『君と過ごす、残り三年の青春』   作:パスカルDX

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第5話 ギャルは僕を応援したい

第5話 ギャルは僕を応援したい

 

 

 

 

 月曜日の朝。

 

 朝倉悠真が目を覚ました時、最初に視界へ入ったのは、机の上に置かれた小さなアクリルキーホルダーだった。

 

 銀髪の少女――セラ。

 

 昨日、白雪レイナからもらったものだ。

 

 黒いショルダーバッグにつけたままでもよかったのだが、夜のうちに外して机へ置いていた。

 

 なくさないようにするため。

 

 傷つけないため。

 

 自分ではそう思っている。

 

 だが、わざわざベッドから見える場所へ置いた理由までは、説明できなかった。

 

 スマートフォンが震える。

 

 画面を見なくても、誰からの連絡かわかる。

 

『おはよー!』

 

『昨日のデート楽しすぎて全然寝れなかった!』

 

『でも悠真の写真見てたら寝落ちした!』

 

『朝から待ち受け見てニヤニヤしてる!』

 

『今日も正門で待ってるね!』

 

 悠真は枕へ顔を半分埋めた。

 

「朝から情報量が多い」

 

 日曜日の出来事が、次々と蘇る。

 

 私服姿のレイナ。

 

 つないだ手。

 

 コラボカフェ。

 

 おそろいのキーホルダー。

 

 そして、駅の改札前で口にした言葉。

 

 少し、好きになった。

 

 あの時は自然に出た。

 

 だが一晩経って冷静になると、ずいぶん踏み込んだことを言った気がする。

 

 レイナは自分を好きだとはっきり伝えている。

 

 その相手へ「少し好きになった」と言えば、期待させるに決まっている。

 

 期待に応える資格が、自分にあるのか。

 

 余命三年の自分に。

 

「……朝から重いな」

 

 悠真は息を吐き、メッセージへ返信した。

 

『写真見ながら寝るな』

 

 数秒後。

 

『そこ!?』

 

『もっと言うことあるでしょ!』

 

『昨日楽しかったとか!』

 

『今日も可愛いとか!』

 

『早く会いたいとか!』

 

『要求が多い』

 

『好きな人にはいっぱい求めちゃうの!』

 

 悠真の指が止まる。

 

 レイナは本当に隠さなくなった。

 

 保健室で告白して以来、好きだという言葉を当たり前のように使う。

 

 恥ずかしがる時もある。

 

 しかし、基本的には正面からぶつけてくる。

 

 悠真は少し考えたあと、短く返した。

 

『今日も会うだろ』

 

『それって早く会いたいってこと!?』

 

『好きに解釈しろ』

 

『じゃあ死ぬほど会いたいってことにする!』

 

「極端すぎるだろ」

 

 死ぬほど。

 

 その言葉に、一瞬だけ胸が冷える。

 

 レイナに悪意などない。

 

 ただの言い回しだ。

 

 わかっている。

 

 それでも、死という言葉には敏感になってしまう。

 

 悠真はスマートフォンを伏せ、ゆっくりと起き上がった。

 

 今日は胸の痛みがなかった。

 

 体調は悪くない。

 

 昨日も長時間外出したが、屋上で休んだことで大事には至らなかった。

 

 このままなら、学校生活も普通に送れる。

 

 そう思いたかった。

 

 制服へ着替え、階下へ向かう。

 

 朝食の席には、父親もいた。

 

 普段は出勤が早いため、平日の朝に顔を合わせることは少ない。

 

「おはよう」

 

「ああ。昨日はどうだった」

 

 父親が新聞から目を上げる。

 

「楽しかったよ」

 

「そうか」

 

 短いやり取りだった。

 

 父親は病気がわかってからも、あまり態度を変えなかった。

 

 必要以上に心配せず、かといって無関心でもない。

 

 悠真にとっては、その距離感がありがたかった。

 

 母親が焼き魚を皿へ置く。

 

「ずいぶん帰りが遅かったわね」

 

「夕方には帰っただろ」

 

「高校生の初デートなら早いくらいかしら」

 

「デートって決めつけるなよ」

 

「違うの?」

 

 悠真は答えに詰まる。

 

 昨日、自分から次もデートでいいと言った。

 

 今さら否定しづらい。

 

「……本人はそう言ってる」

 

「悠真は?」

 

 母親が楽しそうに尋ねる。

 

「言い方は何でもいい」

 

「その言い方、肯定してるのと同じね」

 

「朝から面倒だな」

 

 父親が新聞越しに笑った。

 

「相手はどんな子なんだ」

 

「金髪」

 

「そこから説明するの?」

 

 母親が呆れたように言う。

 

「明るくて、アニメが好きで、料理が得意」

 

「悠真がそれだけ人のことを話すの、珍しいわね」

 

「聞かれたから答えただけ」

 

「名前は?」

 

「白雪レイナ」

 

「可愛らしい名前ね」

 

「本人も可愛いのか」

 

 父親が尋ねる。

 

 悠真はご飯を口へ運ぼうとして、止まった。

 

 昨日のレイナの姿が浮かぶ。

 

 白いトップス。

 

 桜色のリボン。

 

 嬉しそうに笑う顔。

 

「……まあ」

 

「まあ、だって」

 

 母親が笑う。

 

「何だよ」

 

「別に」

 

 両親の顔が少し明るい。

 

 自分が普通の高校生らしい話をすることが、二人には嬉しいのだろう。

 

 その空気が少し苦しくて、同時に温かかった。

 

「行ってきます」

 

「薬は?」

 

「持ってる」

 

「今日は体育があるんでしょう?」

 

「軽い授業だけだよ」

 

「無理はしないで」

 

「わかってる」

 

 悠真は鞄を持ち、家を出た。

 

 駅から学校へ向かう道。

 

 遠くに正門が見えた時、今日も金色の髪が目に入った。

 

 レイナは制服姿だった。

 

 だが、昨日悠真が買った――正確には、レイナが半分こしようと言って渡したルミナのキーホルダーを鞄につけている。

 

 悠真を見つけると、満面の笑みで手を振った。

 

「悠真ー!」

 

「毎朝それやるのか」

 

「悠真が来たら嬉しいし」

 

「周りが見る」

 

「見せつければいいじゃん」

 

「何を」

 

「仲良しなとこ」

 

 レイナは駆け寄ってくる。

 

 そして悠真の鞄を見て、すぐに目を細めた。

 

「あれ?」

 

「何だ」

 

「キーホルダーついてない」

 

「家に置いてきた」

 

 レイナの顔から笑顔が消えた。

 

「……嫌だった?」

 

「違う」

 

「じゃあ何で外したの」

 

「なくしたり、傷つけたりしないように」

 

「え」

 

「机の上に置いてある」

 

 レイナは数秒、悠真を見つめた。

 

 その後、頬を赤くしながら口元を緩める。

 

「大事にしてくれてるってこと?」

 

「まあ」

 

「そっか」

 

 レイナは嬉しそうに自分の鞄のキーホルダーを触った。

 

「ウチは毎日つける」

 

「なくすなよ」

 

「大丈夫。命より大事にする」

 

「大げさなこと言うな」

 

「だって悠真とおそろいだし」

 

「命より上にするなって」

 

 悠真が少し強めに言うと、レイナは目を瞬いた。

 

「ごめん。冗談」

 

「……悪い」

 

「ううん」

 

 ほんの少しだけ、空気が重くなる。

 

 悠真は死や命という言葉に反応しすぎたことを自覚した。

 

 レイナは不思議そうにしていたが、追及はしなかった。

 

「ねえ悠真」

 

「何」

 

「手、つなぐ?」

 

「学校の前だぞ」

 

「日曜日はつないだじゃん」

 

「今日は制服だろ」

 

「制服だとダメなの?」

 

「余計に目立つ」

 

「じゃあ袖だけ」

 

 レイナは悠真の袖口を指先でつまんだ。

 

「これならいいでしょ」

 

「もうつかんでから聞くな」

 

「嫌?」

 

「嫌じゃない」

 

 答えると、レイナは嬉しそうに笑った。

 

 二人は並んで正門をくぐる。

 

 入学してまだ一週間も経っていない。

 

 それなのに、悠真にとってレイナと一緒に登校することは、すでに日常になっていた。

 

 昇降口へ入ったところで、美咲と梨花に出会った。

 

「おはよー」

 

 美咲が手を振る。

 

 その視線が、レイナの指先へ向かう。

 

「朝から袖つかんでる」

 

「はぐれないように」

 

 レイナが答える。

 

「学校で?」

 

「廊下、混んでるし」

 

「まだ昇降口だけど」

 

「これから混むの!」

 

 美咲はにやにやと笑った。

 

「昨日のデート、どうだった?」

 

 レイナの顔が明るくなる。

 

「最高だった!」

 

 否定する気配すらない。

 

「コラボカフェ行って、手つないで、あーんして、おそろいのキーホルダー買って――」

 

「待て」

 

 悠真が止める。

 

「全部話すな」

 

「何で?」

 

「聞かれたからって詳細まで言う必要ないだろ」

 

「だって楽しかったし」

 

「手までつないだんだ」

 

 美咲がさらに笑みを深くする。

 

「初デートで進んだねえ」

 

「普通だよね?」

 

 レイナが梨花へ尋ねる。

 

「普通かどうかはわからないけど、仲良くなったんだね」

 

 梨花は穏やかに微笑む。

 

「朝倉くんも楽しかった?」

 

「まあ」

 

「めっちゃ楽しんでたよ!」

 

 レイナが代わりに答える。

 

「悠真から次もデートでいいって言ったし!」

 

「それ、本当?」

 

 美咲が悠真を見る。

 

「言い方は何でもいいと言っただけだ」

 

「レイナとデートするのは嫌じゃないんでしょ?」

 

「……嫌じゃない」

 

「ほら!」

 

 レイナが嬉しそうに悠真の腕へ軽く触れる。

 

 美咲は何かを確信したようにうなずいた。

 

「もう付き合えばいいのに」

 

「まだ返事待ちだから」

 

 レイナが素直に答える。

 

 美咲の目が大きくなる。

 

「告白したの!?」

 

「声大きい!」

 

 レイナが慌てて美咲の口を塞ぐ。

 

 周囲の生徒が振り返る。

 

 しかし、もう遅かった。

 

 近くにいた同じクラスの男子たちが、明らかにこちらを見ている。

 

「ちょっと待って。いつ?」

 

 美咲が声を落として尋ねる。

 

「この前」

 

「どこで?」

 

「保健室」

 

「場所が独特」

 

「いろいろあったの!」

 

 レイナは顔を真っ赤にする。

 

「悠真が苦しそうだったから心配で、つい……」

 

「朝倉くん、体調悪かったの?」

 

 梨花の表情が曇る。

 

「もう平気」

 

 悠真が答える。

 

「大したことじゃない」

 

 その言葉に、レイナだけが少し不満そうな顔をした。

 

 だが、人前では何も言わなかった。

 

「で、返事待ちなんだ」

 

 美咲が話題を戻す。

 

「うん」

 

「朝倉くん、何で待たせてるの?」

 

「美咲」

 

 レイナが止める。

 

「いいの。ウチが待つって決めたから」

 

 いつもの明るい声。

 

 けれど悠真には、その言葉が重く響いた。

 

 待つ。

 

 どれくらい。

 

 一週間。

 

 一か月。

 

 一年。

 

 自分はいつまで彼女を待たせるのだろう。

 

 答えを出した先に、何を約束できるのだろう。

 

「教室行こ」

 

 レイナは空気を変えるように笑い、悠真の袖を引いた。

 

 教室へ入ると、昨日のデートの話は予想以上に広まっていた。

 

 誰が見たのか。

 

 あるいは美咲の大声が決定打になったのか。

 

 席につく前から、何人ものクラスメイトに声をかけられた。

 

「朝倉、白雪とデートしたの?」

 

「コラボカフェ行ったって本当?」

 

「いつから付き合ってるんだよ」

 

「付き合ってない」

 

 悠真は同じ返事を繰り返した。

 

 一方、レイナは隣で頬を赤くしながらも、どこか嬉しそうだった。

 

「まだ付き合ってないだけ」

 

「その言い方やめろ」

 

「でも本当じゃん」

 

「返事次第では違うだろ」

 

 口にした瞬間、レイナの表情がわずかに曇る。

 

 悠真はすぐに後悔した。

 

「悪い。そういう意味じゃない」

 

「ううん」

 

 レイナは笑った。

 

「ウチが絶対好きにさせるから大丈夫」

 

 強がりかもしれない。

 

 それでも笑う彼女に、悠真は何も言えなかった。

 

 神崎翔が前の席から振り返る。

 

「朝倉、日曜に白雪とデートしてたのか」

 

「コラボカフェ」

 

「それをデートって言うんだろ」

 

「全員同じこと言うな」

 

「で、手つないだ?」

 

「何で知ってる」

 

「もうクラスで話題になってる」

 

「早すぎるだろ」

 

「白雪がさっき喋ってた」

 

「原因が隣にいた」

 

 悠真が見ると、レイナは口笛を吹くふりをした。

 

「吹けてないぞ」

 

「気にしないで」

 

「少しは秘密にすることを覚えろ」

 

「悠真との思い出、自慢したいし」

 

「そういうことを言われると怒りにくいな」

 

「作戦成功」

 

 レイナは小さく笑った。

 

 やがて担任教師が教室へ入る。

 

 朝のホームルームでは、来月予定されている球技大会について説明があった。

 

「種目はバスケットボール、バレーボール、ドッジボールの三種目だ。各自、最低一種目には参加すること」

 

 黒板に種目が書かれる。

 

 教室が一気にざわついた。

 

 運動が得意な者は楽しそうに話し、苦手な者は不安そうな顔をする。

 

「男女別で試合を行う。今日の放課後までに希望を出してもらう。ただし人数の都合で変更になる場合もある」

 

 教師は名簿を配り、係の生徒へ回した。

 

 翔がすぐに悠真を見る。

 

「朝倉、バスケな」

 

「勝手に決めるな」

 

「部活動紹介で三本全部入れただろ」

 

「まぐれだ」

 

「まぐれで三本入らないって」

 

 周囲の男子も同意する。

 

「朝倉がバスケなら強いんじゃね?」

 

「身長もあるし」

 

「経験者じゃないの?」

 

 期待する声。

 

 悠真は名簿を見つめた。

 

 球技大会。

 

 試合となれば、軽い運動では済まない。

 

 何度も走り、急に止まり、跳ぶ。

 

 心臓への負担は大きい。

 

 学校側には事情が伝わっているため、見学や軽い役割に変更できるだろう。

 

 だが、それをすれば周囲に不自然に思われる。

 

 昨日の部活動紹介で、身体能力の高さを見られている。

 

「バスケでいい」

 

 悠真が言うと、翔が笑った。

 

「よし!」

 

 その直後、隣から低い声が聞こえた。

 

「ダメ」

 

 レイナだった。

 

 悠真が振り向く。

 

「何が」

 

「バスケ出るの」

 

「どうして」

 

「わかってるでしょ」

 

 レイナは真剣な目をしていた。

 

「激しく動いたら、また苦しくなるかもしれないじゃん」

 

「球技大会くらい平気だ」

 

「この前、シュート三本打っただけで苦しくなったのに?」

 

 周囲の会話が少し静かになる。

 

 翔も二人を見る。

 

 悠真は声を落とした。

 

「ここで話すことじゃない」

 

「じゃあ出ないって言って」

 

「勝手に決めるな」

 

「悠真が無理するから言ってるの」

 

「無理かどうかは俺が決める」

 

「自分で大丈夫って言って倒れそうになってたじゃん」

 

 レイナの声が少し大きくなる。

 

 教室の何人かが振り返った。

 

 悠真の胸に、苛立ちが生まれる。

 

 心配していることはわかっている。

 

 レイナに悪気はない。

 

 けれど、皆の前で体調のことを言われるのは嫌だった。

 

 病人として扱われることも。

 

 参加できることまで奪われることも。

 

「余計なこと言うな」

 

 低い声だった。

 

 レイナの表情が止まる。

 

「余計って何」

 

「俺のことは俺が決める。レイナに決められることじゃない」

 

「でも――」

 

「まだ付き合ってもないだろ」

 

 言葉が落ちた。

 

 教室のざわめきが遠くなる。

 

 レイナの瞳が揺れた。

 

 悠真自身も、口にしてから気づいた。

 

 最も言ってはいけない言葉だった。

 

 レイナの手が、机の上で小さく握られる。

 

「……そうだね」

 

 声は静かだった。

 

「ウチ、彼女じゃないもんね」

 

「レイナ、違う。今のは――」

 

「ごめん」

 

 レイナは笑おうとした。

 

 けれど、うまく笑えていなかった。

 

「余計なこと言った」

 

 前を向く。

 

 それ以上、悠真を見なかった。

 

 担任教師が話を続けている。

 

 だが悠真の耳には、何も入らなかった。

 

 隣にいるはずのレイナが、急に遠くなったように感じる。

 

 いつもなら机を寄せてくる。

 

 肩が触れそうなほど近づく。

 

 けれど今日は、わずか数十センチの距離が、ひどく広く感じられた。

 

 朝のホームルームが終わっても、レイナは話しかけてこなかった。

 

 美咲と梨花が心配そうに見る。

 

 翔も気まずそうな顔をしていた。

 

「朝倉」

 

 翔が小声で呼ぶ。

 

「今のは言いすぎじゃないか」

 

「わかってる」

 

「白雪、かなり心配してるだけだろ」

 

「わかってるって」

 

「なら謝ったほうがいい」

 

「……ああ」

 

 悠真は隣を見る。

 

 レイナは教科書を開き、俯いていた。

 

 声をかけようとする。

 

 しかし、一時間目の教師が入ってきた。

 

 授業が始まる。

 

 その間も、悠真は何度もレイナの横顔を見た。

 

 レイナは真面目にノートを取っている。

 

 いつもなら途中で小声をかけてきたり、ノートの端に落書きをして見せたりする。

 

 今日は何もない。

 

 授業が終わると、レイナはすぐに美咲たちの席へ移動した。

 

 悠真が話しかける隙を作らないようにしている。

 

 次の授業。

 

 その次の休み時間。

 

 距離は埋まらなかった。

 

 昼休みになった。

 

 いつもなら、レイナが真っ先に机をくっつける。

 

 だが今日は、弁当箱を持って美咲と梨花の席へ向かった。

 

 悠真の机だけが、一つ離れて残る。

 

 翔が前の席から振り返った。

 

「一緒に食うか?」

 

「ああ」

 

 二人で机を合わせる。

 

 翔は購買で買ったパンを開けた。

 

「喧嘩、早いな」

 

「付き合ってない」

 

「そこじゃないだろ」

 

 翔は焼きそばパンを一口食べる。

 

「でも、あんな言い方したら白雪も傷つくって」

 

「わかってる」

 

「朝倉、わかってるばっかりだな」

 

「じゃあどうしろって言うんだよ」

 

「謝れよ」

 

「謝ろうとしたら避けられた」

 

「避けられても行け」

 

「簡単に言うな」

 

「簡単だろ。悪いと思ってるなら、ごめんって言えばいい」

 

 翔は真っすぐな性格だった。

 

 悩みを複雑にするより、まず動く。

 

 悠真には、その単純さが少し羨ましかった。

 

「白雪が心配する理由、何なんだ」

 

 翔が尋ねる。

 

「前から体調悪いのか?」

 

「……少し」

 

「病気?」

 

 悠真は答えなかった。

 

 翔は深く追及しない。

 

「言いたくないならいいけど」

 

「悪い」

 

「でも、白雪は知ってるのか?」

 

「知らない」

 

「じゃあ余計に不安なんじゃないか」

 

 悠真は弁当へ視線を落とす。

 

「何かあるのはわかる。でも本人は話してくれない。なのに無理しようとする。そりゃ止めるだろ」

 

「……そうだな」

 

「俺でも止める」

 

「お前はサッカー部に誘っただろ」

 

「それは体調悪いって知らなかったから」

 

 翔は少し笑った。

 

「知ってたら誘わない」

 

 その言葉が、悠真の胸へ刺さる。

 

 知れば、扱いが変わる。

 

 当然だ。

 

 だから知られたくない。

 

 普通に誘われたい。

 

 普通に期待されたい。

 

 普通に試合へ出たい。

 

 余命を宣告されたからといって、残りの時間まで病人として過ごしたくない。

 

「でも朝倉」

 

 翔が続ける。

 

「無理して倒れたら、普通どころじゃないだろ」

 

 悠真は何も答えられなかった。

 

 少し離れた席では、レイナが弁当を食べている。

 

 いつもなら悠真へ分けるハート型の卵焼きが、今日も入っていた。

 

 朝早く起き、自分のために作ってきたものかもしれない。

 

 しかし、その卵焼きはレイナ自身の弁当箱に残っている。

 

 美咲が小声で何かを話す。

 

 レイナは首を横へ振る。

 

 笑ってはいる。

 

 けれど、目元にいつもの明るさはなかった。

 

 昼休みが終わる直前。

 

 レイナたちが席へ戻ってくる。

 

 悠真は立ち上がった。

 

「レイナ」

 

 呼び止める。

 

 レイナの足が止まった。

 

 しかし、顔は見ない。

 

「何?」

 

「朝のこと、悪かった」

 

「別に」

 

「言いすぎた」

 

「本当のことじゃん」

 

「違う」

 

「まだ付き合ってないのは本当でしょ」

 

 声は平静だった。

 

 だが、指先が震えている。

 

「そういう意味で言ったんじゃない」

 

「じゃあ、どういう意味?」

 

 悠真は言葉に詰まる。

 

 苛立っていた。

 

 皆の前で体調の話をされたくなかった。

 

 自分のことを勝手に決められたくなかった。

 

 だが、その説明だけでは足りない。

 

 なぜなら、自分はレイナの心配をわかっていながら、最も残酷な言葉を選んだからだ。

 

「彼女じゃないから口を出すなって意味でしょ」

 

「違う」

 

「でもそう聞こえた」

 

「……悪い」

 

「もういいよ」

 

 レイナは自分の席へ戻った。

 

 会話はそれで終わった。

 

 悠真は立ち尽くす。

 

 謝った。

 

 だが、何も伝わっていない。

 

 当然だった。

 

 自分が本当に隠していることを話していないのだから。

 

 午後の体育。

 

 内容は球技大会へ向けた種目体験だった。

 

 男子は体育館でバスケットボール。

 

 女子は隣のコートでバレーボール。

 

 悠真は教師から個別に声をかけられた。

 

「朝倉、今日は見学でもいいぞ」

 

「参加します」

 

「体調は?」

 

「問題ありません」

 

 教師は少し迷った様子を見せる。

 

「無理はするな。違和感があったらすぐ抜けろ」

 

「はい」

 

 翔がボールを持って近づいてきた。

 

「本当にやるのか?」

 

「軽い練習だろ」

 

「白雪に怒られるぞ」

 

「もう怒ってる」

 

「そういう問題じゃない」

 

 悠真はボールを受け取る。

 

 手の中の感触。

 

 体育館の床の匂い。

 

 周囲の声。

 

 久しぶりに、体を動かす前の高揚感があった。

 

 小さい頃から、運動は得意だった。

 

 走ること。

 

 跳ぶこと。

 

 体を思い通りに動かすこと。

 

 病気になる前は、それが当たり前だった。

 

 今は一つ一つに制限がつく。

 

 無理をするな。

 

 走るな。

 

 疲れるな。

 

 興奮するな。

 

 命を守るために必要なことだとわかっている。

 

 それでも、息苦しかった。

 

「行くぞ」

 

 簡単な三対三の練習が始まる。

 

 悠真は最初、力を抑えていた。

 

 ボールを受け、パスを回す。

 

 必要以上に走らない。

 

 シュートも無理に狙わない。

 

 だが、試合が進むにつれて体が反応する。

 

 相手の動きが見える。

 

 パスコースがわかる。

 

 足が自然に動く。

 

 悠真はボールを奪い、そのまま前へ出た。

 

 一人をかわす。

 

 もう一人が前へ立つ。

 

 切り返し。

 

 リングへ向かって跳ぶ。

 

 ボールが手から離れ、きれいに入った。

 

「おお!」

 

 男子たちから歓声が上がる。

 

「朝倉、やっぱうまいじゃん!」

 

「経験者じゃないのかよ!」

 

「今のすげえ!」

 

 胸が高鳴る。

 

 楽しい。

 

 久しぶりだった。

 

 病気のことを忘れ、ただ体を動かす。

 

 期待される。

 

 褒められる。

 

 普通の高校生として、コートに立っている。

 

 その感覚が嬉しかった。

 

 次のプレー。

 

 翔からパスを受ける。

 

 悠真はリングを見た。

 

 その時。

 

 視界の端に、女子コートのレイナが映った。

 

 ボールを持ったまま、こちらを見ている。

 

 心配そうな顔。

 

 目が合う。

 

 レイナは何か言おうとした。

 

 その直後だった。

 

 胸の奥を、強い痛みが貫いた。

 

「っ……!」

 

 足が止まる。

 

 ボールが手から落ちた。

 

 床へ転がる。

 

「朝倉?」

 

 翔の声。

 

 悠真は胸を押さえ、その場へ膝をついた。

 

 呼吸ができない。

 

 心臓が暴れるように打っている。

 

 周囲の音が遠くなる。

 

「悠真!」

 

 女子コートから、レイナの声が響いた。

 

 彼女はボールを放り出し、こちらへ走ってくる。

 

「悠真、大丈夫!?」

 

 悠真の前へしゃがみ込む。

 

 顔が青ざめていた。

 

「だから言ったじゃん……!」

 

 声が震えている。

 

「無理しないでって言ったじゃん!」

 

「レイナ……」

 

「先生! 保健室!」

 

 体育教師がすぐに駆け寄る。

 

 悠真は立とうとしたが、足に力が入らない。

 

「朝倉、動くな」

 

「平気、です」

 

「平気じゃない!」

 

 レイナが叫んだ。

 

 目には涙が浮かんでいた。

 

「もう平気って言わないでよ!」

 

 悠真は言葉を失う。

 

 レイナは怒っている。

 

 けれど、その顔には怒りよりも恐怖があった。

 

 本当に自分が倒れると思ったのだ。

 

 失うかもしれないと思ったのだ。

 

 教師に支えられ、悠真は保健室へ運ばれた。

 

 レイナも後をついてくる。

 

 養護教諭がすぐに状態を確認し、薬を用意した。

 

「朝倉くん、飲める?」

 

 悠真はうなずき、薬を飲んだ。

 

 ベッドへ横になる。

 

 カーテンの向こうには、レイナが立っていた。

 

 呼吸が乱れている。

 

 走ってきたせいだけではない。

 

「白雪さん、授業へ戻って」

 

「嫌です」

 

「ここは私が見ているから」

 

「でも」

 

「大丈夫。今のところ危険な状態ではないわ」

 

 大丈夫。

 

 養護教諭のその言葉に、レイナは少しだけ肩の力を抜いた。

 

 それでも、すぐには動かなかった。

 

「……わかりました」

 

 小さく答える。

 

 カーテンの向こうから、足音が遠ざかる。

 

 悠真は目を閉じた。

 

 胸の痛みよりも、レイナの顔が頭から離れなかった。

 

 泣きそうな顔。

 

 自分が苦しむ姿を見るたび、彼女はあんな顔をする。

 

 それでも自分は、彼女の心配を余計だと言った。

 

 まだ彼女じゃない。

 

 だから口を出すなと。

 

「最低だな」

 

 小さく呟いた。

 

 養護教諭が椅子へ座る。

 

「反省しているなら、次は無理をしないことね」

 

「聞いてたんですか」

 

「少しだけ」

 

「……すみません」

 

「白雪さん、かなり心配していたわ」

 

「わかってます」

 

「あなたが病気のことを話していないのも、あなたなりの理由があるのでしょうけど」

 

 養護教諭は穏やかな声で言う。

 

「知らない側は、何が起きているかわからない分だけ怖いものよ」

 

 悠真は天井を見つめる。

 

「話したら、全部変わります」

 

「変わるでしょうね」

 

「同情される。気を遣われる。普通に接してもらえなくなる」

 

「そうなる人もいるかもしれない」

 

 否定しない。

 

 その正直さが、かえって胸に響く。

 

「でも、知らされなかったことを後悔する人もいるわ」

 

「……」

 

「大切な人なら、なおさらね」

 

 大切な人。

 

 レイナは自分をそう思っている。

 

 世界で一番大事にできると言った。

 

 それなのに、自分は何も話していない。

 

 都合よく笑顔だけを受け取り、痛みは隠している。

 

 それは本当に、彼女を思ってのことなのか。

 

 自分が怖いだけではないのか。

 

「少し休みなさい」

 

 養護教諭が立ち上がる。

 

「目が覚めたら、今日は早退しましょう」

 

「はい」

 

 悠真は目を閉じた。

 

 疲れが一気に押し寄せ、意識が沈んでいく。

 

 次に目を覚ました時、保健室の窓から差し込む光は、少し橙色になっていた。

 

 時刻は放課後。

 

 胸の痛みは引いている。

 

 体には重い疲労が残っていた。

 

 カーテンの外から、かすかな物音が聞こえた。

 

「先生?」

 

 返事はない。

 

 代わりに、椅子が動く音。

 

 カーテンが少し開く。

 

 そこにいたのは、レイナだった。

 

「起きた?」

 

 静かな声。

 

 授業が終わってから来たのだろう。

 

 鞄を足元へ置き、椅子に座っていた。

 

「どうしているんだ」

 

「待ってた」

 

「帰れって言われただろ」

 

「授業には戻ったよ。終わってから来た」

 

「そうか」

 

 会話が途切れる。

 

 レイナは悠真を見ない。

 

 膝の上で手を握りしめている。

 

「レイナ」

 

「何」

 

「朝は悪かった」

 

「もういい」

 

「よくない」

 

 悠真はゆっくり体を起こした。

 

「俺が悪かった」

 

「……」

 

「心配してくれたのに、余計なことって言った」

 

 レイナの指先が少し動く。

 

「まだ彼女じゃないって言ったのも、違う」

 

「違わないでしょ」

 

「事実かどうかじゃない。あんな言い方をする必要はなかった」

 

「でも、ウチが勝手に口出したのは本当だし」

 

「勝手じゃない」

 

 悠真はレイナを見る。

 

「心配するのは当然だった」

 

「じゃあ何で出たの」

 

「……普通に参加したかった」

 

「倒れても?」

 

「倒れるとは思わなかった」

 

「また大丈夫だと思った?」

 

「ああ」

 

「悠真の大丈夫、全部嘘じゃん」

 

 レイナが顔を上げた。

 

 目が赤い。

 

 泣いたあとだった。

 

「入学式の日も。アニメショップでも。体育館でも。今日も」

 

 声が震える。

 

「ずっと大丈夫って言って、全然大丈夫じゃないじゃん」

 

「……」

 

「ウチ、何も知らないから、どこまで心配していいかもわかんない」

 

 涙が一粒、頬を伝う。

 

「止めたら余計って言われるし、止めなかったら悠真が苦しむし」

 

 レイナは慌てて涙を拭った。

 

「どうすればいいの」

 

 悠真は何も言えなかった。

 

 レイナの涙を見るのは、苦しかった。

 

 自分が泣かせた。

 

 守りたいと思って秘密にしたはずなのに、その秘密のせいで傷つけている。

 

「ごめん」

 

「謝ってほしいんじゃない」

 

「わかってる」

 

「何もわかってない」

 

「そうだな」

 

 否定できなかった。

 

 レイナは唇を噛む。

 

「悠真が何か隠してるの、わかってる」

 

「ああ」

 

「病気なんでしょ」

 

 悠真は黙った。

 

「軽い病気じゃないんでしょ」

 

 沈黙。

 

 その沈黙自体が、答えになっていた。

 

 レイナの瞳が揺れる。

 

「死んだりしないよね」

 

 問いかけは、かすかな声だった。

 

 悠真の心臓が大きく鳴る。

 

 答えられない。

 

 大丈夫だと言えば嘘になる。

 

 死なないとは約束できない。

 

 けれど本当のことを言えば、今すぐ彼女の世界を変えてしまう。

 

「悠真」

 

「……今は言えない」

 

 やっと出た言葉だった。

 

 レイナは目を伏せる。

 

「そう」

 

「でも」

 

「もういい」

 

 立ち上がろうとする。

 

 悠真は反射的に、レイナの手首をつかんだ。

 

「待って」

 

 レイナが振り返る。

 

「離して」

 

「嫌だ」

 

「何で」

 

「このまま帰ってほしくない」

 

「じゃあ話して」

 

「……」

 

「話せないんでしょ」

 

「今すぐ全部は無理だ」

 

「じゃあどうしたいの」

 

 悠真は手を離さなかった。

 

 レイナの体温が伝わる。

 

「少しだけ、時間がほしい」

 

「どれくらい」

 

「わからない」

 

「ずっと待たせるの?」

 

「それはしない」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「約束できる?」

 

 未来の約束。

 

 悠真が最も苦手なもの。

 

 けれど、ここで逃げれば本当にレイナを失う。

 

「約束する」

 

 悠真は言った。

 

「病気のこと、ちゃんと話す」

 

 レイナの目から、また涙がこぼれる。

 

「いつ」

 

「近いうちに」

 

「曖昧」

 

「ごめん」

 

「じゃあ、次のデートまで」

 

「え」

 

「次に二人で出かける時までに、話して」

 

 レイナは涙を拭いながら、悠真を見つめる。

 

「全部じゃなくてもいい。でも、ウチがどう心配すればいいかくらいは教えて」

 

 悠真は少し迷った。

 

 次のデート。

 

 いつになるかは決めていない。

 

 だが、逃げ続けることはできない。

 

「わかった」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「約束破ったら、もうデートしない」

 

 その言葉は、悠真にとって思った以上に重かった。

 

 レイナと出かけられない。

 

 手をつなげない。

 

 あの笑顔を隣で見られない。

 

 それを嫌だと思う自分がいる。

 

「破らない」

 

 悠真は答えた。

 

 レイナはしばらく見つめたあと、ゆっくりうなずいた。

 

「あと」

 

「何」

 

「もう一個約束して」

 

「何だ」

 

「球技大会、出ないで」

 

 悠真は眉を寄せる。

 

「それは――」

 

「今日倒れたじゃん」

 

「でも」

 

「応援係でも、得点係でもできることあるでしょ」

 

「皆に変に思われる」

 

「倒れるよりいい」

 

「俺は普通に――」

 

「普通って何?」

 

 レイナの声が少し強くなる。

 

「無理して倒れるのが普通なの?」

 

「そうじゃない」

 

「出られないことが普通じゃないなら、ウチが一緒に普通じゃなくなる」

 

「どういう意味だ」

 

「ウチも試合出ない」

 

「は?」

 

「応援係やる」

 

「お前は出られるだろ」

 

「悠真が一人だけ見学するの嫌なら、ウチも一緒にいる」

 

「そんなことする必要ない」

 

「ある」

 

 レイナは真剣だった。

 

「悠真が普通じゃないって感じるなら、ウチも同じところに行く」

 

「球技大会に出ないだけで大げさだろ」

 

「大げさでいい」

 

「レイナはバレー出たいんじゃないのか」

 

「出たいよ」

 

「なら出ろ」

 

「悠真より大事じゃない」

 

 また、その言葉。

 

 悠真より大事な部活はない。

 

 推しより悠真が上。

 

 世界で一番大事にできる。

 

 レイナは、いつも迷わない。

 

「俺のために、自分のやりたいことを諦めるな」

 

 悠真は静かに言った。

 

「そういうのは嫌だ」

 

「じゃあ悠真も、自分の命を諦めないで」

 

 言葉が止まる。

 

「無理して体壊すのって、諦めてるのと同じじゃん」

 

「諦めてない」

 

「じゃあ大事にして」

 

 レイナの目が潤む。

 

「ウチが好きな悠真のこと、悠真自身が一番大事にしてよ」

 

 胸が締めつけられた。

 

 正論だからではない。

 

 言葉に、レイナの気持ちがすべて詰まっていたからだ。

 

 悠真は自分の命を、残り三年の消耗品のように考えていた。

 

 使えるうちに使う。

 

 動けるうちに動く。

 

 どうせ終わるのなら、制限されたくない。

 

 だが、その命を大切だと思う人がいる。

 

 自分が傷つけば、泣く人がいる。

 

「……わかった」

 

 悠真は小さく答えた。

 

「球技大会は出ない」

 

 レイナの顔が少し緩む。

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「約束?」

 

「約束」

 

「今度は破らないでね」

 

「破らない」

 

 レイナは大きく息を吐いた。

 

 肩の力が抜ける。

 

「よかった」

 

「でもお前は出ろ」

 

「え」

 

「バレー、やりたいんだろ」

 

「でも悠真が――」

 

「応援する」

 

「悠真が?」

 

「ああ」

 

「本気で?」

 

「球技大会に出ないなら、それくらいしかやることないだろ」

 

 レイナの目が少しずつ輝く。

 

「めっちゃ応援してくれる?」

 

「普通に」

 

「名前呼んでくれる?」

 

「たぶん」

 

「レイナー! 頑張れー! って?」

 

「そこまでは言わない」

 

「言って!」

 

「恥ずかしい」

 

「ウチが勝ったら言って!」

 

「勝ったあとに頑張れはおかしいだろ」

 

「じゃあ好きって言って」

 

「どうしてそうなる」

 

 少しだけ、いつものレイナに戻った。

 

 悠真も口元を緩める。

 

 レイナはその笑顔を見て、泣きながら笑った。

 

「やっと笑った」

 

「お前も」

 

「悠真のせいで泣いたんだけど」

 

「悪かった」

 

「卵焼き一週間分で許す」

 

「作るのはお前だろ」

 

「悠真が食べる担当」

 

「それで許されるのか」

 

「毎日おいしいって言ってくれたら」

 

「わかった」

 

 レイナが目を見開く。

 

「え、いいの?」

 

「ああ」

 

「毎日あーんも?」

 

「それは別」

 

「ケチ」

 

「何でも一緒にするな」

 

 保健室に、ようやく穏やかな空気が戻った。

 

 悠真はゆっくりベッドから降りる。

 

 少しふらつくと、レイナがすぐに腕を支えた。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫」

 

 レイナの眉が動く。

 

「今のは本当」

 

「信用する」

 

「少しずつにしてくれ」

 

「悠真次第」

 

 養護教諭へ声をかけ、二人は保健室を出た。

 

 すでに校舎には、部活動へ向かう生徒の声が響いている。

 

 レイナは悠真の歩幅に合わせ、ゆっくり歩いた。

 

「鞄、持つ?」

 

「自分で持てる」

 

「じゃあ袖つかむ」

 

「理由になってない」

 

「今日、ずっとつかめなかったから」

 

 レイナは悠真の袖をそっとつまむ。

 

「嫌だった?」

 

「寂しかった」

 

 素直な言葉だった。

 

「朝から話してくれないし、隣にも来ないし」

 

「悠真があんなこと言ったからじゃん」

 

「悪かった」

 

「まだ少し怒ってる」

 

「どうすれば許す」

 

「手つないで」

 

「学校だけど」

 

「もう放課後だし、人少ない」

 

 廊下には数人の生徒がいる。

 

 まったく人目がないわけではない。

 

 だが、悠真は少し迷ったあと、手を差し出した。

 

 レイナが目を見開く。

 

「いいの?」

 

「今日は俺が悪かったから」

 

「罰みたいに言わないで」

 

「嫌ならやめる」

 

「やめない!」

 

 レイナはすぐに手を重ねた。

 

 指を絡める。

 

 昨日と同じ温もり。

 

 けれど、昨日よりも大切に感じた。

 

「悠真」

 

「何」

 

「ウチ、彼女じゃなくても心配していい?」

 

「ああ」

 

「止めてもいい?」

 

「無理してたら」

 

「毎日お弁当食べてもらってもいい?」

 

「それは心配と関係ないだろ」

 

「大事な確認」

 

「いいよ」

 

「デートも?」

 

「いい」

 

「好きって言っても?」

 

「もう止めても無駄だろ」

 

「うん!」

 

 レイナは嬉しそうに手を振る。

 

 つながれた悠真の腕まで一緒に動く。

 

「あと、彼女になってもいい?」

 

「それは返事を待て」

 

「そこだけ厳しい」

 

「一番大事なところだからな」

 

 レイナは少しだけ頬を膨らませた。

 

「でも、前よりいい顔してる」

 

「何が」

 

「返事考えてくれてる顔」

 

「どんな顔だよ」

 

「ウチにはわかるの」

 

「適当だな」

 

「好きな人のことは何でもわかるし」

 

「病気のことはわからないだろ」

 

 口にしてから、空気が止まる。

 

 だが今度は、悠真は逃げなかった。

 

「次のデートまでに話す」

 

「うん」

 

「怖いけど」

 

 正直な言葉が漏れた。

 

 レイナは驚いたように悠真を見る。

 

「何が怖いの」

 

「話したら、今みたいにいられなくなるかもしれない」

 

「ならないよ」

 

「言い切れるか?」

 

「言い切る」

 

 レイナはつないだ手に力を込める。

 

「病気が何でも、悠真は悠真じゃん」

 

「……そうか」

 

「金髪でギャルでオタクなウチが、病気くらいで引くと思う?」

 

「比較の仕方がおかしい」

 

「でも引かない」

 

 レイナは前を向く。

 

「むしろもっと近くなる」

 

「今でも十分近い」

 

「まだ足りないし」

 

「どこまで近づくつもりだ」

 

「隣」

 

「もう隣だろ」

 

「ずっと隣」

 

 簡単に言う。

 

 永遠のような言葉を。

 

 悠真には、その約束を返すことができない。

 

 けれど、拒絶することもできなかった。

 

 校門を出る。

 

 夕方の風が、二人の制服を揺らす。

 

 レイナは手を離さなかった。

 

 悠真も離さなかった。

 

 駅へ向かう途中、レイナが突然思い出したように声を上げた。

 

「あ」

 

「何」

 

「次のデート決めなきゃ」

 

「もう?」

 

「病気の話聞くためにも必要でしょ」

 

「それが目的なのか」

 

「それも目的」

 

「ほかは」

 

「普通に悠真とデートしたい」

 

「正直だな」

 

「水族館がいい」

 

「決定なのか」

 

「暗いし、手つなぎやすいし、魚見てる悠真の横顔撮れるし」

 

「目的が不純だな」

 

「コラボカフェより静かだから、話もしやすいよ」

 

 最後だけは真剣だった。

 

 悠真は少し考える。

 

 水族館。

 

 人混みはあるが、走り回る場所ではない。

 

 休憩場所も多い。

 

 話をするには悪くない。

 

「いいよ」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「今週の日曜!」

 

「早い」

 

「時間あけたら悠真逃げるかもしれないし」

 

「逃げないって」

 

「じゃあ決まり!」

 

 レイナは満面の笑みを浮かべた。

 

「初水族館デート!」

 

「初が多いな」

 

「悠真との初めて、全部大事にする」

 

 その言葉に、悠真は何も返せなかった。

 

 駅の改札前。

 

 二人は手を離す。

 

 レイナは名残惜しそうに、自分の指先を見る。

 

「今日はちゃんと連絡してね」

 

「何を」

 

「家着いたとか、体調大丈夫とか」

 

「母親みたいだな」

 

「彼女候補です」

 

「自分で候補って言うのか」

 

「最有力候補」

 

「ほかにいないけどな」

 

 レイナの目が大きくなる。

 

「それってウチしか見てないってこと?」

 

「そういう意味じゃない」

 

「絶対そうじゃん!」

 

「都合よく解釈するな」

 

「する!」

 

 レイナは笑い、改札へ向かう。

 

「また明日!」

 

「ああ。また明日」

 

「明日は卵焼き二個あげる!」

 

「多いな」

 

「仲直り記念!」

 

「それならもらう」

 

「絶対あーんするから!」

 

「それは断る」

 

「明日決める!」

 

 最後まで強引だった。

 

 レイナの姿が見えなくなるまで、悠真はその場に立っていた。

 

 帰宅後。

 

 部屋へ入ると、机の上のセラのキーホルダーが目に入った。

 

 悠真は鞄を置き、その隣へ座る。

 

 次の日曜日。

 

 水族館。

 

 レイナへ病気のことを話す。

 

 すべてを話す勇気は、まだない。

 

 余命三年。

 

 その言葉まで伝えられるかどうか、わからなかった。

 

 だが、最低でも病気が軽くないこと。

 

 無理をすれば危険なこと。

 

 それくらいは話さなければならない。

 

 スマートフォンが震える。

 

『家着いた!』

 

『悠真は?』

 

『体調大丈夫?』

 

『胸痛くない?』

 

『薬飲んだ?』

 

「本当に母親みたいだな」

 

 悠真は笑いながら返信した。

 

『今着いた』

 

『体調は大丈夫』

 

『今日は悪かった』

 

 しばらくして、返事が届く。

 

『ウチも言いすぎた』

 

『でも心配するのはやめないから』

 

『好きだから』

 

 続けて、ハートのスタンプ。

 

 悠真は画面を見つめる。

 

 今日、レイナが泣いた。

 

 自分が倒れたことで。

 

 自分の言葉で。

 

 あの涙を、もう見たくないと思った。

 

 だが病気を話せば、きっとまた泣かせる。

 

 それでも、知らないまま傷つけ続けるよりはいいのかもしれない。

 

『次の日曜、ちゃんと話す』

 

 送信する。

 

 返信はすぐに来た。

 

『うん』

 

『怖くても大丈夫』

 

『ウチが隣にいるから』

 

 短い言葉だった。

 

 けれど、悠真の胸を強く打った。

 

 隣にいる。

 

 レイナは何度もそう言う。

 

 自分には、その隣がいつまで続くかわからない。

 

 それでも次の日曜日までは。

 

 少なくとも明日までは。

 

 彼女は隣にいてくれる。

 

 悠真は机の上のキーホルダーへ触れた。

 

 そして、静かに呟く。

 

「ちゃんと話さないとな」

 

 一方、レイナは自室のベッドに座り、スマートフォンを胸へ抱いていた。

 

 悠真が倒れた瞬間を思い出す。

 

 顔が青くなり、胸を押さえ、その場へ崩れた。

 

 怖かった。

 

 本当に、もう動かないのではないかと思った。

 

「死んだりしないよね」

 

 保健室で聞いた。

 

 悠真は答えなかった。

 

 あの沈黙が、心に残っている。

 

 軽い病気ではない。

 

 それは間違いない。

 

 けれど、レイナは逃げたくなかった。

 

 怖いから離れるのではなく、怖いから近くにいたい。

 

「次の日曜」

 

 水族館。

 

 きっと楽しいだけのデートにはならない。

 

 悠真の秘密を聞くことになる。

 

 もしかすると、自分が想像しているよりもずっと重い話かもしれない。

 

 それでも。

 

「絶対、大丈夫」

 

 レイナは自分へ言い聞かせる。

 

「何聞いても、好きなの変わらないから」

 

 待ち受け画面には、初デートの日のツーショット。

 

 悠真は少し笑っている。

 

 その笑顔を守りたい。

 

 自分の手で。

 

 そう強く思った。

 

 高校生活は始まったばかりだった。

 

 球技大会。

 

 文化祭。

 

 夏休み。

 

 まだ経験していないことが、いくつも待っている。

 

 けれど二人にとって、次の日曜日は大きな分岐点になる。

 

 余命三年という秘密。

 

 隠されていた現実。

 

 それを知った時、レイナは何を思うのか。

 

 そして悠真は、どこまで本当のことを話せるのか。

 

 桜が三度咲くまで。

 

 残された時間は、今も静かに減り続けている。

 

 それでも二人は、傷つきながら少しずつ近づいていた。

 

 今度こそ。

 

 嘘ではなく。

 

 秘密を抱えたままでもなく。

 

 本当の意味で、互いの隣に立つために。




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