【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜   作:ペンギンって可愛いですよね

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第二十四話「おかえり、ママ」

 

診察を終えたアイは、都立大学病院の廊下を自分の足で歩いていた。

 

隣では看護師が少し距離を空けながら、いつでも支えられるように見守っている。

 

数日前までは、どこへ移動するにも車いすが必要だった。

 

しかし今は、ゆっくりではあるものの、誰かに押してもらうことなく自分で前へ進んでいる。

 

一歩。

 

また一歩。

 

傷の痛みはほとんどない。

 

足取りも思っていたより安定していた。

 

それでも、調子に乗ってはいけない。

 

先ほど悠真から何度も注意されたばかりだ。

 

「無理は禁止、かぁ」

 

アイは小さく呟く。

 

「先生、心配しすぎなんだよね」

 

そう言いながらも、口元には笑みが浮かんでいた。

 

何度も念を押してくるのは、それだけ自分の体を心配してくれているからだ。

 

そのことはアイにも分かっていた。

 

病院の玄関まで歩き、迎えに来ていた車へ乗り込む。

 

今日は苺プロダクションのスタッフが運転を担当してくれていた。

 

後部座席へ座ったアイは、窓の外を眺めながら自宅へ向かう。

 

車いすを卒業できたことを、まだアクアとルビーには伝えていない。

 

朝、家を出る時にはいつものように車いすに乗っていた。

 

二人とも診察結果を心配しているはずだ。

 

どんな反応をするだろう。

 

そう考えるだけで、アイの胸は温かくなった。

 

やがて車は、自宅マンションの前へ到着した。

 

スタッフが降りて後部座席の扉を開ける。

 

「ゆっくりで大丈夫ですよ」

 

「ありがとう!」

 

アイは慎重に足を地面へ下ろした。

 

以前なら、そのまま車いすへ移るところだった。

 

しかし今日は違う。

 

自分の足で立ち上がり、マンションの入口へ向かって歩き始める。

 

スタッフも隣で少し心配そうに見守っていたが、アイの歩き方に危なげはない。

 

エレベーターで自宅の階まで上がり、廊下を進む。

 

玄関の前で立ち止まったアイは、少しだけ悪戯っぽく笑った。

 

車いすを卒業したことは、扉を開けるまで秘密にしておこう。

 

アイは鍵を取り出し、玄関の扉を開けた。

 

「ただいまー!」

 

その声が家の中へ響く。

 

すぐにリビングから足音が聞こえてきた。

 

「ママ!」

 

最初に駆けてきたのはルビーだった。

 

その少し後ろを、アクアが落ち着いた足取りでついてくる。

 

「おかえり、ママ!」

 

「おかえりなさい、お母さん」

 

二人は玄関へ顔を出した。

 

そして、同時に動きを止めた。

 

「……あれ?」

 

ルビーが目をぱちぱちと瞬かせる。

 

アクアもアイの足元へ視線を向けた。

 

そこにあるはずの車いすがない。

 

誰かに支えられている様子もない。

 

アイは自分の足で立っていた。

 

「ママ……」

 

ルビーの目が大きく開く。

 

「もしかして……」

 

アイは満面の笑みを浮かべた。

 

「今日で車いす卒業だって!」

 

一瞬の静寂。

 

次の瞬間――

 

「やったぁぁぁ!」

 

ルビーが大きな声を上げる。

 

そのままアイへ飛びつこうと駆け出した。

 

「ルビー」

 

アクアがすぐに妹の腕をつかむ。

 

「お母さんのお腹はまだ治りきってない」

 

「あっ!」

 

ルビーは慌てて足を止めた。

 

「そうだった!」

 

勢いよく抱きつくことを諦め、今度はアイの手を両手で握る。

 

「ママ、良かったね!」

 

「うん!」

 

「もうずっと歩けるの?」

 

「普通に歩いていいって!」

 

「本当に!?」

 

ルビーは嬉しそうに何度も跳びはねる。

 

「ママが歩けるようになった!」

 

「やった! やった!」

 

その様子を見ながら、アイは嬉しそうに笑う。

 

一方のアクアは、アイの全身を注意深く見ていた。

 

「痛みは?」

 

「ほとんどないよ」

 

「歩いた時にふらついたりは?」

 

「それも大丈夫!」

 

「傷口の状態は?」

 

「先生が順調だって言ってた」

 

アイが答えるたびに、アクアは小さく頷いていく。

 

四歳児とは思えない確認の仕方だった。

 

「そっか」

 

すべてを聞き終えたアクアは、ようやく表情を和らげた。

 

「良かったね、お母さん」

 

その言葉に、アイの胸がじんわりと温かくなる。

 

「ありがとう、アクア」

 

「でも」

 

アクアの表情が再び真剣になる。

 

「仕事はまだ駄目って言われたんでしょ?」

 

アイの笑顔がわずかに引きつった。

 

「……なんで分かったの?」

 

「車いすを卒業しただけで、いきなりライブやレッスンが許可されるはずがないから」

 

「うっ……」

 

「先生からも、かなり念を押されたんじゃない?」

 

「……何回も言われた」

 

アイは不満そうに頬を膨らませる。

 

その様子を見て、アクアは小さくため息をついた。

 

「当然だよ」

 

「アクアまで先生と同じこと言う!」

 

「無理をしそうだからだよ」

 

「しないってば!」

 

アイが即座に否定する。

 

しかしアクアは疑うような目を向けた。

 

「本当に?」

 

「本当!」

 

「絶対?」

 

「絶対!」

 

「少し体調が良いからって、踊ったりしない?」

 

「……踊らない」

 

アイは一瞬だけ間を空けて答える。

 

アクアはそのわずかな間を見逃さなかった。

 

「今、間があった」

 

「気のせい!」

 

「気のせいじゃないよ」

 

「もぉ! 先生もアクアも心配しすぎ!」

 

アイが再び頬を膨らませる。

 

その横でルビーが首をかしげた。

 

「ママ、まだお仕事できないの?」

 

「うん。もう少しだけ休まないと駄目なんだって」

 

「そっかぁ」

 

ルビーは少し残念そうな顔をする。

 

しかしすぐに表情を明るくした。

 

「じゃあ、私がママといっぱい遊んであげる!」

 

「本当?」

 

「うん!」

 

ルビーは元気よく頷いた。

 

「お絵描きしたり、お人形で遊んだりするの!」

 

「それなら激しく動かなくていいでしょ?」

 

アクアも少し考えてから頷く。

 

「それくらいなら大丈夫だと思う」

 

「やった!」

 

ルビーはアイの手を引こうとする。

 

しかし、すぐにアクアから止められた。

 

「引っ張ったら駄目だよ」

 

「あっ、そっか!」

 

ルビーはまた慌てて手を離す。

 

「ごめんね、ママ」

 

「大丈夫だよ」

 

アイは笑いながらルビーの頭を撫でた。

 

三人はゆっくりとリビングへ向かう。

 

アイが自分の足で歩いているだけで、いつもの家の中が少し違って見えた。

 

リビングのソファへ腰を下ろすと、ルビーがすぐ隣へ座る。

 

アクアは少し離れた場所から、アイの様子を確認していた。

 

「アクアもこっちおいでよ」

 

「僕はここでいいよ」

 

「遠い!」

 

アイは不満そうに言う。

 

「せっかく車いす卒業したんだから、今日はもっと一緒に喜んでよ」

 

「喜んでるよ」

 

「顔に出てない!」

 

「いつも通りでしょ」

 

「そうだけど!」

 

そのやり取りを聞きながら、ルビーが楽しそうに笑う。

 

「アクア、照れてるんだよ!」

 

「照れてない」

 

「絶対照れてる!」

 

「違う」

 

「じゃあ、ママの隣に座れるでしょ?」

 

ルビーに言われ、アクアは少しだけ黙った。

 

そして諦めたようにアイの反対側へ腰を下ろす。

 

「これでいい?」

 

「うん!」

 

アイは嬉しそうに笑い、二人の頭へそっと手を置いた。

 

右にはルビー。

 

左にはアクア。

 

車いすを卒業できたことも嬉しい。

 

自分の足で再び歩けるようになったことも嬉しい。

 

しかし、それ以上に嬉しかったのは、こうして二人のそばへ少しずつ戻ってこられたことだった。

 

「ママ?」

 

ルビーが不思議そうに見上げる。

 

「どうしたの?」

 

「ううん」

 

アイは首を横に振る。

 

「二人がいてくれて良かったなって思っただけ」

 

「急にどうしたの?」

 

アクアが尋ねる。

 

「言いたくなったから」

 

アイは二人を見つめ、優しく微笑む。

 

「心配かけてごめんね」

 

「それと、ずっと待っててくれてありがとう」

 

ルビーはアイの腕へそっと寄り添った。

 

「私、ずっとママのこと待ってるよ」

 

「ありがとう」

 

アイは次にアクアを見る。

 

アクアは少しだけ視線を逸らしたあと、静かに言った。

 

「無事に帰ってきてくれたなら、それでいいよ」

 

短い言葉だった。

 

けれど、その言葉に込められた想いをアイは理解していた。

 

「うん」

 

アイは静かに頷く。

 

「ちゃんと帰ってきたよ」

 

その日の午後。

 

三人はリビングで絵を描いたり、テレビを見たりしながら穏やかな時間を過ごした。

 

まだ仕事には戻れない。

 

走ることも、踊ることもできない。

 

完全に元通りになったわけではなかった。

 

それでもアイは、自分の足で家へ帰ってくることができた。

 

そして大切な子どもたちへ、笑顔でただいまと言うことができた。

 

それはアイにとって、何よりも大きな一歩だった。

 

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