【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
その日の診療を終えたあと――。
悠真は事務室の窓から夕暮れの街を眺めていた。
診察室ではいつも冷静な彼だったが、今は珍しく腕を組み、深く考え込んでいる。
頭の中にあるのは、一つの事件。
星野アイ刺傷事件だった。
(私は……真犯人を知っている)
もちろん、この世界で知っているのは原作を知る自分だからだ。
しかし、それを証明する術は何一つない。
証拠もない。
証人もいない。
ただ未来を知っているだけ。
そんな状態で警察へ行ったところで、相手にされるはずがない。
(問題は……どう動くかだ)
悠真は静かに椅子へ腰を下ろした。
机の上にはカルテが並んでいる。
その一番上には、星野アイの名前が書かれていた。
(私が黒幕に会いに行くことも考えた)
だが、すぐにその考えを打ち消す。
(無理だ)
(どう考えても不自然すぎる)
確かに悠真はアイの命を救った。
事件にも多少は関わっている。
しかし、それだけだ。
あくまで「助けた医師」。
それ以上でも、それ以下でもない。
そんな人間が突然、黒幕のもとを訪ねる。
どう考えても不自然だった。
(警戒されるだけだ)
(下手をすれば、こちらまで狙われる可能性もある)
悠真は静かにため息をつく。
「……難しいですね」
独り言が事務室へ響く。
そして、もう一つ気になっていることがあった。
アイのことだ。
(アイさんは……気付いているはずです)
住所を知っていた人物は限られている。
誰が教えたのか。
あの状況なら、ある程度予想はつくはずだった。
それなのに。
アイは誰の名前も出さない。
社長にも。
警察にも。
悠真はゆっくりと考えを整理する。
(気付いていない……)
(いや、それは考えにくい)
アイは天然なところもある。
どこか抜けているところもある。
しかし、それと頭の良さは別問題だ。
普段の会話。
仕事への姿勢。
そして何より、あれほど完璧なアイドルを演じ続けてきたこと。
あれは決して頭が悪い人間にできることではない。
(地頭は良い)
(だからこそ、気付いている可能性の方が高い)
では、なぜ黙っているのか。
悠真は一つずつ可能性を消していく。
(元恋人だから……?)
小さく首を横に振る。
(違う)
(一度親しくなった人だから?)
それも違う。
アイは優しい。
だからこそ簡単に人を信じてしまう。
だが、自分や子どもたちの命が危険にさらされた相手まで庇うような性格ではない。
(それなら……)
悠真の中で、一つの答えが浮かび上がる。
(罪悪感)
その言葉が頭の中をよぎった。
(自分から別れを切り出したことへの罪悪感)
(だから責められない)
(だから名前を出せない)
もしそうだとすれば。
あまりにも危険だった。
悠真の表情が険しくなる。
「このままでは……」
黒幕はまだ捕まっていない。
今もどこかで普通に生活している。
何も反省せず。
何も裁かれず。
(また襲われても、おかしくない)
それが一番の問題だった。
悠真は静かに立ち上がる。
「次の診察で話すべきか……」
しかし、すぐに考え直す。
(いや)
(事務所へ伺うという方法もある)
だが、それもすぐに却下した。
社長。
ミヤコ。
スタッフ。
事務所には人が多すぎる。
しかも、この話は非常に繊細だ。
第三者がいる場所でする話ではない。
何より。
(アイさんがかわいそう)
過去の恋愛。
事件。
犯人。
そんな話を周囲の人間がいる前で聞かせるわけにはいかない。
(なら……)
答えは一つだった。
(次の定期診察ですね)
一か月後、診察という形なら、自然に二人きりになれる。
悠真は予定表へ目を向ける。
アイの次回診察日。
その日付を静かに確認する。
「その日に話しましょう」
そう決意すると、悠真は内線電話を取った。
「すみません」
『はい』
看護師が応答する。
「来月の星野さんの診察ですが」
『はい』
「少し長めに時間を確保してください」
『どれくらいでしょうか?』
「一時間ほどです」
『一時間ですか?』
少し驚いた声が返ってくる。
「ええ」
「プライバシーに関わる大切なお話がありますので、その間は診察室へ入らないようお願いいたします」
『承知しました』
電話を切ると、悠真は静かに窓の外を見つめた。
夕日はゆっくりと沈み始めていた。
「どうか……」
「今度こそ、あなたを守らせてください」
その呟きは、誰にも聞かれることなく夕暮れの空へ消えていった。