【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
引っ越しが終わり、新しい生活にも少しずつ慣れ始めた数日後――。
今日は、アイの定期診察の日だった。
悠真総合病院。
受付を済ませたアイは診察室のドアをノックする。
「失礼します」
「どうぞ」
中から聞こえてきた穏やかな声に、アイはドアを開けた。
「こんにちは、先生!」
「こんにちは、アイさん」
悠真はいつものように微笑みながら迎える。
「体調はいかがですか?」
「元気です!」
「それは良かったです」
アイは椅子へ座ると、どこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「先生、実は報告があります!」
「何でしょうか?」
「引っ越しました!」
悠真は少し驚いたように目を瞬かせた。
「そうだったのですか」
「はい!」
「事件のあとに住んでた仮社宅を出て、新しい一軒家に引っ越したんです!」
「それは良かったですね」
悠真は素直に微笑んだ。
「安心して生活できる環境は、とても大切です」
「防犯カメラも付いてるし、センサーライトもあるし、玄関はツーロックで鍵もすごいらしいです!」
「警備会社とも契約しました!」
「それなら、以前より安心できますね」
悠真は満足そうに頷く。
「アクア君も安心してくれたのではないですか?」
「はい!」
アイは笑った。
「すっごく細かく確認してました」
「さすがアクア君ですね」
「四歳児とは思えない確認の仕方でした」
「ですよね!」
アイも苦笑する。
「でも、そのおかげで安心できました」
「それは何よりです」
悠真はカルテへ簡単にメモを書き込んだ。
するとアイは、少し申し訳なさそうな表情になる。
「あの……先生」
「はい」
「実は、ちょっと申し訳ないことがあって……」
「何でしょう?」
「先生に挨拶もしないまま、あのマンションを出ちゃったんです」
「ちゃんと『ありがとうございました』って言いたかったのに……」
そう言って肩を落とす。
悠真は穏やかに首を横へ振った。
「あんな事件があったのですから、それは仕方ありません」
「え?」
「私としては、こうして元気な姿を見せていただけるだけで十分です」
「それに、今こうして引っ越しの報告もしてくださいました」
「それで何も問題ありません」
「でも……」
アイは少し納得できないような顔をする。
悠真は優しく続けた。
「別に、あのマンションでご挨拶するのと、今ここでご報告いただくのと、大きな違いはないでしょう」
「それは……そうですけど」
アイは腕を組みながら考え込む。
「でも、住んでるところで挨拶したいじゃないですか」
「そういうものです!」
きっぱりと言い切る。
悠真は一瞬だけ考えた。
「……何となくお気持ちは分かるような気もします」
「ですよね!」
「ですが、やはり理屈はよく分かりません」
「えぇ!?」
アイは思わず声を上げた。
「分かりそうって言ったのに!」
「雰囲気は分かります」
「ですが、『住んでいた場所だからそこで挨拶したい』という理論は、私には少し難しいですね」
「そんなぁ……」
アイは机へ突っ伏しそうになる。
「先生、理系だからかなぁ」
「関係ありますか?」
「あります!」
「何となく!」
「何となくですか」
悠真は苦笑した。
「はい!」
アイは満面の笑みで頷く。
「先生って、何でも理屈で考えるタイプじゃないですか」
「否定はできません」
「だからです!」
「私は気持ちで動くタイプなんです!」
「なるほど」
悠真は静かに頷く。
「だから、私には理解しきれないわけですね」
「そういうことです!」
アイは満足そうに胸を張る。
悠真は思わず笑みを浮かべた。
「勉強になりました」
「えへへ」
診察室には穏やかな笑い声が響く。
事件から数か月。
ようやくアイは、新しい家で新しい生活を歩み始めた。
その笑顔を見ながら悠真は心の中で静かに安堵する。
――本当に元気になりましたね。
その一言を口には出さず、優しく微笑むだけだった。