【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
場内の照明が完全に落ちた。
ざわついていた観客たちも静かになり、巨大なスクリーンへ視線を向ける。
やがて配給会社のロゴが映し出され――映画が始まった。
物語は、十五年前から始まる。
海の近くにある小さな町。
そこで暮らしている、一人の少年と少女。
家が近所で、生まれた頃から一緒に育った幼馴染だった。
学校へ行く時も一緒。
帰る時も一緒。
休みの日も、どちらかが相手の家へ遊びに行く。
そんな二人を演じるのが、アクアとルビーだった。
スクリーンに黒髪姿のアクアが映った瞬間、かなの目が大きく開く。
(アクア……!)
隣では、あかねも一瞬だけ目を見開いた。
(雰囲気が全然違う……)
全国学力調査のインタビューで見たアクアとは別人だった。
カメラの前で大人びた受け答えをしていた少年ではない。
どこにでもいそうな、少し無愛想な少年。
その隣には、楽しそうに笑うルビー。
「早く来て!」
「待てって」
「遅い!」
「お前が速いんだよ」
二人が笑いながら海沿いの道を走っていく。
ただそれだけの場面。
それなのに、
「……自然」
あかねが思わず小さく呟いた。
演技をしているように見えない。
兄妹である二人の距離感が、そのまま幼馴染として成立している。
目を合わせるタイミング。
相手の言葉を待つ間。
並んで歩く時の距離。
全部が自然だった。
かなもスクリーンを見つめたまま動かない。
(前より上手くなってる……)
昔、自分と共演した時のアクアも異常だった。
だが、今はさらに違う。
自分が目立とうとしていない。
相手の芝居を受け、それに合わせながら場面全体を作っている。
そして、ルビーも負けていなかった。
(この子……本当に初めてなの?)
かなは驚いていた。
笑う時は、本当に楽しいように笑う。
アクアへ怒る時は頬を膨らませる。
寂しい時には、ほんの少しだけ声が小さくなる。
大げさな芝居をしない。
だからこそ、感情が直接伝わってくる。
序盤は二人の何気ない日常が描かれていった。
一緒に宿題をする。
海辺で遊ぶ。
些細なことで喧嘩をする。
翌日には何事もなかったように仲直りする。
観客たちも自然と笑っていた。
だからこそ、物語が動き始めた時、その空気は一変した。
少女の父親の転勤が突然決まったのだ。
それも遠方。
引っ越しは一週間後。
当時の二人には、自由に使える携帯電話もなければ、簡単に会いに行ける手段もない。
少女が少年へそのことを伝える場面。
ルビーは泣かなかった。
「私、引っ越すんだって」
笑っていた。
少年も少し驚きながら答える。
「……そっか」
「うん」
「遠いのか?」
「すっごく遠いみたい」
「そっか」
それだけだった。
二人とも笑っている。
けれど――。
観客には分かってしまう。
二人とも、笑っているだけだと。
(……うまい)
あかねの表情が変わる。
特にルビーだった。
口元は笑っている。
しかし、アクアを見る目だけが寂しそうに揺れている。
声もほんの少しだけ震えていた。
それに応えるアクアも、いつもの無愛想な少年を崩さない。
それでも、握っていた拳だけが僅かに強くなる。
台詞ではなく、仕草で感情を伝えていた。
(何よ……これ)
かなもスクリーンから目を離せなくなっていた。
そして、別れの日、二人はいつもの海辺にいた。
少女が言う。
「ねえ」
「何?」
「合言葉、決めようよ」
「合言葉?」
「うん」
「また会えた時に、私たちだって分かるように」
少年は呆れたように笑う。
「顔見れば分かるだろ」
「十五年とか二十年とか経ったら分かんないかもしれないじゃん!」
「そんなに経つ前に会えるだろ」
「分かんないよ……」
その一言で、少年の表情が止まった。
少女も俯く。
本当は二人とも分かっていた。
次にいつ会えるのか。
本当にもう一度会えるのか。
誰にも分からない。
だから二人だけの合言葉を決めた。
他の誰にも意味の分からない、二人だけの言葉。
そして少女は笑った。
「絶対、忘れないでね」
「ああ」
「絶対だよ?」
「分かったって」
「約束!」
小指を差し出す。
少年も小指を絡ませた。
そして、引っ越しの日。
車へ乗る直前、少女が振り返る。
少年が立っている。
「じゃあね!」
「ああ!」
「またね!」
「またな!」
最後まで二人は笑っていた。
車が動き出す。
少女は後部座席から何度も手を振る。
少年も手を振り返す。
そして、角を曲がり少年の姿が見えなくなった瞬間、ルビーの笑顔が崩れた。
「……っ」
声を出さない。
ただ、涙だけが溢れる。
一方、車が見えなくなったあとも、その場に立ち続けるアクア。
しばらくして、誰もいなくなった道路を見ながら俯く。
「……またな」
小さく呟いた。
その瞬間、映画館のあちこちから鼻をすする音が聞こえ始めた。
「……うぅ」
「もう無理……」
「まだ序盤なのに……」
泣いている人がいた。
一人ではない。
何人も。
映画関係者も。
役者も。
そして一般の観客も。
かなは目元を押さえる。
(何よこれ……)
(聞いてた以上じゃない……)
隣を見る余裕すらなかった。
その隣のあかねも、すでに涙を流していた。
しかし、目だけはスクリーンから離していない。
(すごい……)
(感情を説明する台詞がほとんどないのに、全部伝わってくる)
(視線、呼吸、間、指先……)
分析しようとしている。
それなのに途中から、分析することすら忘れていた。
ただの観客として、二人の別れに心を奪われていた。
そして物語は十五年後へ。
アクアとルビーの出番は終わり、大人になった二人を主演俳優たちが引き継ぐ。
少年だった男は社会人になっていた。
少女がどこにいるのかは知らない。
名前で検索しても見つからない。
共通の知人も、もう連絡先が分からない。
十五年間一度も会えなかった。
ある夜、仕事から帰った男は、昔の写真を整理していた。
そこで一枚の写真を見つける。
海辺で笑う、幼い二人。
その瞬間、あの合言葉を思い出した。
「……まさかな」
男はパソコンを開く。
十五年前に決めた、二人だけの合言葉。
それを検索欄へ入力した。
検索。
いくつかの無関係なページに混ざって、一件の個人ブログが表示される。
男は何気なくクリックする。
そこには日常の出来事が綴られていた。
料理。
仕事。
旅行。
何でもない日々。
しかし、過去の記事を遡っていくと――。
ある記事の最後に、あの言葉が書かれていた。
二人だけの合言葉。
男の指が止まる。
そして映画は、そのブログの書き手を探す物語へ変わっていった。
幼い頃の記憶。
途切れた手掛かり。
十五年間の空白。
何度も別人へ辿り着き、それでも諦めず探し続ける。
その合間に、アクアとルビーが演じた幼少期の回想が何度も挟まれる。
二人が笑っていた海辺。
喧嘩した帰り道。
一緒に宿題をした部屋。
そして、あの別れ。
回想が映るたび、客席から鼻をすする音が増えていく。
やがて物語は終盤へ。
男はようやくブログを書いていた女性へ辿り着く。
待ち合わせ場所は、十五年前に二人がよく遊んだ海辺だった。
大人になった二人が向かい合う。
しかし、男はすぐには名前を呼ばなかった。
女性も何も言わない。
十五年。
あまりにも長い時間だった。
男が震える声で――。
あの日決めた合言葉を口にする。
女性の目から涙が溢れた。
そして同じ合言葉を返した。
その瞬間、スクリーンに一瞬だけ、幼いアクアとルビーの姿が重なる。
『絶対、忘れないでね』
『分かったって』
映画館のあちこちから嗚咽が漏れた。
「うぅ……」
「よかった……」
「ちゃんと会えた……」
かなも涙を拭う。
「……バカ」
小さく呟いた。
「こんなの泣くに決まってるじゃない……」
あかねも静かに涙を流していた。
そしてエンドロール。
場内はしばらく静まり返っていた。
誰もすぐには立ち上がらない。
やがて……
パチパチ。
どこからともなく拍手が起こった。
それは次第に大きくなり、映画館全体を包み込む。
かなも拍手していた。
あかねも同じだった。
業界内で囁かれていた噂。
……子役がヤバい。
その意味を、全員が理解していた。
むしろ、
「……噂よりヤバいじゃない」
かなが涙を拭いながら呟く。
あかねも頷いた。
「うん……」
「私、勉強するつもりで来たのに」
涙を拭いながら、少しだけ笑う。
「途中から普通に映画見ちゃってた」
「私もよ」
かなはスクリーンを見つめた。
エンドロールには、
幼少期・少年役 星野アクア
幼少期・少女役 星野ルビー
二人の名前が並んでいた。
そしてエンドロールが終わる。
しかし、今日の上映はこれで終わりではない。
このあと、今スクリーンの中で観客を泣かせた二人が、舞台挨拶に登場するのだから。