【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
それから三週間後...
休日の昼、悠真は自宅のリビングで遅めの昼食を取りながら、何気なくテレビの電源を入れた。
画面に映ったのは、いつもの情報番組ではない。
大勢の報道陣が集まる会見場。
中央には長い机が置かれ、無数のカメラとマイクが並んでいた。
『それでは、これより苺プロダクション所属、B小町・アイさんに関する記者会見を始めさせていただきます』
司会者の声が会場に響く。
悠真は箸を止め、静かにテレビへ視線を向けた。
「今日だったんですね」
以前の診察で、アイから記者会見を開く予定だとは聞いていた。
しかし、詳しい日時までは知らされていなかった。
画面には車いすに座るアイの姿。
その隣には、B小町の六人――たかみー、ニノ、めいめい、ありぴゃん、きゅんぱん、みーちゃんが並んで座っている。
さらに斎藤社長とミヤコも同席していた。
入院していた頃に比べると顔色は明らかに良くなっている。
まだ車いす生活ではあるものの、その表情には少しずつ以前の明るさが戻っていた。
衣装もステージ用ではなく、腹部への負担を考えた落ち着いた服装だ。
笑顔はいつも通り。
それでも、その奥には隠し切れない緊張が見えていた。
斎藤がマイクを手に取る。
『本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます』
『まず初めに、弊社所属タレントであるアイの件につきまして、ファンの皆様、関係者の皆様、そして多くの方々にご心配をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます』
斎藤とミヤコが頭を下げる。
それに合わせてB小町の六人も一斉に頭を下げ、アイも車いすのまま静かに頭を下げた。
会場中にシャッター音が鳴り響く。
『アイは、無事に退院いたしました』
『現在も歩行には補助が必要であり、車いすでの生活を続けておりますが、担当医の指導のもと、毎日リハビリを行っています』
『体調は順調に回復しております』
記者たちが一斉にペンを走らせる。
続いてアイがマイクを握った。
『皆さん、ご心配をお掛けして本当にごめんなさい』
少し落ち着いた声だった。
『病院にいる間も、皆さんから届いたたくさんのメッセージを読ませてもらいました』
『本当にありがとうございました』
柔らかな笑顔を浮かべる。
『私は元気です。まだ一人で歩くのは少し難しいですけど、毎日ちゃんとリハビリを頑張っています』
『また皆さんの前に立てるように頑張りますので、もう少しだけ待っていてください』
その言葉に、多くの記者が手を挙げた。
最初に指名された記者が質問する。
『復帰時期は決まっているのでしょうか』
斎藤が答える。
『現時点では未定です』
『本人は一日でも早く復帰したいと言っていますが、担当医からは傷が完全に回復するまで激しい運動は控えるよう指導されています』
『今後も医師の判断を最優先にしながら決定していきます』
アイが少し頬を膨らませた。
『社長、そこ言わなくてもいいのに』
『事実だからな』
『そうだけどさ』
会場から小さな笑いが起こる。
張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
悠真も思わず苦笑した。
「やっぱり復帰する気満々ですね」
続いて別の記者が質問する。
『歌番組やテレビ出演など、比較的負担の少ない仕事から復帰する可能性はありますか』
『その点についても担当医と相談しながら判断します。歌だけでなく移動や収録も体への負担になりますので、本人の健康を最優先に考えています』
悠真は静かに頷いた。
退院の日に交わした約束を、斎藤はきちんと守っている。
会見はしばらく回復状況や復帰についての質問が続いた。
しかし、一人の記者が立ち上がった瞬間、会場の空気が変わる。
『今回、アイさんを襲った犯人についてお伺いします』
アイの笑顔がわずかに消えた。
斎藤とミヤコの表情も引き締まる。
『犯人が死亡したとの報道がありますが、事務所ではどこまで把握されているのでしょうか』
静まり返る会場。
斎藤が静かに口を開いた。
『警察から、犯人が死亡したという報告は受けています』
『ただし、現在も捜査に関わる事項ですので、それ以上の内容についてはお答えできません』
『死亡した経緯については?』
『私たちも聞かされておりません。警察から知らされているのは、犯人が死亡したという事実のみです』
アイは静かに前だけを見つめていた。
自分を刺した人物が、もうこの世にはいない。
その事実を彼女がどう受け止めているのかは、誰にも分からない。
憎しみなのか。
悲しみなのか。
それとも、まだ整理がついていないだけなのか。
誰にも読み取ることはできなかった。
次の記者が立ち上がる。
『犯人はアイさんの住所を把握していたと報じられています。所属タレントの個人情報管理に問題があったのではありませんか』
斎藤は真っ直ぐ前を見た。
『今回の件を重く受け止め、現在は所属タレント全員の個人情報管理を見直しております』
『住居の変更、防犯設備の強化、警備会社との連携など、再発防止へ向けた対策を進めています』
しかし追及は止まらない。
『ですが事件は自宅で起きました。事前に十分な警備をしていれば防げたのではありませんか』
『当時、警備員は配置されていなかったと聞いています。人気アイドルを一人暮らしさせていた責任について、どうお考えですか』
さらに別の記者も続ける。
『東京ドーム公演を控え、注目度が最も高まっていた時期でした。なぜ、もっと早く警備を強化しなかったのでしょうか』
質問というより、厳しい追及だった。
斎藤はゆっくり息を吐く。
『事務所として認識が甘かったことは否定できません。所属タレントを守る立場でありながら、このような事件を防げなかったことを深く反省しています』
その言葉には、自責の念がにじんでいた。
もっと早く危険に気づいていれば。
もっと厳重な対策を講じていれば。
そんな思いを抱え続けてきたことが、その表情から伝わってくる。
そして、さらに質問が飛ぼうとした、その時――。
『待ってください』
アイが静かにマイクを握った。
先ほどまで浮かべていた笑顔は消え、真っ直ぐに記者たちを見つめる。
会場は静まり返り、誰も言葉を発しない。
斎藤が小さく口を開く。
『アイ、お前は何も…』
『社長は少し黙ってて』
『お、おう……』
アイは一度深呼吸をすると、落ち着いた口調で話し始める。
『社長だけを責めないでください』
その言葉に、会場の空気が一変した。
『今回のことは、私自身にも原因がありました』
『住んでいたマンションはオートロックだったので、それだけで安心していたんです』
『知らない人が来ても大丈夫だろうって……勝手に思い込んでいました』
アイは膝の上で手を重ねる。
『玄関のチェーンも掛けていませんでした』
場内に小さなどよめきが広がる。
『オートロックだから大丈夫、少しだけなら平気、私はそんなふうに思っていました』
『でも、本当は違いました。もっと自分の身を守ることを考えなければいけなかったんです』
一人の記者が質問する。
『ですが、アイさんはまだ若い、防犯について教えることは事務所の役割だったのではありませんか』
アイは静かに目を伏せた。
数秒の沈黙…
そして、ゆっくりと顔を上げる。
『私は施設で育ちました』
その一言だけで、会場の空気が変わる。
隣に座るB小町の六人も、静かにアイを見つめていた。
『家に帰れば、お父さんやお母さんがいて、防犯のことを教えてくれる』
『知らない人には玄関を開けちゃ駄目だよって言ってくれる』
『私は、そういう家庭で育ったわけではありません』
穏やかな口調だった。
しかし、その一つ一つの言葉は重い。
『普通の家庭なら自然に教わることを、私は教わらないまま大人になりました』
『親にも見捨てられました』
斎藤は苦しそうに目を閉じる。
ミヤコも机の下で拳を握り締めていた。
『そんな私を拾ってくれたのが斎藤社長です』
アイは隣を見る。
『居場所をくれて、アイドルという夢をくれて、B小町のみんなと出会わせてくれて、たくさんの人に応援してもらえる場所まで連れてきてくれました』
斎藤は何も言わない。
ただ静かにアイの言葉を聞いていた。
『私は社長に育ててもらいました。だから、社長だけが悪いなんて絶対に思えません』
『もちろん、これからは事務所も私も変わらなきゃいけません。同じことを二度と繰り返さないように…』
『でも、社長だけを責めないでください。私にも甘さがありました。それだけは伝えたかったんです』
会場には静かな空気が流れていた。
シャッター音さえ聞こえない。
悠真もテレビの前で静かにアイを見つめていた。
入院中のアイは、どれだけ痛みがあっても笑っていた。
歩けなくても、仕事に戻れなくても、アクアとルビーの前では、決して弱音を吐かなかった。
そんな彼女が今、自らの過去を多くの人の前で語っている。
それだけ、この三週間で大きな決意をしたのだろう。
その時だった。
アイの隣に座っていたたかみーが、そっとアイの手を握った。
アイが驚いたように振り向く。
たかみーは涙をこらえながら微笑んでいた。
反対側ではニノが優しく肩へ手を添える。
めいめい、ありぴゃん、きゅんぱん、みーちゃんも、それぞれ温かな笑顔でうなずいていた。
七人の輪は、以前よりもずっと強く結ばれていた。
一人の記者がB小町へ質問を向ける。
『皆さんは今回の事件を受けて、どのような話し合いをされたのでしょうか』
最年長のたかみーがマイクを取る。
『私たちは、アイのことを何でも知っているつもりでした。長い時間を一緒に過ごして、同じ夢を追い掛けてきたので……でも、本当は知らないことの方が多かったんです』
続いてニノが口を開く。
『アイは、どんな時でも笑っていました。苦しい時も、大丈夫って言う子でした。だから私たちも、本当に平気なんだと思ってしまっていました』
めいめいも続く。
『事件のあと、みんなでたくさん話しました。怖かったこと、苦しかったこと、これからどうしたいのか、アイは初めて本当の気持ちを私たちに話してくれました』
アイは少し照れくさそうに笑う。
『私、人に本音を話すの苦手だから』
『知ってる』
ありぴゃんが即答すると、会場から小さな笑いが起こる。
きゅんぱんも笑顔で続けた。
『笑ってごまかすし、すぐ嘘をつくし、大丈夫じゃないのに、大丈夫って言うし、そんなことばっかりだったよね』
『そこまで言わなくてもいいじゃん』
アイが頬を膨らませる。
みーちゃんが優しく微笑んだ。
『でも、これからは違います。私たちは七人でB小町です。誰か一人だけに全部背負わせたりしません』
たかみーもうなずく。
『アイが戻ってくるまで、私たち六人がB小町を守ります』
ニノが続ける。
『そして…アイが帰ってきたら…』
六人がアイを見る。
『また七人でステージに立とう』
アイの目に涙が浮かんだ。
それでも笑顔は崩さない。
『うん』
『絶対に戻る!また七人で最高のライブをしようね!』
「「「「「「もちろん!」」」」」」
六人の声が重なった。
その瞬間、会場は大きな拍手に包まれる。
記者だけではない。
スタッフも、関係者も、自然と拍手を送っていた。
ミヤコは目元を押さえながら微笑む。
斎藤は腕を組み、そっぽを向いている。
しかし、その目は赤く染まっていた。
アイがいたずらっぽく笑う。
『社長、泣いてる?』
『泣いてねぇ!』
『目、真っ赤だよ?』
『照明のせいだ!』
『佐藤社長って意外と涙もろいよね』
『斎藤だ、クソアイドル!』
会場に笑いが広がる。
重苦しかった空気は、いつの間にか温かな空気へと変わっていた。
会見の最後。
アイは改めてマイクを握る。
『私は本当にたくさんの人に助けてもらいました』
『救急隊の皆さん、病院の皆さん、事務所のみんな、B小町のみんな、そして応援してくださったファンの皆さん』
深く頭を下げる。
『本当にありがとうございました。必ず元気になって、また皆さんの前に戻ってきます。それまで、もう少しだけ待っていてください』
大きな拍手とシャッター音が会場を包み込む。
その中心で、アイは笑っていた。
以前のように本心を隠すための笑顔ではない。
仲間を信じ、自分の弱さも受け入れた人だけが浮かべられる、本当の笑顔だった。
テレビはスタジオへ切り替わり、出演者たちはアイの勇気とB小町の絆について語り始める。
悠真はリモコンで音量を少し下げ、机の上の診療記録へ視線を移した。
傷は順調に回復している。
まだ車いすは必要だが、次の診察では歩行訓練を一段階進められるかもしれない。
芸能活動への復帰は、まだ焦る時期ではない。
きっとアイは無茶を言う。
それでも、今なら以前とは違う。
彼女には支えてくれる仲間がいる。
「次の診察が楽しみですね、アイさん」
悠真は穏やかに微笑み、再びテレビへ目を向けた。
画面には、七人で並ぶB小町の笑顔が映し出されていた。