第1話 朝食の準備はテキパキね
……ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン
教会の鐘の音が、重く鳴り響くのを聞きながら、僕、アルフレッド《Alfred》は目を覚ました。
もう一度眠りに落ちてしまいそうなのを、なんとか我慢して、ベッドから飛び出る。
ガチャっ
陽の光が差し込んでいる窓を思いっきり全開にして、ロンディニアの街を眺めながら深呼吸をする。
「……すーっっ……はーぁっ。」
外からは小鳥のさえずりに混じって、牛乳売りの声、馬の蹄の音、路面電車のゆっくりした走行音が聞こえてくる。
今日は珍しく石炭の煙も薄く、雲一つない青空、まさしく快晴だなぁ。
こんな日はいつもより元気に動けるってもんだ。
きゅーっ
思いっきり伸びをしていると、身体が空腹を主張し始める。
元気に動けるといっても、朝食を食べなきゃ始まらない。
「よし。早く朝ごはんを準備しなくっちゃ。」
多分、僕以外もお腹ペコペコだろうな。
腹をすかせた家主を想像した僕は、寝間着を脱ぎ捨てた。
★
服を着替え、顔を洗って、屋根裏部屋からキッチンに急ぎ足に降りてきた僕の前では、見上げるような長身をした女性がすでに朝食の準備を始めていた。
足音が聞こえたのか、その黒い犬耳を動かしながら、彼女はゆっくりと振り向いた。
「おはよう、ご主人。今日もしっかり起きてきたな。」
鋭く切れ長の琥珀色の瞳が僕を貫く。
「おはよう、ヴェル。」
僕が挨拶を返すと、彼女は無表情な顔にちょっとだけ笑みを浮かべる。
彼女の尻尾はゆったりと左右に振られている。
ヴェロニカ・アイヒヴァルト《Veronika Eichwald》。
彼女はシェパード種の獣人だ。
艷やかな黒い髪を一本に結んでいて、シュッと立ち上がった大きな犬耳が髪の間からピコピコ動いている。
男でもめったに見ないような高い身長と、女性らしいラインを描く体格は、学校の女の子に聞いたらまさに理想的な体型なんだとか。
今日着ているのは、襟付きのブラウスに踝丈程度のチェック柄のスカート。
首元には細いリボンが巻いてある。
「先ほど牛乳屋が通ったので、そこのドアから受け取っておいた。もうピッチャーにも入れてある。ベーコンも切っておいたぞ。」
「わかった。じゃあ僕はティーポットを温めておくね。ベーコンはフライパンに並べとくよ。」
「了解だ。では、私は
そう言うと彼女は、パン切りナイフを取り出す。
彼女は昔、パロシアの軍隊にいたことがある。
大陸の軍事国家仕込みのナイフ術は、街一番じゃないかと思うほどだ。
だから我が家で食材を切るのは、専らヴェロニカの役割だ。
彼女が機械のように均一に切ってくれた
続いてケトルに水を入れ、ケトルの冥理機関に燃料石を差し込む。
5分もしないうちに水が熱湯に変わった。
その熱湯を、空のティーポットに少しだけ注ぎ、内側全体が温まるようにする。
最初のお湯を桶に捨てて、ポットに茶葉を入れ、すぐにケトルの熱湯を投入する。
…すぐに紅茶の香りが漂ってきた。
ケトルから燃料石を取り出して、そのままキッチン・レンジの差し込み部に入れる。
冥理機関から熱が伝わってきたと同時に、踏み台に登って、鉄フライパンを上部に乗せる。
段々とベーコンの脂身から、ジュワジュワと透明な脂が溶け出してくるので、フォークで肉の端を押さえながらひっくり返し、カリッとなるまで焼き上げる。
豚肉の香ばしい匂いと、溶けた豚脂の甘い香りが上のフロアまで漂ってきた頃、長く尖ったエルフ耳の家主がキッチンにまで降りてきた。
「おはようございます、アル。今日も可愛いですね。」
どこかふわふわした雰囲気を漂わせた彼女は、翡翠色の瞳を細めて嬉しそうに笑う。
「フィルもおはよう。もう少しでベーコンがカリカリになるからちょっと待ってて。」
フィルミナ・アエリウス《Firmina Aelius》。
数千年を生きるエルフにして、僕とヴェロニカの下宿の主人。
輝くようなプラチナブロンドの髪を背中まで伸ばし、白樺の樹を模した銀の髪飾りでゆるくまとめている。
女性にしては身長は高い方なんではないだろうか。
白く滑らかで透明感のある肌と、柔らかな身体でギュッと包まれると、すごい幸せな気持ちになる。
…でも外に出かけたときも、同じように抱きついてくるのはちょっと恥ずかしいからやめてほしいかも。
「ふふふ。そうしたら、テーブルの準備をしておきますね。」
ハイネックのドレスに、不思議な紋様が刻まれたブローチを首元に輝かせたフィルミナは、革製の編み上げショートブーツをカツカツ言わせながらテーブルに向かう。
1階には立派なダイニング・ルームがあるけれども、僕たち3人は地下のキッチンのテーブルで毎日の食事を取る。
体面としては、フィルミナが主人、ヴェロニカが
フィルミナはマーマレードやバターの入った小壺をテーブルに並べ、ふと鼻歌なんかを奏でている。
ヴェロニカは切り分けたローフを、いつの間にかトーストにしてくれていたようだ。
トースト・ラックに焼き立てのトーストを次々に立てていっている。
そんな様子を横目に僕は手早く、カリッと仕上がったベーコンを大皿に移して、テーブルに運んでいった。
★
「そういえば…」
僕がトーストにバターを塗り、マーマレードを重ねようとしていると、フィルミナが思い出したように話し始めた。
「今朝の新聞にチャーリーが載ってましたよ。合衆国の方で演説したみたいです。」
「父さんが?へぇ、今ヴィンランドにいるんだ。」
僕の父さんは政治活動だなんだで殆ど家に帰ってこない。
亜人の解放運動やいろいろな集会に参加しているみたいだけど、僕にはまだよくわからない。
「あの子もたまにはこちらに帰って来てほしいんですけどね。」
そう言ってフィルミナは嘆息する。
僕の母さんは物心付く前に亡くなってしまい、父さんは年に数回しか会えない。
なので、僕は殆どフィルミナを親代わりにして育ってきた。
彼女はもっと父さんが僕に構ってあげるべきだと思っているみたいだけど、僕としてはそこまで会いたいって感じはしない。
持ってきてくれるお土産はとても楽しみだけどね。
「チャールズさんが最後に帰ってきたのはいつだったかな。」
ヴェロニカが、紅茶に牛乳と砂糖をたっぷりいれながら尋ねる。
…クールな見た目なのに甘党なんだ、彼女は。
「えっと、1年前くらいだったかしら。あの時も半年ぶりくらいに突然帰ってきましたね。」
「そうか…。ずいぶんまた時間が経ったものだ。」
ヴェロニカは少し耳を落とす。
彼女は過去に父さんに助けてもらって、色々と恩義を感じているみたい。
シェパード種の獣人は受けた恩を返さないと気がすまないらしい。
でもなかなか恩に報いる機会が得られなくて、ヤキモキしていると前に聞いた。
カン・カン!
正面玄関のドアノッカーが、素早く2回叩かれた。
郵便の配達員が第1便の配達に回ってきたらしい。
「もうこんな時間か。そろそろ学校に行く準備をしないと。」
急いでトーストを食べ終えて、紅茶をごくごくと飲み干す。
ちょっとのんびり食べすぎたかも。
「ご主人、私が皿を洗っておくから、流し台の方に置いておいてくれ。」
「わかったよ。ありがとう、ヴェル!」
片手に平皿を持ち、もう一方にティーカップとソーサーを持って、僕は立ち上がった。
フィルミナはティーカップを片手に優しく微笑む。
「遅刻しないようにね。いってらっしゃい。」
「いってきます、フィル!」
陶器製の深い流し台に、音を立てないように食器をおいて、屋根裏部屋まで駆け上った。
部屋にはいると、すぐに壁にかかったジャケットを取って羽織り、
父さんのお下がりの
びゅう…
ふと見ると、朝の自分が窓を全開にしたままだったことに気づく。
ちゃんと閉めていかないとな。
そうして窓に近づいて、閉めようとしたその時。
キラン
「…んっ?」
青い空の向こうで何かが光ったような気がした。
なんだろう。気のせいかな。
コォォォォォ
目を凝らして見ていると、光は段々と大きくなっている。
気のせいじゃなかった!
ゴォォォォォォォォォ
その光はどんどん大きくなって、それに伴ってすごい音も響いてくる。
呆気にとられた僕。
この部屋に向かって来ていることに気づいたときには、もう遅かった。
ズドシュガァァン!
その光、───綺羅びやかで神聖な雰囲気の剣、は僕の身体の中心を貫いて、屋根裏部屋の床に突き刺さった。