【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜   作:ペンギンって可愛いですよね

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第六十七話「十五年越しの合言葉」

 

場内の照明が完全に落ちた。

 

ざわついていた観客たちも静かになり、巨大なスクリーンへ視線を向ける。

 

やがて配給会社のロゴが映し出され――映画が始まった。

 

物語は、十五年前から始まる。

 

海の近くにある小さな町。

 

そこで暮らしている、一人の少年と少女。

 

家が近所で、生まれた頃から一緒に育った幼馴染だった。

 

学校へ行く時も一緒。

 

帰る時も一緒。

 

休みの日も、どちらかが相手の家へ遊びに行く。

 

そんな二人を演じるのが、アクアとルビーだった。

 

スクリーンに黒髪姿のアクアが映った瞬間、かなの目が大きく開く。

 

(アクア……!)

 

隣では、あかねも一瞬だけ目を見開いた。

 

(雰囲気が全然違う……)

 

全国学力調査のインタビューで見たアクアとは別人だった。

 

カメラの前で大人びた受け答えをしていた少年ではない。

 

どこにでもいそうな、少し無愛想な少年。

 

その隣には、楽しそうに笑うルビー。

 

「早く来て!」

 

「待てって」

 

「遅い!」

 

「お前が速いんだよ」

 

二人が笑いながら海沿いの道を走っていく。

 

ただそれだけの場面。

 

それなのに、

 

「……自然」

 

あかねが思わず小さく呟いた。

 

演技をしているように見えない。

 

兄妹である二人の距離感が、そのまま幼馴染として成立している。

 

目を合わせるタイミング。

 

相手の言葉を待つ間。

 

並んで歩く時の距離。

 

全部が自然だった。

 

かなもスクリーンを見つめたまま動かない。

 

(前より上手くなってる……)

 

昔、自分と共演した時のアクアも異常だった。

 

だが、今はさらに違う。

 

自分が目立とうとしていない。

 

相手の芝居を受け、それに合わせながら場面全体を作っている。

 

そして、ルビーも負けていなかった。

 

(この子……本当に初めてなの?)

 

かなは驚いていた。

 

笑う時は、本当に楽しいように笑う。

 

アクアへ怒る時は頬を膨らませる。

 

寂しい時には、ほんの少しだけ声が小さくなる。

 

大げさな芝居をしない。

 

だからこそ、感情が直接伝わってくる。

 

序盤は二人の何気ない日常が描かれていった。

 

一緒に宿題をする。

 

海辺で遊ぶ。

 

些細なことで喧嘩をする。

 

翌日には何事もなかったように仲直りする。

 

観客たちも自然と笑っていた。

 

だからこそ、物語が動き始めた時、その空気は一変した。

 

少女の父親の転勤が突然決まったのだ。

 

それも遠方。

 

引っ越しは一週間後。

 

当時の二人には、自由に使える携帯電話もなければ、簡単に会いに行ける手段もない。

 

少女が少年へそのことを伝える場面。

 

ルビーは泣かなかった。

 

「私、引っ越すんだって」

 

笑っていた。

 

少年も少し驚きながら答える。

 

「……そっか」

 

「うん」

 

「遠いのか?」

 

「すっごく遠いみたい」

 

「そっか」

 

それだけだった。

 

二人とも笑っている。

 

けれど――。

 

観客には分かってしまう。

 

二人とも、笑っているだけだと。

 

(……うまい)

 

あかねの表情が変わる。

 

特にルビーだった。

 

口元は笑っている。

 

しかし、アクアを見る目だけが寂しそうに揺れている。

 

声もほんの少しだけ震えていた。

 

それに応えるアクアも、いつもの無愛想な少年を崩さない。

 

それでも、握っていた拳だけが僅かに強くなる。

 

台詞ではなく、仕草で感情を伝えていた。

 

(何よ……これ)

 

かなもスクリーンから目を離せなくなっていた。

 

そして、別れの日、二人はいつもの海辺にいた。

 

少女が言う。

 

「ねえ」

 

「何?」

 

「合言葉、決めようよ」

 

「合言葉?」

 

「うん」

 

「また会えた時に、私たちだって分かるように」

 

少年は呆れたように笑う。

 

「顔見れば分かるだろ」

 

「十五年とか二十年とか経ったら分かんないかもしれないじゃん!」

 

「そんなに経つ前に会えるだろ」

 

「分かんないよ……」

 

その一言で、少年の表情が止まった。

 

少女も俯く。

 

本当は二人とも分かっていた。

 

次にいつ会えるのか。

 

本当にもう一度会えるのか。

 

誰にも分からない。

 

だから二人だけの合言葉を決めた。

 

他の誰にも意味の分からない、二人だけの言葉。

 

そして少女は笑った。

 

「絶対、忘れないでね」

 

「ああ」

 

「絶対だよ?」

 

「分かったって」

 

「約束!」

 

小指を差し出す。

 

少年も小指を絡ませた。

 

そして、引っ越しの日。

 

車へ乗る直前、少女が振り返る。

 

少年が立っている。

 

「じゃあね!」

 

「ああ!」

 

「またね!」

 

「またな!」

 

最後まで二人は笑っていた。

 

車が動き出す。

 

少女は後部座席から何度も手を振る。

 

少年も手を振り返す。

 

そして、角を曲がり少年の姿が見えなくなった瞬間、ルビーの笑顔が崩れた。

 

「……っ」

 

声を出さない。

 

ただ、涙だけが溢れる。

 

一方、車が見えなくなったあとも、その場に立ち続けるアクア。

 

しばらくして、誰もいなくなった道路を見ながら俯く。

 

「……またな」

 

小さく呟いた。

 

その瞬間、映画館のあちこちから鼻をすする音が聞こえ始めた。

 

「……うぅ」

 

「もう無理……」

 

「まだ序盤なのに……」

 

泣いている人がいた。

 

一人ではない。

 

何人も。

 

映画関係者も。

 

役者も。

 

そして一般の観客も。

 

かなは目元を押さえる。

 

(何よこれ……)

 

(聞いてた以上じゃない……)

 

隣を見る余裕すらなかった。

 

その隣のあかねも、すでに涙を流していた。

 

しかし、目だけはスクリーンから離していない。

 

(すごい……)

 

(感情を説明する台詞がほとんどないのに、全部伝わってくる)

 

(視線、呼吸、間、指先……)

 

分析しようとしている。

 

それなのに途中から、分析することすら忘れていた。

 

ただの観客として、二人の別れに心を奪われていた。

 

そして物語は十五年後へ。

 

アクアとルビーの出番は終わり、大人になった二人を主演俳優たちが引き継ぐ。

 

少年だった男は社会人になっていた。

 

少女がどこにいるのかは知らない。

 

名前で検索しても見つからない。

 

共通の知人も、もう連絡先が分からない。

 

十五年間一度も会えなかった。

 

ある夜、仕事から帰った男は、昔の写真を整理していた。

 

そこで一枚の写真を見つける。

 

海辺で笑う、幼い二人。

 

その瞬間、あの合言葉を思い出した。

 

「……まさかな」

 

男はパソコンを開く。

 

十五年前に決めた、二人だけの合言葉。

 

それを検索欄へ入力した。

 

検索。

 

いくつかの無関係なページに混ざって、一件の個人ブログが表示される。

 

男は何気なくクリックする。

 

そこには日常の出来事が綴られていた。

 

料理。

 

仕事。

 

旅行。

 

何でもない日々。

 

しかし、過去の記事を遡っていくと――。

 

ある記事の最後に、あの言葉が書かれていた。

 

二人だけの合言葉。

 

男の指が止まる。

 

そして映画は、そのブログの書き手を探す物語へ変わっていった。

 

幼い頃の記憶。

 

途切れた手掛かり。

 

十五年間の空白。

 

何度も別人へ辿り着き、それでも諦めず探し続ける。

 

その合間に、アクアとルビーが演じた幼少期の回想が何度も挟まれる。

 

二人が笑っていた海辺。

 

喧嘩した帰り道。

 

一緒に宿題をした部屋。

 

そして、あの別れ。

 

回想が映るたび、客席から鼻をすする音が増えていく。

 

やがて物語は終盤へ。

 

男はようやくブログを書いていた女性へ辿り着く。

 

待ち合わせ場所は、十五年前に二人がよく遊んだ海辺だった。

 

大人になった二人が向かい合う。

 

しかし、男はすぐには名前を呼ばなかった。

 

女性も何も言わない。

 

十五年。

 

あまりにも長い時間だった。

 

男が震える声で――。

 

あの日決めた合言葉を口にする。

 

女性の目から涙が溢れた。

 

そして同じ合言葉を返した。

 

その瞬間、スクリーンに一瞬だけ、幼いアクアとルビーの姿が重なる。

 

『絶対、忘れないでね』

 

『分かったって』

 

映画館のあちこちから嗚咽が漏れた。

 

「うぅ……」

 

「よかった……」

 

「ちゃんと会えた……」

 

かなも涙を拭う。

 

「……バカ」

 

小さく呟いた。

 

「こんなの泣くに決まってるじゃない……」

 

あかねも静かに涙を流していた。

 

そしてエンドロール。

 

場内はしばらく静まり返っていた。

 

誰もすぐには立ち上がらない。

 

やがて……

 

パチパチ。

 

どこからともなく拍手が起こった。

 

それは次第に大きくなり、映画館全体を包み込む。

 

かなも拍手していた。

 

あかねも同じだった。

 

業界内で囁かれていた噂。

 

……子役がヤバい。

 

その意味を、全員が理解していた。

 

むしろ、

 

「……噂よりヤバいじゃない」

 

かなが涙を拭いながら呟く。

 

あかねも頷いた。

 

「うん……」

 

「私、勉強するつもりで来たのに」

 

涙を拭いながら、少しだけ笑う。

 

「途中から普通に映画見ちゃってた」

 

「私もよ」

 

かなはスクリーンを見つめた。

 

エンドロールには、

 

幼少期・少年役 星野アクア

 

幼少期・少女役 星野ルビー

 

二人の名前が並んでいた。

 

そしてエンドロールが終わる。

 

しかし、今日の上映はこれで終わりではない。

 

このあと、今スクリーンの中で観客を泣かせた二人が、舞台挨拶に登場するのだから。

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