インターハイ
高校の敷地内に、チャーターされた大型バスが重いエンジン音を響かせて滑り込んできた。遠征カバンをトランクに積み込み、部員が次々と車内へ乗り込んでいく。
いよいよ、夏のインターハイ本番。目的地は、富山県だ。数時間の移動を経て、窓の外に立山連峰の雄大な稜線が見え始める頃、バスは部員たちの宿泊先となるホテルへ到着した。
「あんま、部屋ではしゃぐなよ」
バスを降りる際、北が静かに釘を刺し、2年生たちは揃って「はい!」と威勢よく返事をした。だが、所詮は男子高校生である。イレギュラーな場所、全国大会という非日常の熱量を前にして、静かに爪を研いでいられるわけがなかった。
部屋は、例によって2年レギュラー5人の部屋。チェックインからわずか1時間後、侑と治のくだらない口喧嘩から発展した枕投げは瞬く間に過激化し、鈍い衝撃音とともに、ホテルの頑丈なベッドのフレームがバキッと無残な音を立てて破壊された。
──当然、怒られる。部屋の扉が開く。備品チェックに来た監督、そして無表情の北が立っていた。部屋の隅で、正座をさせられたまま魂の抜けた顔で説教を喰らっている双子。
それを遠巻きに眺めながら、久留部、角名、銀島の3人は「完全な自業自得
*
翌日の開会式は、全国の猛者たちが一堂に会する独特の威圧感に満ちていた。磨き上げられた体育館の床に、各都道府県の看板を背負った厳つい体躯の男子高校生たちが整然と列をなす。その中には、去年の全国大会で鎬を削ったライバルや、バレー雑誌の特集で何度も見かけた有名な顔ぶれがいくつもあった。
張り詰めた緊張感の中での開会式が静かに終わり、夕方、彼らは再び宿泊先のホテルへと戻った。大浴場で汗を流し、大部屋での晩飯を済ませた後、稲荷崎高校バレーボール部の戦いの準備が始まる。照明を落とした薄暗い大部屋。フロントに置かれたテレビモニターの青白い光が、レギュラー陣の真剣な表情を照らし出していた。
画面に映っているのは、一回戦の対戦相手である和歌山県代表の、県予選決勝のビデオだ。
「……ここのレフト、ブロックが2枚ついても強気にストレート打ってくるな」
尾白が、顎に手を当てて画面のスパイク軌道を鋭く見つめる。
「和歌山は一発の大砲はおらんけど、とにかくレシーブの返球率が高いわ。コンビもかなり手慣れとる。……なぁ久留部、このローテーションの時、相手のミドルがどう動いとるか分かるか」
監督に静かに促され、久留部は画面を凝視したまま、理詰めの思考を巡らせた。
「はい。セッターはレシーブが大きく割れても、躊躇なく速攻を選択します。ミドルはブロックをサイドへ散らすために、わざと斜めの助走を取ってますね。……うちのブロックが一歩でもサイドに流されたら、中央がノーマークで抜かれます」
「その通りや。リードブロックの徹底。トスを見る前に、自分の直感だけで跳んだら、その瞬間に網の目を破られると思え」
監督の言葉に、久留部だけでなく、隣に座る角名や宮兄弟も無言で深く頷いた。全国大会という大舞台の初戦。どれほど格下と目される相手であっても、稲荷崎のデータ収集と指導陣の対策は抜かりはない。
相手の得意なコンビネーション、レシーバーの守備位置、セッターの配球の癖──。それらをビデオを通して、頭へと叩き込んでいく。
モニターの電源が落とされ、部屋に再び明かりが灯ったとき、2年生たちの瞳からは先日までの枕投げの浮ついた熱が完全に消え去っていた。各自が部屋に戻り、これからの試合への怯えを孕んだ期待を胸に、静かに眠りについた。
**
そして迎えた、大会初日。朝からの公式アップのために会場へ入った稲荷崎高校。
熱気とシューズの擦れる音が反響する大型体育館の一角で、久留部はふぅと息を吐いた。
「ちょっとトイレ行ってきまーす」
侑たちにそう声をかけ、軽い足取りでコートを離れる。しかし、巨大な県立体育館の構造は、想像以上に入り組んでいた。通路を2回曲がったあたりで、久留部は眉をひそめる。比較的、体育館という建物は分かりやすい構造をしているはずなのだが、その「どこを見ても同じに見える白塗りの壁と灰色の扉」が、逆に仇となった。
──あれ。ここ、どこや。
自分がどこから歩いてきたのか、完全に分からなくなった。心臓の奥から、ブワッと冷たい汗が噴き出すような感覚。スマートフォンの類いはすべて自分のバッグに入れて置いてきてしまった。流石にこの年齢になって、全国大会の会場で迷子になるわけがないという、根拠のない慢心があったからだ。
(アカン。……よし、分からんときは人に聞くのが一番や)
焦りを押し殺し、通路の向こうから歩いてくる白いジャージを着た人物に目を留める。その特徴的な、フクロウを思わせる白黒の髪型を見た瞬間、久留部は息を呑んだ。東京代表・梟谷学園の五本指のエース、木兎光太郎だった。
「あの、すみません」
「ん? なんだぁ?」
恐る恐る声をかけると、木兎が大きな目をパチクリとさせて振り返る。
「第二通路って、どっちか分かりますか?」
「わかんない! 俺もちょっと迷ってるんだよね! 東階段ってどこらへんか分かる!?」
満面の笑みで返ってきたあまりにも堂々とした回答に、久留部は心の中で(あ、この人ダメな方の人や)と、自分の迷子を完全に棚に上げて確信した。
「ええと……じゃあ、俺も迷子なんで、一緒に誰か人に聞きますか」
「おう! そうしよう!」
「あの、木兎さん……ですよね?」
「そう! お前は? なんか見たことあるなー!」
「稲荷崎の、久留部です。ミドルやってます」
「あ! 知ってた! 去年の全国で戦ったやつだ!」
廊下の端で、妙にテンションの高い自己紹介を済ませる。
この世は結局のところ、コミュ力の高い人間が強い。
「あ! ウシワカじゃん!!」
木兎が突然、通路の先を指差して大声を張り上げた。その視線の先、王者の風格を纏って歩いていた三本指のエース──白鳥沢学園の牛島若利が、声に気づいて足を止める。鋭い視線が、こちらの2人を射抜いた。
「木兎と……久留部か」
(俺んこと知っとるんや、この人……)
全国三本指のエースに名前を覚えられていたことに、久留部は内心で驚きつつも、「はい、久留部です」と会釈をした。
そして、背に腹は代えられないとばかりに問いかける。
「あの、牛島さん。第二通路と東階段って、どこか分かりますか?」
「迷っているのか」
「そう!!」
「はい、がっつり迷子です」
「マップを持っている」
牛島がジャージのポケットから、綺麗に折り畳まれた館内マップを取り出した。
「キューセイシュだ!!」
木兎が能天気な声で万歳をする。近くに圧倒的な天然が2人もいると、人間は嫌でも真面目になるという法則でもあるのだろうか。あと、他校の先輩という事もあり、普段のお気楽なノリはどこへやら、久留部は至って真剣な顔で、牛島が広げたマップを覗き込んだ。
「あ、ここか……」
現在地を確認すると、案外自分たちのいるところから離れていないことに胸を撫で下ろす。
「ん? どうなってるんだ、これ……? 俺の東階段はどっちだ?」
木兎はマップの上下すら理解していないようで、首を傾げている。
「……方向同じみたいなんで、俺が送っていきましょうか?」
地図を理解した久留部がそう言うと、牛島がマップを畳みながら口を開いた。
「俺も行こう」
(いや、時間とか大丈夫なんかこの人たち。一応2人ともキャプテンやんな? なにやっとんねん、こんなところで)
久留部は心の中でツッコミを入れつつ、思った疑問を口にした。
「てか、牛島さんはなんでこんな通路におるんですか?」
「……監督に、アップ場所の下見を頼まれたんだ」
「そっすか……」
なんだかんだで、3人でゾロゾロと歩き、まずは梟谷のエリアへと到着する。
「あ、 木兎帰ってきた!」
「木兎さん、どこ行ってたんですか!」
姿を見せた瞬間、梟谷の部員たちが一斉に集まってくる。その光景に、久留部は愛されてんなぁ、この人と小さく笑った。
「ありがとな! ウシワカ、久留部! また、試合でな!」
木兎が大きな声を響かせて手を振る。
「はい、また」
「あぁ。コートで会おう」
久留部と牛島がそれぞれ答え、その場を離れた。歩きながら、久留部は隣の巨躯を見?。
「牛島さん、ありがとうございました。助かりました」
「あぁ。また、試合で」
「はい」
ようやくアップ場所へと戻ってきた久留部を、金髪を揺らした侑が形相を変えて出迎えた。
「久留部! どこおったんや! もうすぐコート入るぞ!」
「悪いって。ちょっと……館内を探検しとったんや」
久留部が視線を逸らしながら言い訳を口にすると、後ろから角名がジロリと切れ長の目を向けた。
「……探検? 迷子ってこと?」
「いや、別に……そういうわけでは……」
徐々に声が小さくなり、自信なさげに指先をいじる久留部。その様子を見て、銀島が確信を突く。
「迷子やったんやな」
「そうやけど! 悪かったな! 悪気はなかってん!」
観念して開き直る久留部に、治が荷物をまとめながら呆れたように鼻で笑った。
「高校生にもなって迷子かいな。お前、自分のことは自分が一番理解してるとか言うてたんは何やったんや」
「それはそれ、これはこれや!」と久留部が顔を真っ赤にして言い返す。くだらない2年生の小競り合い。けれど、そのやり取りが、久留部の胸の奥にあった「全国」へのガチガチの緊張を、綺麗にほぐしてくれていた。
手に巻いたテーピングの感触を確かめながら、久留部は昨日、宿舎のミーティングルームで全員で頭に叩き込んだ相手のデータを脳裏に蘇らせていた。
相手のプレースタイルは、絵に描いたような全員バレー。一発の強力な大砲はいないが、レシーブの粘り強さは全国でも上位に入る。そして何より、セッターを中心とした変幻自在のコンビネーションが武器だ。
相手のローテーションと、監督の言葉が思考の真ん中を走る。
相手の退路を、一本ずつ、網の目を絞るように丁寧に潰していく。それが、久留部自身の存在意義だ。データを反芻するうちに、緊張で乱れていた呼吸は完全に静まり、頭の中は冷徹なまでのクリアな戦術論で満たされていく。
「──行くで」
ドン、と空気を震わせるような重みのある一言。振り返ると、主将の北がすでに臙脂色の稲荷崎のジャージを脱ぎ、ユニフォーム姿になっていた。その背中に引っ張られるように、稲荷崎の全員が、一斉に立ち上がる。
体育館の巨大な空間を包み込む、地鳴りのような大歓声。そして、吹奏楽部の演奏。
熱気と、プライドと、怪物の執念が交錯する夏のインターハイが、今、幕を開ける。
和歌山県代表・紀伊南工業高校
VS
兵庫県代表・稲荷崎高校
──ピーーーーーッ!!!試合開始を告げる無慈悲なホイッスルが、上空に高く響き渡った。
アニメの稲荷崎の「ブロック3枚⤴︎」が好き。