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「しあーす」
ガチャと部室の扉が開く。滑り込んできた久留部の額には、薄い汗が滲んでいた。
「お、やっと来たか。なんや、遅かったな」
練習着に着替え終えた治が、振り返って久留部を見る。
「南階段の清掃担当やってん。あそこから部室まで、地味に距離あるから堪えるわ……」
「あー、遠いよな。」
治は同情を口にしながら、手慣れた手つきでスクイズボトルにスポーツドリンクの粉末を落とし、ジャグの冷水を一気に注ぎ込んだ。
放課後の部室には、西日のオレンジ色と制汗スプレーの匂いが混ざり合っている。ハンガーがパイプに擦れてカチカチと乾いた音を立てる中、部室の奥からガサリと大きな紙の擦れる音が響いた。
「お前ら、丁度ええところに揃ったな。インターハイの予選トーナメント表、さっき監督から渡されたで。」
3年生のリベロ、赤木がA3サイズのプリントを掲げる。
「お、初戦の相手、どこになりました?」
制服を脱ぎながら、久留部が赤木の手元へ視線を向けた。
「和歌山代表や。粘り強いディフェンスが持ち味のチームらしいわ」
赤木がプリントを壁にピンで留めると、部室の空気は一瞬にして切り替わった。無数の線の先に、全国の強豪たちの名前が整然と並んでいる。
「へー…。和歌山か」
「なぁ赤木、シードはどんな感じになっとる?」
尾白が、赤木の肩越しにトーナメントを覗き込む。
「第一シードが井闥山。第二が狢坂。で、第三シードが
赤木が指差す先には、堂々たる文字で稲荷崎の名前が刻まれていた。
インターハイのシードルールは過酷だ。最上位である第一シードの井闥山だけは、初日の予選グループ戦を完全に免除され、決勝トーナメントからの出場となる。対して、第二シード以降のチームは初戦を戦わねばならない。ただし、ここで確実に勝ち上がることができれば、その後の決勝トーナメントの第一試合が免除されるという、大きなアドバンテージが約束されていた。
「まぁ、一回勝てば決勝トーナメント行き確定だし? うちにとっては通過点みたいなもんでしょ」
角名が何でもないことのように淡々と言い、練習用のソックスを引き上げる。そのクールな佇まいは、全国3位という看板の重さを微塵も感じさせない。
「本番はそっからやなぁ」
尾白が少し声を落として呟く。すると、金髪を揺らした侑が不敵に口元を歪めた。
「誰が相手でもええ。優勝するには、どうせ全部倒さなあかんねん。」
侑の瞳には、全国制覇を見据えた闘志が宿っていた。
「…それはそうやな。」
練習着に袖を通しながら、久留部も静かにその言葉に同意した。誰も口にはしなかったが、その場にいた全員が見据える先は、同じだった。
着替え終えた久留部は、壁のトーナメント表から視線を外し、自分の手のひらをそっと開閉させた。
まだ見ぬ和歌山代表、その先に蠢く、狢坂や井闥山という怪物の影。
(──ついに、始まるんやな。全国が)
胸の奥で、プレッシャーと高揚感が静かに火花を散らし始めていた。
*
今日の練習は、いつもより一段と過酷だった。インターハイを見据えたサーブ強化期間。通常のメニューに加え、自重での筋力トレーニングと体幹を酷使するメニューに長い時間が割かれた。その後、狂ったように何本もサーブを打ち続ける。床を蹴るたびに、全身の筋繊維が悲鳴を上げるような感覚があった。
練習後、西日が完全に落ちた部室には、重い疲労感と湿った熱気が充満していた。各自がプロテイン入りのスクイズボトルを飲み干し、汗を吸った練習着を剥ぎ取るように脱いでいく。
「あー……来週、もう東京遠征やんなぁ」
久留部が椅子の背もたれにぐったりと体重を預け、天井を見上げながらぼやいた。
「なんでこのクソ暑い時期にわざわざ行くんやろな。去年もこのタイミングで行った気がするわ」
侑が不満げに首の汗をタオルで拭う。隣で、制服のシャツに袖を通していた角名が、淡々と推測を口にした。
「あえてじゃない? インハイ前に高校の強豪とやっても手の内明かすだけだし、東京の大学の胸を借りに行くんでしょ。現場の空気に早く慣れる意味もあるだろうし」
「大学生のパワーと高さに慣れとけば、高校生相手はちょっと楽に感じるやろ」
銀島がサポーターをバッグに放り込みながら言う。
「せやな……」
久留部が力なく返事をすると、角名がその様子をじっと見つめ、少し意地の悪い笑みを口元に浮かべた。
「久留部は、本番の初戦ガチガチだもんね。環境に慣れるの、一番時間かかるでしょ」
「うっさいわ! 慣れるまでほんの少し、最初の数ラリーだけ時間かかるだけや!」
痛いところを突かれた久留部が気まずそうに声を荒らげる。そこへ、着替えを終え、上履きをトントンと床に打ち付けている治が追い打ちをかけた。
「だとしても、お前はちょっと緊張しすぎや。普段それだけ上手いんやから、本番もビシッとせい」
「……うっす」
治の正論に、久留部はぐうの音も出ずに視線を落とした。自分の「本番の脆さ」は自分が一番よく分かっている。だからこそ、練習を重ねるのだ。角名がスポーツバッグのポケットからスマートフォンを取り出して、スケジュールアプリを開いた。
「移動、新幹線だよね。新神戸の集合時間、絶対遅れないようにしないと」
「特にそこの双子な。朝から足引っ張り合って遅れるとか、マジで洒落にならんからな。」
久留部が警告すると、治は他人事のように鼻で笑った。
「いざとなったら、ツムだけ置いていくから大丈夫やで」
「おい、なんで俺が遅れる前提になってんねん!」
「遅れる時は大体侑やからな。去年の遠征のときも、切符なくして大騒ぎしたやろ」
過去の苦い記憶を呼び起こしながら、銀島が冷静にツッコむ。侑は顔を真っ赤にして言い返した。
「うるさいわ! バレーに関しては安心せい!」
「まあ、それやったら安心やな。」
久留部は小さく笑って、スポーツバッグのファスナーを閉めた。
遅刻癖や忘れ物はあっても、バレーだけは別だ。
侑がボールに向ける熱量だけは、誰も疑っていない。
負けられへんな。そう胸の中で呟きながら、久留部も静かに部室をあとにした。
「き」と「く」で銀島くんと久留部くんは主席番号連続だと思ってる。