次からIH回始まります。
今回は東京。何歳になっても、高い建物を見るとテンションが上がります。
「あーーーー……っ」
ホテルへ向かうバスの車内、宮侑の魂が抜けたような絶望の呻きが、冷気の中に溶けて消えた。
「大丈夫かー、侑。顔、真っ白やぞ」
「あんなに大口叩いて、俺らを大貧民にするとか言うてたのにね」
治が心底嬉しそうな顔でドリンクを啜り、角名が冷ややかな視線で追い打ちをかける。大富豪の罰ゲームは、結局荷物持ちから全員に好きなお菓子を一つずつ奢るという悪魔のルールへ変更されていた。遠慮という言葉を母親の腹の中に忘れてきた男子高校生たちだ。容赦なく新幹線の車内販売や駅の売店で、高価なチョコや大袋のスナック菓子を侑の財布に叩きつけた。結果、侑の出費は計二千円。高校生にとっての二千円は、文字通り血の滲むような大金だった。
ホテルに到着し、そのままチェックインを済ませる。押し込まれた客室のベッドの上で、久留部はさっそく侑に買わせたプラスチックのボトルをカチカチと鳴らしていた。
「あー……やっぱこれや。これに限るわ」
カリ、と小気味よい音を立てて白い粒を噛み砕く。
「久留部のやつが、一番良心的な値段やったわ……。二千円の損害のうち、お前だけやぞ百円ちょっとで済んだん」
隣のベッドで財布の残金を数えながら、侑が恨めしそうに愚痴をこぼす。
「ラムネは何個あってもええんや。ブドウ糖は脳のエネルギーやからな」
久留部はけろりと言い放ち、ボトルの口から5粒ほどのラムネを手のひらに出すと、一気に口の中へ放り込んだ。カリカリと小気味よい音がツインルームの部屋に響く。
「……なぁ、何時集合やっけ?」
ベッドのマットレスの沈み込みを感じながら、治が仰向けのまま問う。
「十分後に荷物持ってロビー集合。大学のバスが迎えにくるらしい」
「さんきゅ」
お察しの通り、バレー部の2年レギュラー5人は全員同じ部屋に放り込まれていた。エキストラベッドを詰め込んだ臨時の大部屋とはいえ、全員が百八十センチを超える大柄な体躯だ。5人が一堂に会すると、さすがに視覚的な圧迫感は否めない。部屋の隅には、スポーツバッグが山のようにつみ上がっていた。
「とりあえず、移動日の自由行動でどこ行くか今から決めとこ。俺は浅草と、やっぱり押上がええな」
久留部がラムネのボトルをポケットにしまいながら、東京の路線図が載ったプリントを広げる。
「まだ先でしょ? 自由行動は遠征の最終日だよ。あと丸2日は、大学生との地獄の練習試合があるんだけど」
荷物の整理をしていた角名が、現実を突きつけるように冷淡に呟いた。
「今のうちから決めといた方がモチベーション上がるやろ! 餌は先にぶら下げとくもんや!」
「そお?」
*
大学生との練習試合は、想像以上に彼らの肉体とプライドを削り取る二日間となった。高校バレーとは明確に階層の違う、圧倒的な高さと、無慈悲なまでの速度。そして、何より地響きを伴うような暴力的な力強さ。
久留部が完璧にタイミングを合わせて跳んだはずのブロックは、上空から容易く指先を吹き飛ばされ、銀島や尾白の放つ強打は、編み目のように統率された大人のディフェンスに何度も打ち砕かれた。それでも、稲荷崎は決して視線を下げなかった。侑の執念に満ちたセットアップが、限界のその先で怪物の牙をさらに鋭く研ぎ澄ます。勝ち星こそ多くは得られなかったものの、張り詰めたラリーの応酬の中で、彼らは確信していた。自分たちの磨き上げてきた武器は、全国のその先、大人の領域にさえ手が届くのだと。同時に、現在の精度だけでは決して越えられない、分厚い壁の感触をその手のひらに焼き付けていた。
遠征最終日。地獄の二日間を乗り越えた彼らを迎えたのは、抜けるような夏の青空と、待ちに待った自由時間だった。場所は一転して、東京の新たなランドマークとして端麗なシルエットを天空へと伸ばす、スカイツリーを望む押上の街。それぞれの個性が滲む私服に身を包んだ男子高校生たちは、完全にバレーの緊張感から解放されていた。駅の長いエスカレーターを上り、地上へと出た瞬間、巨大な鉄骨のタワーが視界を覆い尽くすようにそびえ立っていた。
「うおー、見てやサム、高すぎててっぺん見上げたら首折れそうやわ!」
侑がカメラを構えてのけ反り、観光客の波の中で大はしゃぎしている。先んじて訪れた浅草の雷門からここへ至るまで、彼らの道中は言葉通りの大食い劇と化していた。
「治、お前それ何個目の人形焼や。まだ片手にみたらし団子も持っとるやないかい」
「アホ、美味いもんは美味いうちに食うのが礼儀やろ。浅草の匂いは反則や。東京は誘惑が多すぎんねん」
治は両手の食べ物を器用に交互に口へ運び、凄まじいペースで胃袋へ収めていく。その横で、角名はまるで獲物を狙うスナイパーのような鋭さで、スマートフォンの画面を見つめていた。
「角名、お前写真撮るの多すぎへん? 十歩歩くごとにシャッター切っとるやろ。ソラマチ入ってからずっと画面越しにしか景色見てへんやん」
「だって面白いじゃん。ほら、銀島、その顔キープして。ツリーを背景に揚げ物を敷き詰めるから」
「え、俺!? ちょ、待てや角名! せめて一枚くらい格好良く撮ってや!」
画面に収められた銀島は、両手にメンチカツやジューシーなコロッケなど、おびただしい数の茶色い揚げ物を抱えていた。スカイツリーの洗練された近未来的なデザインと、銀島のローカルな揚げ物の対比が実におかしい。
「銀、お前さっきから揚げ物ばっかりそれだけ食べて、帰りの新幹線で胃もたれしても知らんで? 確実に新神戸に着くまでに腹壊すわ」
「大丈夫や、俺の胃袋の根性をなめんな! 旅の恥はかき捨てちゅうやろ!」
「久留部こそ、さっき浅草で巨大なクレープ平らげた後にソラマチであんみつ食って、今は限定の抹茶パフェの看板探してるじゃん。胃もたれしないの? お腹大丈夫?」
呆れたような角名の指摘に、久留部は不敵に笑った。
「自分の体のことは、自分が一番理解しとるから大丈夫や。激しいブロック跳んだ後のご褒美として、このパフェの糖分は計算内やからな」
「あそう、なら良いけど。じゃあ、次あっちの和菓子屋の限定大福も付き合ってよ」
「乗った。限定の響きには勝てんわ」
2人でスマホの画面を突き合わせ、完全にJK のノリで東京の最新スイーツ事情を網羅していく。
そんな賑やかな悪ノリの最中、お土産物屋の暖簾の向こうから、見慣れた、けれど私服姿という違和感を伴った一団が姿を現した。
3年生たちだった。
「お、2年、奇遇やな。お前らもこっち来とったんか」
尾白が大きな手を振る。その中央、いつも通り端正で無駄のない私服に身を包んだ北が、クレープのクリームを鼻の頭につけた侑の顔を見て、ふっと目元を和らげた。本当に、ほんのわずかに、氷が溶けるような優しい微笑みだった。
(──北さんが、笑った……!!!)
2年レギュラー5人の脳内で、驚天動地の叫びが綺麗にユニゾンした。あの鉄の規律の権化が微笑むという、歴史的瞬間に立ち会ってしまった恐怖と感動。
「……残り時間、まだあるな。せっかくやし、一緒に回るか」
北のその一言により、何故か3年生と2年生が合同で東京の街を練り歩くことになった。流れ着いたのは、大型駅の近くにある喧騒に満ちたゲームセンターだった。
「よっしゃ、乱獲や!!」
侑の号令とともに、稲荷崎の怪物の運動能力が、クレープ屋とは別の意味でアウェイなクレーンゲームの筐体へと注ぎ込まれた。
「角名、お前それ一発で取るんか!? えぐっ!」
「アームの重心と、景品の三重点を見れば簡単だよ」
角名がクールな顔で限定の特大ぬいぐるみを次々と仕留めていく。しかし、それ以上に周囲を戦慄させたのは、物静かに筐体の前に立った主将だった。北は狂いのない精密なステップでレバーを操作し、ボタンをワンタップ。機械の癖を完全に見切ったかのような無駄のない動きで、アームが景品を的確に捉える。
「……北さん、バケモノか……」
治が思わず敬語を忘れて呟くほど、北のクレーンゲームの腕前は職人の域に達していた。結果、稲荷崎男バレの足元には、業者の在庫処分かと思われるほどの特大ぬいぐるみの山が築き上げられた。乱獲しすぎて、危うく店員から出禁を言い渡されそうなほどの盛況ぶりだった。
「久留部、これ。お前にやるわ」
ぽんと久留部の腕の中に押し付けられたのは、北が完璧なアーム操作で仕留めた、有名なポケットなモンスターのキャラクター黄色い電気ネズミの特大ぬいぐるみだった。
「え、北さんが取ったやつ、俺が貰ってええんですか……?」
「俺が二つ持っとってもしゃあない。持って帰り。」
北の正論(?)に、久留部は「有り難く頂戴いたします……!」と、家宝を守るように電気ネズミを抱きしめた。
ひとしきり騒ぎ尽くし、両手いっぱいの戦利品とお土産を抱えて、東京遠征はすべての行程を終了した。帰りの新幹線、西日に向かって走る車内。2列に並んだ座席では、3年生も2年生も、泥のように眠りこけている。久留部は、膝の上に置いた電気ネズミの頭にそっと顎を乗せ、窓の外に流れる夏の終わりの景色を見つめていた。
手のひらには、大学生の重い強打の感触がまだ微かに残っている。楽しかった放課後の味。大人の高さ。北さんの微笑み。
すべてをこの夏の記憶として抱きしめたまま、稲荷崎高校バレーボール部は、ついに本番──夏のインターハイのコートへと、その牙を剥き出しにして突き進んでいく。
さあ〜て来週の稲荷崎はー?
久留部迷子
ツインズ死す
コミュ力が全て
の三本です!お楽しみに〜