【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜   作:ペンギンって可愛いですよね

17 / 46
第十七話「退院」

 

初めてのリハビリを終えた翌日からも、アイは毎日リハビリを続けた。

 

もちろん、アクアとルビーが実の子どもであることを知られないよう、悠真がリハビリ室を一時間だけ貸し切りにしていた。

 

二日目は、平行棒を使った歩行練習。

 

三日目は、車いすから自分の力で立ち上がる練習。

 

そして四日目には、ベッドから車いすへ一人で移動する練習も行った。

 

最初は立ち上がるだけでも足が震えていたアイだったが、日を追うごとに少しずつ動きは安定していった。

 

「よいしょ……」

 

アイはベッドの端に腰掛け、慎重に両足を床へつける。

 

その隣には車いすが置かれていた。

 

車輪にはしっかりとブレーキが掛けられている。

 

悠真はすぐ横に立っていたが、手を出さずにアイの様子を見守っていた。

 

「慌てなくて大丈夫です」

 

「立ち上がったあと、体が安定してから車いすへ移ってください」

 

「分かってるよ、先生」

 

アイはベッドへ手をつき、ゆっくりと腰を上げる。

 

一瞬だけ足元が揺れたものの、すぐに体勢を立て直した。

 

そのまま体の向きを変え、車いすの肘掛けへ手を伸ばす。

 

「あと少しです」

 

悠真の言葉を聞きながら、アイはゆっくり腰を下ろした。

 

無事に車いすへ座ると、アイは大きく息を吐いた。

 

「できた!」

 

「一人で乗れたよ!」

 

少し離れた場所で見守っていたルビーが、嬉しそうに手を叩く。

 

「ママ、すごい!」

 

アクアも安心したように頷いた。

 

「前よりずっと安定してるよ」

 

「本当?」

 

「うん」

 

「最初は立っているだけでも危なかったから」

 

「それは言わなくてもいいんじゃない?」

 

アイは少し頬を膨らませる。

 

悠真は小さく笑ったあと、車いすの位置やアイの姿勢を確認した。

 

「問題ありません。これなら、ベッドと車いすの間の移動は一人でもできそうですね。ただし、必ずブレーキを確認してください」

 

「分かりました、先生!」

 

「それから、疲れている時は一人で無理をしないこと」

 

「はーい!」

 

「返事だけではなく、きちんと守ってくださいね」

 

「先生、心配性だなぁ」

 

アイが楽しそうに笑う。

 

するとアクアが呆れたように口を開いた。

 

「お母さんがすぐ無理をしようとするからでしょ」

 

「ママ、退院したらすぐお仕事に行こうとしてたもんね」

 

ルビーも続ける。

 

二人から責められ、アイは視線を逸らした。

 

「行こうとしてたんじゃなくて、ちょっと考えただけだよ」

 

「同じです」

 

悠真が即座に返した。

 

「少なくとも、次の診察で私が許可するまでは仕事は禁止です」

 

「歌も?」

 

「禁止です」

 

「ダンスも?」

 

「当然です」

 

「軽く踊るだけでも?」

 

「駄目です」

 

アイは車いすの上で項垂れた。

 

「厳しい……」

 

「アイさんがもう一度病院へ運ばれないためです。退院するからといって、傷が完全に治ったわけではありませんから」

 

悠真の真剣な声に、アイはようやく素直に頷く。

 

「分かった。ちゃんと先生の言うこと聞くよ」

 

「お願いします」

 

そんなリハビリを三日間続けた結果、アイは短い距離であれば、誰かに支えてもらいながら歩けるまでに回復した。

 

ベッドから車いすへの移動も、一人でできるようになった。

 

しかし、まだ一人で安定して歩くことは難しい。

 

腹部の傷に負担を掛けないためにも、退院後もしばらくは車いすを利用することになった。

 

そして、ついに退院の日を迎えた。

 

朝から病室では、荷物をまとめる音が響いていた。

 

アイは入院中に使っていた私物を鞄へ入れながら、どこか落ち着かない様子で何度も時計を確認している。

 

「まだかなぁ」

 

「何が?」

 

アクアが尋ねる。

 

「お迎え」

 

「さっき社長から、もう病院の近くまで来てるって連絡があったよ」

 

「本当?」

 

アイの顔が一気に明るくなった。

 

「やっと家に帰れる!」

 

「病院食ともお別れだ!」

 

その言葉に、荷物を整理していたルビーが笑う。

 

「ママ、ずっと病院食のことばっかり言ってる」

 

「だって本当に味が薄かったんだもん」

 

「体のために作られた食事ですからね」

 

いつの間にか病室へ入ってきていた悠真が苦笑した。

 

「先生!」

 

アイは車いすの上から元気よく手を振る。

 

「今日で退院だね!」

 

「そうですね」

 

悠真はカルテを確認しながら頷いた。

 

「今朝の検査結果にも問題はありません」

 

「傷口も順調に治っています」

 

「予定どおり退院して大丈夫です」

 

「やった!」

 

アイは両手を上げようとした。

 

しかし、腹部へわずかに力が入ったのか、途中で動きを止める。

 

その様子を見た悠真が眉を寄せた。

 

「今のように、急に体を動かすのは禁止です」

 

「まだ何もしてないよ?」

 

「両手を勢いよく上げようとしましたよね」

 

「見てたの?」

 

「目の前にいましたから」

 

アイは誤魔化すように笑った。

 

「あはは……」

 

「笑って誤魔化さないでください」

 

悠真は呆れながらも、退院後の注意事項が書かれた用紙をアイへ渡した。

 

「退院してからも、傷口を刺激するようなことは絶対にしないでください」

 

「重い荷物を持つことも禁止です」

 

「走ったり、激しく踊ったりするのも駄目です」

 

「入浴についてもしばらくは湯船につからず、シャワーだけにしてください」

 

「食事も一度に食べ過ぎないように」

 

アイは用紙を見ながら、少し困ったように眉を下げた。

 

「禁止されること多くない?」

 

「大きな手術を受けたのですから当然です」

 

「痛みが強くなったり、傷口が腫れたり、熱が出たりした場合は、すぐに病院へ連絡してください」

 

「分かりました」

 

「本当に分かっていますか?」

 

「分かってるよ!」

 

アイは頬を膨らませながら答える。

 

その横で、アクアが悠真から用紙を受け取った。

 

「俺も読んでおきます」

 

「お願いします」

 

「アイさん一人に任せるより安心です」

 

「先生、私のこと信用してないでしょ」

 

「...患者としては信用しています」

 

「今、少し間がなかった?」

 

「気のせいです」

 

悠真が涼しい顔で答えると、ルビーが楽しそうに笑った。

 

しばらくして、病室の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

コンコン。

 

扉が開き、斎藤が顔を覗かせる。

 

「迎えに来たぞ」

 

「社長!」

 

アイが笑顔で手を振る。

 

斎藤は病室へ入ると、元気そうなアイの姿を見て安堵の息を吐いた。

 

「まったく……」

 

「いきなり、病院から連絡をもらった時は何事かと......退院って聞いて本当に安心したぞ」

 

「心配掛けてごめんね」

 

アイが素直に謝る。

 

斎藤は一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、すぐに視線を逸らした。

 

「分かればいい」

 

「荷物はこれだけか?」

 

「うん!」

 

「それと車いす」

 

斎藤は病院から借りることになった車いすへ目を向ける。

 

「これも持って帰るのか?」

 

「はい」

 

悠真が答えた。

 

「まだ一人で歩くのは難しいので、しばらくは車いすを使用してもらいます」

 

「病院から貸し出せるよう手配してあります。返却については、次回の診察で状態を確認してから判断します」

 

「分かりました」

 

斎藤は真剣な表情で頷く。

 

「こちらでも絶対に無理はさせません」

 

「お願いします。特に仕事へ復帰しようとしたら止めてください」

 

「もちろんです」

 

斎藤は即答した。

 

「こいつは放っておくと、退院したその日に事務所へ行きかねないからな」

 

「行かないよ!」

 

アイがすぐに反論する。

 

「ちょっと顔を出そうとは思ってたけど」

 

「同じだ、バカ!」

 

斎藤の怒鳴り声が病室へ響く。

 

アクアは呆れたようにため息をつき、ルビーは楽しそうに笑っていた。

 

荷物をまとめ終えると、四人は病室を出た。

 

アクアが車いすを押し、ルビーはその隣を歩く。

 

悠真も見送りのために一緒に病院の出入口まで向かった。

 

周囲には他の患者や病院スタッフもいるため、アクアとルビーはアイを母親とは呼ばず、静かについていく。

 

アイは何度も廊下を振り返っていた。

 

「この病院ともお別れかぁ」

 

「寂しいですか?」

 

悠真が尋ねる。

 

「うーん」

 

「先生たちにはすごくお世話になったから、ちょっと寂しいかも…でも、やっぱり家に帰れる方が嬉しい!」

 

「それが一番です。病院は長く滞在する場所ではありませんから」

 

やがて一行は病院の正面玄関へ到着した。

 

その先には斎藤が乗ってきた車が停まっていた。

 

斎藤は後部の荷物を載せる場所を開け、アイの鞄を積み込んでいく。

 

続いて、病院から借りた車いすを折り畳んで車へ乗せた。

 

悠真と斎藤が左右からアイを支え、ゆっくりと立ち上がらせる。

 

「足元に気をつけてください」

 

「はーい」

 

「勢いよく座らないでくださいね」

 

「先生、最後まで心配性だね」

 

「最後ではありません」

 

悠真は真面目な顔で答える。

 

「次回の診察でも、私が担当しますから」

 

「そっか」

 

アイは嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、また先生に会えるね」

 

「診察以外では、なるべく会わない方がいいですよ」

 

「病院に診察以外で来るということは、何か問題があったということですから」

 

「真面目だなぁ」

 

悠真と斎藤に支えられながら、アイは慎重に助手席へ腰掛けた。

 

斎藤がシートの位置を調整し、腹部へ負担が掛からないよう確認してからシートベルトを締める。

 

後部座席には、すでにアクアとルビーが座っていた。

 

「ママ、大丈夫?」

 

ルビーが身を乗り出すように尋ねる。

 

「大丈夫だよ!ちゃんと座れた!」

 

「ルビー、走っている時は前に身を乗り出すなよ」

 

アクアが注意する。

 

「まだ走ってないもん」

 

「今のうちから言ってるんだよ」

 

二人の会話を聞きながら、アイは車内を見回した。

 

そして、ふと首を傾げる。

 

「あれ?ミヤコさんは?」

 

斎藤は運転席へ乗り込みながら答えた。

 

「事務所だ。今日はあいつに事務所を任せてきた」

 

アイは少し不満そうに頬を膨らませる。

 

「ミヤコさんばかりに任せちゃ駄目だよ、佐藤社長」

 

斎藤の眉がぴくりと動いた。

 

「斎藤だ、クソアイドル!それに事務所に一人はいないと、うちは回らないんだよ!」

 

「えへへ、間違えちゃった」

 

「わざとだろ!」

 

「どうだろうね?」

 

アイは楽しそうに笑った。

 

斎藤は額に手を当て、大きなため息をつく。

 

「退院早々、本当に元気だな……」

 

「元気なのは良いことだよ!」

 

「限度がある!」

 

そのやり取りを見ていた悠真も、思わず苦笑した。

 

しかし、すぐに真剣な表情へ戻る。

 

「アイさん」

 

「はい、先生」

 

「もう一度だけ言っておきます。退院できたからといって、完全に治ったわけではありません。くれぐれも傷を刺激するようなことはしないでください」

 

「痛みがなくても、無理に動けば傷口が開く可能性があります。自分で歩こうとせず、しばらくは必ず車いすを使ってください」

 

アイは悠真の表情を見つめる。

 

いつもの冗談を言うような様子ではない。

 

自分を本気で心配してくれていることが伝わり、アイも真剣に頷いた。

 

「分かりました。先生との約束、ちゃんと守るよ」

 

「仕事もしばらく休むし、無理に歩いたりもしない」

 

「本当ですね?」

 

「本当!」

 

「アクアとルビーもいるから、二人に見張ってもらうよ」

 

後部座席からルビーが元気よく手を上げる。

 

「私がママを見張ります!」

 

「俺もいるから安心してください」

 

アクアも落ち着いた声で続けた。

 

悠真は二人を見て、ようやく安心したように微笑む。

 

「では、二人にお願いします」

 

「はい!」

 

「分かりました」

 

続いて悠真は、運転席の斎藤へ視線を向けた。

 

「斎藤社長もお願いします」

 

「ああ…こいつが何を言っても、医師の許可が出るまでは絶対に仕事をさせない」

 

「約束します」

 

「ちょっと、私の意思は?」

 

「「患者に拒否権はありません」」

 

「先生と社長が同じこと言ってる……」

 

アイは不満そうに呟いた。

 

それでも、口元には笑みが浮かんでいる。

 

悠真は車から一歩離れた。

 

斎藤がエンジンを掛ける。

 

「それでは先生、本当にありがとうございました」

 

斎藤が改めて頭を下げる。

 

「俺たちの大切なアイを助けていただいて……何度礼を言っても足りません」

 

「医師として当然のことをしただけです」

 

悠真は穏やかに答えた。

 

アイは助手席の窓を開け、悠真へ笑顔を向ける。

 

「先生!本当にありがとう!私を助けてくれて」

 

悠真は少しだけ目を細めた。

 

「助かったのは、アイさん自身が頑張ったからです。これからも、その命を大切にしてください」

 

「うん!」

 

アイは力強く頷く。

 

「また診察でね、先生!」

 

「はい」

 

「ただし、それまでは安静にしてください」

 

「最後までそれ言うんだ」

 

「大切なことですから」

 

アイは楽しそうに笑い、窓を閉めた。

 

斎藤の車がゆっくりと動き出す。

 

後部座席のルビーが、窓越しに大きく手を振っている。

 

その隣では、アクアが静かに頭を下げていた。

 

悠真も小さく手を上げ、遠ざかっていく車を見送る。

 

やがて車は病院の敷地を出て、街の中へ消えていった。

 

悠真はしばらくその方向を見つめていた。

 

あの日、血に染まった姿で運ばれてきたアイ。

 

命を失っていてもおかしくなかった彼女が、今は二人の子どもと一緒に家へ帰っていく。

 

それだけで、十分だった。

 

「退院おめでとうございます、アイさん」

 

悠真は誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。

 

そして白衣を翻すと、再び患者たちが待つ病院の中へ戻っていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。