「ぅわぁっ」
胸がっ、あついぃ、いたい、いた…痛くない?
あれっ、痛くないぞ?
窓から飛び込んできた剣は、確かに僕の身体の中心に向かって飛んできた。
ぶつかる寸前に避けることもままならず、咄嗟に目を閉じることしかできなかったのだが…。
恐る恐る瞼を開き、ゆっくりと自分の身体を確認する。
服は異常なし。
身体もペタペタと胸のあたりを触ってみるが、穴が空いているということもない。
ほっ。よ、良かったぁ~。
一安心すると膝の力が抜け、ぺたんと座り込でしまった。
だけど、よくよく周囲を見渡してみると、かなり酷いことになっていた。
まずは、飛んできた窓の方。
窓枠ごとえぐり取られたように破壊され、外が見える大きな穴が空いていた。
部屋の中もめちゃくちゃだ。
僕が使っていた机も椅子もベッドも、完全に壊れてしまっている。
舞い上がったホコリのせいで、少し煙たい。
そして、後ろを振り返ると…。
勇者の物語から飛び出してきたと言われてももおかしくないような剣が、床に亀裂を作って突き刺さっていた。
各所が金色に輝き、宝石まで埋め込まれた、いかにも神々しく高価そうな見た目の剣だ。
そんな剣──よく見ると鞘に収まっているのだが──が、僕の部屋の中心にある。
もしかして、まだ夢を見ているのかなぁ?
現実を処理できていない僕がポカンとしていると、下の階から駆け上がってくる音が聞こえた。
その足音が屋根裏部屋のあるフロアまで来たのが聞こえたと同時に、僕は廊下に引っ張り出され、庇われるようにムギュッと抱きしめられた。
「ご主人!無事か!?」
ヴェロニカだった。
彼女は琥珀色の目で剣が飛び込んできた穴の方を睨み、犬耳をピンと前方に強く向けている。
隠しきれない殺気が、身体全体から吹き上がっているようだ。
僕の顔はそんな彼女の柔らかな胸に、思いっきり押し付けられた。
「…っぷ。ゔ、ヴェル、ちょっと苦し…」
「静かに!次弾が来るぞ!」
彼女はそう言いながら、自らのスカートの裾を軽く翻し、右脚のロングブーツに仕込まれた鞘から長ナイフを滑らかに引き抜いた。
パロシア軍時代からロングブーツにナイフを仕込んでいる話は聞いていたけれど、実物を見るのはこれが初めてだ。
「アル!怪我はありませんか!?」
続いてフィルミナがやってきた。
そしてヴェロニカの反対側から、またしてもムギュっと抱きしめられる。
Potestas mihi sit
フィルミナが何やら呪文のようなものを唱える。
目線を少し上にすると、フィルミナの翡翠色の瞳が淡く発光しているのが見えた。
そして左手には、光る魔法陣がいくつも重なり合いながらくるくると回転している。
いつもふんわりとした彼女が、これほど明確な怒りを露わにして魔法を行使しようとしているのは、かなり珍しいことかもしれない。
そんな中僕は、殺気立つ二人の柔らかな胸に鼻と口を塞がれて、窒息寸前だった。
ヴェロニカからは石鹸の香りが、フィルミナからは白樺の香りがしてきて、いい匂いだなぁと思っていたのもつかの間、このままだと意識を失っちゃう…。
「…っぱあっ。ちょっと2人ともっ、息ができないよぉっ。」
ジタバタして逃れようとすると、ようやく僕の状況に気づいたのか、2人が少し抱きしめる力を緩める。
「むっ、すまない。」
「あらら、ごめんなさいね。」
だけど、ヴェロニカもフィルミナも臨戦態勢はしばらく崩さないまま、僕のそばを離れない。
僕を含めた6つの瞳は、しばらく周囲をじっと観察していた。
1分はたっただろうか。
最初に口火を切ったのは、フィルミナだった。
「…どうやら、攻撃のようなものは来なさそうですね。わたしの索敵範囲には何も悪意を感じません。」
ヴェロニカもナイフを下ろして、同意した。
「…そのようだ。」
殺気がすんと霧散していく感覚がした。
と同時に、2人の目が僕の方に向く。
「アル、少し身体の様子を見させてもらいますね。」
「そうだ、ご主人。ちょっと服を脱がすぞ。」
「いや…、大丈夫だよぉぉっ!?」
僕の制止も虚しく、手際よくシャツをまくられ、ズボンも下ろされた。
ヴェロニカは外傷がないかを、フィルミナは魔術攻撃の痕跡がないかを探すみたいで、僕は体中を弄られた。
★
「特に身体に異常はなさそうですね。良かったです。」
「うん…、ありがとう。フィル。」
フィルミナは心底安心したように、ニコニコと笑みを浮かべた。
僕の身体は一切外傷もなく、魔術による影響も受けていない、らしい。
…でも、ちょっと恥ずかしかったなぁ。
「それにしても、あの剣はなんだ?なぜこんな物が窓から飛び込んでくる?」
ヴェロニカが周囲をいつも以上に警戒しながら、剣の方を観察する。
フィルミナの魔術探査の結果罠や毒などの危険性がないと分かると、彼女はひとまず剣を床から引き抜こうと試みた。
ヴェロニカの腕力は、獣人でかつ元軍人というのもあって、ものすごく強い。
どのくらい強いかといえば、水道管に使う鉄パイプを、涼しい顔をしてL字型に曲げられるくらいだ。
「ふんっ…。」
だけど、今回ばかりはヴェロニカが顔を歪ませ、青筋を震わせるほど力を入れても、剣は紙一枚分すら動かなかった。
何度か角度を変えて挑んでいたものの、やがて諦めたように息を吐く。
「ここまで力を込めても微動だにしないとは…。だが、しかしこんな物がご主人に当たらなくて良かった。」
ヴェロニカは警戒と安堵が混ざったような声でそう漏らした。
「本当に。アルに怪我がなくて良かったですよ。」
フィルミナも同じように言う。
僕は、剣が空の彼方から屋根裏部屋に飛び込んできたこと、そして僕の身体を貫いたことを正直に伝えた。
前者についてはともかく、後者については身体に一切の傷がないことから、「奇跡的に直撃を避けられたのだろう」と2人は判断したらしい。
確かに身体には何もないから、剣にぶち抜かれたのは勘違いだったのかもしれないな…。
そんな事を考えていると、開いた穴の向こうから聞き覚えのある音が聞こえてきた。
カン!カン!カン!…
キングズベリー初等学校の予鈴の鐘の音だ。
このままうかうかしていたら遅刻してしまう!
突飛な出来事で頭から抜け落ちていたが、僕は学校へ行く途中だったのだ。
「じゃあ、僕、遅刻しちゃうからもう出るね!」
ガシッ
慌ててジャケットを羽織り直し、サッチェルバッグを肩に掛け直したところで、両肩をがっしりと掴まれた。
「待つんだ、ご主人!まだ敵の攻撃が終わったとは限らない。外に出て無防備なところをもう一度狙われたら、今度こそ命を落としかねないぞ!」
ヴェロニカは、これが何者かによる意図的な襲撃だと考えているみたい。
たしかにそうかもしれない。そうかもしれないんだけど…。
「ヴェル、でも…」
学校を休むと、次の小テストが怖い。
今日の分と明日の分を覚えないといけないし、答えを間違えたら先生の鞭が待っている。
暗誦する部分だって友達に聞かないといけない。
小テストの恐怖と、剣の襲撃を天秤にかけたら、僕の心のでは明らかに小テストのほうが重かった。
そのことをヴェロニカに主張しようとしたその時。
パン パン
「まぁまぁ、落ち着きなさい。…そうねぇ、そうしたら折衷案としましょう。」
見かねたフィルミナが優しく手を叩いて、僕たちの注目を集める。
そして僕とヴェロニカの目を交互に見つめながら、とある提案を口にした。
「アルが学校に行く今日1日、ヴェルが護衛として陰からついてあげなさいな。そうすれば、もしまた剣が空から降ってきても、アルを守れるでしょう?」
ヴェロニカは一瞬犬耳を伏せて不満そうにした。
だけど、すぐに「…了解した。」と短く頷いた。
確かに、ヴェロニカが近くにいてくれるなら何が起きても安心だ。
ともあれ、フィルミナのおかげで助かった。
これで小テストのときに先生に目をつけられる心配もなくなる。
僕はヴェロニカの手を取り、駆け出した。
そして階段に向かいながら、フィルミナへ向けて大きく手を振る。
「じゃあ、今度こそいってきまーす!」
僕たちは急いで階段を駆け下りた。
★
「いってらっしゃい。」
フィルミナは、慌てて階段を降りていくアルフレッドとヴェロニカの背中を、微笑ましく見送った。
そして、静かになった屋根裏部屋で、フィルミナはゆっくりと剣に歩み寄る。
大きく空いた穴から穏やかな風が流れてきて、彼女の美しいプラチナブロンドの髪を揺らす。
翡翠色の瞳を細め、輝く剣の紋様を、細く白い指先でそっと撫でながら、自らの首元のブローチに手を伸ばす。
「まさか…ね?」
ぽつりと独り言を漏らしながら、彼女の脳裏には、遥か昔の古い記憶がおぼろげに浮かんでいた。
「…ふふ。」
ためしに細い手で柄を握り、軽く持ち上げてみようとしてみる。
やはり、ピクリとも動かない。
ヴェロニカですら動かせなかったのだから当然だ。
フィルミナは困ったように可愛らしく首を傾け、苦笑いを浮かべた。
「少し詳しく調べてみないといけませんね。」
──その前に、この部屋のお片付けと、階下に集まってきたご近所さんたちの対応をしなくては。
フィルミナは気を取り直すと、せかせかと階段を降りていった。