【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
アイが目を覚ました直後、アクアは安堵する間もなく、すぐにベッド横にあるナースコールへ手を伸ばした。
震える指先でボタンを押す。
ピッ
短い電子音が静かな病室に響いた。
「アイが目を覚ましました」
アクアが受話器越しに落ち着いた声で伝える。
「分かりました。すぐに向かいます」
返事が聞こえると、アクアは受話器を戻した。
病室には再び静寂が訪れる。
アイはまだ少しぼんやりとした表情で天井を見つめていた。
麻酔の影響は完全には抜け切っておらず、意識ははっきりしているものの、体は思うように動かない。
それでも、隣に立つアクアとルビー、そして斎藤とミヤコの姿を見つけると、安心したように小さく微笑んだ。
「……みんな」
その声を聞いたルビーは、もう一度涙が溢れそうになる。
「ママ……」
アクアも何も言わず、小さく頷いた。
数十秒後...
コンコン、と軽くノックが鳴る。
「失礼します」
病室の扉が開き、担当看護師が入室した。
その後ろから白衣姿の悠真も静かに姿を現す。
「目を覚まされましたか」
悠真は穏やかな笑みを浮かべながらベッドへ近付いた。
アイも悠真の姿を見ると、少しだけ上体を動かそうとする。
「そのままで大丈夫ですよ」
悠真は優しく声を掛けた。
「まだ手術直後ですから、無理に動かさないでください」
「……はい」
アイは小さく頷く。
そして少し照れくさそうに笑った。
「先生……」
「ありがとうございます」
悠真は穏やかに頷いた。
「まずは診察しますね」
そう言うと、聴診器を耳へ掛け、丁寧に胸の音を確認する。
「少し深呼吸できますか」
「はい」
アイはゆっくりと息を吸い込む。
腹部に少し痛みが走ったが、顔をしかめるほどではない。
静かに息を吐く。
「苦しくないですか」
「少し痛いですけど、大丈夫です」
「それなら順調ですね」
悠真は安心したように微笑んだ。
続いて脈を確認し、瞳孔反射や意識レベルを慎重に診察する。
「今日は何月何日か分かりますか」
アイは少し考えて答えた。
「……えっと」
「今日、東京ドームライブの日……」
「その認識で大丈夫です」
悠真は軽く頷いた。
意識障害もなく、受け答えも問題ない。
看護師がモニターを確認しながら報告する。
「血圧百十八の七十二」
「脈拍八十二」
「酸素飽和度九九パーセントです」
悠真はモニターへ視線を向け、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
続いて腹部へ視線を移す。
「少し傷口を確認しますね」
看護師が包帯を慎重に少しだけめくる。
悠真は術創を細かく観察した。
出血は認められない。
腫れも手術後としては正常範囲。
発赤も強くなく、感染を疑う所見もない。
腹部を軽く触診する。
「ここは痛みますか」
「少しだけ」
「こちらは」
「そこは大丈夫です」
悠真は包帯を元へ戻すよう看護師へ合図した。
「順調です」
「手術後とは思えないくらい、非常に良い経過ですよ」
その言葉を聞いた瞬間。
病室全体の空気がふっと和らいだ。
斎藤は思わず肩の力を抜き、ミヤコも胸へ手を当てて深く息を吐く。
アクアとルビーも顔を見合わせ、小さく笑った。
悠真は改めてアイを見つめる。
「もう命の危険はありません」
「これでひとまず安心してください」
その一言に、アイの目が少し潤む。
「先生……」
「ありがとうございます」
「助けてくれて、本当にありがとうございます」
悠真は静かに首を横へ振った。
「感謝されることではありません」
「私は医師です」
「患者さんを助けることが、私の仕事です」
「頑張ったのは患者さん本人です」
「大きな手術でしたが、アイさん自身が乗り越えてくださいました」
アイはその言葉を聞き、小さく笑った。
「そう言ってもらえると……少し自信が出ます」
そのやり取りを見ていた斎藤とミヤコも、改めて深く頭を下げる。
「先生、本当にありがとうございました」
「先生がいなかったら……」
悠真は優しく制した。
「頭を上げてください」
「まだ治療は終わっていませんから」
そう言うとカルテを閉じる。
「一つだけお願いがあります」
病室の全員が悠真へ視線を向ける。
「今回は腹部を大きく手術しています」
「傷口の経過は非常に良好ですが、無理は禁物です」
「最低でも一週間、できれば二週間ほど入院してください」
「その間はこちらで傷口や体調をしっかり確認します」
「焦って仕事へ戻る必要はありません」
「今、一番大切なのは体を治すことです」
アイは素直に頷いた。
「分かりました」
「先生の言うこと、ちゃんと聞きます」
「それなら安心ですね」
悠真は柔らかく微笑んだ。
「焦らず、ゆっくり治していきましょう」
「それでは、また後ほど様子を見に来ます」
悠真は軽く会釈すると、看護師とともに病室をあとにした。
扉が静かに閉まる。
病室にはアイと、斎藤、ミヤコ、アクア、ルビーの五人だけが残った。
穏やかな静寂が流れる。
誰もすぐには言葉を発さなかった。
ただ、お互いの無事を噛み締めるように、それぞれがアイの顔を見つめていた。
しばらくして、アイは天井を見上げながら、何かを思い出したように目を丸くした。
「あっ!」
その声に全員が反応する。
アイは少し焦ったような表情で斎藤へ視線を向けた。
「社長…今日の東京ドームライブ…どうなったの?」
その質問を聞いた瞬間だった。
斎藤は黙ったままアイを見つめる。
唇が震える。
必死にこらえていた感情が、一気に溢れ出した。
「中止に決まってるだろ……」
震える声で呟く。
「バカアイドル!」
「お前が死ぬかもしれなかったんだぞ!」
「ライブどころじゃねぇよ!」
「何万人のお客さんが待ってようが関係ねぇ!」
「お前が生きてることの方が何倍も大事なんだ!」
涙を流しながら叫ぶ社長。
アイは驚いたように目を瞬かせた。
そんな斎藤を見たミヤコも涙を流しながら笑う。
「そうよ」
「ライブなんてまたできるわ」
「でも命は一つしかないの」
「まずは傷をちゃんと治しなさい」
「それが一番大事なんだから」
ルビーも何度も頷く。
「うん!」
「ママが元気じゃなきゃ意味ないもん!」
「またみんなでライブしよう!」
アクアも静かに口を開いた。
「ライブはまたできる」
「何回でも挑戦できる」
「でも母さんの命は、一つしかない」
「だから、生きてくれて本当に良かった」
アイは四人の顔をゆっくり見渡した。
全員が泣いている。
その涙は悲しみではなく、心の底から安心した涙だった。
アイは少し照れくさそうに笑う。
「……みんな」
「ありがとう」
「こんなに心配してくれてたんだね」
斎藤は涙を拭きながら鼻で笑う。
「当たり前だ」
「だから今は何も考えず寝てろ」
「元気になってから、また最高のライブをやればいい」
アイは力強く頷いた。
「うん!」
「今度は絶対に成功させる!」
「みんなと一緒に!」
その笑顔につられるように、斎藤も、ミヤコも、アクアも、ルビーも笑顔になった。
つい先ほどまで死と隣り合わせだった病室には、温かな笑い声が響く。
アイはその光景を見つめながら、小さく呟いた。
「こんなにみんなが泣いてくれるなんて……」
その一言に、四人は顔を見合わせる。
そして自然と笑い合った。
病室はようやく、本当の意味で安堵と希望に包まれていた。