侑が人でなし
試合終了後、応援団の待つギャラリー席へ一礼を済ませた稲荷崎高校は、ひとまず各々の感想を言い合いながら、張り詰めていた筋肉を緩めていた。
初戦の完勝とはいえ、全国大会特有の疲労感は確かに残っている。この日の稲荷崎の試合は、もうすべて終了していた。あとは全員で大型バスに乗り込み、ホテルへ帰るだけの、どこか解放感のある短い空き時間。
乾いた喉を潤すため、久留部と侑の2人はスポーツバッグを肩にかけ、体育館の自動販売機コーナーへ向かっていた。
遠くから聞こえる他のコートのホイッスルをBGMに歩いていると、白を基調とした梟谷学園のジャージを着た2人組が、先客として並んでいるのが見えた。
「あ! 久留部じゃん!!」
振り向くなり、木兎光太郎が自販機のボタンを押す手を止めて大声を張り上げた。その隣には、端正な無表情を崩さない2年生セッター、赤葦京治が静かに佇んでいる。
*
赤葦京治は、久留部の隣に立つ金髪の男──宮侑の、値踏みするような視線に気づいた。
表情こそいつも通りの無表情を保っているが、その内心ではひどく困惑している。
(……めちゃくちゃ見られてるな)
全国でもその名を知らない者はいない、同学年の天才セッター。おそらく、自分が同じポジションであるからこそ、その技量を測ろうと執拗に気になっているのだろう。
前評判通りの、鋭く、そしてどこか獰猛な眼差しだった。コートのすべてを支配しようとする貪欲なセッターとしての本能が、その瞳の奥でギラギラと燻っているのが分かる。そう結論づけたところで、こちらの脳内を隅々まで透かそうとするような、突き刺さる視線が弱まるわけでもない。視線だけでこちらの呼吸を狂わせに来るような、強豪・稲荷崎のセッターが放つ独特の圧迫感。凡百のプレイヤーなら、それだけで気圧されて目を逸らしていただろう。
(……俺は別に、喧嘩を売ってるわけじゃないんだけどな)
赤葦は余計な言葉を一切口にせず、ただ静かに、その切れ長の瞳で宮侑を見返した。
*
「久留部、試合どうだった? あ、やっぱり勝ったんだ。さすが稲荷崎!」
木兎の能天気な問いかけに、久留部は「まぁ、そうです。」と苦笑交じりに答えた。すると、赤葦が静かに一歩前に出て、久留部に向けて律儀に頭を下げた。
「久留部、さっきは迷子の木兎さんをわざわざ送り届けてくれて、ありがとう。助かったよ」
「いや、お礼言われるほどのことやないって。俺も普通にがっつり迷子やったから……」
「はぁあ!?」
控えめなトーンで謙遜した久留部の背中で、赤葦を見ていた侑が待ってましたとばかりに叫び声をあげた。
「お前、やっぱり迷子やったんか! 高二にもなって全国の会場で迷子て、何歳や!」
「お前に言われたくないわ。高二にもなって、遠征先のホテルのベッド破壊するほどの枕投げする奴がどこにおんねん。お前ら双子こそ精神年齢幼稚園児やろ」
「あれはサムが本気で投げてきたから──!」
同級生同士のいつもの小競り合いが始まろうとしたその時、侑の目が再び赤葦へと向けられた。
高校バレー界のトップを走る宮侑からすれば、あの木兎光太郎という圧倒的な選手のポテンシャルを引き出している、同じ2年生の赤葦には以前から並々ならぬ興味があったのだ。
侑は財布を手に、
「……それにしても、梟谷のセッターくんは大変やなぁ。俺やったらスパイカーの機嫌伺うだけで息詰まってまうわ。ほんま、甲斐甲斐しいわ」
初対面の相手に対して、思ったことを無防備にポロッと口にしたようなに見えて、その実、相手の出方を測るためにあえて投げかけた確信犯的な嫌味。同じ2年セッターとしてのプライドを綺麗に逆撫でするような、侑なりの底意地の悪い煽りだ。タメだからこそ、その言葉のトゲは遠慮なく突き刺さる。
久留部が
「勝てるシステムを機能させるのが、セッターの仕事だからね。うちのエースは、立てれば確実に勝てる。それ以上に効率の良い戦術が他にある?」
「……ふ〜ん」
感情論ではなく、「勝つための最も効率的な論理」として完璧な正論を突きつけられ、侑はそれ以上言葉が続かず、どこか悔しそうに視線を逸らした。
「木兎さん、オレンジでいいですか?」
「おう! オレンジ!」
赤葦はそれ以上侑を見ることなく、木兎にジュースを手渡すと、「それじゃあ、お疲れ様」とだけ残して、白いジャージを翻して自販機コーナーを去っていった。
後に残されたのは、ガタガタと落ちてきたスポーツドリンクの缶を掴んだまま、口をへの字に曲げている稲荷崎の天才セッターだけだった。
「……ぷっ、あはははは!」
梟谷の2人の背中が見えなくなった瞬間、久留部は堪えきれずに大爆笑した。
「侑、自分から仕掛けたくせに、あんな知性あふれるド正論返されて何も言えてなかったな! 『ふ~ん』って何やねん、完全に論破されとるやんけ!」
「うるさいわ久留部!! なんやねんあいつ、澄ましたツラしてクソ生意気やな……!」
侑が悔しそうに缶のプルタブをバチィン!と開ける。久留部は笑いながらジュースを一口すすると、先ほどの一瞬の火花を思い出し、ニヤニヤした笑みを侑に向けていた。
2人はひんやりとした薄暗い空間を抜け、再び熱気の残るロビーへと戻った。巨大なガラス窓の外には、夕闇に沈みゆく富山の街並みと、オレンジ色の残光に照らされた立山連峰の険しいシルエットがどこまでも美しく広がっている。だが、隣の宮侑の頭の中だけは、赤葦の涼しい顔で埋め尽くされているらしかった。
「思い出すだけで腹立つ……あいつ絶対、私生活でも人のこと舐め腐っとるで……」
道すがら、ジュースの缶を握りつぶしそうな勢いでブツブツと呪いの言葉を吐き続ける侑に、久留部は「え、何言うてんの?自己紹介しとる?」と煽りながらも、心の中ではすでに別の企みを完璧に組み立てていた。
(──よし。これは集合したら、即刻あいつらに全てを赤裸々に語ったたる。侑のドヤ顔からの玉砕劇、あいつら大好物やからな)
集合がかかり、夕方の重い空気を切り裂くようにして走り出した大型チャーターバス。補助席までバレー部の荷物でギチギチに埋まった車内へ乗り込むなり、久留部は侑の目を盗んで、隣の座席にいた角名と治と銀島の肩をそっと叩いた。
「なぁ、治、銀、角名。ちょっと耳貸して」
不穏で、けれど最高に楽しげな久留部の囁き声。
その瞬間に、角名の切れ長の目が「獲物を見つけた」と言わんばかりの怪しい光を宿したのを、久留部は見逃さなかった。夕闇に溶けていくバスの窓に頭をべったりと打ち付け、「あー、クソっ!」と一人で悶絶している侑の背中を見つめながら、久留部は炭酸ジュースの最後のひと口を飲み干した。