

『てかもう楽しみすぎて無理!』

 

 最後のメッセージは午前六時五十八分。

 

 どうやらレイナも、ずいぶん早く起きているらしい。

 

 悠真は少しだけ笑い、返信した。

 

『起きてる』

 

『早く来すぎるなよ』

 

 数秒後、既読がつく。

 

『悠真も早起きじゃん!』

 

『もしかして楽しみだった?』

 

 指が止まる。

 

 正直に言えば、楽しみだった。

 

 昨日の夜は何を着ていくか少し迷った。

 

 いつも通りでいいと思いながら、何度も鏡の前へ立った。

 

 黒いシャツでは暗すぎるかもしれない。

 

 パーカーでは子どもっぽいかもしれない。

 

 そんなことを考えている時点で、十分に意識している。

 

『普通』

 

 結局、そう返した。

 

『普通に楽しみってこと?』

 

『好きに解釈しろ』

 

『じゃあ超楽しみって解釈しとく!』

 

「強引だな」

 

 悠真は呆れながら、スマートフォンを置いた。

 

 ベッドから起き上がる。

 

 胸にわずかな重さを感じたが、痛みはなかった。

 

 深く呼吸をする。

 

 今日は無理をしない。

 

 走らない。

 

 疲れたら休む。

 

 念のため、薬も持っていく。

 

 それさえ守れば、大丈夫なはずだった。

 

 悠真は机の引き出しから薬を取り出し、小さなケースへ入れた。

 

 その動作をしている間だけ、現実が戻ってくる。

 

 余命三年。

 

 病気。

 

 限られた時間。

 

 けれど今日は、そのことを考えたくなかった。

 

 せっかくレイナが楽しみにしているのだ。

 

 自分も普通の高校生として、一日を楽しみたい。

 

 着替えを終えて一階へ下りると、母親が朝食を用意していた。

 

「今日は早いのね」

 

「出かけるから」

 

「誰と?」

 

「学校の友達」

 

「女の子?」

 

 間髪を入れずに聞かれ、悠真は眉を寄せた。

 

「どうしてそこだけ勘がいいんだよ」

 

「やっぱり」

 

 母親は少し嬉しそうに笑う。

 

「入学式の日にできたお友達?」

 

「そう」

 

「二人で?」

 

「そうだけど」

 

「デートね」

 

「コラボカフェに行くだけ」

 

「それをデートって言うんじゃない?」

 

 美咲と同じことを言われた。

 

 悠真は味噌汁を飲みながら目を逸らす。

 

「付き合ってるわけじゃない」

 

「でも、その子は悠真のこと好きなんでしょう?」

 

「何で知ってる」

 

「顔に書いてある」

 

「書いてない」

 

「最近、スマートフォンを見る時に笑ってるもの」

 

 悠真の箸が止まる。

 

 自覚はなかった。

 

 レイナから連絡が来れば、つい口元が緩む。

 

 母親には、それがわかっていたらしい。

 

「病気のことは話したの?」

 

 その一言で、空気が変わった。

 

 悠真は静かにご飯を口へ運ぶ。

 

「話してない」

 

「そう」

 

「話す必要ないだろ」

 

「仲が深くなってから知ったら、その子はつらいと思う」

 

「……わかってる」

 

「悠真」

 

「今日はその話したくない」

 

 少し強い口調になった。

 

 母親はそれ以上、何も言わなかった。

 

 ただ、心配そうな目で悠真を見ている。

 

 悠真は朝食を食べ終え、立ち上がった。

 

「薬、持った?」

 

「持った」

 

「無理しないでね」

 

「わかってる」

 

「苦しくなったら、すぐに連絡するのよ」

 

「子どもじゃない」

 

「私にとっては子どもよ」

 

 母親の言葉に、悠真は返事をしなかった。

 

 玄関で靴を履き、扉へ手をかける。

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。楽しんできてね」

 

 最後の一言だけは、柔らかかった。

 

 駅前へ到着したのは、待ち合わせの二十五分前だった。

 

 自分も十分早い。

 

 だが、改札口の近くには、すでにレイナの姿があった。

 

 悠真は少し離れた場所で足を止める。

 

 制服ではないレイナを見るのは初めてだった。

 

 白い肩出しのトップス。

 

 その上から薄いピンク色のカーディガンを羽織り、淡い水色の短いスカートを合わせている。

 

 足元は白い厚底スニーカー。

 

 小さなショルダーバッグには、アニメキャラクターのキーホルダーがいくつもついていた。

 

 金色の長い髪は、普段よりも丁寧に巻かれている。

 

 白いメッシュの近くには、小さな桜色のリボン。

 

 耳元には揺れる星形のイヤリング。

 

 制服姿でも十分目立っていたが、私服のレイナはさらに華やかだった。

 

 駅を行き交う人々が、何度も彼女を振り返っている。

 

 だがレイナ本人は周囲の視線など気にせず、スマートフォンを見たり、改札の奥を覗いたりしていた。

 

 どうやら悠真を探しているらしい。

 

 悠真は少し迷ったあと、声をかけた。

 

「レイナ」

 

 レイナが勢いよく振り向く。

 

 悠真を見つけた瞬間、その表情がぱっと明るくなった。

 

「悠真!」

 

 小走りで近づいてくる。

 

「早いじゃん!」

 

「お前ほどじゃない」

 

「ウチ、九時十五分からいた」

 

「待ち合わせ十時だぞ」

 

「だって家にいても落ち着かなかったし」

 

 レイナはそこで、悠真の服装を上から下まで見る。

 

 悠真は白いシャツの上に紺色の薄手のジャケットを羽織り、黒い細身のパンツを穿いていた。

 

 派手ではない。

 

 だが普段の制服姿より、少し大人びて見える。

 

「……やば」

 

 レイナが小さく呟いた。

 

「何が」

 

「悠真、私服かっこよすぎ」

 

「普通だろ」

 

「普通じゃないし!」

 

 レイナは一歩近づき、悠真の肩や胸元を観察する。

 

「え、待って。今日、髪も少しセットしてる?」

 

「少しだけ」

 

「ウチとのデートだから?」

 

「出かけるから」

 

「デートだから?」

 

「二回聞くな」

 

「否定しないってことは、そうじゃん!」

 

 レイナは嬉しそうに笑った。

 

 悠真は目を逸らす。

 

 その横顔を見たレイナが、さらに表情を緩めた。

 

「悠真、照れてる」

 

「照れてない」

 

「耳赤い」

 

「暑いだけ」

 

「今日そんな暑くないけど」

 

「駅の中が暑い」

 

「まだ外だよ?」

 

「細かいな」

 

「可愛い」

 

「男に可愛いって言うな」

 

「だって可愛いし」

 

 レイナは楽しそうだった。

 

 悠真は反論しようとして、ふと彼女の服装に目を戻す。

 

 今日のために、かなり準備してきたのだろう。

 

 髪。

 

 メイク。

 

 服。

 

 小物。

 

 すべてが丁寧に整えられている。

 

「レイナも」

 

「え?」

 

「似合ってる」

 

 レイナが固まる。

 

「服。可愛いと思う」

 

 数秒間、反応がなかった。

 

 やがてレイナの顔が、一気に赤くなっていく。

 

「……もう一回言って」

 

「嫌だ」

 

「お願い!」

 

「聞こえただろ」

 

「聞こえたけど、もう一回聞きたい!」

 

「言わない」

 

「悠真のケチ!」

 

 レイナは頬を膨らませる。

 

 だが口元は、どうしても隠しきれないほど緩んでいた。

 

「でも、ありがと」

 

「ああ」

 

「今日のために、昨日二時間くらい服選んだんだよね」

 

「二時間?」

 

「髪も三回巻き直した」

 

「やりすぎだろ」

 

「だって初デートじゃん」

 

「まだそれでいくのか」

 

「今日が終わるまで絶対デートって言うから」

 

「好きにしろ」

 

「じゃあデートね!」

 

「言い方を許可しただけだ」

 

「同じじゃん」

 

 二人は駅前の大通りへ向かって歩き出した。

 

 コラボカフェは、駅から徒歩十分ほどの場所にある大型商業施設の中だった。

 

 開店時間まで少し余裕がある。

 

 レイナは悠真の隣を歩きながら、何度もこちらを見ていた。

 

「何」

 

「いや、今日ほんとに悠真いるなって」

 

「待ち合わせしたんだからいるだろ」

 

「昨日の夜、断られたらどうしようってちょっと思ってた」

 

「行くって言っただろ」

 

「でも告白しちゃったあとだったし」

 

 レイナは少しだけ声を落とす。

 

「気まずくなって、距離置かれるかなって」

 

「置いてほしかった?」

 

「嫌」

 

「ならいいだろ」

 

 悠真は前を向いたまま答えた。

 

「俺も楽しみにしてたし」

 

 レイナの足が止まる。

 

 悠真も数歩先で振り返った。

 

「どうした」

 

「今、さらっとすごいこと言った」

 

「昨日もメッセージで言っただろ」

 

「文字と声は違うし!」

 

 レイナは悠真の隣へ駆け寄る。

 

「もう一回言って!」

 

「今日そればっかりだな」

 

「お願い!」

 

「言わない」

 

「でも今の録音したかった」

 

「怖いこと言うな」

 

「毎朝聞く」

 

「目覚ましにするな」

 

「じゃあ着信音」

 

「もっと嫌だ」

 

 レイナは声を上げて笑った。

 

 その笑顔につられ、悠真も少し笑う。

 

 商業施設に着くと、開店前にもかかわらず多くの人が並んでいた。

 

 コラボカフェは期間限定。

 

 しかも今日は休日である。

 

 予想以上の混雑だった。

 

「やば。人多い」

 

 レイナは列を見て目を丸くする。

 

「予約したんじゃなかったのか」

 

「した! 予約席は別の列だって」

 

 スマートフォンの画面を確認し、レイナは予約者用の列を見つける。

 

 そこにも十組ほど並んでいた。

 

 二人は最後尾についた。

 

 前後には、同じ作品のグッズを身につけた客がいる。

 

 痛バッグ。

 

 ぬいぐるみ。

 

 キャラクターの缶バッジ。

 

 レイナの目が輝いた。

 

「見て悠真。前の人の痛バッグ、限定缶バッジで埋まってる」

 

「すごいな」

 

「何個買ったんだろ」

 

「考えると怖い」

 

「愛だよ」

 

「金額の?」

 

「推しへの!」

 

 レイナは自分のバッグについたキーホルダーを見せる。

 

「ウチもいつか痛バッグ作りたいんだよね」

 

「今でも十分ついてるだろ」

 

「これは普段用。痛バッグは戦闘用」

 

「何と戦うんだよ」

 

「推し活は戦いだから」

 

「名言みたいに言うな」

 

 列が少し進む。

 

 レイナは隣に立つ悠真へ、じわじわと近づいてきた。

 

 肩が触れる。

 

「近い」

 

「列狭いし」

 

「左右に余裕あるけど」

 

「気のせい」

 

「絶対違う」

 

「デートだからいいじゃん」

 

「便利に使うな」

 

 レイナは笑いながら、悠真の袖をつまんだ。

 

「はぐれたら困るし」

 

「こんなところではぐれないだろ」

 

「わかんないじゃん」

 

「じゃあ手でもつなぐか?」

 

 冗談のつもりだった。

 

 レイナは固まる。

 

「……いいの?」

 

 悠真は自分の発言を後悔した。

 

 だが、今さら撤回するのも格好悪い。

 

「嫌ならいいけど」

 

「嫌じゃない!」

 

 レイナが即答する。

 

 声が大きく、前の客が振り返った。

 

 レイナは慌てて口元を押さえる。

 

 それから恐る恐る、悠真の手へ指先を伸ばした。

 

 最初は袖口。

 

 次に指先が触れる。

 

 そして、そっと手のひらが重なる。

 

 レイナの手は柔らかく、少し冷たかった。

 

 緊張しているのか、指先に力が入っている。

 

「手、冷たいな」

 

「緊張してるから」

 

「正直だな」

 

「悠真と初めて手つないでるし」

 

「学校では袖つかんでたけど」

 

「あれは手じゃないもん」

 

 レイナは俯いている。

 

 金色の髪の隙間から見える耳が、真っ赤だった。

 

 いつもは距離が近く、悠真をからかってばかりいる。

 

 だが本当に意識する場面では、驚くほど純粋だった。

 

「嫌じゃない?」

 

 レイナが小さな声で尋ねる。

 

「嫌なら言わない」

 

「……そっか」

 

 つないだ手に、少しだけ力が加わる。

 

 レイナは嬉しそうに微笑んだ。

 

 その笑顔を見た瞬間、悠真の胸が大きく鳴った。

 

 病気の痛みではない。

 

 もっと温かく、落ち着かない鼓動。

 

 列が進み、店内へ案内されるまで、二人は手を離さなかった。

 

 コラボカフェの店内は、作品の世界観で統一されていた。

 

 壁にはキャラクターの大型パネル。

 

 各テーブルには限定イラストのランチョンマット。

 

 店員も作中の衣装をイメージした制服を着ている。

 

「やばあああ!」

 

 席についた瞬間、レイナの目が輝いた。

 

「悠真、見て! ルミナの等身大パネル!」

 

「見えてる」

 

「写真撮って!」

 

「いいけど」

 

 レイナはすぐにパネルの隣へ移動する。

 

 ルミナは、二人が好きなアニメのメインヒロイン。

 

 銀髪と青い瞳を持つ魔法使いの少女である。

 

 レイナはパネルと同じようなポーズを取り、満面の笑みを浮かべた。

 

「撮るぞ」

 

「可愛く撮ってね!」

 

「被写体次第だな」

 

「ひど!」

 

 文句を言いながらも、レイナはポーズを崩さない。

 

 悠真は何枚か写真を撮った。

 

 画面を確認したレイナは、満足そうにうなずく。

 

「悠真、写真上手じゃん」

 

「普通」

 

「これ待ち受けにしようかな」

 

「前の写真は?」

 

「悠真とのツーショットはロック画面」

 

「使い分けるな」

 

「ホーム画面は推し」

 

「俺は推しより上なのか」

 

「え」

 

 悠真が何気なく言うと、レイナは目を丸くした。

 

 そして、ゆっくりと笑う。

 

「うん。今は悠真のほうが上」

 

「冗談だろ」

 

「本当」

 

 レイナはまっすぐに悠真を見る。

 

「推しは大好きだけど、会えないじゃん」

 

「アニメキャラだからな」

 

「でも悠真は会えるし、話せるし、一緒に笑えるし」

 

 少し照れたように髪を触る。

 

「手もつなげる」

 

 悠真は視線を逸らした。

 

 レイナはそんな彼を見て、小さく笑う。

 

「照れた」

 

「メニュー見ろ」

 

「逃げた」

 

「何食べるんだよ」

 

「悠真と同じの」

 

「自分で選べ」

 

「じゃあ半分こしよ」

 

 メニューには、キャラクターをイメージした料理が並んでいた。

 

 主人公の赤いソースパスタ。

 

 ルミナの青いクリームソーダ。

 

 幼なじみヒロイン・セラのオムライス。

 

 敵役をイメージした黒いカレー。

 

「悠真、セラ派だったよね」

 

「ああ」

 

「じゃあセラのオムライス?」

 

「レイナはルミナだろ」

 

「うん。だからルミナのパフェ頼む」

 

「甘いのだけで昼飯にするのか」

 

「悠真のオムライス少しもらう」

 

「最初から狙ってるな」

 

「代わりにパフェあげる」

 

「それならいい」

 

 二人はそれぞれ注文した。

 

 料理が来るまでの間、レイナは店内を見回し、何度も写真を撮っていた。

 

 悠真はその様子を眺める。

 

 楽しそうだった。

 

 学校にいる時も明るいが、好きなものに囲まれている時のレイナは、さらに表情が豊かになる。

 

 瞳が輝き、声が弾み、身振りまで大きくなる。

 

「何見てるの?」

 

 レイナが気づく。

 

「別に」

 

「絶対見てた」

 

「楽しそうだと思って」

 

「楽しいよ」

 

 レイナは嬉しそうに笑う。

 

「悠真と来れたから、いつもの百倍楽しい」

 

「百倍は大げさだろ」

 

「じゃあ千倍」

 

「増やすな」

 

「でも本当だよ」

 

 レイナはテーブルへ両腕を置き、少し身を乗り出した。

 

「ウチ、一人でもオタ活できるけどさ。好きな人と一緒だと、全部特別になるんだね」

 

 好きな人。

 

 もうレイナは隠そうとしない。

 

 その言葉を向けられるたび、悠真の心は揺れた。

 

 嬉しい。

 

 けれど怖い。

 

 応えたい。

 

 けれど未来を約束できない。

 

 レイナの笑顔を見るたび、病気のことを打ち明ける日は遠ざかっていくように思えた。

 

 料理が運ばれてきた。

 

 悠真の前には、セラをイメージしたオムライス。

 

 ケチャップで大きなハートが描かれている。

 

「可愛い!」

 

 レイナがすぐにスマートフォンを向ける。

 

「食べる前に写真ね!」

 

「冷めるぞ」

 

「推し活は記録が大事なの」

 

「戦いの次は記録か」

 

「ほら、悠真も一緒に写って」

 

「俺も?」

 

「セラ推しの顔を入れたい」

 

「意味がわからない」

 

 結局、悠真はオムライスと一緒に写真を撮られた。

 

 レイナは満足そうに画面を見る。

 

「この悠真、めっちゃいい」

 

「料理を撮れよ」

 

「料理より悠真」

 

「推し活の目的変わってるぞ」

 

「今日は悠真活」

 

「何だそれ」

 

「悠真を推す活動」

 

「やめろ」

 

「もう始まってる」

 

 レイナの前には、青いソーダと大きなパフェが置かれた。

 

 星形のゼリー。

 

 白いクリーム。

 

 銀色の飾り。

 

 ルミナをイメージした色合いになっている。

 

「これ食べるのもったいない」

 

「頼んだんだから食べろ」

 

「写真百枚撮ってから」

 

「多い」

 

「冗談。二十枚」

 

「それでも多い」

 

 撮影を終え、二人は料理を食べ始めた。

 

 レイナはオムライスへ視線を向ける。

 

「一口ちょうだい」

 

「いいぞ」

 

 悠真は皿を少し押し出した。

 

 だがレイナは箸もスプーンも持たず、口を開ける。

 

「あーん」

 

「自分で食べろ」

 

「デートなのに?」

 

「関係ない」

 

「学校では食べさせたじゃん」

 

「一回だけって言った」

 

「今日は別の日だから一回に入らない」

 

「理屈がおかしい」

 

 レイナは口を開けたまま待っている。

 

 周囲にはカップルらしい客も多く、似たようなことをしている者もいた。

 

 悠真はため息をつく。

 

「一回だけな」

 

「やった」

 

 スプーンで小さくすくい、レイナの口元へ運ぶ。

 

 レイナは嬉しそうに食べた。

 

「おいしい!」

 

「そうか」

 

「悠真が食べさせてくれたからもっとおいしい」

 

「味は変わらない」

 

「変わるよ」

 

「気分の問題だろ」

 

「それが大事なの」

 

 レイナは今度、自分のパフェをすくった。

 

「はい、悠真も」

 

「自分で食べる」

 

「今ウチに食べさせたじゃん」

 

「それはお前が口開けて待ってたから」

 

「ウチも待ってるから、悠真も口開けて」

 

「意味がわからない」

 

「お返し」

 

 レイナはスプーンを差し出したまま引かない。

 

 悠真は周囲を確認する。

 

 誰もこちらを気にしてはいない。

 

 それでも恥ずかしい。

 

「早く」

 

「一回だけだぞ」

 

「それ好きだね」

 

「予防線だ」

 

 悠真は口を開ける。

 

 レイナが慎重にパフェを運ぶ。

 

 甘いクリームと、少し酸味のあるゼリー。

 

 味は普通においしかった。

 

「どう?」

 

「甘い」

 

「おいしい?」

 

「ああ」

 

「ウチが食べさせたから?」

 

「味は変わらない」

 

「そこは変わるって言ってよ」

 

「嘘は言えない」

 

「じゃあ嬉しかった?」

 

 悠真は答えに詰まった。

 

 レイナは期待するように見つめている。

 

「……少し」

 

 小さく答える。

 

 レイナの顔が一気に明るくなった。

 

「よし!」

 

「何の勝負なんだ」

 

「悠真を照れさせる勝負」

 

「俺は参加してない」

 

「ウチの圧勝」

 

「勝手に終わらせるな」

 

 二人は笑いながら食事を続けた。

 

 食後には、限定グッズの抽選があった。

 

 注文一品につき一枚、ランダムでコースターがもらえる。

 

 悠真はセラ。

 

 レイナはルミナを狙っていた。

 

「お願い、ルミナ来て」

 

 レイナは封筒を胸の前で握りしめる。

 

「神様、ウチ今日ちゃんと可愛くしてきたから!」

 

「交換条件がおかしい」

 

「推しをください!」

 

 封筒を開ける。

 

 出てきたのは、主人公の相棒キャラクターだった。

 

「違うううう!」

 

 レイナが机に突っ伏す。

 

「欲しいキャラじゃなかっただけでそこまで落ち込むな」

 

「限定ルミナ欲しかったのに!」

 

「俺のも開けてみる」

 

 悠真が封筒を開く。

 

 中から出てきたのは、ルミナだった。

 

 レイナが勢いよく顔を上げる。

 

「悠真!」

 

「当たった」

 

「ルミナ!」

 

「見ればわかる」

 

 レイナは両手を合わせる。

 

「ください!」

 

「セラが出たら交換な」

 

「もちろん!」

 

 レイナは悠真のコースターを大事そうに受け取る。

 

「やば。悠真からもらったルミナ」

 

「店からもらったやつだけど」

 

「でも悠真が引いた」

 

「そうだな」

 

「一生大事にする」

 

「そこまでか」

 

「だって初デートの記念だし」

 

 レイナは本当に嬉しそうだった。

 

 高価なものではない。

 

 紙製のコースター一枚。

 

 それでも彼女にとっては、今日という日の思い出になるのだろう。

 

 悠真の胸に、少しだけ痛みが走った。

 

 それは病気の痛みではなかった。

 

 自分がいなくなったあとも、レイナはこのコースターを持っているのだろうか。

 

 今日のことを思い出すのだろうか。

 

 そんな考えが浮かんでしまった。

 

「悠真?」

 

 レイナが覗き込む。

 

「どうしたの?」

 

「何でもない」

 

「またそれ」

 

「本当に何でもない」

 

「胸、痛い?」

 

「違う」

 

 今度は嘘ではなかった。

 

 ただ、心が少し苦しかっただけだ。

 

 カフェを出たあと、二人は同じ商業施設内のアニメショップへ向かった。

 

 休日ということもあり、店内は混雑していた。

 

 レイナは悠真の手をつかむ。

 

「はぐれないようにね」

 

「今度は本当に混んでるな」

 

「でしょ?」

 

 さきほどより自然に、二人の指が絡んだ。

 

 最初は緊張していたレイナも、今では嬉しそうに手を振りながら歩いている。

 

 グッズ売り場。

 

 漫画コーナー。

 

 フィギュアの展示。

 

 二人は時間を忘れて店内を回った。

 

「見て悠真! セラの新作フィギュア!」

 

「出来いいな」

 

「買う?」

 

「高い」

 

「でも限定だよ」

 

「一万八千円」

 

「愛が試されてるね」

 

「財布が試されてる」

 

「買っちゃえば?」

 

「簡単に言うな」

 

「ウチ、半分出そうか?」

 

「何で」

 

「悠真が喜ぶなら」

 

 レイナは冗談ではない顔をしていた。

 

 悠真は首を横へ振る。

 

「自分のものは自分で買う」

 

「そっか」

 

「気持ちだけもらう」

 

「……それ、ずるい」

 

「何が」

 

「たまに優しいこと言う」

 

「普段が優しくないみたいに言うな」

 

「普段も優しいけど、急に破壊力上がる」

 

「意味がわからない」

 

「ウチの心臓が危ない」

 

「それはこっちの台詞だ」

 

「え?」

 

「何でもない」

 

 悠真は視線を逸らした。

 

 その後、レイナは小さなアクリルキーホルダーを購入した。

 

 ルミナとセラが二人で並んでいるデザインだった。

 

「これ、ペアっぽくていいよね」

 

「そうだな」

 

「悠真のバッグにもつける?」

 

「何で俺が」

 

「半分こしよ」

 

 キーホルダーは二個セットになっていた。

 

 一つはルミナ。

 

 もう一つはセラ。

 

「悠真はセラ」

 

「レイナはルミナか」

 

「うん。おそろい」

 

「アニメキャラが違うだろ」

 

「同じシリーズだからおそろい!」

 

 レイナは会計を済ませると、その場で自分のバッグにルミナをつけた。

 

 そしてセラのキーホルダーを悠真へ差し出す。

 

「はい」

 

「金払ってないけど」

 

「デート記念」

 

「コースターもあっただろ」

 

「記念は何個あってもいいの」

 

 悠真は少し迷ったあと、受け取った。

 

「ありがとう」

 

「つけてね」

 

「家で」

 

「今」

 

「今?」

 

「そのバッグにつけて」

 

 悠真が持っていたのは、黒い小さなショルダーバッグだった。

 

 シンプルなデザインで、キャラクターグッズとは無縁に見える。

 

「似合わないだろ」

 

「だからいいんじゃん。ギャップ」

 

「そういうものか」

 

「つけてあげる」

 

 レイナは悠真のバッグへ手を伸ばす。

 

 顔が近づく。

 

 金色の髪から甘い香りがする。

 

 悠真は息を止めた。

 

「はい、できた」

 

 レイナは満足そうに笑う。

 

 黒いバッグには、銀髪の少女キャラクターが揺れていた。

 

「これでおそろい」

 

「嬉しそうだな」

 

「嬉しいよ」

 

 レイナは自分のバッグのキーホルダーを指先で揺らす。

 

「次はスマホケースもおそろいにしたい」

 

「増やすな」

 

「駄目?」

 

「考えておく」

 

「それ、前向き?」

 

「たぶん」

 

「やった!」

 

 レイナは本当に何でも喜ぶ。

 

 その無邪気さが、悠真には眩しかった。

 

 店を出た頃には、午後三時を過ぎていた。

 

 人混みの中を長く歩いたせいか、悠真は少し疲れを感じていた。

 

 胸に痛みはない。

 

 ただ、呼吸が少し浅い。

 

「悠真、疲れた?」

 

 レイナがすぐに気づく。

 

「少し」

 

「休も」

 

「大丈夫」

 

「今日は大丈夫禁止」

 

「何だそれ」

 

「ウチが決めた」

 

 レイナは近くの案内板を確認する。

 

「屋上にベンチあるって。行こ」

 

「まだ平気だぞ」

 

「平気なうちに休むの」

 

 有無を言わせない口調だった。

 

 二人はエレベーターで屋上へ向かった。

 

 屋上庭園には、花壇といくつかのベンチがあった。

 

 日曜日だが人は少ない。

 

 空は青く、春の風が心地よかった。

 

 二人は並んでベンチへ座る。

 

 レイナは自動販売機で水を買い、悠真へ渡した。

 

「飲んで」

 

「ありがとう」

 

「薬とかいる?」

 

 悠真の動きが止まる。

 

 どうして知っているのかと思ったが、レイナは単純に聞いただけらしい。

 

「今は大丈夫」

 

「また言った」

 

「これは本当」

 

「苦しくなったら言ってね」

 

「ああ」

 

 悠真は水を飲む。

 

 少しずつ呼吸が落ち着いていく。

 

 レイナは隣で、黙って空を見ていた。

 

 いつもなら何か話しかけてくる。

 

 だが今は、悠真が休めるように静かにしているのだろう。

 

「楽しかったか?」

 

 悠真から尋ねた。

 

 レイナが振り向く。

 

「めっちゃ楽しい」

 

「よかった」

 

「悠真は?」

 

「楽しい」

 

 今度は誤魔化さずに答えた。

 

 レイナは少し驚き、それから柔らかく笑った。

 

「そっか」

 

「ああ」

 

「じゃあ、またデートしてくれる?」

 

「まだ今日が終わってないだろ」

 

「次の予約」

 

「何をするんだ」

 

「映画とか、水族館とか、夏になったら花火とか」

 

「先の予定が多いな」

 

「いっぱい行きたいし」

 

 レイナは指を折りながら数える。

 

「文化祭も一緒に回りたい。体育祭も応援したい。クリスマスも会いたい。初詣も行きたい」

 

 一年先まで続く予定。

 

 悠真は黙って聞いていた。

 

「二年生になったら、またお花見したいし」

 

 レイナは楽しそうに話す。

 

「三年生になったら、進路のこと一緒に考えて。卒業旅行も行けたらいいよね」

 

 三年生。

 

 卒業。

 

 その言葉が胸へ刺さる。

 

 悠真には、そこまでたどり着ける保証がない。

 

 医師が言った余命は、あくまで予測。

 

 三年より短くなる可能性もある。

 

 卒業式を迎えられないかもしれない。

 

「悠真?」

 

 レイナが不安そうに顔を覗き込む。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

「顔、悲しそう」

 

「そんなことない」

 

「嘘」

 

 レイナは少しだけ体を寄せる。

 

「未来の話、嫌だった?」

 

「違う」

 

「じゃあ何?」

 

 悠真は答えられなかった。

 

 本当のことを言えばいい。

 

 余命三年。

 

 未来を約束できない。

 

 けれど、今日のレイナの笑顔を曇らせる勇気がなかった。

 

「ちょっと、考え事してただけ」

 

「病気のこと?」

 

 鋭い。

 

 悠真は目を伏せる。

 

 レイナはそれ以上、追及しなかった。

 

 代わりに、そっと悠真の手へ自分の手を重ねる。

 

「無理に話さなくていいよ」

 

「……悪い」

 

「でも、一人で全部抱えないで」

 

 レイナの声は優しかった。

 

「ウチ、悠真が何を隠してるかまだ知らないけど」

 

 手に少し力が入る。

 

「知っても、嫌いにならないから」

 

 悠真はレイナを見る。

 

 彼女はまっすぐに見つめ返していた。

 

「何で言い切れる」

 

「好きだから」

 

 迷いのない答え。

 

「好きな人の秘密くらいで、嫌いにならないよ」

 

「重い秘密かもしれない」

 

「じゃあ一緒に持つ」

 

「簡単に言うな」

 

「簡単じゃないよ」

 

 レイナは少しだけ眉を下げる。

 

「でも、悠真が一人で苦しんでるほうが嫌」

 

 悠真は言葉を失った。

 

 レイナは、ただ明るいだけではない。

 

 優しいだけでもない。

 

 誰かの痛みに気づき、それを引き受けようとする強さがある。

 

 だからこそ、余計に話せなかった。

 

 彼女なら、本当に一緒に苦しもうとする。

 

 自分の残り時間を知れば、きっと笑顔の裏で泣く。

 

「いつか話す」

 

 悠真は小さく言った。

 

 レイナの目がわずかに見開かれる。

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「約束?」

 

「……約束」

 

 レイナは嬉しそうに、けれど少し寂しそうに笑った。

 

「待ってる」

 

 風が吹く。

 

 金色の髪が揺れ、悠真の肩へ触れる。

 

 二人は手をつないだまま、しばらく空を眺めていた。

 

 静かな時間だった。

 

 言葉がなくても、気まずくはない。

 

 悠真はその時間が心地よかった。

 

 こんな日が、何度も続けばいいと思った。

 

 何度も。

 

 いつまでも。

 

 叶わない願いだとわかっているからこそ、強くそう思った。

 

 夕方。

 

 二人は駅へ戻った。

 

 空は少しずつ橙色に染まり始めている。

 

 朝から一緒にいたはずなのに、時間は驚くほど早く過ぎていた。

 

 改札前まで来ると、レイナの歩く速度が遅くなった。

 

「もう終わりか」

 

「学校で明日会うだろ」

 

「それとこれとは別」

 

「何が違う」

 

「今日はデートだったから」

 

 レイナは名残惜しそうに、つないだ手を見る。

 

 いつの間にか、二人は再び手をつないでいた。

 

「楽しかった?」

 

 レイナが聞く。

 

「何度目だよ」

 

「最後にもう一回聞きたい」

 

「楽しかった」

 

「ほんとに?」

 

「ああ」

 

「また行く?」

 

「行く」

 

「二人で?」

 

「二人で」

 

「デート?」

 

 悠真は少し迷った。

 

 ここで否定すれば、またレイナは頬を膨らませるだろう。

 

 今日一日、何度もデートと呼ばれた。

 

 今さら別の言い方をする必要もない。

 

「デートでいい」

 

 レイナの目が大きくなる。

 

「え」

 

「次も」

 

「待って」

 

「何」

 

「今、悠真からデートって言った」

 

「聞こえただろ」

 

「言質取った!」

 

「大げさだ」

 

「録音したかった!」

 

「そればっかりだな」

 

 レイナは嬉しそうに笑った。

 

 そして、つないだ手を少し引く。

 

 悠真が一歩近づく。

 

 二人の距離が縮まった。

 

「悠真」

 

「何」

 

「今日、ありがと」

 

「ああ」

 

「ウチのわがまま、いっぱい付き合ってくれて」

 

「いつものことだろ」

 

「ひど」

 

「でも楽しかった」

 

 悠真が付け足す。

 

 レイナは目を細めた。

 

「好き」

 

 突然だった。

 

 だが、今回は驚かなかった。

 

「知ってる」

 

「もっと好きになった」

 

「そうか」

 

「悠真は?」

 

「何が」

 

「ウチのこと、昨日より好きになった?」

 

 まっすぐな質問。

 

 悠真は答えに迷う。

 

 昨日より。

 

 確かに、レイナのことをもっと知った。

 

 可愛いところ。

 

 優しいところ。

 

 好きなものを前にすると無邪気になるところ。

 

 強引なのに、本当に嫌がることはしないところ。

 

 苦しそうな人を放っておけないところ。

 

 知らなかった部分を知るたび、心が惹かれている。

 

「少し」

 

 悠真は小さく答えた。

 

 レイナが固まる。

 

「少し、好きになった」

 

 もう一度言う。

 

 レイナの瞳が揺れる。

 

 頬が赤くなる。

 

 そして、今にも泣きそうなほど嬉しそうに笑った。

 

「それで十分」

 

「まだ返事はできない」

 

「わかってる」

 

「なのにいいのか」

 

「うん」

 

 レイナは手を離し、胸の前で握りしめる。

 

「ゼロじゃないってわかったから」

 

「最初からゼロではない」

 

「それ、今言う!?」

 

「聞かれなかったから」

 

「悠真、ずるい!」

 

 レイナは笑いながら、悠真の胸を軽く叩いた。

 

「じゃあ、もっと好きにさせる」

 

「宣言するのか」

 

「する」

 

「自信あるんだな」

 

「あるよ」

 

 レイナは一歩下がる。

 

 夕陽の中で、金色の髪が輝いていた。

 

「ウチ、可愛いし、優しいし、オタクの話もできるし、料理もできるし」

 

「自分で全部言うな」

 

「あと悠真のこと、世界で一番大事にできる」

 

 最後の言葉だけは、真剣だった。

 

 悠真の胸が強く鳴る。

 

「だから覚悟してて」

 

「何を」

 

「絶対、ウチを好きにさせるから」

 

 レイナは満面の笑みを浮かべ、改札へ向かった。

 

「また明日!」

 

「ああ。また明日」

 

 手を振る。

 

 レイナも何度も振り返りながら、改札の向こうへ消えていった。

 

 悠真はその場に残り、しばらく動かなかった。

 

 バッグには、レイナとおそろいのキーホルダー。

 

 スマートフォンには、今日撮った写真。

 

 手のひらには、まだ彼女の温もりが残っている。

 

 初デート。

 

 その言葉を、今は否定する気になれなかった。

 

 帰宅後。

 

 レイナは自室へ入るなり、ベッドへ飛び込んだ。

 

「無理いいいいい!」

 

 枕へ顔を埋め、足を激しく動かす。

 

「少し好きになったって言った!」

 

 何度思い出しても、胸が苦しい。

 

 嬉しすぎて、どうすればいいかわからない。

 

 手をつないだ。

 

 あーんをした。

 

 おそろいのキーホルダーを買った。

 

 次のデートも約束した。

 

「これ、ほぼ付き合ってるじゃん!」

 

 勢いよく起き上がる。

 

「いや、付き合ってないけど!」

 

 一人で否定し、再び枕へ倒れる。

 

 スマートフォンには、今日撮った写真が何十枚も保存されている。

 

 コラボカフェ。

 

 料理。

 

 グッズ。

 

 そして悠真。

 

 一番最後には、屋上庭園でこっそり撮った悠真の横顔があった。

 

 青空を見上げ、どこか寂しそうにしている。

 

 レイナはその写真を見つめた。

 

「いつか話してくれるよね」

 

 悠真が抱えている秘密。

 

 胸の痛み。

 

 学校側が知っている何か。

 

 きっと軽い話ではない。

 

 それでもレイナは、待つと決めた。

 

 無理に聞き出したくはない。

 

 悠真が自分から話してくれるくらい、信頼されたい。

 

「その前に、もっと好きにさせる」

 

 レイナは待ち受け画面を、今日撮ったツーショットへ変更した。

 

 コラボカフェの前で並んでいる二人。

 

 レイナは笑顔。

 

 悠真も、以前より自然に笑っていた。

 

「次、どこ行こっかな」

 

 映画。

 

 水族館。

 

 遊園地。

 

 行きたい場所は、いくらでもある。

 

 そのすべてに悠真と行きたかった。

 

 一方、悠真も自室で、同じ写真を見ていた。

 

 普段、自分の写真を保存することはほとんどない。

 

 けれど今日の写真は、消す気になれなかった。

 

 レイナの隣にいる自分は、普通の高校生に見える。

 

 病気でも。

 

 余命を宣告された人間でもない。

 

 ただ、好きな少女と一緒に過ごしている少年。

 

「少し、か」

 

 自分で口にした言葉を思い出す。

 

 本当に少しなのだろうか。

 

 レイナから連絡が来れば嬉しい。

 

 朝、会うのが楽しみ。

 

 隣にいると落ち着く。

 

 手をつないだ時、離したくないと思った。

 

 彼女が笑えば、自分も嬉しい。

 

 それを恋と呼ばないなら、何と呼べばいいのか。

 

 けれど、好きだと認めるのが怖かった。

 

 認めてしまえば、もっと一緒にいたくなる。

 

 もっと先の未来を望んでしまう。

 

 叶わない未来を。

 

 悠真は机の上の薬を見る。

 

 三年。

 

 レイナは今日、二年生、三年生、卒業後の話までしていた。

 

 そのすべてに自分がいると思っている。

 

 いつか話さなければならない。

 

 約束した。

 

 けれど、今夜だけは。

 

 もう少しだけ、普通の高校生でいたかった。

 

 スマートフォンが震える。

 

 レイナからだった。

 

『今日はありがと!』

 

『今までで一番楽しい日だった!』

 

『次のデートも絶対行こーね!』

 

 少しして、もう一件届く。

 

『悠真のこと、もっと好きになった』

 

 悠真は画面を見つめる。

 

 そして、ゆっくりと返信した。

 

『俺も今日は楽しかった』

 

 迷った末に、もう一文加える。

 

『また行こう』

 

 送信すると、すぐに大量のメッセージが返ってきた。

 

『え』

 

『やば』

 

『嬉しい』

 

『ほんとに?』

 

『絶対だよ?』

 

『約束ね!』

 

 悠真は小さく笑った。

 

 未来の約束。

 

 これまでは避けていた言葉。

 

 だが今は、レイナとの次を楽しみにしている。

 

 それがどれほど危ういことでも。

 

 彼女の笑顔を、もう一度見たいと思ってしまう。

 

 桜が三度咲くまで。

 

 残された時間は限られている。

 

 それでも今日、悠真の人生には新しい思い出が増えた。

 

 初めてのデート。

 

 初めてつないだ手。

 

 初めて誰かに、昨日より好きになったと言われた日。

 

 そして――

 

 悠真自身も、白雪レイナへの想いを、ほんの少しだけ言葉にした日だった。




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