【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
それから一か月後、星野アイの定期診察の日。
診察室では、いつものように穏やかな空気が流れていた。
「体調はいかがですか?」
「はい! 元気です!」
アイは満面の笑みで答える。
悠真はカルテを確認しながら頷いた。
「血液検査も問題ありません」
「傷跡も順調です」
「激しい運動も問題ないでしょう」
「本当ですか!」
「ありがとうございます!」
アイは嬉しそうに笑った。
悠真も自然と笑みを浮かべる。
「これで診察は終わりです」
「はい!」
アイは立ち上がろうとした。
その時だった。
「……アイさん」
悠真が静かに声を掛ける。
いつもより少し真剣な声だった。
アイもすぐにその変化に気付く。
「先生?」
「もしお時間がありましたら、少しだけお話ししたいことがあります」
「もちろんです」
アイは再び椅子へ腰を下ろした。
診察室には二人だけ。
看護師も入ってこない。
静かな空間が流れる。
悠真は一度深呼吸をした。
「これからお話しする内容は、医師としてではなく、一人の人間として話します」
「はい」
アイの表情も真剣になる。
「あの事件についてです」
その一言で、診察室の空気が変わった。
「警察から事情聴取を受けた際、住所を知っていた人物についても聞かれたと思います」
「……はい」
「その時、誰の名前も出さなかったのではありませんか」
アイは静かに頷く。
「はい」
悠真はゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「失礼な質問でしたら申し訳ありません」
「ですが、一つだけ、お聞きしたいことがあります」
「はい」
「アイさんは……誰が住所を教えたのか、心当たりがあるのではありませんか」
その瞬間、アイの表情が固まった。
視線がゆっくりと下を向く。
長い沈黙...
やがて、小さく口を開いた。
「……あります」
悠真は静かに頷いた。
予想どおりだった。
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「その方とは……元恋人だった人でしょうか」
アイは驚いたように悠真を見る。
「……どうして分かったんですか」
「推測です」
「ただ、一つ気になったことがありました」
「気になったこと?」
「はい」
悠真は静かに頷く。
「もし本当に何も思い当たらないのであれば、警察へそのまま『分かりません』と答えれば済みます」
「ですが、アイさんは誰の名前も出さなかった」
「それは、出せない理由があったからではないかと考えました」
アイは黙って聞いている。
「そして私は、以前から一つ考えていました」
「もしかすると」
「アイさんは、その方へ別れを告げたことに対して罪悪感を抱いているのではないかと」
その言葉に、アイの肩がわずかに震えた。
悠真は続ける。
「だから、お聞きします」
「アイさん」
「その方とは、どのように別れたのですか」
アイはしばらく俯いたままだった。
やがて、震える声で話し始める。
「……私からです」
「私から別れを告げました」
悠真は静かに耳を傾ける。
「双子を産むことが決まって」
「このままじゃ駄目だって思ったんです」
「相手には何も言わずに」
「もう会えないって」
「終わりにしようって」
アイは苦しそうに笑う。
「ちゃんと話し合いもしませんでした」
「理由も全部は伝えませんでした」
「一方的でした」
「だから……」
アイは膝の上で拳を握る。
「私が傷付けちゃった」
「だから、あの人を責める資格なんてないかなって」
「私にも原因があるんじゃないかなって……」
今まで誰にも話せなかった本音だった。
診察室は静まり返る。
悠真はゆっくりと首を横へ振った。
「違います」
アイが顔を上げる。
「アイさん」
「恋人へ別れを告げることは悪いことではありません」
「話し合いが足りなかったことを後悔する気持ちは理解できます」
「ですが」
「だからといって」
「住所を第三者へ教えることも」
「命を奪おうとすることも」
「決して正当化されることはありません」
悠真の声は穏やかだった。
しかし、一つ一つの言葉には強い意思が込められていた。
「私は証拠を持っているわけではありません」
「だから誰かを犯人だと断言することはできません」
「ですが」
「その人物に心当たりがある以上」
「警戒だけは絶対にやめないでください」
「私は……また同じことが起きるのが一番怖いんです」
アイは静かに涙を流していた。
その涙は、自分を責め続けてきた一年分の涙だった。
「……先生」
「ありがとうございます」
悠真は優しく微笑んだ。
「今日、この話をしたのは」
「アイさんを責めるためではありません」
「自分を責め続けるのを、今日で終わりにしてほしかったからです」
アイは涙を拭きながら、大きく頷く。
「……はい」
その返事は、一か月前よりもずっと力強かった。